第8話 Hの行方/悟り妖怪
百瀬のところに行くべく階段を上っていくと、一人の少女に行く手を阻まれた。
「居合君。ちょっと話さない?」
俺の名前を呼んだのは柳だった。
階段の踊り場から俺のことを見下ろしていて、通せんぼをしているようだ。
「ああ……昨日の子か。そういえば名前を聞いてなかった気がするな。あんたの名前は何て言うんだ?」
昨日は俺から自己紹介したのに向こうは自己紹介してくれなかった。
礼儀くらいはわきまえてもらいたいものだが。
「嘘つき。私の名前知ってるでしょ?」
まただ。彼女の声はどこか虚ろで、俺の頭を焼くような口調をしている。
彼女たちの物語に連れ去っていくような、そんな感じがする。
「いや、俺はあんたの口から名前を聞いた記憶はないぜ」
なんとなくだが、彼女には嘘をついてはいけない気がする。
嘘ではない屁理屈をこねて彼女と対話する。
「君は言い訳が好きなんだね。探偵の片割れ君」
探偵であることを見抜かれて、一瞬動揺してしまったが、別におかしな話ではない。
街の一部の界隈では俺はそこそこ名の知れた人間だし、事務所では基本的に同じ顔と名前を使っている。
もしかしたら俺の名前でネット検索をかけた可能性もあるし。
学校で新しい偽名と顔を使えなかったのがここにきて響いてきてしまった。
「俺のことを知ってんのか。まあわかった。それで、話したいことってなんなんだ?」
だがこれはチャンスだ。こっちから近づく手間が省けた。
しかも彼女からは不思議な雰囲気を感じる。もしかしたら捜査の突破口のカギを握っているかもしれない。
「君は、私が心を読めるって言ったら信じる?」
思わず「はぁ?」という声が出てしまう。
心が読めるなんてありえない。いや、あってはならない。
そんな心を読める人間なんてものがいたら、人間関係なんてものは簡単に崩れ去るだろう。誰も心のスペースを踏み抜かれたくなんかない。
まあもしそんな人間がいたらぜひとも一緒に捜査してほしいものだが。
「わりいけど、そんな話は信じられねえな」
きっとシェリフがこの話を聞いたら「興味深い! ぜひとも心を読んでもらおう」だとかなんとか言いだすだろうな。
「信じないんだ、別にいいけど」
柳の目はどこか虚ろで、まるで俺に失望しているようだった。
「最後に聞きたいことがあるんだけど、居合君は恋石覚っていう女の子の噂、知ってる?」
「え? まあ聞いたことはあるよ。この街では有名な話だからな」
恋石覚。この街の若者の中で囁かれている恋愛の絡んだ噂だ。
人の心を読むことができて、彼女に願うと恋が成就するという話だ。
もっとも、そんな話は小中学生の中で流行る子供っぽい噂だが。
「それについて相棒君に調べてもらったら、何かわかるかもね」
「おい、それってどういうこと……」
話を聞こうとしたが、その時にはすでに柳は風のように立ち去っていた。
恋石覚は恋愛関係の噂だし、もしかしたら事件とも関係があるかもしれない。調べてみる価値はありそうだ。
「ちょっとあんた。いつまで経っても来ないから探しに来ちゃったじゃない。早くこっち来なさいよ」
上の階から百瀬が下りてきた。
そういえば百瀬に会うために階段を上っていたんだった。すっかり忘れていた。
「はいはい。それで話したいことってなんなんだ?」
廊下を歩きながら話を聞くことにした。
「いや、大した話じゃないんだけどね? あんたがリョーマに呼び出されてたから、ちょっと心配だったのよ」
「心配? お前が?」
てっきり百瀬は俺のことを奴隷か何かだと勘違いしているものだと思っていた。
「馬鹿ね。私だって心配くらいするわよ。てか、心配するのにも理由があるの」
「理由?」
百瀬からもらった資料を見る限り、小泉龍馬は普通の爽やか高校生だ。
実際は結構幼馴染愛の強いやばいやつだったけど。
「リョーマって、中学生の時まではいじめっ子のトップにいるような奴だったの。誰もリョーマには逆らえないし、先生すら黙認してた」
なるほど、高校生にしては威圧の力が強いと思ったらそういうことか。
「そんなやつが、よくあんなモテモテな高校生になれたな」
噂は人をたどっていくものだ。高校に上がるタイミングで中学までの関係が断ち切れればいいが、あいつの場合はそうもいかないはず。
ましてやヒロインは中学以前からの知り合いもいた。一体どこに好く要素があったのだろうか。
「そう、それがおかしいのよ。みんな中学の頃のゴミみたいな性格のリョーマを知ってるのに普通に接してるの」
これは間違いなく軽量物語犯罪の影響であろう。
やはり小泉龍馬はじっくり調べたほうがよさそうだ。
「ってやばい。教室の中に水穂ちゃんとかいるじゃん。この話は一旦ここまでにしましょ」
百瀬はそういうと一足先に教室に入っていった。
教室の中には柳もいる。一体いつの間に教室に戻っていたのだろう。
俺は何事もなかったように自分の席についてホームルームの準備を始めた。