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#6 どうして謝るです?

 わたしは落として鳩のエサにしてしまったゼリーのお詫びに、わたしがコーヒーゼリーとは別にストックとして買ったプリンをシルルに食べさせてあげることにした。

 「わかったです、許してあげるです」

 「じゃあ、あーんして」

 シルルは公園のベンチの上で背筋を伸ばし、両手を膝の上で重ねて澄ました顔で目を閉じ、そして口を大きく開けた。

 わたしはプラスチックのスプーンでプリンを(すく)ってシルルの口のなかに入れた。シルルの唇の柔らかさがスプーンからわたしの手に伝わってきた。

 シルルは口のなかで味わい、にっこり微笑んだ。

 「おいしいですぅ」

 「よかった」

 わたしは何度かスプーンをシルルの口に運んだ。目を閉じたままもぐもぐと口を動かす様子がとてもかわいかった。

 シルルが目を開け、言った。

 「お姉さまにもわたちが食べさせてあげるです」

 「いいの? じゃあお言葉に甘えて……」

 わたしはプリンとスプーンをシルルに渡し、口を開けて目を閉じた。

 しばらくすると、鼻のあたりに何かプルプルしたものが押しつけられる感触がした。目を開けてみると、シルルが差しだしたスプーンに乗ったプリンがわたしの鼻に当たっていた。

 「シルルちゃん……そこは鼻だよォ」

 「人に食べさせるのはなかなかむずかしいのです」

 「鼻でプリンは食べられないよお」

 とわたしが言うと、シルルはわたしに顔を近づけて舌を出し、ぺろりとわたしの鼻を()めた。

 「ひゃ!?」

 「お姉さまの鼻は甘いのです」

 と、シルルはいたずらっぽく微笑んだ。

 ペチャとシルルが持っていたスプーンのプリンがわたしの胸の上に落ちた。

 「あっ……」

 「ごめんなさいです」

 シルルは慌てて、わたしの胸の上のプリンを口で吸い、Tシャツについたカラメルソースをペロペロと舐めはじめた。

 「えッ、あの……」

 わたしの心臓はバクバクと音を立てはじめた。

 こんな状況を人に見られてしまったら、幼女と昼間からいかがわしいことをしていると()()されかねないではないか。

 「シ、シルルちゃん……も、もうそのぐらいでいいよ」

 「いいのですか? まだTシャツにカラメルが残っているです」

 シルルはそう言ってわたしの胸を舐めつづけている。

 「だ、大丈夫、家に帰ったらすぐに洗濯するから」

 「そうですか、わかりましたです。じゃあ今度はお姉さまがわたちのプリンを食べるです」

 と言って、シルルはプリンを掬って自分の鼻の上に乗せた。

 「えーっ、なんか趣旨が変わってない?」

 「早く食べないと落ちるですよ」

 「わ、わかった……」

 わたしはシルルの鼻へと自分の口を近づけていった。シルルは目を閉じてじっとしていた。今の彼女はとても無防備だった。

 ――シルルちゃん、なんて無防備なの……。

 ――今ならもしかすると……。

 わたしの視線はシルルのピンク色の唇へと吸い寄せられていた。唇はつややかで果実か宝石のようだった。

 わたしはゴクリと生唾を飲みこんだ。

 ――ほ、ほんの一瞬、触れるだけだから……。

 わたしの心臓の鼓動は今までにないくらいに速くなっていた。

 シルルの閉じられた目のまつ毛は長かった。まつ毛は太陽の光を反射してキラキラしていた。

 ――いや待って。このかわいらしい顔を写真として残しておきたいな。料理だって食べる前に写真を撮ったりするじゃない?

 わたしは、ポケットからスマホを取りだした。

 ――いやいや、今写真を撮ったらシャッター音でシルルちゃんが目を開けてしまう。

 ――いったいどうすればッ!?

 わたしは欲望と欲望の板挟みになりパニック発作を起こしそうだった。

 わたしはもう何も考えることができなくなって、目を(つむ)ってシルルちゃんの唇に自分の唇を押し当てた。

 「うにゅ!?」

 シルルが目を開けた。少し驚いた顔をしていた。

 わたしは素早くシルルの顔から離れた。

 「そ、そこは鼻ではないのです」

 「ご、ごめん……」

 「どうして謝るです?」

 シルルはじっと問い詰めるような瞳でわたしを見つめた。

 「えっと、その……」

 わたしの心のなかに後悔と罪悪感のようなものがコポコポと沸きはじめていた。

 「わかりましたです」

 とシルルが言い、スプーンで自分の口のなかにプリンを含んだ。

 そして、わたしの顔に自分の顔を近づけてきた。

 「お姉さまは口移しで食べさせてほしいのですね?」

 「えッ!?」

 わたしの半開きの口にシルルの唇が密着し、柔らかいプリンがわたしの口内に流れこんできた。人型ロボットにも人の唾液に相当するものがあるらしく、その温かい液体とプリンが混ざりあったものがわたしの口の中を満たした。

