弔われた初恋 by アルディオ
番外編は、アルディオのその後から。
楽しんでいただければ嬉しいです。
シルヴィアの意識である金色の鳥の大きな羽が、禁術の黒竜の頭をまるでその翼で抱きしめるように覆った瞬間、俺の中にシルヴィアの意識が流れこんできた。
多分俺の中に残っているシルヴィアの魔力が、伝えてくれたのだと思う。
『エディ様、ごめんなさい。
でも、どうか私を信じて待っていて』
ああ、シルヴィアはザルディア国王の望みを叶える為に、一緒に行くというのか?
そんな必要がどこにある?
国王でありながら、自分の私欲の為に多くの国民を飢えさせ、犠牲にし、我が国ルーベンスに戦争を仕掛け、禁術まで発動した身勝手な国王を、何故アンタは許してやるんだ?
ふざけるな!
ソイツはその罪を償わなければならない!
アンタがその存在をかけて、ソイツの望みを叶えてやるなんて、そんなことは許せない!
『私は私の為に、憐れな彼を元いた世界に帰したいの』
ごめんなさい……とシルヴィアの感情が伝える。
だから、なんでアンタが謝るんだよ!
畜生……
シルヴィアの決意は固くて、俺には止められない。ノルディック卿にすら。
だから、俺は声の限り叫ぶ。
「シルヴィア!必ず戻って来い!」
『うん。アルディオ、大丈夫。だから、私の身体をお願い。私のかわいい弟子である貴方に任せたわ』
そうしてザルディア国王とシルヴィアの意識は、この世界から消えてしまった。
禁術が発動した離宮から軍を引き上げ、ルーベンス王国軍は、ラッセルが率いてそのままザルディアの王都へと向かい、ノルディック領軍と俺達は、ヘリオーズの前線基地へと移動した。
翌日、ザルディア王都に到着した国軍と入れ替わりで、向こうに残っていたノルディック領軍とルイスが、シルヴィアを連れてヘリオーズに戻ってきた。
シルヴィアは変わらず意識が戻らず、しかしその身体は問題ないと医者に診断され、この基地の一室に寝かされ、ノルディック卿、ロッドフィールド侯爵、ルイスが様子を見ながら、意識の回復を待つことになった。彼女の世話人として、ノルディック辺境伯邸から何人か侍女も呼ばれたらしい。
戦後処理と復興に忙しいノルディック卿は、しばらくはこの地を離れることが出来ない。彼もそして侯爵達も、シルヴィアの側にいることを望んだ。
シルヴィアがこの基地に戻った翌日である今日、俺はザルディア王都にユリウス兄上の補佐をするために向かう予定だ。
まだ朝は早いが、シルヴィアの顔を一目見てから出発しようと、部屋を訪ねた。
「ノルディック卿」
そこには、眠るシルヴィアの手を握って、傍らに座るノルディック卿がいた。時間が出来るとここに来て、シルヴィアに寄り添っているのだと、侍女が言っていた。
「殿下、おはようございます。ご出発ですか?」
振り返った彼が、無理矢理貼り付けた笑顔でそう言った。
シルヴィアの意識が戻らず、こうして眠り続ける彼女を見ていることしか出来ない辛さは、俺にもよくわかる。疲労の色は、隠せていなかった。
俺とシルヴィアが一緒にいると、いつも牽制するようにキツイ視線を投げられたが、今の彼にそんな覇気もない。
ただただ、シルヴィアの目覚めを待っているのだろう。
「「ごめんなさい。でも、どうか私を信じて待っていて」と、シルヴィアから貴方への伝言だ。
ノルディック卿、すまない。シルヴィアを無事に貴方のもとに連れて帰って来れなくて」
俺は、あのときのシルヴィアの言葉をノルディック卿に告げ、頭を下げる。
シルヴィアを無事に彼のもとに帰してやれなかったことへの謝意と、そして彼女への恋心はもう弔うと決めたその意志は、伝わっただろうか。
「……ありがとうございます、殿下。どうぞ顔を上げて下さい」
穏やかな声だった。
顔を上げると、淡く微笑むノルディック卿が、ゆっくりと言葉を続ける。
「……あの時、彼女の声が聞こえた気がしたんです。ごめんなさい、待っててと。だから、大丈夫ですよ。ヴィアは必ず戻ります。俺はここで彼女を待ちます。ですから、殿下もどうぞ貴方の仕事をなさって下さい。俺達は、大丈夫ですよ」
