#4 なぜお仕事しないのです?
わたしとシルルは外に出た。
わたしはシルルに不織布マスクをつけた。
「なぜマスクをつけるのです?」
と、シルルがわたしに訊いた。
「わたしみたいな冴えない庶民が幼女型ロボを持ってるのはおかしいでしょ? だから、シルルちゃんはお外では人間のふりをしてもらっていい?」
「お姉さまがそう望むなら、そうするです」
「ごめんね、わたしのわがままで」
「気にしないのです」
「手を繋ごうか」
「はいです」
わたしたちは手を繋いで歩いた。
わたしは少しドキドキしていた。かわいい幼女と手を繋いでいるということもドキドキ要素ではあったが、いちばんのドキドキポイントはシルルと歩いているところを他人に見られているというところだった。
いや、実際にはほとんどの人はわたしたちのことなどをとくに注視していないのだろう。けれども、わたしはなんだか無性に見られているように感じて、他人の視線が気になってしかたがなかった。
「お姉さまは、なぜさっきからキョロキョロしてるです?」
シルルがわたしの手を引っぱって訊いた。
「いやなんてゆうか、他人に見られてるような気がして……。たぶん気のせいなんだろうけど」
「どうしてサングラスをかけているです? 太陽がまぶしいですか?」
「か、顔を隠したいのよ……。他人にあまり顔を見られたくないの」
「どうしてです? しめいてはいされてるですか?」
「ち、違うよ……。ポリスに追われるようなことはまだ何もやってないから」
「わたちはお姉さまを通報したほうが良いのですか?」
「良くない良くない。通報はやめて~」
「わたちたち人型ロボットには〈通報機能〉がもれなく付いているのです。通報するとすぐにポリスが飛んでくるですよ」
シルルは自慢げに言った。
「う、うん、それは知ってる」
「その機能を一度使ってみたいのです……」
「火災報知器のボタンを押してみたい男子小学生みたいだね……」
わたしは苦笑した。
駅前の通りにやってきた。人の姿はまばらだった。
「人があまりいませんですね」
と、シルルが言った。
「平日の日中だからね……。みんな家で仕事をしてるんだよ、きっと」
と、わたしが説明すると、シルルは不思議そうな顔をしてわたしを見た。
「お姉さまはお仕事しないのです?」
「えっ……」
「お仕事しないのです?」
「仕事は……その、今はしてないの……」
「むしょくなのです?」
「はい……」
「なぜです?」
「これでも3年前までは仕事してたんだよ。デザイナー。ゲームとかのデザインをするお仕事。……でも、会社のほうから契約を切られちゃった」
「どうしてです?」
「会社からはね、『AIのほうがいい絵を描くからもう人間のデザイナーは要りません』って説明された……」
この時代、イラストレーターやデザイナーといったクリエイティブな職業は絶滅寸前になっていた。2020年代に次々にリリースされた優秀なクリエイティブ系AIがクリエイターを一気に駆逐することになったのだ。
音楽や小説といった分野も同様で、ごく一部のカリスマ的な表現者以外は、ものの数年でその活躍の場を失った。
演劇や映画の分野では、ロボット俳優よりも生身の人間のほうが演技に個性があって良いと言われていた時期もあったが、〈AIに人同様の個性を与えるAI〉が出現したことにより、風向きは一気に変わった。
今では、エンターテインメント業界に限定して言えば、AIと人型ロボットが99%のコンテンツを制作している状況である。かつてこの業界で働いていた人たちはほとんど仕事を失った。
AIが今ほど普及していなかった時代には〈AIにはつまらない単純労働をひたすらやらせて、人はクリエイティブな仕事だけをしていればいい〉と言われていた。が、いざAIが空気のように当たり前の存在になってみると、むしろAIのほうが圧倒的にクリエイティブであることが判明し、人はそれに対して質・量・速度・費用対効果においてまったく太刀打ちできなかったのである。
「悲しいのです?」
と、シルルはわたしの表情を見て訊いた。
わたしは慌てて首を横に振った。
「ううん、悲しくはないよ。無職になったことで収入が無くなったけど、ベーシックインカムがあるから一応最低限の生活ができてるし……」
「わたちがお姉さまにお金をあげたいです!」
「えっ。いやいやいや、いらないよそんなの」
