ノルディック夫妻の日常 6 エディウス
ドックを離れ王宮へと招かれた俺達は、そこで女性達はセリア妃の茶会へ、そして俺は、陛下や殿下方と遊戯室へと誘われる。
「エディ、来ていきなり陛下達と一緒に社交ですみません」
申し訳無さそうに囁いたヴィアの頭を撫でて、俺は首を横に振る。
「問題ないよ。むしろ早々に済んで気が楽だ。ヴィアこそ、晩餐前に菓子を食べすぎないようにね?」
「子供じゃないですってば、もう……」
俺のからかいに軽くむくれたヴィアは、安心したような表情で、セリア妃やリリア姫と茶会に向かっていった。
「では報告を聞こうか? エディウス殿」
遊戯室ではなく、陛下の執務室へと通された俺達は、口調と声音を切り替えた陛下の一言で、一瞬で厳しい雰囲気に包まれる。
殿下方を残して人払いがされ、アルディオ様が無言で部屋に防音結界を張った。
そう、俺は陛下に謁見を願っていたのだった。ヴィアには内緒で、と頼んでいたので、セドリック殿下が自然な形になるよう誘導してくれたのだろう。
俺は持参した報告書を取り出し、陛下へと差し出した。
「ここ半年のノルディック領での、妻や研究所を狙った敷地内への侵入や襲撃、誘拐未遂は、30件を超えました。うち5件は国内の他領からと考えられます。間接的に傭兵を雇い入れているようで、決定的な証拠が出てきませんが。
そして、28件は国外からでした。国のリストはこちらです」
それは、ノルディックの屋敷や研究棟、もしくは外出先で受けた侵入や攻撃の記録だった。内容はともかく数だけ見れば、ザルディア王国と関係が悪かったときと対して変わらない。
「デンファーレとアーダインは流石に無いな。王族間の婚姻は効果があるし、この2国はヴィアの研究成果の恩恵も充分に享受している筈だ。何より同盟も強固だと自負している。しかし……ガンクルド宗主国は19回。後はゲンテンに代表される従属国か」
陛下がざっと資料に目を通すと、厳しい表情で言った。そして、セドリック殿下に資料を渡す。
俺は頷いて、補足した。
「ええ。このガンクルドは執拗に侵入を繰り返し、諦める様子も隠す様子もありません。爆発を引き起こす魔道具を押収したこともあります」
「ガンクルドからの侵入者の供述を見る限り、早急な対策が必要そうだな? 早速宗主国には詳しい調査と警告を出そう。まあ、警告はあまり効果はなさそうだから、少々制裁も考えるか。ユリウスどうだ?」
腕を組んで思考を巡らせていた陛下が、ユリウス殿下に尋ねた。
「穀物の輸入制限が効果的かと。後は、ワクチンの価格を釣り上げるか、魔道具の輸出制限か、ですね」
「その辺りの采配はお前に任せる、ユリウス。
いざとなれば武力行使も厭わないが……」
即座に答えたユリウス殿下に、陛下も頷き制裁の件は彼に一任された。問題は、陛下の後半の言葉だ。
ヴィアは、多分前世の倫理観が強く影響しているせいで、どういう理由であれ人を傷つけるとか、暴力や戦力で物事を解決することを、否定はしないが納得出来ていないところがある。だから今回のような騒動も、彼女が知れば、話し合いで平和的な解決を望む事は明白だった。
だが、ガングルドやゲンテンに、それは通用しない。彼の国々は、そもそも我々の常識とはかけ離れた独自の宗教的倫理観を持って動いている国だ。唯一神を信仰するガングルド宗主国は、神の子孫だという祭祀承継者である王家が統治しており、ゲンテンの他にもいくつか従属国を持っているが、我が国とその同盟国の国々との国交は、主に物資の流通のみに限られ、文化や教育等の交流はほぼ無いに等しい。国力にあまり差は無いのだが、こちら側は気候的に農作物の生産に適しており、あちら側は放牧や畜産業に適している。こちらからは穀物を主体とした農作物を、あちらからは布製品や一部の加工肉などをやり取りする、貿易相手としての繋がりがあるのみである。
文化や教育の交流が無いのは、互いに全く違う宗教観や政治倫理観が相容れないからであり、不要な争いをするくらいなら不可侵を貫いた方が互いの国々のためだからである。もっとも民間レベルでの情報のやり取りは止めようが無いので、その辺りは目を瞑っているのが現状だ。
だが、皮肉なことにヴィアによるワクチンの開発がその不可侵の掟に僅かなヒビを入れることになった。ワクチン接種による感染症の明らかな激減が、宗主国を刺激したのだ。
おそらく互いに秘密裏に送り込んでいる間者から漏れたヴィアの様々な功績。前世持ちであることも秘匿しておらず、彼女がこの国や同盟国へと齎した恩恵をガンクルド側が知ったのなら、こちらで聖女扱いされている彼女が狙われることは、考えられることだった。
宗主国からの間者曰く、「神の加護を受けた聖女が、誤ってこちら側に産まれてしまった。聖女は速やかに神の国である宗主国にお戻りいただくべきで、聖女の開発した技術も宗主国側が受け取るべきだ」と。当然、ヴィアの耳に入る前に全員始末した。
全くもって、あり得ない、とんでもない言い掛かりで、巫山戯るな!と言いたいところだが、その為にわざわざ遠方のノルディックにまで間者を送って襲撃や誘拐を仕掛けてくるあたり、宗主国は本気でそう信じているのだろう。
そこで、ふとセドリック殿下が、こちらを見て口を開いた。
「国内からの襲撃も気になるな。だが、こっちは侵入か誘拐未遂ばかりだな。大元は特定できているのか?あちら側の影響を受けているのか?」
