恋人たち
エディウス19→20歳、シルヴィア15歳時点の、社会人2年目の二人のお話です。
本編11話と12話の間、空白の4年間の出来事。
「サバイバル・行軍訓練?」
ルイス兄様とエディ様と三人で、うちの居間でお茶をしていた時だった。来月、1週間程王都を離れるからとエディ様に言われて、理由を尋ねたところだった。
聞き慣れない単語に、疑問符をつけてしまった。
「そう。去年もやっただろう? あれ、来月またやるんだよ。毎年春のこの時期だな」
「まあ、ほら、1週間の辛抱だ、ルイス。仕方がないさ」
ルイス兄様がうんざりとした声で答えてくれて、エディ様も同意しつつ諦めた様子だ。
ああ!と思い当たった私が、手を叩く。
「1週間、山だか森だかを行軍しながら、敵と戦うことも想定して行われる訓練でしたか? 去年、入隊後に行ってましたね」
確かに1年前、ルイス兄様とエディ様が入隊後間もなく、訓練が行われていたのを思い出した。新人だけじゃないんだ、と思ったところで、エディ様が言った。
「毎年恒例なんだ。階級が上がれば立場も変わるが、まだ2年目の俺達は、去年とあまり変わらないな」
「つまり、ボロボロで汚い下っ端兵士だ」
「不快極まりないが、状況が状況だからね。戦場を思えば仕方がない」
軍属している兵士達は、戦場で過酷な環境や状況に晒される。そこでも戦意を失わず、生きて戻る為の訓練だという。二人は士官候補の魔法騎士だけど、軍属の最初の2年間は一般兵士と同様の訓練を行うそうだ。
う〜ん……少しでも改善できるといいのだけれど。
きっかけは、そんな風に考えたことで。
私がいろいろ試行錯誤して編み出した、オリジナルの魔法付与は、その後爆発的に人気が出て軍で採用された為、莫大な利益となって侯爵家を潤してくれたのである。
「これは?」
エディ様が軽く首を傾げて、私が差し出した包みを受け取る。
来週から訓練が始まるからと、エディ様と二人で会った今日、私は訓練中使って欲しいと言って、彼に贈り物をしたのだ。
「肌着……なんですけど。魔法を付与しました。訓練の負担にならないよう、エディ様の魔力は流さなくても、一ヶ月ほど効果は持つようにしてあります。効果が切れたら、そのときにエディ様の魔力を流してもらえば……私のところに持ってきてもらってもいいですよ?」
どうぞ開けてみて、と私が促し、エディ様は丁寧に包装を解いていく。出てきた2枚の肌着に刺された刺繍を見て、彼は懐かしそうに目を細めた。
「昔、手を温めてくれるハンカチをもらったね? あれと一緒かな?」
エディ様が、まだ中等科7年生のときに贈ったハンカチのことだ。もう4年前になるそれを、覚えていてくれたことが、嬉しい。
「原理は一緒です。魔法付与自体に魔力が貯まっていて、持続的に魔法が発動するように魔法式を組みました。効果は、着用者の防護と浄化です」
「なんだって!?」
エディ様が驚くのも無理はない。
本来魔法付与は、ある物質に期待する効果の出る魔法式を刻み、使用者が魔力を流す事によって発動するものだ。つまり、魔力があり魔法を使える者にしか、魔法付与は意味を持たない。
でも、私がこの肌着に施した魔法付与は、魔法式自体に魔力を貯めておけるよう、特殊な刺繍糸で魔法を付与してある。定期的に刺繍に魔力を補充すれば、魔力がない人でも、効果を得ることが出来るのだ。
実はこれ、父様やクロード兄様にも報告して、今前世でいう特許「開発権」を申請している。昔、子どものお遊びでルイス兄様とエディ様に贈ったハンカチが素になっているんだけど、二人共他の人にそれを言ったりしなかったから、今まで突き詰めて研究もされていなかったらしい。幸運な事に、今回思い立ってハンカチの刺繍を応用したら、便利なものが出来てしまった、というわけ。
