自覚した初恋とノルディック領
その日私達は、ルイス兄様とエディ様、メイベルと私の四人で、街に外出をしていた。
私が昨年学園に編入してからこのメンバーで外出することが増えて、皆の都合が合えば、こうして週末に時々出かけている。
今日は、私とメイベルが1ヶ月ほど地方に実習に行っていたので、久しぶりのお出かけだった。バラが美しい庭園を皆でお散歩して、ちょっと素敵なレストランの個室で夕食をいただいていた。
「シルヴィー、今日は報告があるんだ」
そう言って、カトラリーを置いたのは、ルイス兄様だった。私もカトラリーを置いて、改まった兄様に視線を合わせる。
兄様は、私をじっと見つめると、
「メイベルと婚約することにした」
ちょっと照れたように一息に告げた。私は、一瞬何を言われたのかわからなくて、ぼうっとしてしまう。
「ヴィア、大丈夫かい?」
エディ様が、私の右手にそっと手を重ねた。
ハッとして、次の瞬間沸き起こったのは、歓喜。
「嬉しい!おめでとう!メイベル、兄様!」
なんとなく、ルイス兄様とメイベルは想い合っているんだろうな……と思ってはいた。でも、四人でいることが多くて、あからさまにそんな雰囲気を出すことはなかったから、まさか婚約まで話が進んでいるなんて、思ってもみなかった。
「ありがとう、シルヴィア。喜んでくれて、私も嬉しいわ」
「うん。シルヴィーならそう言ってくれると思ってた。ありがとう」
メイベルと兄様が顔を合わせて、ほっとしたように幸せそうに微笑んだ。
「いつ正式に?」
私は、この先の予定が気になって、尋ねてみた。
「内々にそれぞれの家には、打診してあるんだ。今度の夏の休暇に互いの家に挨拶に行って、休暇中には婚約の届けを出そうかと思っている。俺もメイベルも成人するし。
今年の秋の舞踏会に、デビュタントとして二人共デビュー予定だから、婚約者として出席するつもりだ。あ、でも結婚はまだ先。俺達王都で就職するつもりだし、メイベルのご両親もまだお若いからな。4、5年こっちで過ごしてから、サザランド伯爵家に婿入して領地経営を学ぼうかな、と」
「すごい!具体的にいろいろ決まってる!」
ルイス兄様の将来設計が具体的すぎる。そういえば、ルイス兄様は、そういうところあったよね。アバウトに見えて、実は結構綿密だし、抜かりがない。
それにしても、兄様とメイベルは入学以来の知り合いだったみたいだけど、いつからお付き合いしていたんだろう?
「ねえメイベル、いつから兄様とお付き合いしていたの?」
私はメイベルに素直に聞いてみる。メイベルは兄様を見て、頬を染めて答えてくれた。
「お付き合いは、最近なの」
「前期が始まってからかな?シルヴィーから紹介されるまで、顔は見知っていたけど、直接話したことなかったし。一緒にいるうちに、いい子だなって」
「あ〜、兄様そういうところあるものね。」
人を見る目があるというか、勘がいいというか。で、当りを引いてくるのだけれど、今回は大当たりだ。
「ヴィア、俺からも君に話があるんだ」
今度は、エディ様が、私の右手に重ねた手をそっと握って、私の目を覗き込んだ。
彼のエメラルドの瞳が少しだけ揺れている。
「なんでしょう?」
なにか不安に思うことがあるのかな? 私は軽く首を傾げる。
「今年の秋、俺もルイスと一緒に社交界デビューになる。その11月の王宮舞踏会で、俺のパートナーを引き受けてくれないか?」
「エディ様の、デビューのパートナー?」
すぐに理解が出来なくて、オウム返しのように返してしまう。デビュタントのパートナーは、家族かそれに近しい異性がつとめる。幼馴染も、ありなのかな?
