#3 幼女に常識はないのです
2020年代に起きたウィルス感染症の全世界規模の大流行は、人々の働き方や生活を大きく変化させた。多くの企業がテレワークを採用したのに加え、同時期に始まった人型ロボットの普及がその流れに拍車をかけた。オフィスや店舗でリアルに働くのはロボットが中心になり、人は自宅からロボットたちに命令を出すだけになった。
そういう働き方が一般化するにしたがい、多くの人々は一日中家に籠もるようになった。そして多くの人々が以前にも増してネット通販を頻繁に利用するようになった。そういうライフスタイルを後押しするようにネット通販サイトもサービスを多方向に無限に増殖させ、今ではネットで買えないものは何もない。小惑星だって買うことができる。
それに、最近のネット通販はとにかく品物が届くのが速い。
注文から出荷まではAI制御による無人施設で行い、出荷された品物はドローンと無人トラックでそれぞれの宛先へと自動配達される。
小さいサイズの荷物はドローンで配達される。30kgを超えるようなものは無人トラックで運ばれてくるが、自動車がすべて自動運転になっている現在、交通渋滞や交通事故というものはすでに過去の遺物となっているため、品物の到着が昔よりも圧倒的にスピーディになっていた。
注文からわずかに1時間40分でシルルの衣類が届いた。
この時代は〈置き配〉が基本になっていた。ドローンにしろ無人トラックにしろ玄関前にダンボール箱を置くやいなや風のように去っていく。
わたしのスマホに配達完了を知らせる通知が表示されたので、わたしは玄関前に置かれたダンボール箱を回収し、中の衣類を取りだした。
淡いピンクに濃いピンク、パープルにスカイブルーにレモンイエロー、そして白。どれもフリルやリボンがたくさんあしらわれたかわいらしいデザインの洋服ばかりだ。いつも地味なTシャツとデニムパンツばかりを着ている私にとっては、まるでファンタジー世界の衣装のように見えた。
シルルが届いた洋服を見て目をキラキラと輝かせた。
「わあ、すごいです。かわいいですゥ~」
人型ロボットも着る物は人と同じだ。第1世代のロボットは微妙な力の加減ができないタイプが多かったため、着ている服を自分で破いてしまうことが多かったが、第3世代は自分のボディにかかる外的負荷をつねにAIとそれに連なる人工神経に光速でフィードバックして身体運動をリアルタイム補正する設計のため、そういうことはなくなった。
しかし面白いことに、コドモ型ロボは人間の子供同様によく転んだり、持っている物を落としたりと、オトナ型には無い特性を持っているものが多かった。これはAIが膨大な数の人間の子供の動画やモーションキャプチャデータデータから動きや仕草を学んでいるからと言われている。オトナ型であれば〈エラー〉として排除される細かい身体運動上のノイズを設計思想の一部としてあえて消さずに残しているところにコドモ型ロボの大きな特徴があった。
「じゃあ早速着てみようか」
「はいです」
わたしはまず、木綿製の子供パンツをシルルに渡した。
シルルはその柔らかいパンツを手で触って感触を愉しんでいたが、なぜか急に頭にかぶろうとしはじめた。
「待った待った。それはパンツ。頭にかぶるものじゃないから」
「わたちが学習に使用した動画では頭にかぶっていたのです……」
「メーカーはいったいどんな動画を見せてるのよォ。ちょっと貸して」
わたしはシルルの頭からパンツを取り、
「はい、右足を上げて」
と指示した。
シルルは右足を上げて片足立ちになったが、すぐにバランスを崩して転んでしまった。
「い、痛いのです……」
「大丈夫? 痛覚もあるのね。じゃあ座って履こうか?」
わたしはシルルを床に座らせ、右足と左足にパンツを通した。
「じゃあその状態で立ってみて」
「はいです」
シルルは立ちあがった。
「じゃあ床にあるあるパンツを両手で持ちあげてみて」
シルルは言われた通りにパンツを持ちあげた。
「上手上手。パンツ履けたねえ。偉いねえ」
わたしはシルルを褒めて頭を撫でた。
シルルは頭を撫でられるのが嬉しいというように目を細めた。
「パンツを上手に履けたのです。わたちは偉いのです。立派なのです」
と、シルルは誇らしげに胸を反らせた。
「じゃあ、次はソックスだよ。ちょっと難易度が高いサイハイソックスだけど、ひとりで履けるかなあ?」
「パンツが履けたわたちにならもちろん履けるのです」
わたしはシルルにサイハイソックスを一揃え渡した。
シルルはソックスを腕に通しはじめた。
「ちがうちがう。それは手袋じゃなくてソックス。靴下。つまり脚に履くもの」
「むー。そのぐらい知ってるです」
シルルはふくれっ面をして腕からサイハイソックスを脱いだ。そして脚に通そうとして右足を上げて、また転んでしまった。
「まーた転んだッ」
「恥ずかしいのです……」
シルルは転んだ状態のまま顔を手で覆い隠した。
「うん、そういう体勢のほうが履きやすいかも。寝っ転がった状態で履いてみて?」
「わかったです。やってみるです」
シルルは仰向けになった状態でソックスを履きはじめた。
しかし、サイハイソックスはかなり長いため、足を入れて手で引っぱってもなかなか太腿にまでずりあげることが難しかった。
時間はかかったもののシルルは両脚になんとかソックスを履くことができた。ただ、左右で高さが異なり、ヨレヨレでシワシワだった。
わたしはシルルのソックスをきれいに整えてあげた。
シルルがパンツとサイハイソックスを気に入ったようだったので、わたしは彼女をスタンドミラーの前に連れていった。
自分の姿を鏡で見てシルルはぴょんぴょんと跳びはねた。
「かわいいのです。これでお出かけしたいのです!」
シルルは玄関に走っていきドアを開けようとした。
わたしは慌ててシルルを捕まえた。
「だめだめ。まだパンツとソックスだけでしょ。それで外出はさすがにまずいよおッ」
「むー。少し外の空気を吸うだけなのです」
「だとしてもだめ~。裸や下着姿で外を歩いちゃだめなの」
わたしはシルルを抱きあげ、部屋のなかに連れ戻した。
「人のしゃかいにはよくわからないルールがいっぱいあるですね……」
「わたしも非常識ってよく言われるんだけどね……。一緒に少しずつ勉強していこうねー」
「はいです」
シルルはわたしに笑顔を向けた。
「じゃあ、ワンピースを着て靴を履いたら、外に出かけようか?」
シルルは嬉しそうに力いっぱいうなずいて言った。
「はい、お出かけするのです!」