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異世界の歩き方  作者: 葉月奈津・男
9/14

聖母と子供



 古城を逃げ・・・もとい、旅立ったオレは北へと足を向けた。

 最初の旅路はずっと西南に向かっていたのだが、同じ道を通りたくなかったので進路を変えてみたのだ。

 今は夏。

 冬場に北へなんて行きたくはない。

 夏の間に北側を旅して、冬の訪れが確実になったら南へ向かおうという考えだ。

 そんなこんなでたどり着いたのは、割と大きな町だった。

 伯爵が治める領地の中心都市であるそうだ。

 さぞかしいろいろなものが集まっているに違いない。

 新たな食材発掘の期待に、胸を高鳴らせて立ち寄らせていただいた。

 そんなわけで、何はともあれ飯屋である。

 

 さてさて、なにがあるかな?

 町へ入ってしばし、よさそうな店を探して回る。

 「ここでいいか」

 見るからに「大衆食堂」という趣の店を見つけ、足を踏み入れた。

 レンガ造りの重厚な店構え、奥には暖炉がずっしりと座っている。

 この辺りはきっと、冬の寒さが厳しいのだろうな。

 テーブルについて、壁に貼られたメニューに目を走らせた。

 品数は多い。

 だけど、残念ながら知らない食材の名前が使われている料理となるとそうでもなくなる。

 

 『プワソムの塩だれ焼き』。

 

 これは昔からよく見るものだ。

 オレンジ色のもので、見た目はナスに似ている野菜だ。

 柔らかい食材という意味では希少といえるが、ほとんど味がない。

 味がないのだから、焼いたあとに濃厚なソースでも付ければいいものを、なぜか塩をほんの少し振っただけで出される。

 不味くはないが、それ以上に食べた気になれない存在だ。

 これはいらないな。

 なにか別のものを探そう、そう考えたオレの頭の中で何かが声を上げた。

 ・・・気がする!

 もちろん本当に声がしたわけではない。

 なにかを思い付きそうになったのだ。

 過去のなにかと結びついて、連想が広がりそうな気配がある。

 なんだろう?

 塩焼き?

 違う。

 濃厚なソース?

 違う。

 味がない?

 関係はありそうだが違う。

 もっと重要なことだ。

 柔らかい?

 ・・・それだ!

 柔らかさだ。

 そして、それ自体には味がほぼないということ。

 冬の寒さ!

 つい先日食べて泣かされた「アレ」を思い出した。

 連想が完全につながった。

 身体が震える。

 なぜ気が付かなかったのか。

 焼き物としてしか食べたことがなかったからだ。

 焼くのではなく煮ることを考えるべきだった。

 煮てしまえば、あれは・・・。

 そう考えれば、他にもあるんじゃないか?

 見渡してみると、あった。

 

 『オーエルの炒め物』。

 

 オーエルというのは水草の一種だ。

 青味の強い緑色をしている。

 淡水の池などでびっしりと水面を覆っているのを見かけたら、それがオーエルである。

 これまた、よく見かける食材だ。

 たいていは炒めて食べるのだが、熱を加えるとべっとりとしてしまうのであまり人気はない。

 歯切れはいいので、食べるときの食感は嫌いではない。

 だが、やはり硬いことに変わりはなく、あごが疲れる。

 これも、煮たらどうだろうか?

 固まりのままではキツイか?

 少し薄めにスライスしてなら?

 いけそうな気がする。

 とある食材のイメージが湧き上がった。

 風味は若干異なるだろうけれども。

 あと一つ、あと一つ欲しい。

 なくてはならない、あれがありさえすれば!

 辺りに目を走らせるオレの前を、女が通り過ぎた。

 飯屋の給仕女だ。

 

 「おまちどおさまでしたー」

 

 奥の客に何かの料理を届けたのだ。

 そこにあったのは、楕円形の物体を縦にスライスしたものだった。

 茶色い丸を緑色のものが包む構造。

 色はまるで違うが、形はよく似ている。

 「おい、あれは何だ」

 再び、目の前を通り過ぎようとした女を捕まえて問い質す。

 「え?」

 びっくりしている女に、奥の客が口に運んでいるものを指さして見せた。

 「あ、あー。えーとですね『マルトリアの焼き物』です」

 聞いたことのないものだ。

 よし!

 オーダーが決まった。

 「『プワソムの塩だれ焼き』と『オーエルの炒め物』、そして『マルトリアの焼き物』をくれ」

 「はい。ご注文承りましたー」

 前二つはいま一度食べてみての確認用、もう一つは未知の探求だ。


 さして時もかからず、オーダー通りに料理が揃った。

 間違いなく、プワソムは柔らかくふわふわしている。焼いているせいで外はカリカリ、中はパサつきかけているが煮るのであればそれらは気にしなくていい。

 オーエルも相変わらず硬いが、スライスしてじっくり煮込めばいけそうだ。

 そして肝心のマルトリア。

 いけると確信した。

 食感といい味といい、よく似ている。

 木の実の一種を皮ごと焼いているだけというものだったが、加熱したあとの状態は紛れもなく『アレ』だった。

 これなら、完成させられるかもしれない。

 