「うん。君のお父上とクロード先輩には許可をもらってるんだ。君はまだデビューの年齢ではないけど、デビュタントのパートナーなら、一緒に出席出来るから……駄目かな?」
エディ様が自信無さげに私を見ている。駄目なんて、そんなことない。
私をパートナーに選んでくれて、嬉しい。他の誰かではなく、私を選んでくれたことが。
「エディ様、嬉しいです。私で良ければぜひ」
答えた私に、エディ様のエメラルドが嬉しそうに緩む。幸せそうに微笑んだエディ様に、私の頬にも熱が集まった。
「よかった……」
右手を取られて、指先にそっとエディ様の唇が落ちた。一瞬伏せられた彼の瞳がゆっくり開いて、エディ様を見つめていた私の視線とぶつかる。
えっ?ちょっと、すごく近い!色気が凄いんですけど……
もう、無理。限界です!胸がドキドキして、苦しい。
固まった私に、メイベルの声が聞こえてきた。
「ノルディック様、シルヴィアが死にそうです」
「シルヴィーはまだ13だからね?」
ルイス兄様からも、助け舟がきた。エディ様はチラリと横目で二人を見ると、やっと私の手を解放してくれた。
本当に天に召されるかと思った。
まだドキドキいっている胸をそっと押さえる。前世でも恋愛経験なんて無かったけど、幼馴染相手でもこの色気って、まだ18歳前だというのに、エディ様の将来は一体どうなるんだろう?
はぁ〜と大きく息を吐いて、気持ちを落ち着ける。そこで、ハタともう一人の兄様の顔が思い浮かんだ。
「そういえば、クロード兄様のご結婚って、どうなっているんでしょう?」
思わず口から出た言葉に、ルイス兄様とエディ様の視線が私に向く。
「あ〜〜、もうしばらく掛かりそうだね」
「結婚は、成人してからだしな」
なんだか苦笑して、ルイス兄様とエディ様が顔を見合わせた。
二人はどうやら事情を知っているらしい。つまり、お相手はいるってことですね?
「よかったです。兄様達にそういう方がいて。実は妹に過保護過干渉すぎて、婚期が遅れるかもと心配していました。メイベル、本当にありがとうございます。お義姉様になるのね? 嬉しいです」
いや、割と本気で心配していたので、安心したわ。
「ま、否定はしないけど、それぞれ縁があったってことだろ?」
ルイス兄様がクスクス笑いながら言った。
「私も、シルヴィアが義妹になるなんて、とても嬉しいわ!こちらこそ、ありがとう」
メイベルも幸せそうにそう言ったから、私達は皆で笑って食事を再開したのだった。
学園最後の夏季休暇が始まった。
今年は、クロード兄様の休暇が8月後半に1週間程ということで、7月初めからエディ様とキャシーと私の3人で直接ノルディック辺境伯領に行って、8月半ばに王都に帰って来る予定だ。
ルイス兄様は、メイベルとサザランド伯爵領にお邪魔する予定。彼らは8月初めには王都に戻って来る。
ロッドフィールド侯爵領には、7月中両親が二人で滞在すると言っていた。
8月中旬には、皆が王都に集まって、一緒に過ごせそうだ。
今年は、ノルディック領をたくさん見せていただくことになっている。エディ様が視察されるのに同行の許可を頂いたのだ。領都と港町には行ったことあるけれど、その他は初めて。エディ様はもちろんお仕事も兼ねているので、あまり邪魔にはならないよう医療施設などを見せてもらえれば、と思っている。
ノルディック辺境伯領のお屋敷にお世話になり始めて2日。明日からいよいよ視察の小旅行に出る予定だ。今はキャシーとエディ様と三人でお茶をしている。
今回、キャシーはここでお留守番だ。
「ヴィアは学園を卒業したら、どうするの?」
私とエディ様にとって最後の長期休暇ね、なんて話していたとき、キャシーが私を見て言った。ああ、キャシーには話していなかったわ。