ノルディック卿とシルヴィアの間に結ばれた信頼関係が、今の彼を支えている。二人の絆が、見えた気がした。
やっぱり、敵わないよな……
これまでのシルヴィアへの想いが、少しずつ昇華されていく気がした。
「アルディオ、待っていたよ。よく頑張ったね」
ザルディアの王城に着くと、ユリウス兄上がそう言って、迎えてくれた。
兄上の方こそ王都の制圧とその後の処理に追われて激務だったろうに、こうして俺を気遣ってくれることを、素直にありがたいと思う。
「シルヴィアを、無事にノルディック卿のもとに帰してやれなかった」
なのに、思わず俺から溢れたのはそんな台詞で、言葉と共に浮かぶ涙は無意識だ。
ふわっと軽くハグされて、背に回された手が、優しく背を叩く。
「それは、お前のせいではないだろう? お前は出来る限りの事をした。誇っていいよ。エディウス殿やロッドフィールドの皆も、そう思っているさ。何より、シルヴィー自身が、お前のことを褒めていると思うよ」
それが慰めでしかなくても、俺はその言葉にこれまでの努力が報われた気がした。
「ありがとう……ユリウス兄上」
甘えさせてくれた兄上に、俺は素直に感謝して、兄上の肩に顔を伏せた。今だけ、ごめん……とそう思いながら、溢れる涙を止めることが出来なかった。
しばらくして落ち着いた俺は、兄上と現況について情報を交わしあった。そして、
「父上や兄上とも相談して、いろいろ考えたんだけどさ」
と、城内を歩きながらユリウス兄上が言った。後宮へ向かっているという。
「どうやらこの地は、公爵領として、私かお前が統治した方が良さそうなんだよねえ」
「兄上か俺が?」
隣国だったこの国を我が国の領地としたのだが、ノルディック領に併合するするわけではないらしい。
「まずは領地が結構な広さじゃない? でもルーベンスの王都からは遠い。後は、王女が一人残っていたんだよね」
「王女?」
それで後宮なのか。だが……
「そう。前国王の娘で、アドルフ王の妹にあたる。アドルフ王は妻帯していないし、王太子となるために彼の兄弟を全て殺したと言われていたんだけど、彼女は当時5歳だったし、女の子だったこともあって、見逃されたらしい。後宮で隠されるようにして育てられていたんだ」
兄上は俺の考えを読んだように説明してくれた。
「そうか……で、いくつなんだ?」
「今、7歳。リリアという。あ、ここだ」
後宮、と言っても、滞在しているのは今はこの王女が一人だけだ。前王の妻達やアドルフ王の兄弟達は、既にこの世にはいない。王女の母親も、アドルフ王に粛清されていたという。
ある部屋の前でユリウス兄上の足が止まり、扉を叩く。侍女が扉を開けて、俺達は入室した。
簡素な部屋だった。
「おはよう。リリア姫。昨日は良く眠れたかな?」
「おはようございます。ユリウス殿下。特に問題はありません。今日もこちらで過ごせばよろしいでしょうか?」
ユリウス兄上の挨拶に答えたのは、少女らしい高めの声。だが、その言葉は淡々として感情の起伏を感じない。思わずその声の主を凝視してしまう。
真っ直ぐな黒髪に深い青の瞳を持った幼い少女。整った顔立ちだが、声と同様無表情だ。
ユリウス兄上は、そんな彼女に構うことなくにこやかに笑って続ける。
「そうだね。今日は君に会わせたい男がいるんだ。アルディオという。私の腹違いの弟で、ルーベンスの第三王子だよ」
彼女の前に俺が立ち、俺達は向き合った。
少女は俺を見て、礼をする。綺麗な所作だった。
「はじめまして、リリア・ヴァン・ザルディアと申します。もとザルディア王国の第四王女です」
「はじめまして。ルーベンス王国の第三王子であるアルディオ・ルネ・フォン・ルーベンスだ。顔を上げてくれ。王女はここで毎日どう過ごしているんだ?」
7歳の少女らしからぬ淡々とした物言いだ。もと、とつけるあたり、自分自身の境遇も理解している。