 『『調理』スキルがメインスキルの冒険者シェルフ・ボードフロントの一膳めし屋』。

 以前使ったのぼりをおったてた。

 さらに。

 『おでんはじめました』。

 新たに作ったのぼりも立てて、オレは町の広場に屋台を繰り出した。

 完成したおでんを引っ提げて。

 もちろん、お気づきの通り練り物系がほぼなかったりはするが、おでんと呼ぶのに必要な要素は揃えてある。

 ダイコン、牛筋肉、赤いコンニャク、オレンジ色のはんぺん、青味の強い昆布、緑色の白身に茶色い黄身のゆで卵。

 見た目はサイケだが、内容は確かに『おでん』である。

 いかに北とはいえ季節は夏、涼しくもなく普通に暑いところでのおでん。

 少し無理がある気はしなくもないが、作れてしまった以上出さない選択肢はなかった。

 もちろん、本来のおでんとは少しだけ趣が変わっている。

 収納スペースにあったほかの食材も使っているのだ。

 それでも、大鍋にベースとなるスープを大量に作り、別々に煮ておいた小鍋の食材を客の好みで加える。

 システムはまさに『おでん屋のおでん』形式だ。

 はっきり言って自信作である。


 「うっ、まっ、いっ、ぞっ、おぉー!」


 ほら。

 客が吠えていなさる。

 バカ売れすると確信した。

 そして確信は結果となる。


 「お兄さん、すごいですねっ!」

 声をかけられたのは、うず高く積まれた銀貨と銅貨を仕分けしながら袋に入れていたときのことだ。

 町の屋台では、支払いは大概銅貨、たまに銀貨。

 正直、財布代わりの布袋がすさまじい数になるし、やたらと重くなる。

 しかも、勘定するときにはバラバラと支払われるので営業中の袋はごちゃまぜ、閉店後の仕分けは欠かせない。

 冒険者ギルド内のようにカード決済が使えればいいのだが、そんなのは不可能だからな。

 それはそうと。

 もしも、こんなふうに声をかけてきたのがうら若い女性だったりすれば、それはもうウハウハで何でもしてしまうところだろうが、残念ながら世の中はそううまくいかないものである。

 言葉は丁寧だが、その人物は『彼』だった。

 腕まくりをして頭に捩じりバンダナ、腰に黒い前掛け、もう屋台の店主か魚屋かっていうスタイル。

 年のころは10くらい・・・って子供じゃねーか。

 どうりで、女の子を期待してしまったわけだ。

 声変わり前なので、丁寧な口調だと女の子の声と聞き違えてしまったらしい。

 それはそうと、見覚えのある子供だった。

 「あれ? 君は・・・」

 「おお。トーアってんだ」

 片手をあげて挨拶された。

 なんのことはない。

 広場で屋台をしている同業者の子供だ。

 母親が細腕で肉を焼いて売っている。

 「お兄さんのスープ、すごく評判いいですね。お客さんを分けて欲しいくらいです」

 「そうか、君んとこもそれなりに繁盛していたと思うけど?」

 一応は年上として謙遜して見せた。

 「ええ。お兄さんとこに来た客が、肉欲しさに寄ってってくれましたからね。いつもの倍は入ったかもしれません。だけど、お兄さんのとこへ来た客はうちの三倍はいましたよね」

 ほう。

 よく見ている。

 確かに、客の入りはそのくらいだろう。

 しかも、うちは少し割高な金額設定だから、儲けは五倍近いのだ。

 見る者が見れば差は歴然である。

 屋台売りの子供なら、その「見る者」の資格充分。

 当然、彼にも明白だったわけだ。

 「ぜひ、レシピをお聞きしたくって」

 ちょこちょこと間合いを詰めてきたかと思ったら、そんなことを言う。

 無茶なことを。

 レシピなんてものは、料理を生業とする者にとって命の次に大事な資産。

 おいそれと教えられるものではない!

 「もちろん、無茶な頼みだというのは承知しています」

 睨みつけると、慌てたように顔の前で両手を振った。

 仕草が明らかに演技臭いぞ?

 思わず睨む目が険しくなった。

 「うぐっ?!」

 子供相手に大人気ないと思わなくもないが、ここで甘い顔をするのはこの子のためにならない。

 ここはしっかりと叩き込んでおかねば。

 「ちゃんと対価はお支払いします!」

 両手で握り拳をつくって意気込んでいる。

 いや、その意気は買うが、対価ったってどうする気だ?

 子供の小遣い程度では話にならないぞ?

 「母を好きにしていいですからっ!」


 ぶぽっ、ゲホゲホっ!


 思い切り噴いた。

 「うわっ!」

 唾が飛んだようで、慌ててハンカチで顔を拭いているが、こっちはそれどころではない。

 「な、なに言ってんだ!?」

 オレの耳がおかしくなってて聞き間違えたんだよな?

 「ですから、母をものにしていただいていいと」

 聞き違いじゃなかった!

 「あ、ご心配なく。母なら誘えばウエルカムですよ」

 「そんなわけあるかぁ!」

 どんな母親だよ!