 「……」

 ――なんだろうこの感覚は……。とても甘くてあったかい。赤ちゃんに戻ったような感覚……。

 ――この瞬間を誰かに見られてしまったら、わたしは一体どうなってしまうのだろう……。

 ――いや、もうこの際、どうなっても構わないかもしれない。もうこれからは世界とは一切関わらずにシルルと2人だけの世界を生きていくのも悪くないのかも……。

 わたしはシルルの小さな胴体を抱きしめた。

 シルルもわたしの体に短い腕をまわし、少し戸惑うように抱き返してきた。


 たぶん、時間にして3秒とか5秒とかその程度の長さだったと思う。けれども、わたしたちはとても長い間、唇を合わせたまま抱きしめあっていたような気がした。

 わたしから離れたシルルは、顔全体を(あか)くして複雑な表情を浮かべていた。何も言わずに、彼女はベンチにそっと腰をおろした。

 わたしは自分が今どんな顔をしているのかわからなかった。たぶん今鏡で顔を見たらシルルと同じ顔をしているに違いない。

 ――わたしたちは今何をしてしまったのか……。

 ――シルルちゃんはロボットだぞ。人間の女の子じゃないよ……。

 ――だけど、あの感じは人間と変わらないんじゃ……。人間の女の子とこういうことをしたことがないからわからないけど……。


 わたしが幼女たちと触れあった記憶というと、わたしの小学生時代まで(さかのぼ)らないと出てこない。

 当時はわたし自身が幼女だったので、クラスメイトたちをことさら〈幼女〉としては意識していなかった。でも、たぶん、わたしの幼女好きが始まったのはその頃だと思う。

 わたしの初恋は小学5年生のときのクラスメイトの絵梨花(えりか)だった。たぶん、最初は彼女のほうから話しかけてきたんだと思う。上品な顔立ちでツインテールの髪の毛がクルクルとカールしていてまつ毛が長いかわいい女の子だった。わたしは彼女のことが好きになった。

 秋だったと思う。わたしはある日、彼女の机のなかにこっそりと恋文を入れた。前日の夜にすごく時間をかけて書いた手書きの手紙だった。文字の色は絵梨花が好きな紫色にした。

 その翌日だった。朝、いつもは挨拶をしてくれる絵梨花がわたしを見ても無視をした。わたしはとてもイヤな予感がした。

 夕方、授業が終わったあとに、わたしは担任の女性教師に生徒指導室に呼びだされた。

 教師はわたしの前にぽんと手紙を投げだした。わたしが絵梨花の机に入れた手紙だった。

 「榎本絵梨花(えのもと えりか)さんが先生のところにこれを持ってきました。榎本さんはとても困っていましたよ。悪ふざけでこういうものを書いたのならもう二度とこんなことはしないで」と教師が言った。

 それから1時間ほど説教をされて、わたしは解放された。

 家への帰り道、涙が次から次へと溢れでてきた。拭いても拭いても出てくるので、わたしはもうそのままで家に帰った。家でも泣いた。たぶん、わたしの人生のなかであれほど泣いたのはあのときくらいではないか。わたしは、絵梨花もわたしと同じ気持ちでいると堅く信じていた。しかし、現実はまったく違っていたのだ。わたしが初めて好きになった人は、わたしのことなど少しも大切には思ってくれていなかったのだ。

 それからしばらくして絵梨花はクラスメイトのイケメン男子と付き合いはじめた。

 わたしが、この世界や人間というものが嫌いになったのは、この()()がキッカケだったと思っている。世界全体から見ればまったく取るに足らないくだらない出来事なのだろうけど、わたしにとっては今でも思いだすたびに胸がズキズキ痛くなるトラウマ級の大事件だった。


 わたしとシルルはお互いに黙ったまま鳩を眺めていた。

 どれだけ時間がたったかよくわからなくなった頃、わたしはシルルに小さな声で尋ねた。

 「……ねえ、ロボットも恋をする?」

 シルルはうつむき、

 「……し、知らないです……」

 と、恥ずかしそうにつぶやいた。

 絵梨花の顔はもうほとんど忘れてしまったが、もしかするとシルルに少しだけ似ていたかもしれなかった。 

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