「戦争前と変わりありません。アドルフお兄様が付けてくれた家庭教師によるマナーや語学、歴史や数学などの授業と、読書です」
「そう。頑張っているんだね」
彼女の様子に、昔の俺が重なった。母親を亡くし、一人王宮に連れてこられた頃の俺。腫れ物に触れるように関わってくる大人達や激変した環境に、自分のこれまでが否定されたようで、子供だった俺は全力で反抗した。彼女は、それを心を閉ざすことでやり過ごしている。
でもあの時、シルヴィアが俺の手を引いてくれた。
今、リリア姫にそういう人はいるのだろうか?
「……どう思った?」
ユリウス兄上の執務室に戻ってきた俺達は、今向かい合って座っている。ユリウス兄上が俺をまっすぐに見て、そう尋ねた。
「7歳の割には、表情も感情の起伏も乏しいですね。全ての状況に諦めている? そんな気がする」
そう。彼女は、諦めている。きっと子供心に、何一つ自分の思う通りにならないことを受け入れて、ただ他人の言う通りに生きていくことしか出来ないのだと、知っている。人形のようにそこに存在するだけだ。
やるせない、と思う。この国で、彼女は今までどう生きてきたのだろう。ただ、
「……アドルフ王が付けたという家庭教師は、意外にもまともだ」
毎日、熱心に学び続けているという彼女は、そこに自分の存在意義を感じているのかもしれない。
「そうなんだよ。子供らしくないけど、なかなか良い教育を受けて、王族としては悪くないんだ。まあどんな王女だろうが、ここの領主と結婚してもらうことにはなるんだけどさ」
「結婚?……そうか、そうだな」
残された唯一人の王族だ。アドルフ王は亡くなり、この国の国民に我が国をこの先も反発なく受け入れてもらうなら、それが一番スムーズだ。
確かにノルディック領併合はない。ノルディック卿はシルヴィアと結婚する。
公爵領として、王女は領主と婚姻することになる。
「私かお前か、だよ? どちらでもいいんだけどね。どうする?」
ユリウス兄上が俺に選択肢を出した。
迷うことはなかった。
「俺がここをもらうよ。王女と婚約もしよう」
あっさりと言い切った俺に、ユリウス兄上が訝しむように目を眇める。
「本当に?」
「兄上じゃ年が離れ過ぎだろ? それに兄上には……いや、ごめん」
兄上には、おそらく王都に想う女性がいる。誰かは知らないけど、なんとなく。
だけど、そんなことは王族の俺達には関係ない。
確かに兄上じゃ王女と年齢が離れすぎているし、それになにより俺は、彼女の手を引いてやりたいと思ったんだ。
あのとき、シルヴィアが俺の手を取ってくれたように、俺はリリアを、ちゃんと彼女らしく自分を持って生きられるように、助けてやりたい。
そしていつか、互いを大事に想い合えるようになれたら、いいと思う。
「ありがとう、アルディオ。お前が成人するまでは、私が手伝おう。父上や兄上に伝えておくよ」
きっと俺の気持ちは、兄上に伝わったんだろう。どこかほっとしたように笑って、視線を今度は執務机に向けて続けた。
「あと、これは私の勝手な憶測だけど……今回この国がこうなることをアドルフ王は予想していたんじゃないかな? で、敢えて彼女を残したんじゃないかと思うんだ。今となっては、真実はわからないけどね」
それから、俺はユリウス兄上と一緒に、ここザルディア王国の領地の特徴や税収、法律などを調べつつ、どうやって統治していくかを父上やセドリック兄上とも話し合って、決めていった。
父上には、こちらの状況が落ち着いたら一度王都に戻るようにと言われている。
ヘリオーズからも、日に一度は伝達魔法が飛んできて、現地の復興状況とシルヴィアの様子を知らせてくれていた。
そんなふうに多くのことに忙殺される中、俺は毎日日課にしていることがある。
あの日……リリア姫に出会った翌日、俺は小さな花束を持って、彼女の部屋を訪れた。
「やあ、リリア姫。どうぞ」
「お花……」
そう小さくつぶやいて、渡されるまま受け取った花束を彼女はじっと見つめている。浮かぶ表情は、困惑?