 ツッコみかけて、オレは必死に声を飲み込んだ。

 あぶない、あぶない。

 冷静になれ。

 自分に待ったをかける。

 この子、自分の言葉の意味をあまり理解しないで口にしているのかもしれない。

 好きにしていいというのは、ベッドの上のアレやコレのことではなく、お茶を飲みながらの談笑レベルでの遊び相手にってことかもしれない。それだとすれば、ウエルカムだというのも、お茶の誘いは断らない社交的な人ってだけの意味だ。

 娼婦のごとき危ない女性って意味ではなくなる。

 なんにしても。

 「レシピは商売上の重要な秘密、そうそう教えられるわけがないだろっ!」

 突っぱねた。

 冷静になる直前、レシピ一つでいいのなら・・・とか考えてしまったことは否定しないけど、うん。

 ムリムリ。

 「そうですか、残念です」

 いっちょまえにため息なんてついて見せる。

 そんなことでほだされてなんてやらないんだからねっ!

 ポーカーフェイスを保って、去っていくのを見送った。


 なんてことがあった翌日。

 開店前の準備中に、その人は来た。

 「あのー、すみません。シェルフさん」

 歳のころなら20代後半。

 ダークブラウンの髪、白い肌にサファイアのように深い蒼の瞳。

 身長はオレより頭一つ高い。

 だから・・・。

 「くっ」

 歯をくいしばって耐えなければならなかった。

 目線と同じ位置に『ソレ』がある。

 漫画の世界にしか存在しないはずの、華奢な体つきでありながら、バストだけがGカップという超弩級の物体が!

 「な、なんで、しょうか?」

 声が上ずりそうになりながらも、何とか平静を装って相対した。

 「うちの子を見なかったでしょうか?」

 うちの子?

 疑問に思った瞬間に思い出す。

 そうだった。

 とてもそうは見えないが、この人は子連れの母親。

 焼肉屋台の店主。

 昨夜の、あの少年の母親なのだ。

 「トーア君のことですね」

 「ご存じでしたか」

 「昨夜少し話しました。でも、今日はまだ見ていませんよ」

 一瞬、期待に顔を輝かせた母親——名前は確かトレフール・オロレントさん(屋台を出す場所の区割り看板に名前が刻まれているので知っていた。彼女がオレの名前を知っているのもこのため)——の顔が曇る。

 「ということは、やはり・・・」

 細い指を顎に当てて、思案する様子を見せた。

 眉が寄って、額にしわが刻まれる。

 どうやら、心当たりがあるらしい。

 「よろしければ、事情を話してみませんか? 何か、お役に立てるかもしれませんよ」

 手にしていたおたまを置いて、手を拭きながら聞いてみる。

 当然ながら、不思議そうな顔をされてしまった。

 「実はオレ、こういうものでして」

 懐から、冒険者ギルド発行の『ギルド証』を出して見せる。

 うん。一度やってみたかったのだ。

 身分証をスッと提示して、サラッとしまう。

 映画やドラマでおなじみのアレを。

 「冒険者様、なのですか?」

 「様と言っていただくほどのものではありませんけどね」

 屋台はスキルのおかげで集め過ぎてしまう食材の消費のために出していることも説明した。

 「そうでしたか・・・本業でもないのに繁盛していて羨ましいです」

 溜息を吐かれてしまった。

 うーん。嫌味に聞こえてしまっただろうか?

 「トーアはおそらく、父親と一緒だと思います」

 父親、ね。

 元夫、ではないところに闇深さがありそうだ。

 「屋台をしているのは、彼から逃れるため。旅から旅の生活でお金を稼ぐ方法として、それ以外思い付かなかったのです」

 逃れるため、ということは。

 「追いつかれたか見つけ出された、そういうことですか?」

 「追いつかれた、が正しいのでしょうね」

 小さくため息を吐く。

 母と息子、女と子供の足だ。

 進む道の選択肢は限られる。

 追いかけるのは簡単だろう。

 「相手はどのような男なのですか?」

 仕事とか性格がわかれば、潜伏先を割り出すヒントになる。

 「元軍人です」

 おっと。

 ちょっとだけ警戒レベルを上げる必要がありそうだ。

 戦闘力はあるということだからな。

 「わたしの元同僚でもあります。以前は従軍司祭をしておりました」

 戦地に立つ兵士に神の名と奇跡をもって布教しつつ、医師として治療を行っていたわけだ。

 「ある戦いで小隊がほぼ全滅という事態になったとき、もはや死は免れないものと覚悟した私たちは男女の仲になりました。愛があったわけではなく、ただただ本能のままに」

 種族保存の本能。

 吊り橋効果というやつだ。

 危険な状態になると、すぐ近くにいる者に依存しやすくなってしまう。

 「ですが、お察しの通りわたしたちは生き永らえました。生き永らえてしまったのです。そうなれば、お互いに愛はなく、自然に他人に戻るものと思っていましたのに」

 「トーア君を身籠ってしまっていた、と?」

 トレフールさんは静かに頷いた。

 「わたしは、それ以外で男性を受け入れたことがありませんから、彼の子であることは間違いありません。堕胎は教義に反します。産む以外の選択肢はなく。責任と愛をもって育てるつもりでした。私一人の手で。事実6歳までは私が一人で育てました」

 ぎゅっと拳を握り締める。

 「だというのに、あの男は『俺の子は俺のモノだ』と言って、渡すように迫りはじめたのです」

 「モノって言い方が気になるね。そもそも子供を渡せというのには理由があるのかな?」

 父親としての愛だけではないだろうという気がする。

 「トーアの能力です」

 「能力?」

 「生来の『獣使い』なのです」

 「生来の?!」

 さすがに驚愕した。

 生来のということは『スキルの種』で偶然得たものではなく、生まれながらにして『獣使い』だということ。

 それがどういうことか、お分かりだろうか?