ただ、一般的な魔法付与は、指先から魔力を流して魔法式を刻めば良いだけなんだけど、これは魔力を溜め込んだ糸で魔法式を刺繍するという手間がある。そういう意味では、一般的な魔力無しの人々に普及している魔道具に近いかもしれない。魔道具が魔法効果を発するためには「魔力貯留石」が必要だけど、これを刺繍糸に置き換えたのだ。そのためには、いろいろと細かい魔力調整も必要ではあるけれど、慣れれば魔法師なら誰でも出来ると思う。
「防護と浄化といっても、怪我や攻撃は防げないので気をつけて下さいね? 精々身体を清潔に保ち、皮膚に付着する毒や病原菌から防護出来るくらいです」
1ヶ月位効果を持続させる為に、そう大きな魔法効果は付与できないので、エディ様に伝えておく。
「いや、充分すぎるよ。君が時々俺達の常識じゃ測れないことを考えつくのは、知っていたけれど……侯爵には相談した?」
「はい。今開発権を申請してくれてます」
「そうか、それなら安心かな? ありがとう、ヴィア。大切に使わせてもらう」
「よかった。ルイス兄様にも同じものを贈ったので、間違えないようにエディ様の分には名前も刺繍したんです」
エディ様は、名前のところの刺繍を指でなぞって、嬉しそうに微笑んだ。
「いつも、君には貰ってばかりだ。嬉しいとか幸せとか、俺は君にたくさんの感情を教えてもらってる。好きだよ、ヴィア。君のことが本当に好きだ」
そう言って、贈り物ごと私を抱き締めてくれた。
うん。私も大好きです、エディ様。気をつけて行ってきてくださいね。
……なんて、幸せに浸っていたのだけれど。
訓練終了後、軍はちょっとした騒ぎになった。
エディ様とルイス兄様が、訓練中1週間経っても小綺麗なままで、虫刺されや、毒草によるカブレ、湿疹などとは全く無縁だったのが、結構目立ってしまったのだ。
もう、開発権も申請してるからと、ルイス兄様が肌着のことを公表したところ、個人や軍からの問い合わせが、私の上司=父様のところに殺到した。
私は今、王宮筆頭魔法師である父様の下に特設された「特別魔法研究課」通称「特魔研」所属になっているのだ。刺繍の魔法付与は国からの予算を使った研究ではなく、個人的に開発したものだから、本来は侯爵家に来るはずの問い合わせなのだけれど、軍からは大掛かりな研究成果だと思われたらしい。
軍で採用したいからと言われて、技術提供料としてかなりの金額が提示されたので、私はとりあえず大量の「魔力貯留刺繍糸」なる物を量産し、魔法式の図案と一緒に見本品を軍に送っておいた。大量の魔力保持者の私でも、それなりに大変だった。
刺繍まではとても手が回らないので、後は軍でなんとかして欲しい。私はこれでも、結構忙しいのだ。
「大変だったね、お疲れ様」
と、ルイス兄様が労ってくれたけど、公表はもう少し小出しにして欲しかった。
そして、夏が終わる頃。
今日は、各地の魔法騎士団対抗の武術大会だ。
国境付近に駐留する各地の国軍や、各領地の領軍から選ばれた、2〜3名の代表魔法騎士が、剣や槍や斧など得意とする得物と魔法を使って、その武芸を競い優勝者を決めるという、年に一度の大会だった。
個人戦の特別枠で、王都の士官学校からも1名参加でき、エディ様は学生時代から上位入賞者に名を連ねていて、3回目の出場だった。そして今年はなんと、ルイス兄様も出場すると聞いて、メイベルと一緒に大会を観に来ていた。去年まではルイス兄様も一緒にいて、解説付きだったのだけれど、今年はクロード兄様が付き添ってくれた。女性二人じゃ危ないからと言っていたけど、相変わらずの過保護ぶりだ。
去年はルイス兄様に連れられて、軍の関係者席での応援ではあったのだけれど、今年は「魔力貯留刺繍糸」納入のお陰で、なんと招待席に席を用意してもらっている。