「そうですね。今やりかけている研究があって、とりあえずそれを仕上げてしまおうかと思っているの。学園の施設がお借り出来そうなので、しばらくはそこで。その後は、病院や魔法師団からもお誘いは頂いているんですけど……」
学園の実習で地方を回ったときに、季節によって流行する感染症で子供やお年寄りが亡くなるケースが多いと聞いて、予防接種的なものを、ワクチンか魔法を使ってかで開発できないかと、試行錯誤中なのだ。王都と地方では医療体制が違って、流行時に医療系の魔法師が多い王都ではあまり問題にならなかったのだ。
どうやら、病そのものは、前世と似たような感じなので、ある程度ウィルスとか細菌が特定出来ているのが、私の強みなのよね。免疫系の研究もやっていたし、魔法が使えるのは、かなり助かる。
ちょっと大掛かりになりそうなので、王太子殿下や父様や学園の教授方も巻き込んでやっている。年単位になりそうだった。
「そうなのね!じゃあ、しばらくは王都にいるのね?」
「そうなりますね。エディ様は王都の魔法騎士団でしたっけ?」
嬉しそうなキャシーに頷いて、エディ様を見る。彼もしばらくは王都に残ると聞いたけど……
「ああ、所属は国軍になるな。しばらくはそこで勤務しながら、人脈づくりをするつもりだ。辺境伯軍と国軍が良好な関係を持つことで、この地を守りやすくなるからね。数年したら、ノルディックに戻って、ここを継ぐ準備かな」
そっか。じゃあ、まだしばらくは皆で一緒に過ごせそう。そういえば、キャシーは中等科が終わったら、どうするのかしら?
「キャシーは高等科へ進学する?」
「ううん。中等科までよ。私はお兄様やヴィアみたいにやりたいことがないの。だから、花嫁修業かな? 多分、早々に社交界デビューして婚約者探しね」
「そう。なんだか不思議な感じ……もう結婚を考える年になったのね」
キャシーがあと数年後には、婚約者探しか。
クロード兄様もルイス兄様もお相手がいて、結婚を考えている。エディ様にもそんなお話があるのかな?
エディ様が知らない誰かと結婚……あ、胸が痛い。見たくも想像したくもないな。
兄様のお話を聞いたときは、あんなに嬉しかったのに、エディ様のことは祝福出来ない。
ああ、そういうことだよね。私は……
「ヴィア?」
エディ様の心配そうな声に、顔を上げた。頭を軽く振って、切り替える。
「……あ、ごめんなさい。エディ様、明日からの予定を聞かせてもらっても?」
「ああ。領内の移動は、馬車ではなく馬に乗って行くことになる。3〜4日に1度は屋敷に戻り、数日後にまた別の場所へと行くというのを繰り返す」
領都にあるノルディックのお屋敷は、領土のほぼ中央に位置している。連続でグルっと回るのではなく、細切れに行き来を繰り返すようだ。道路状況と機動性の問題で馬車は使わないのだろう。
「あの、私、馬には……」
大変申し訳ないが、私は一人で乗馬が出来ない。本当にセンスがないのだ。
「もちろん、わかっているよ。大丈夫、俺が乗せていく」
私のヘタレっぷりを良くご存知なエディ様は、クスクス笑いながら言った。
「すみません、あの、迷惑なら……」
「いや。一緒にノルディックを見て回りたいと言ってくれて、嬉しかったよ? だから迷惑だなんて思わなくていい」
やっぱり遠慮したほうがいいかも?と思ったけど、ありがたい言葉にほっとする。
「ありがとうございます」
「うん。あと、申し訳ないが荷物はそんなに持ってはいけない。カバン1個分にしてくれると助かる」
「大丈夫ですよ。私、魔法も使えるので」