 『スキル』によって『獣使い』というジョブに就くことは可能だ。

 近いところで言えば、セシル——じゃなくてセリカもその一人である。

 ただし、この場合は得た『スキル』によって、操れる動物に制限がある。

 爬虫類に両生類、鳥類や魚類、または虫だけとか。

 特定の種族に限定されるのだ。

 例を挙げると、セリカのメインスキルは『蛇使い』。 

 蛇を中心とした爬虫類特化型の『獣使い』になるスキルだ。

 だからこそヒドラを欲しがり、だからこそ使役に失敗した。

 厳密に言えば、ヒドラは無脊椎動物なのだ。

 ・・・たぶん、この世界でその分類方法を知っている者はいないだろうけど。

 しかし、生来の獣使いとなると次元が違ってくる。

 ありとあらゆる生き物を、種類によっては広範囲に操ることができるのだ。

 狭い範囲で小動物を操るのならば、魔力も使わずに操れると言われている。

 むろん、その存在はかなりレアで、世界中探しても十指に足りないだろう。

 動物を操るだけと侮るなかれ。

 その力は強大で、彼ら生来の獣使いを俗に『災害級魔導士』などと呼ぶこともあるほどだ。

 そんな大げさな、そう思ったなら想像してみるがいい。

 一人の『獣使い』がイナゴの群れを集めながら旅をしたらどうなるか。

 その『獣使い』が通った後には一粒の米も残らず、各地に飢饉をもたらすことになる。

 動物を操るというのは、怖いことなのだ。

 そして、そこにはオレのスキルにも通じる一つの真理がある。

 『人間』も『動物』、操れてしまうのである。

 悪意を持って使えば、やりたい放題の力なのだ。

 国を亡ぼせるほどに。

 「なるほどね」

 元軍人の息子が『獣使い』だった。

 それは、モノと呼び自分の身近に置きたくなりもする。

 「事情は大体把握しました。探し出して取り戻してきますよ」

 本人の意思を確認したうえで、だけどね。

 もしかしたら、トーア自身も父親の元に戻りたがっているかもしれないのだ。

 本人の意思を無視はできない。

 「よろしくお願いします」

 トレフールさんが、深く頭を下げる。

 その向こうに彼女の屋台があるが、どうやら息子が心配で開店準備はできていないようだ。

 「そのかわり、店番をお願いしていいですか?」

 準備万端整っている店内を示して聞いてみる。

 ああ、なるほど。

 そんな顔で頷かれた。

 「昨日の盛況ぶりは拝見していました。店番ぐらいなら務まるでしょう」

 「ありがとうございます。ヒルダも手伝ってくれよ?」

 傍らにいたヒルダにも声をかけた。

 今回、ヒルダが擬態しているのはセシル——偽名で冒険者に扮していたときバージョン——だ。

 前回のオレに引き続いての人型である。

 「ぴゅいっ!」

 元気に返事をくれた。

 「この子はヒルダ。口は利けませんが、こちらの言うことは理解できますから使ってやってください」

 食器の片付けくらいならできるはずだ。

 というか、できる。

 昨日きっちり手伝わせたからな。

 「え、ええ。よろしくねヒルダちゃん」

 「ぴゅいっぴゅいぃぃいぃ!」

 うまくやってくれるだろう。


 「さて、と」

 屋台を任せたオレは、とりあえず冒険者ギルドへとやってきた。

 情報を集めるためだ。

 ご承知の通り、冒険者ギルドといえば落とし物の捜索から家出猫の捜索、要人警護に国家間の調停とあらゆる事態に駆り出される便利屋組織である。

 いつなんどき、どんな依頼が舞い込むか予想もできない。

 ゆえに、管轄の町の中で起きる出来事については詳細な情報を日夜集めているものだ。

 集めるだけで調査まではしていないので事実を網羅しているわけではないが、手掛かりぐらいは持っている。

 ただし、無償ではない。

 聞けば教えてもらえるわけではないのだ。

 ではどうするか?