それについては、おそらく宗主国とは関係がないと思われた。何となく……いや確信に近い形で。
「ええ。証拠は無いものの、見当はついているのですが……」
「構わん。情報として提供しろ。探りはこちらから入れる」
セドリック殿下は、万が一にも国内から宗主国に肩入れする離反者が出ないよう徹底するつもりだろうが、きっとそれはない。
だが、命じられた俺は、渋々その家名を口にした。
「セルディーア伯爵家、ツェルマット侯爵家、シャーウッド公爵家です」
「……おい、そいつ等は、研究成果とか新技術狙いじゃ無いだろう?」
俺が挙げた家名を聞いた陛下や殿下方の間に一瞬の間が空き、何とも言えない沈黙が生まれた。つまり、その3家の思惑というか意志を、正確に把握しているのだろう。そして、確認するように尋ねられた。
「腹立たしいことに……」
低い声で答えた俺に、セドリック殿下の呆れた声が続けた。
「いっそのことそいつ等の家に夫婦で乗り込んで行って、仲睦まじさを見せつけてやった方が早いんじゃないか?」
そう。この3家の当主や嫡男は、ヴィアにいたく心酔しており、ロッドフィールド家に何度も縁談を持ちかけ、俺との婚約が決まった後も、幾度となくヴィアに接触を図ろうと水面下でいろいろと画策していたのだ。
ロッドフィールドの義両親や、クロード先輩やルイスが、ヴィアを守ってくれたお陰で、それは彼女に知られることなく処理され、今無事に俺の妻となっている。
だが、結婚した今となっても、ヴィアに接触しようと手段を選ばないあたり、諦めの悪さにはため息しか出ない。
「彼らをヴィアの視界に入れたくありません」
つまり、俺の本心はここだった。ヴィアの視界に、容姿をとっても財をとっても、社交界でも人気のある独身男性を入れたくないのだ。彼女が簡単に他の男に心を移すとは思ってもいないが、少しでもヴィアが、彼らを魅力的だと思うかも知れないのが腹立たしい。
「まったく……相変わらず狭量だな。社交するなら、嫌でも出会うことになるだろうが。
まあいい。一応、王家の手の者に探らせよう。結果は追って知らせてやる。
問題は宗主国だな。このシーズン中二人で王宮に滞在するか?」
俺の思いを正確に把握したであろうセドリック殿下が、呆れつつも調査を約束してくれた。そして、宗主国からの襲撃も考え、警備が厳重な王宮での滞在を提案してくれる。しかし俺は首を横に振った。
「ありがたいお話ですが、ノルディックから相当数の手練れの騎士を連れてきています。王都にあるノルディックのタウンハウスもここから遠くはありませんし、全員顔馴染みですので」
「間者は紛れ込みにくいか」
「はい」
ノルディックの精鋭達は、今まで紛争地帯だった地で叩き上げられた者ばかりで、対人戦の練度は高い。そして、よく知った者達の為、安心もできる。
陛下が、話を纏めるように頷いた。
「わかった。では必要があれば言ってくれ。何かあればアルディオを向かわせる。いいな?」
「はい、父上」
魔法騎士として優秀である上、権力もあるアルディオ様がこちらに加わってくれるなら心強い。アルディオ様も快く引き受けてくれた。
「ありがとうございます、陛下」
俺は、王家の采配に感謝を込めて頭を下げる。
「エディウス殿」
「アルディオ様、なんです?」
と、これまで言葉を挟まずに控えていたアルディオ様が、俺に問いかけた。
「シルヴィアはこのことを知っているのか?」
「新技術を狙って間者が入り込んでいることは伝えてありますが、詳細までは」
「そうか……だが」
わかっている。いつまでもヴィアに隠し通せるとは思っていないが、彼女の悲しむ顔は見たくないし、好奇心旺盛に研究に取り組む生き生きとした彼女の顔を曇らせたくもなかった。
しかし、アルディオ様が言いかけた通り、もうそんな段階ではない。ルーベンス王国の端にあるノルディックにさえ、あの数の間者を送り込んできたガンクルドだ。人の行き来や物流の中心である王都に、この社交シーズン中しばらく滞在するなら、ヴィアにも状況を説明して最大限に警戒する必要がある。
「ただ、状況説明すれば、武力行使の選択肢が取りにくくなります」
ヴィアが自分を引き金にして戦争が起こったと知れば、悲しむどころか矢面に立とうとするかも知れない。それが恐ろしかった。
先の戦争のとき、彼女の意識がザルディアの皇帝と共にこの世界から消えたときの恐怖が、蘇る。僅かに震えた手を握りしめ、なんとかそれをやり過ごした。
「そうだな。平和主義者のシルヴィーのことだ。自分が原因で戦争が起こったと知れたら、最悪自分を犠牲にしかねない。それだけは避けてやらなければね」
ユリウス殿下が、染み染みと言った。ヴィアが俺が悲しむ選択肢を取ることはないと思うが、状況次第では選ばざるを得ないこともある。その可能性が恐ろしい。俺はそれを回避し、彼女を守るためなら、ヴィアに知られることがないところで、どんな手段でも取るつもりだった。
「大丈夫だ。我が国側から仕掛けることはないさ。向こう側からなら、迎え撃つためと大義名分も立つ。それに彼の国との間には、セレナの国アーダインがあるんだ。セレナはシルヴィアを気に入っている。その辺りも、上手く取り計らうさ」
セドリック殿下がそう約束してくれる。
俺にとってこの状況は、戦争も同義だった。
すみません。ストックがつきました。
書き溜めてから、更新を再開します。
しばらくお待ち下さい。