「わたちが働いてお姉さまに美味しいものを食べさせてあげたいのです」
「その気持ちだけで嬉しいから。シルルちゃんは、ただわたしのそばに居てくれるだけで、それで充分なんだよ」
「……そうなのですか」
シルルは少しシュンとした。
わたしはそんなシルルを見て、元気づけたくなった。
「ねえねえ、あそこのコンビニで何か買って公園で食べようか」
シルルの顔が明るく輝いた。
「食べるです!」
わたしたちはコンビニに入った。
「しゃっせー」
と言った店員は人型ロボットだった。黒縁メガネの気の弱そうな青年だった。
わたしとシルルは欲しい商品を買い物カゴに入れていった。
「シルルちゃんは何が飲みたい?」
「イチゴミルクがいいのです!」
「うふふ、かわいい。じゃあわたしはカフェオレにするね」
「あ、このラムネ味のゼリー食べたいのです」
「なかなかマニアックねェ。わたしはコーヒーゼリーにするね」
「お姉さまはカフェオレとコーヒーゼリーです? 両方ともコーヒーなのです」
「いいのいいの、わたしコーヒー大好きだから。シルルちゃんこそイチゴミルクとラムネゼリーでいいの?」
「はいです。色がかわいいのです」
「あ。プニピュア・カードウエハースの新しいのが出てるね」
「プニピュアかわいいのです! カードほしいのですッ」
「じゃあ箱買いしちゃおっか?」
「やったー。オトナ買いなのです」
「ふっふっふ、わたしはオトナだからオトナ買いが可能なんです」
「さすがはお姉さまなのです。尊敬しちゃうです」
「えへへ。そんなに褒められると照れますなぁ」
そんなやり取りをしながら商品をカゴに入れていき、わたしたちはレジに行った。
「ポイントカードあればしゃーす。レジ袋しゃーす?」
店員ロボが目で商品のバーコードを読み取っていると、出入口の自動ドアが開き、マスクに野球帽にサングラス姿の中年男が入ってきた。
中年男はスタスタとレジに来ると、突然ポケットから拳銃のようなものを取りだし店員ロボに向け、大声で叫んだ。
「オラッ! レジの現金全部出せッ!」
店員ロボはオロオロして両手を上げた。
「わ、わかりました。用意します……」
「オイッ、お前ロボだろ! マスクつけてねえからわかるんだよ! ポリスに通報しようなどと思うなよ!」
中年男は威嚇するように怒鳴った。
「つ、通報しませんから……」
と、店員ロボは震える手でレジスターの錠を開けた。
中年男は店員ロボの手元を注視していた。
わたしはシルルに小声で囁いた。
「――例の機能、使える?」
シルルは眉をキリッとさせうなずいた。
「はいです」
中年男はわたしたちを睨んで、
「お前らも動くなッ! ヘンな動きをしてみろ、怪我するぞッ!」
と怒鳴り、拳銃をわたしの顔に向けた。
一瞬の出来事だった。
シルルが目にも留まらないほどのスピードで中年男の股間に左手でパンチを撃ちこみ、それとほぼ同時に右手で中年男の右手首に手刀を叩きこんだ。
中年男は拳銃を手から落とし、うめき声を上げながら股間を押さえて床にうずくまった。
シルルは床に落ちた拳銃を蹴り飛ばし、中年男の背中に片足を乗せて言った。
「――わたちのお姉さまに危ないモノ向けるなですッ!」
「えっ。ええッ?!」
わたしは何が起きたのかわからずに目を見開いたままフリーズしていた。
そのおよそ10秒後にポリスロボ2人がコンビニ店内に駆けこんできた。
中年男はポリスロボにその場で逮捕され、パトカーに乗せられた。
わたしは、その間ずっと驚きっぱなしで放心していた。
「お姉さまが無事で良かったのですッ」
と、シルルはわたしの胴体にガシっと抱きついた。
「えっと……。シルルちゃん、いったいどうやったの? あの強盗の人、一瞬でやっつけちゃったけど……」
「わたちたち人型ロボには自分の所有者を危険から護らないといけないという義務があるのです。そのためにどのタイプのロボにも一通りの護身術や格闘術がプリインストールされてるです。もちろん格闘のプロであるポリスや兵士には敵わないですが。ちなみに先ほどわたちが使ったのは詠春拳なのです」
「へええ、そんな機能があったのね……。驚いちゃった」
「〈利用規約〉に全部書いてあるのです。お姉さまは利用規約をちゃんと読んだです?」
訝しげにわたしの目を覗きこんでくるシルルの瞳からわたしは目を逸らした。
「……う、うん。もちろん、隅から隅まで読んだよお」
支払いを済ませたわたしたちはコンビニを出た。