 こんな時に便利なのが、ギルド証だ。

 オレはギルドの奥、ギルドショップへと突き進んだ。

 目指すのは一見普通だが、ガラクタをあり得ない高値で売っている店だ。

 よく理解していない新人が迷い込むのを防ぐためのカモフラージュである。

 脇目も振らず真っ直ぐこの店へと入ることで、ギルドの裏の事情にも通じていますよ、と暗喩するわけだ。

 「・・・・・・」

 胡散臭そうな目で見られるので、無言でギルド証を提示する。

 魔法によって内部データが確認され・・・。

 「いらっしゃいませ。ご用件をどうぞ」

 一瞬にしてスタッフが営業スマイルを浮かべてくれる。

 そう。

 ここで使えるのだ。

 冒険者ギルドの依頼をこなすともらえる功績ポイントが。

 もちろん、このポイントが多ければ多いほど下にも置かない扱いをしてもらえる。

 オレはといえば、ちょくちょくため込んでいながら一度も使っていないので、かなりの量を保持している。

 たいていのムリは聞いてもらえるってわけ。

 「ここ数日で、町の安宿や貸家、倉庫なんかを借りたよそ者の情報はないかな? 元軍人なんだけど」

 土地勘のない街で犯罪を働こうという場合、なによりも拠点が必要になる。

 かといって、町の外の一軒家というのは愚策だ。

 目立たないように見えるだろうが、逆に「あんなところになんで人が?」と地元民の注意を引いてしまうのだ。

 人を隠すなら人の中。

 人がいて不思議のない場所、しかも人の注目を浴びない場所でなければならない。

 そう条件付ければ、検索すべき建物のピックアップは簡単だ。

 「ああ、それなら一件該当があるな」

 思った通り、不健康そうな顔色のおっさんが、羊皮紙を一枚手に持ってひらひらさせる。

 「1500くらいでいいか?」

 「1800は欲しいんだがな」

 このぐらいの情報なら1100から1600が相場のはず。

 足元を見やがって!

 強欲さを呪えばいいのか、しっかりしているから情報も信用できるとホッとするべきか。

 金はどうとでも稼げるが、功績ポイントはギルドの仕事をしないと稼げない。

 迂闊に使うとあっという間になくなってしまう。

 できるだけ早く使い切らせたいのがギルド側の本音なので、ここはガチでの戦いになる。

 だが。

 「ふっ・・・」

 小さく笑いが漏れた。

 だてに、冒険者ギルド併設の宿酒場を実家に持っていない。

 おっさんの前に手を置く。

 その手を引くと、あとには金貨が三枚。

 金貨一枚で100ポイント分を買おうというわけだ。

 どんな状況でも、金貨は一定の働きをする。

 世渡りの極意だ。

 おっさんも慣れたもので、金貨が消えるのに要した時間はものの二秒。

 ついでに、オレの手には羊皮紙が収まる。

 取引終了だ。


 「ビンゴ」

 冒険者ギルドで手に入れた情報は1500功績ポイントと金貨三枚分の価値を持っていた。

 町の南側、かつての表玄関で街の発展とともに忘れ去られた古い商業区画にある貸倉庫。

 そこに、トーアの姿があった。

 後ろ手に縛られたうえ、柱に拘束されている。

 どう見ても、自発的に父親の元を訪れている姿ではない。

 「あらあら、かわい子。おねぇさんといいことしなぁい?」

 20代後半のケバイ女が、10歳未満のトーアに色目を使っている。

 ガチのオネショタさんであるらしい。

 離れたところから盗み見ているオレでさえ、思わず鳥肌が立ちかけた。

 当然、間近にいたトーアが感じるおぞましさは、その比ではない。

 「うっうあぁぁぁぁっ!」

 悲鳴を上げて、いやいやをしている。

 「よるなっ!」

 本気の嫌悪感を叩きつけた。

 「来るな! ババぁ!」

 「ば・・・っ!?」

 絶句したケバ女の顔が怒りと羞恥で赤くなる。

 明らかな危険信号だ。

 「よさねぇか、大事な商品だぞ」

 6人ほど、ガラの悪い男どもを引き連れて眼帯をつけた大男が現れた。

 オレが見てもわかるほどに、強い覇気を纏っている。

 一人だけ、明らかに別格だ。

 だけど・・・。

 元軍人という感じではない。

 もっと粗野だ。

 傭兵か?