水魔法も風魔法も光魔法も、前世の便利家電の記憶があるので、かなり応用が効く。父様や他の魔法師には驚かれるのだけれど、洗濯とか乾燥とか掃除とか料理とか、イメージ力と前世で得た化学や物理法則の知識に加え、絶妙な魔力コントロールでバッチリだ。
「そうだったな。頼りにしてる。明日は朝早めに出発だ。この地方は朝晩は結構冷える。上に羽織る物はこちらで用意しておくよ。同行の者達は明日紹介する」
「わかりました」
頷いて答えると、キャシーの両手が私の手を取る。
「ヴィア、気をつけてね? 私も領内全てには行ったことないの。お土産話、楽しみしてる」
「ええ。待ってて? 帰ってきたら、たくさんお話しましょう?」
「エディ様、おはようございます」
日が登ってすぐの早朝、私は旅装で馬場に案内にされた。簡素な乗馬服にキュロットスカートである。髪も邪魔にならないよう後ろで一本の三つ編みにした。ローブのような上着を用意してもらったので、それも着ている。
馬に荷物をくくりつけ、旅支度をしていたエディ様がこちらを振り返るとにこやかに微笑んだ。
「おはよう、ヴィア。早速だが、同行の者達を紹介するよ」
紺色のおそらく辺境伯軍の軍服だろう。詰め襟の上着をきちんと着込んだエディ様は、いつもより大人っぽく逞しく見える。帯剣し、馬には弓や矢筒も付けられている。
エディ様は、近くでそれぞれ支度をしている男性方を呼んで、整列させた。
「ケイン、ラッセル、ルード、アベルだ。辺境伯軍の精鋭だよ。俺がとても信頼している者達だ」
名を呼ばれた方が、軽く頭を下げて目礼してくれる。
私も彼らに向き直り、姿勢を正して腰を落とした。
「はじめまして、シルヴィア・ヴィン・ロッドフィールドと申します。この度は同行をお許しいただきありがとうございます。よろしくお願いします。道中はシルヴィアとお呼びください」
「こちらこそ、よろしくお願いします。シルヴィア嬢。エディウス様からお話は伺っておりますよ? 途中何かあれば気軽に声をおかけ下さい」
ケインが胸に手を当て頭を下げた。30代半ばの逞しい男性だ。おそらくこの方が護衛隊長だろう。
「お荷物をお預かりしますよ、シルヴィア嬢……これだけですか? 思ったより少ないですね」
「ありがとうございます。アベル様。お願いします」
アベルと名乗った20代前半位の男性が、私のカバンを受け取って、目を見開いた。軽々と抱えて、踵を返す。
「我々のことは、どうぞ呼び捨てて下さい、シルヴィア嬢。馬に負担が無くて、助かりますよ」
馬に向かって歩いていったアベルを振り返って、ラッセルが、言った。彼はケインより少し若い30歳くらいだ。
もう一人ルードは20代半ばに見える。
軍の精鋭と言っていた。年若いエディ様をフォローするために、ベテランの騎士たちが護衛してくれるのは、とても頼もしい。
「では、行こうか」
エディ様は私の手を引き、一頭の馬の前に連れて行く。黒毛の立派な体格の軍馬だ。すごく逞しくて賢そう。ノルディックは名馬の産地だけど、その中でもひときわ目立つ馬だった。
「ヴィア、俺の相棒でカイザーレオンだ。レオン、ヴィアだよ。これからしばらくは、お前に乗せてもらう」
カイザーレオンは、エディ様に撫でられて機嫌よく口をもぐもぐさせている。
「レオン、よろしくお願いしますね」
私もエディ様に促されてそっと撫でてあげると、つぶらな瞳と目があった。かわいい。
「ヴィア、じゃあ、ちょっと後ろを向いて、力を抜いていて?」
いつもは下から別の方に抱き上げてもらって、先に乗っている方の前にと受け取ってもらったのだけど……
エディ様の右腕がお腹に回り、ふっと抱き上げられて、気がついたら馬上だった。
「え?」
横座りの状態で、エディ様の前に乗せられている。どうしてこうなった?