「好きじゃなかった?」
「いえ、ありがとうございます」
ゆっくり首を横に振って、彼女は答える。
「少し話をしよう。ああ、俺のことはアルディオと呼んで? 君の婚約者になったんだ」
「アルディオ様が私の婚約者に?」
俺を見上げたその顔に浮かぶ表情はない。花の方が彼女の心を動かしたらしい。
「うん、でも君はまだ子供だから、結婚はずっと先だ。それまでお互いをゆっくり知って、仲良くなれれば良いかな?と思うよ」
「仲良く? ザルディアは、ルーベンスに一方的に侵攻して、戦争になったと聞きました。私はその国の王女です。それでも仲良くしてくれるんですか?」
淡々と尋ねるその声に変化はない。それをさみしいと思う。
「そうだね。でも君が起こしたわけじゃない。だけど、こういう形で戦争が終わったから、君に結婚相手を選ぶ自由はなくなった。
俺は、リリアを可愛らしく思ってるし、君が結婚相手になって良かったと思うよ? 君さえ良ければ、俺と仲良くしてほしいな。まずは、リリア、君の好きなモノを教えて?」
「好きなモノ?」
結婚以外の自由を、彼女に与えてあげたいと、そう思う。
「そう。なんでもいいよ」
「……わかりません」
視線を落として、そう答えた彼女に胸が痛んだ。
「じゃあ、これから一緒に見つけて行こう。俺が、ここにいる間、1日に一度は君に会いに来るから」
そうして、俺は毎日、ちょっとしたお菓子や花、本やぬいぐるみなど、女の子が好みそうな何かを持って、彼女を訪ねる。
兄上や姉上、陛下からも助言を貰って。
最近、リリアが浮かべるちょっとした表情の変化を観察するのが、結構楽しい。
そんなふうに約1ヶ月が経った頃、シルヴィアが目覚めたと知らせが来た。
心底安堵するとともに、一目会いたくなる。彼女に、リリアのことを伝えて、今までの感謝も伝えたかった。
「行っておいで、アルディオ。そして、一度王都に行ってくると良い。陛下や兄上から言われていただろう? リリア姫にはちゃんと言っておくんだよ」
「ありがとうございます。ユリウス兄上」
俺は兄上に礼を言って、リリアの部屋に向かう。
「リリア、急な決定で悪いけど、これからルーベンスの王都に行くことになった。しばらく会いに来れなくなるけど、夏までには戻って来るから、待っていて欲しい」
「……はい。お気をつけて行ってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしています」
そう言って俺を見上げた彼女の瞳が、淋しげに揺れる。まだ表情がそう変わることはないけれど、そのことに俺の心が温かくなった。あのリリアが、淋しいと感じてくれて、俺の帰りを待っていると言う。彼女にとって、そういう存在になりつつあるのを嬉しいと思う俺がいた。
だから今は、ノルディック卿とシルヴィアを心から祝福出来る。
そう確信した俺は、数騎の護衛とともにヘリオーズへと馬を走らせた。