 「はいはい。でもさぁ、この子にいったいどんな価値があるってんだろうね? 確かにかわいいけど、金貨100枚もの懸賞金が付く理由がわからないわ」

 「わからなくていいのさ。傷一つつけずに依頼主に引き渡せば金貨100枚になる、それだけわかってりゃいい」

 なるほど。

 やはり傭兵のようだ。

 トーアの前で父親と戦うのは避けたかったから、これは朗報だが。

 頭が痛い。

 懸賞金が付いているってことは、こいつら以外にもトーアを狙っている奴らがいるってことになる。

 めんどうな。

 「誰だ!?」

 おっと。

 見つかったか。

 気配だけを頼りに投げられたにしては正確な位置に投げナイフが飛んできた。

 もちろん、万一に備えて局所結界を張っていたので実害はないが、ちょっとびっくりさせられた。

 「トーア、無事か?」

 ゆっくりと出ていきながら、トーアに声をかけた。

 「お兄さん!」

 助かった、とばかりに喜色満面のトーアが叫んだ。

 これで、傭兵たちにはオレがトーアの知り合いだってことがわかったはずだ。

 期待通り、一瞬でリーダーらしい眼帯の大男と女以外が戦闘態勢になった。

 こちらは一人、しかもトーアほどではないがガキ。

 低能なチンピラの行動は単純極まる。

 そう。

 一斉にとびかかってきた。

 「バカ野郎。まて!」

 大男が怒鳴るが、もう遅い。

 すでに、オレの新技が炸裂している。


 「『境界』スキル、『捕縛結界』!」 


 読んで字のごとく、捕縛するための結界だ。

 従来のものとの違いは、設置型でないこと。

 事前に魔力で結界魔法陣を描いたうえで、圧縮保存。

 任意の場所へ投げつけることで起動させるというものだ。

 スキルを使っていることで、普通ならノーコンのオレでも狙った場所に投下可能。

 投下されれば魔法陣が即座に起動して結界が作成される。

 「な、なんだ!」

 「出られねぇ!」

 雑魚6人はまんまと結界内に捕縛されてくれた。

 地点設置が必要で魔法陣の構築に時間がかかっていた欠点をなくし、臨機応変に対応を可能とした画期的な技が成功したのだ。

 「よしっ!」

 思わず拳を握ってしまったよ。

 戦術の幅がかなり広がるはずだ。

 「チッ!」

 「使えないグズどもだね!」

 大男と女が歯噛みして睨んでくる。

 大男が大剣を構え、女はナイフ片手に下がった。

 リーダーの大男の実力なら、小僧(オレのこと)一人どうとでもなるという考えだろう。

 それでいて、万一の時はトーアを人質に取る態勢だ。

 悪くない。

 「って、ちょっと待て!」

 慌てた。

 見過ごしていたことに後悔が走る。

 大男の持つ大剣、それの特性だ。


 『魔法剣』。


 持ち主の魔力を魔法へ変換、刀身を通して発現させる。

 剣士などの魔法を使えない職業の者にとって、戦闘力を増大させるアイテムだ。

 ただし、その利用価値と量産不可の特質上、値段は天井知らず。

 おいそれと買えるものではない。

 話しには聞いていたが、実物を見たのは初めてである。

 見過ごしていた理由だ。

 そんなものを使ったらっ!

 オレが慌てているのを見て、大男がうっすらと笑った。

 「やめろって!」

 叫んでは見るが、止まりそうにない。

 大上段に振り上げられた大剣に大男の魔力が吸い上げられていく。

 刀身が炎を纏った。

 爆炎系の魔法を撃ちだせる品であるようだ。

 狙いはもちろんオレ。

 これはマズイ。

 本気で焦る。

 こんなものを使われるとは思っていなかった。

 女の方が魔法を使えるかも、と思っただけだったのだ。

 だから・・・。

 炎を纏った大剣が振り下ろされる。

 予想通り、火炎球が打ち出された。

 何かに衝突したら、大爆発を引き起こす類の魔法だ。

 オレは観念して目を閉じた。

 もう、どうにもならない。

 火炎球はオレに向かって飛び・・・停止した。

 うっすらと緑色の壁が見える。

 実は、さっき投げた結界は二つ。

 一つはもちろん雑魚どもを捕獲するための捕獲結界。

 もう一つは、魔法をはじく対魔結界。

 火炎球を止めたのは、この対魔結界だ。

 止めるためではなく、相手にはじき返すための結界である。

 打ち出された魔法は衝突と同時に大爆発するもの。

 つまり・・・。

 「トーア、目を閉じろ!」

 指示を投げる。

 それぐらいしかできることはない。


 ・・・!!