「大丈夫?」
エディ様の胸のあたりから、耳に直接声が響いてる感じがする。いつもは護衛の前で馬にまたがって背を預け鞍の縁を手で握っているのだけれど、横座りだとエディ様の腕の中にいる感じだ。
「え……と。前を向いて跨った方が良いですか?」
「いや。このままで。少し早駆けさせるから、俺に捕まっていて?」
そう言ってエディ様は片手で手綱を取り、反対の腕を私に回して馬を進める。私はエディ様の身体に手を回した。
「では、行くぞ!」
他の騎士たちも、気がついたら並んでいた。ケインを先頭に馬は走り出す。乗馬では経験したことのないスピードで、走っていく。私はエディ様に必死でしがみついていた。
「大丈夫だよ、リラックスして? ヴィア。万が一君が眠ってしまっても、絶対に落としたりしないから」
無理です。とても眠れる状況でも、力を抜ける状況でもありません。エディ様は、そんな私の様子に軽く笑うと、
「まあ、そのうち慣れるかな?」
と、私に回した腕に少し力を入れてくれたのだった。
そうして始まったノルディック領の視察は、これまで知らなかったノルディックという土地を充分に知ることが出来る、有意義な旅だった。
港町では、水産物の水揚げや加工について見学させてもらって、美味しい魚介類もいただいた。景色も海もきれいで、美しい街並みや活気のある港で賑わっていた。
でも、人の出入りが多い街の医療施設では、色街もある関係で性感染症の問題があって、予防法と早期発見の仕組みづくり、治療についてアドバイスさせてもらった。
鉱山の労働環境は、思ったよりも良かったけれど……それでも、塵肺などの呼吸器疾患や事故などの問題はあって。
呼吸器疾患の治療魔法について、現地の医療機関や魔法師団体にアドバイスしたり、治療法を教授したり、個人用保護具や防塵防毒マスクに効果が増大する付与魔法式を考案してみたりした。
軍馬の生産地では、のどかな風景と馬たちの様子に癒やされた。近くには小さな温泉もあって、ゆっくりさせてもらった。
盆地の農業が盛んな街は、葉物野菜とジャガイモが採れる。ベリー類の果物も名物で、ベリーを使ったタルトやジャムなどのレシピも教えてもらった。
そうして、屋敷に戻りつつ旅を繰り返し、最後は、ザルディア王国との国境付近だった。
長年、緊張は持ちつつも小競り合い程度で均衡を保っている場所である。
いくつかの砦や、街道に敷かれた検問、軍の駐屯地などが、この辺り独特の緊張感を持っていた。
私達が数日滞在する場所も、いざとなれば作戦本部がおかれる基地のような場所だった。
ここには、情報収集も兼ねて、いつもより長めの5日間ほどの滞在となる。
エディ様は、ここはやめたほうが良いとも言っていたのだけれど、こういう場所だからこそ私に出来ることがあるかもしれないから、と同行を願った。最前線となるかもしれないこの地で、もしかしたら、エディ様がここで戦うことになるかもしれないこの場所を、私は知っておきたかった。
それと、一緒に旅してきた護衛の皆さんが、賛成してくれたことも大きかった。他にはない私の視点で、改善できることがあるかもしれないから、と。
ケイン隊長は、必ず御守りしますから、とエディ様に願ってくれたのだ。
「ヴィア、この辺りは見ての通り安全とは言えない。だから、本当に気をつけて欲しい。決して一人にならないように、屋敷から来ている護衛を、交替で君に付けるから」
心配そうに何度も私にそう言い聞かせるエディ様に、兄様達が重なったが、それだけ危険があるということなのだろう。私も素直に頷く。
「はい。皆様のご迷惑にならないように気をつけます。それに私も、一応戦う手段を持った魔法師です。あまり、心配しないで?」
そうしてこの国境の町、ヘリオーズでの視察が始まったのである。
エディ様は軍の方で仕事をされるため、私は街を見て回ることにした。
基地は高台にあり、街までは緩やかな下り坂だ。背面は、険しい山々となる。
軍の駐屯地があり、飲食店、武具、防具、魔道具店、薬屋、などの他、風俗店や酒場もある。若い男性の割合が多く、街を歩く若い女性の姿は少なめだ。