大変だったもの、この位の役得が無いとね。
個人戦の試合が一番良く見える特等席だ。
ただ去年まで使っていた認識阻害魔法は、この席ではさすがに使えない。少々目立ってしまうけれど、周りは国や軍の重鎮ばかりだ。仕方がない。
「ロッドフィールド侯爵令嬢。先日はありがとうございました。お陰様で軍全体の訓練中の不快感や苦痛が改善されて、士気も上がりました。貴女は救世主ですよ。本当に感謝しております」
到着するなり受けた軍の総司令官からの過分なお言葉に、注目を浴びてしまった。ダンディなオジサマなんだけど、声が大きいです。
さらに、
「やあ、シルヴィア。久し振り。今年はここの席なんだな」
きらびやかなセドリック王太子殿下がにこやかに声を掛けてきたため、いろいろ諦めた。クロード兄様も大きなため息をついて、殿下に一礼する。
私も笑顔を作って、殿下に向き合う。メイベルごめん。
「あら、セドリック殿下、ご機嫌麗しゅう存じます。今日こちらの席には、ご招待いただきまして。こちらはお友達のメイベル・サザランド伯爵令嬢。ルイス兄様と婚約中ですの」
「王太子殿下、お初にお目にかかります。メイベル・サザランドでございます」
メイベルは一瞬私に視線を投げると、綺麗なカーテシーを披露して、卒なく挨拶していた。
「ああ、話は聞いている。今日はルイスも出るからな。楽しむと良い。シルヴィア、隣どうだ?良く見えるぞ?」
「ありがとうございます」
強引な従兄に苦笑する。王太子殿下の隣だからね、そりゃあよく見えるでしょうよ。殿下は来月アーダイン国の王女殿下とご結婚予定なので、一応側近であるクロード兄様を挟んで座り、私の反対隣にはメイベルが腰掛けた。
「ごめんね、メイベル」「大丈夫よ。慣れたわ」
と小声で囁きあった。
◆エディウス side
「おい!あれ!見てみろよ。妖精姫だ」
「うわあ。儚げな美少女」「綺麗だなあ」
「彼女が、あの肌着の魔法付与の開発者かあ」
「侯爵令嬢だろ? いいなあ。結婚したい」
「優勝したら、名前と顔を覚えてもらえるかな? 話してみたいよな」
個人戦の出場者が集まる競技場の一角で、各地から集まった魔法騎士達が、最終点検をしながら招待席に現れたヴィアのことを口々に噂する。
いつもと違って、認識阻害魔法を使っていないから、王太子殿下の並びに座っているヴィアに多くの視線が集中していた。
その様子に、内心ため息をつきたくなる。
「エディ、大丈夫か?」
「別に。何も気にすることじゃない。ヴィアはヴィアだし、優勝すれば良いだけだ」
ルイスに肩を叩かれて、囁かれる。俺も小声で答えた。
「うわ、めちゃくちゃ気にしてるよ……」
「エディウス様も苦労が多いですね」
ルイスの言葉に反応したのは、ラッセルだった。ノルディック辺境伯軍からは、ラッセルとルード、そしてジェイドが来ていた。ケインとアベルは実力はあるが、ザルディア国を警戒して領地に残っている。
ヴィアが武術大会に軍から招待されたと聞いて、こうなることは予測できたことだった。
ヴィアは高位貴族の令嬢でありながら、未だ婚約はしていない。これはロッドフィールド侯爵の意向だし、ヴィアはまだ15だ。婚約は彼女の社交界デビューに合わせて結ばれることになっている。
俺達は、まだただの恋人同士に過ぎない。
俺もヴィアも互い以外を選ぶことはあり得ないと理解はしているが、世間や公的には、その関係になんの保証も確約もないことは知っている。
だから、今回は何が何でも優勝すると決めていた。優勝し、衆目の中彼女に優勝を捧げて、ヴィアは俺の恋人だと周知する。
「大丈夫そうだな。あ、でも俺も手は抜かないから。可愛い妹と愛する婚約者が来てるからね」
「わかってるさ。だが、俺も負けられない。全員蹴散らしてやる」
俺が決意を込めてそう静かに宣言すると、