 耳がおかしくなるような爆音。

 「・・・・・・」

 恐る恐る目を開ければ、そこは地獄だった。

 跳ね返った爆発の威力が、捕獲結界を吹き飛ばしている。

 中にいた雑魚も、手足が吹き飛ばされていた。

 半分は即死だろう、残りも虫の息だ。

 大男はといえば、あおりをもろに受けて仰向けに倒れている。

 胸に折れた大剣の欠片が突き刺さっていた。

 とっさに爆風を受け止めようと大剣をかざし、刀身が衝撃を受け止め切れずに折れたのだ。

 「だから、やめろと言ったのに」

 首を振る。

 手間が省けたと言えなくもないが、後味が悪すぎる。

 女の方も倒れていた。

 爆風に飛ばされて、頭を打ったようだ。

 「トーア、無事か」

 惨状が目に入らないよう、自分の体を目隠しに使いながら声をかけた。

 子供の教育によろしくない。

 「え、ええ。けがはありません」

 恐る恐る目を開けたトーアが、細い声でそう答えた。

 身体は無事でも、心理的ダメージはでかそうだ。

 さっさと逃げ出すとしよう。

 オレが壁になって、トーアを守りながら倉庫を出る。

 出た途端、爆発音を聞きつけたらしい同業者が駆けつけてくるのが見えた。

 「中に女が倒れている。子供の誘拐犯一味だ。捕縛してくれ」

 最低限の情報を投げ渡した。

 「わかった、あとは任せろ」

 子供を庇っているオレ、誘拐犯の女、これだけである程度の状況把握をしてくれたようだ。


 そのあとのことは慌ただしくてよく覚えていない。

 ともかく、トーアを母親の元へ送り届けたオレは、冒険者ギルドに出頭して事態の説明をしなければならなかった。

 トーアの能力のことや父親のことは伏せたまま、ごく普通の誘拐事件として申告したのだ。

 生き残りの女も、普通の誘拐事件のほうが罪を軽くできるという打算から、オレの誘導に乗って話を合わせてくれた。

 なので、ギルドもその方向で事件の解決を図ることで決定している。

 この事件はそれで終わりとなった。被害者と解決に尽力した冒険者、さらに加害者もが同じ方向の供述をしたのだから、ギルドとしてはそれで幕を引くほかなかったのだ。


 オレにとって重要だったのは、そのさらに後のことだ。

 「トーア、これを着けろ」

 ギルドの功績ポイントと交換で手に入れてきたものをトーアに渡した。

 一見、飾り気のない天然石の首飾りに見えるそれは魔法道具『封魔の首輪』。

 着用者の魔力を完全に封印することが可能になる首輪だ。

 外せるのはつけてやった者、つまりオレだけに限定される。

 冒険者ほか、わかる人間には一目でそれとわかる品物である。

 つまり、この首輪をトーアがしているかぎり『獣使い』の能力も封印された状態になり、解除できるのはオレだけとなるわけだ。

 トーアを手に入れたい奴らからすれば、オレを倒して首輪の効力を失わせなければならない。

 本人をさらっても意味がないのだ。

 この首輪をつけさせることによって、トーアを直接狙うことに意味をなくさせ、オレを狙うよう仕向けることができる。

 オレの知らない間にさらわれるリスクを減らせるのだ。

 その分、オレが狙われてしまうことになるが、これはもうしょうがない。

 そういったことを説明した。

 トーアは黙って聞いていたが、説明が終わるとオレの目を見て、ただ頷いた。

 覚悟ができたのを確認して、『封魔の首輪』をつけてやった。

 これで、とりあえずトーアの安全は保たれる。

 オレのリスクが高まるのと引き換えで。

 「ありがとう、ございます」

 トーアとトレフールさんが、そろって頭を下げた。


名前:シェルフ・ボードフロント。

種族:人間(異世界転生者)。

職業:冒険者(冒険者ギルド所属の結界師、メインスキルは『調理』)。

スキル:1、『調理』。2、『境界』。3、『収穫』。4、『釣華』。5、『土操作』以下『?』。

手に入れた食材:竹モドキのダイコン、イモしょうが、ニンジンセロリ、チューリップに見えて花がピーマン、バラツタネギ、稲に見えて黄色いイクラ、鶏のむね肉、ヒドラの首ウナギ、木の実だけどエンバク。黄色くて地下になるナス。白い根キュウリ。緑色のカブ。落花生みたいなカボチャ。キノコの牛筋肉。臭い消しの野草と『メーメー』の血で作った『赤コンニャク』。見た目がナスのオレンジ色のはんぺん。青味の強い緑色水草昆布。木になる緑の白身と茶色の黄身卵。

使い魔:闇属性のリクガメ『アントン』、ヒドラ『ヒルダ』、砂金シジミ五匹。


    閑話休題(トレフールの決断)と(そこに至る理由)


 トーアが帰ってきた。

 無事な姿を目にした途端、うれしさのあまり発狂しそうだった。

 最悪の事態への覚悟を固め終えていたのだ。

 トーアはもう戻らない、と。

 我ながら、被害者意識が身についてしまっていたらしい。

 それが戻ってきた。

 傷一つ負わずに。

 全力で抱きしめた。

 あとになってみれば、痛かっただろうと思うのだがトーアも負けないほど強く抱きしめ返していたから、あれはあれでよかったのだと思う。我に返ったあと、二人して背中や腹部の痛みにうめいたけれど。

 もう二度と、トーアから目を離すことができないのではないかと思う。

 目の届くところにいないと、不安でたまらなくなりそうなのだ。

 トーアもそうであるらしい。

 決して、わたしが見えなくなるところへは行こうとしない。

 トイレに行くのにも困る様子を見せている。

 よほど怖い思いをしたのだろう。

 冒険者様の報告によれば、今回のことに『あの人』は直接かかわっていなかったようだ。

 だけれど、懸賞金をかけているらしいという。

 今後も、誰がトーアを狙ってくるかわからないということだ。

 不安が募る。

 冒険者様には、三つの提案をされた。

 一つは、いっそのこと、王国の管理下に入って身の安全を確保してはということ。

 トーアの父親にちょっかいをかけられなくなることは確実だと保証できるそうだ。

 そのかわり、戦争に使われる可能性がないとは断言できなくなるという。

 二つ目は、冒険者ギルドの保護制度を活用して守ってもらう方法だ。

 各地のギルドに情報統制をかけ、居場所をわからなくすると同時に常時護衛が付く。

 そのかわり、どこかの建物で軟禁生活を強いられる可能性があるということだ。

 自由に出かけることのできない窮屈な暮らしが待つ。

 しかも、場合によってはやはり利用されてしまうかもしれないと聞かされた。

 各地のギルド支部にそんな意思はないだろうが、本部の上の方が何を考えているかはわからないと。

 この意見には、わたしも賛成だ。

 かつては軍部にいたこともある。

 末端の兵たちは信頼出来ても、雲の上の指揮官クラスが何を考えているのかなんてわかりはしないものなのだ。

 どちらを選ぶにしても、保護してもらうためにはその理由を伝えなくてはならない。

 『生来の獣使い』という存在は、善良なものをも野心に目覚めさせかねないのだ。

 これを完全に避けることは難しい。

 三つ目の選択肢は、トーアの父親の元に自ら出向き、交渉すること。

 これは、考えるまでもなく望み薄だった。すでに野心にとり憑かれている者の手に野心を果たすための武器を渡しておいて、使うなといったところで聞く耳を持つことがあるなんて思えない。