他に傭兵や魔法師ギルドなんかもあった。街なかには診療所がいくつかある。
1日目はどこにも寄らず、雰囲気を見て基地に戻った。見張り台に立って、周辺を見渡す。
「あちらが国境?」
街からの道を辿っていくと、その先の平野に砦がいくつかあり、その向こうにはまた山々が連なっている。本当にノルディック領は、山が多い。そして西側の一部が海に面しているのだ。盆地のような土地の一端が海という感じで、領土の2/3は山だという。
ザルディア国の国境は、我が国ルーベンス王国の王都から見れば北東にあたる。ルーベンス王国は他に東と南に2国の同盟国と国境を接しているが、ザルディア国と接しているのは、ノルディックだけだった。
だからかつて、ここが戦場になったのだ。
「ええ。20年近く前に戦争があり、我が軍はここを守り抜きました。現在まで、敵軍の侵入を許していませんよ」
正確には19年前の話だ。36だというケインは、少年の頃だっただろう。彼にとって戦争は遠い過去の話ではない。
「ケインは、覚えているんですね」
「辺境伯軍に入隊して間もなくでした。エディウス様は、まだ奥方様の腹の中でしたよ。辺境伯様は、奥方様に必ず生きて戻れと活を入れられたと……」
「そう。サーシャ様らしい」
エディ様のお母様は、サバサバして元気な方だ。豪快なところもあるけれど、戦場に出た辺境伯様の代わりに、身重の体で留守を守りきったというのだから、当然だろう。
「ルードとアベルの親父は、戦死でした。まあ、珍しいことでは無かったんですが。辺境伯軍に従軍して、片親になったり親を亡くした子供を、奥方様は施設を作って育ててくれたんですよ。エディウス様も、小さい頃はよくそこに遊びに行っていました。昔は、キャサリン様のお体が弱かったですしね」
「そうですか。皆さんがここを守ってくれているからの、今の平和ですね。ありがたいです」
この地だけでなく、ルーベンス王国の平和は、ノルディック領の皆が命をかけて守ってくれたものだ。
そして、エディ様もこの地で、我が国を守るために生きると決めている。
彼を支えたい、とそう思う。せめて、エディ様がこの地で幸せに生きていけるように。
すると、ケインは私の前に片膝をついた。
「シルヴィア嬢、私こそ感謝を。貴女が今回エディウス様の視察に同行してくださったお陰で、ノルディック領で救われた者も多い。武力では守れないモノもたくさんありますが、貴女は我が領に貴重な知識や技術をもたらしてくれました。感謝します」
「ケイン、どうぞ立って下さい。私は私に出来ることをしただけです。でも、そう言っていただけるのは、嬉しいです。私、いつもエディ様にたくさんお世話になったり、守ってもらったりしているんです。だから、少しでも彼のお役に立ちたかった」
エディ様は、小さな頃初めて会ったときから、ずっと優しくしてくれて、側で見守って、何かあれば私が気がつく前に手を伸ばしてくれて、私が前世持ちと知っても、変わらず年相応の女の子として大事にしてくれた。
家をあまり出ない私を気遣って、学園生活で彼が経験したことをたくさん手紙にしたためてくれて、夏の休暇にキャシーや兄様達と一緒に体験させてくれた。何度も交わした手紙に書かれた約束を数えて、エディ様に会えるのを楽しみにしていた。
そして、今も、彼は私がやりたいことを応援してくれる。危ないことは止めはするけど、結局は可能な限り危険を排除して、見守ってくれるのだ。
「そうですか。では、私はエディウス様とシルヴィア嬢を、この命に代えてもお守りしますよ」
ケインはそう言って、穏やかに笑った。
翌日、私は軍の医療施設を見学させてもらうことにした。
病院の前まで来ると、なんだか慌ただしい。施設をよく知るケインが一緒だったので、その原因になっている場所まで行ってみた。
「ああ? お姫様が来ているとは聞いてはいたが、何しに来た? ここは子供の遊び場じゃねえよ。邪魔だから、帰んな!」
振り向いたのは、やけに体格の良い強面の男性の魔法師だった。
あ〜まあ、私もこの見てくれだしね。気持ちはわかる。