「やば。今日のエディはめちゃくちゃ本気だわ」
と、ルイスは「俺、せっかく今年代表になったのに」とブツブツ言っていた。
ヴィア効果か?今年の魔法騎士による武術大会個人戦は、熾烈を極めた。
初戦は、10人ずつ18組に分かれて争い、勝ち残った1名が決勝トーナメントに進めるというサバイバル戦だ。共闘は禁じられているので、個人で勝ち抜かなければならない。
俺は初戦を勝ち抜き、トーナメント戦を順当に決勝まで勝ち進んできた。
「去年ぶりだね、ノルディック殿。また君と戦えるのは嬉しいが、今年は妖精姫もお目見えだ。ぜひ彼女とお近づきになりたいからね。今年も勝たせてもらうよ?」
セルディーア伯爵領の領主であり魔法騎士のアロイス・セルディーアだった。26歳で男盛りの槍使い。去年の優勝者で、俺は彼に押し負けた。
「どうでしょうね、セルディーア殿。俺にも意地があります。今日はあなたにも負けるわけにはいかないんですよ」
そう言葉を交わして始まった決勝戦。
時間は掛けられない。長引くほどこちらに不利になる。去年の二の舞いはゴメンだった。
剣と槍での攻撃が交わされるが、隙を見つけた俺が、魔法による結界と攻撃を駆使して、セルディーア殿の懐に飛び込む。突き出される槍を剣で払って、急所へ渾身の攻撃魔法を叩き込んだ。
試合中の魔法付与は認められていないから、俺は、結界と合わせて連続の二重魔法行使だったが、セルディーア殿は、結界の展開が間に合わず、吹っ飛んでいく。
魔法騎士が死んでしまうような攻撃魔法ではないが、カウント内に彼が立ち上がってくることはなかった。
「勝者、エディウス・ノルディック!」
優勝宣言に、客席と王都の騎士団がどっと湧く。
招待席のヴィアを振り返れば、ホッとしたように微笑む彼女がいた。
俺はゆっくりと彼女に向かって歩き出す。
「ヴィア、おいで」
彼女の前まで来た俺は、一段高くなった招待席の最前列に座っていたヴィアに手を伸ばし、そう声を掛ける。
クロード先輩から何事か囁かれたヴィアが席を立ち上がり、俺の腕へと飛び込んできた。
「エディ様、優勝おめでとうございます」
俺は風魔法を調整し、フワリと落ちてきた彼女を受け止めて、そのまま腕に抱き上げる。すると俺の頬に、ヴィアがそっと口づけを贈ってくれた。
一瞬シンと静まり返った会場が、その次の瞬間に、悲鳴と怒号と歓声と冷やかしの口笛に大騒ぎになる。
「まったく、目立つのは本意じゃなかったんじゃないのかな? アルディオが居なくて良かったよ」
「エディもシルヴィーの人気に気が気じゃなかったんでしょう。父のせいでまだ婚約出来ないでいますからね」
王太子殿下とクロード先輩のそんな声が聞こえたけど、無視だ。
「ヴィア、今日は君の人気が凄すぎて、不安だった。優勝を君に贈れて嬉しいよ」
「違いますよ。エディ様が格好良すぎて、私が心配でした。エディ様の恋人の座は、誰にも譲りたくないんです」
初めて俺に見せてくれた、ヴィアの嫉妬。
腕の中に囲い込んだヴィアの蒼い瞳が、じっと俺を見上げる。どうしようもなく綺麗で可愛くて、俺は我慢できなかった。
「ヴィア、愛してる」
言葉だけで俺の気持ちを伝えるには足りなくて、そのまま彼女の唇に口づけを落とす。
会場が更に大騒ぎになったところで、王太子殿下の声が響いた。
「そこの恋人たち、そろそろいいかな? 表彰式を始めるよ」
名残り惜しいが彼女を離して、近くにいたルイスにヴィアを託した俺は、表彰台へと向かったのだった。
大会後、俺とヴィアの一件は王都中で噂になり、キャサリンからは「何故私も誘ってくれなかったの?」と怒られる羽目になったが、学校だったのだから仕方がない。
そして、侯爵にはチクチクと嫌味を言われることにもなったのだが、俺は甘んじて受け入れた。