 どれも、安心できるものではなかった。

 受け入れがたい。

 だから、私は四つ目。

 トーアを見ていて気が付いた考えに縋りついた。

 冒険者様についていく、という選択だ。

 私が見えるところから離れなくなったトーアだが、例外がある。

 冒険者様だ。

 助けてもらったという確かな実績から、冒険者様のことは信頼しているらしい。

 なら、冒険者様と行動を共にするのが安心だ。

 もともと、わたしたちに目的はない。

 「あの人」に干渉されない場所で、静かに暮らしたかっただけだ。

 冒険者様の行くところについていく決断に障害はないのだ。

 ただ一つ。

 ついてこられる冒険者様には邪魔でしかないという事実があるのみ。

 決してお邪魔はしません、などというできもしない誓いは立てられなかった。

 邪魔になるに決まっているのだ。

 通常なら3人から5人くらいでパーティを組む冒険者が、一人で活動している。

 ソロの身軽さを重要視しているからだろう。

 そこに仲間ではなく、それこそ『お荷物』として乗っかろうとしているのだ。

 邪魔以外のなんでもない。

 なにか、冒険者様にメリットのあることをしなければならない。

 何かを、差し出さなくてはならない。

 わたしは、覚悟を決めた。

 意を決し、冒険者様に伝えたのだ。 


 「ママって呼んでいいわよ」


 ・・・と。

 呆然とされてしまったけれど。

 たぶん、意味は伝わったと思う。

 家族になって欲しいという意味だけは。

 そう遠くない未来に、冒険者様が私の体を求めるなら応じることもあるだろう。

 一児の母ではあるが、まだ女のつもりだ。

 出産経験もあるくらいだから、それなりに誘導ぐらいはしてあげられる。

 まだ経験のなさそうな冒険者様に、手ほどきできるだろう。

 求めてこないのなら、精一杯できることをして支えよう。

 母でも、妻でも、それ以外のなんでもいい。

 家族として守ってもらう代わりに、わたしたちも家族として支えていく。

 何ができるのか、それはまだわからないけれど。


 そんな身勝手な願いを、冒険者様は受け止めてくれた。

 同情によるものなのか、何か思惑があるのか。

 わからないけれど、信じてついていく。

 世界のどこにも寄る辺のない、母と子が生きるために。


 ・・・と、そこまで覚悟を決めていたのだけれどね。

 思わずため息を吐いてしまう。

 冒険者様はあっさりとソロに戻って旅立った。

 今も街道を歩いている。

 「いて! 突っつくなよ!」

 トーアが声を荒げるのが聞こえた。

 ムームーにエサをやっているのだ。

 私はプランターの草取りをしている。

 冒険者様は私の覚悟を簡単に片づけてのけていた。

 自分の収納スペースに匿うという方法で。

 なるほどとは思う。

 収納スペースは外と隔絶されるが光や空気、時間は普通に流れる。

 隠れる必要のある者からしたら、最高の隠れ場所だ。

 ただし、スキルを持つ冒険者様が死ねば二度と外へは出れず死ぬまで閉じ込められる。

 それでもいいのかと脅してきたが、私とトーアは受け入れた。

 冒険者様は呆然としていたけれど。

 どうやら、この提案は本当に脅し用で、五つ目の提案へ誘導するための振りだったようなのだ。

 私たちを、とある宿酒場に預けることを考えていたらしい。

 「ママ」発言で思い付いたのだそうだ。

 自身の母親が営む宿で働かせることを。

 私は、そうと知りながら四つ目に固執した。

 一つ所にとどまるのは怖すぎる。

 旅から旅の方が安心できるのだ。

 彼の菜園を管理しつつ、店番をする生活が始まる。


     そこに至る理由


 逃げるようにして町を離れた。

 なにから逃げているかといえば、未練だ。

 トレフールさんの言葉の意味は完全に理解していた・・・と思う。

 たぶん、最終的にオレがその気があることを示せば、いろいろ教えてくれたのだろうことはわかっている。

 だけど、踏み込めなかった。

 「ママ」まではいい。

 乗り越えられる。

 ただ・・・。

 「パパって呼ぼうか?」って言われたときに全身に滾っていた熱い血は冷めたのだ。

 子供のいる女性への熱情はあり得ても、この年で父親役というのはきつ過ぎてツライ。

 ムリだった。

 逃げるしかなかったのだ。

 惜しいとは思う。

 あの胸に顔をうずめる妄想は刺激的だったのだ。

 でも、でも、である。

 トーアに「パパ」と呼ばれる想像は耐えられない。

 これが、据え(だったかもしれない)女性を遠ざけて、逃げ出すに至った理由である。

 なのだが・・・ついてこられた。

 一つ所にいるのは怖いからと。

 わかる気もしなくはない。

 だけど、連れ歩くのはオレが怖すぎてダメだった。

 苦し紛れにしたのが収納スペースへの軟禁案だ。

 これはイヤだろう。

 そう思ったのに。

 「はぁ」

 ため息。

 まさか受け入れられてしまうとは。

 旅先で、ママが増えるとかないだろ!

 うれしそうに「囲われちゃった」とか言ってたし!

 「はぁ」

 空は青いのに、ため息が止まらない。



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