並べられた担架には、怪我人でいっぱいで、中には床に横たわっている人もいる。血生臭い匂いや、焦げたような匂いも漂っていた。
魔法師の手が足りておらず、看護人がガーゼや布でとりあえずの止血をしていた。治療に当たっている魔法師は、他に3人ほどだ。
「貴様、無礼だぞ!」
今日私についてくれていたケインが、凄んだが、それどころではない。
「ケイン、いいんですよ。お忙しいようなので、お手伝いしますよ? これでも、外傷も病気の治療経験も、それなりにあります。失礼します」
「あ? ちょっと待て!おい!」
ここには当然、トリアージタグもバイタルサインを示すモニターもない。
スタスタと中に入った私は、治療中以外の患者のバイタルをざっと確認していく。死亡者はなし、だけど2人ほど危険な患者がいた。
「私はこちらを診ます。貴方は左から3番目そこの赤髪の男性を、お願いします」
先程の強面の男性魔法師にそう告げると、私はさっさと目の前の患者に向き直った。
意識はないので、片手を翳しながらスキャンしていく。
骨盤骨折だ。腹腔内に出血もしている。
前世の医療ではかなり厳しい状態での治療になるが、この世界では魔法があって、適切に治療出来ればなんとかなりそうだった。
光魔法で、血管損傷部位を治し止血する。その後骨折部位を修復。腹腔内に溜まった血液から凝固分を取り除き、血管内に戻していく。水魔法も使って生理食塩水を補い循環量を増やした。
心拍や血圧が落ち着いた。
かかった時間は、5分ほど。魔法ってすごい。イメージを明確に持って発動すると、その通りに作用してくれる。
私は、もう一人の危険な患者へと向かった。どうやら外傷性の緊張性気胸のようだ。先程の男性魔法師が、肋骨の骨折を治し胸腔内を減圧したらしいけど、一時的だった。ドレナージしているわけでは無いから、当然だった。
「サポートします」
そう言って、肺の損傷部位を探っていく。傷ついた血管を修復し、肺の損傷部位を塞いで、再び溜まり始めていた空気と血液を除去した。患者の呼吸が楽になり、血色も戻って、血圧も安定する。
「なっ!?……どうやった?」
魔法師が目を剥いて私を見たが、私は首を振る。
「次は、あそこの2人ですよ」
指を指した先には、トリアージタグで言う黄色の患者がいた。
前世で研究職になる前に、短い間だったけど救急外来で医師として働いた経験が、私を動かしてくれた。
結局、病院に運ばれてきた患者は30名弱。死亡者は、0だった。
私も含め5名の医療魔法師が治療にあたり、無事に全員助けることが出来た。看護人も患者が悪化しないよう手を尽くしてくれたし、今も治療が終わってしばらく安静が必要な患者の世話をしてくれている。
「怒鳴って悪かったな。助かった。お陰で誰も死なさずにすんだ。礼を言う。俺は、ルーカス・ガスパーだ」
そう言ってルーカスと名乗った強面の男性は、頭を下げてくれた。状況的には無理もない。
「いいえ、私、この見た目ですし。シルヴィア・ヴィン・ロッドフィールドです。前世持ちで、医療職だったんですよ」
「ロッドフィールドの姫君……前世持ちか。驚いた。いろいろと聞きたいことが」
そう明かすと、ルーカスがグイッと前のめりになる。思わず後ろに身を引いたときだった。
「ヴィア!」
「エディ様?」
響いた声に振り返る。今日は早朝から国境付近に出掛けたと聞いていた。会えるのは夕食のときだと伝言を受け取っていたのだけど。
心なしか慌てたような声に、首を傾げる。
「ケインからの伝言を聞いて、こっちに来たんだが、変わり無かったか?」
わざわざ来てくれたらしいけど、どうして?
この怪我人達の原因となった事故か事件の対処をしていたのでは?と思い当たる。
「はい。でも一体何があったんです?」
「ああ、場所を変えよう。君……申し訳ないが、彼女は連れて行く。また時間を作るから」
何が起こったのか、ただの事故ではなさそうな雰囲気に、私は少し緊張した。
「はい。シルヴィア様、お越しをお待ちしています」
ルーカスが丁寧な物言いで頭を下げたのを横目で見て、私達は、病院を後にした。




