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革命せよ、革命せよ、革命せよ  作者: 望月喬
第一章 アストリア編
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第7話 「Sol Et Luna」

 イグナーツと別れ、ヴァルターらはスチレットを先頭に王城の門へと向かっていた。

 イグナーツの部屋を出るときに目に入った豪華な振り子時計は午前六時半を指していたので、ヴァルターが牢獄で気絶している間に一時間弱はたっていたことになる。

 つまり、朝とはいえ夜間よりは城内に人が増える。


 そんな中をヴァルターとアンナ二人のみではかわしきれないとイグナーツが危惧したのか、城内の配置や裏道に詳しいスチレットが外まで送り届けてくれることになったのだ。

 昨夜侵入したときにはその欠片も見つけることが出来なかった城内の暗い裏道をうねうねと走り回り、やがて自分が城のどこに立っているのかわからなくなってきたころ、ふと視界が開き右手に門があった。

 が、すぐにスチレットが二人を通路に押し戻したので見えなくなってしまう。


「門番がいます。来られるタイミングで合図を出します」


 ヴァルターとアンナが頷くと、スチレットは踵を返して廊下に出ていく。ヴァルターは様子を伺うため通路からそっと顔を出した。


「お疲れ様です。イグナーツ様から休めと指示が出ているので、すぐに部屋に戻ってください」


「はっ」


 スチレットは門番の二人がいる門の前まで素早く歩くと、口元に微笑を携えて何とも自然に話しかけた。

 観たことはないが、劇団の俳優はこんな感じなのだろうと思わせるほどの役者ぶりである。自分だったら変な笑いや汗が出てあんな演技はしていられない。

 門番も彼にまんまと騙されたようで、さあ休憩だと上機嫌にその場を立ち去る。助かるがあまりの呆気のなさに肩透かしを食らったようだった。


「ちょっと、合図出てるわよ。何ボケっとしてるの」


「あ、おう。悪い」


 アンナに囁かれて見れば、誰一人いなくなった門の前でスチレットがこちらに向けて手招きしている。

 その仕草も小さくかつ伝える相手にわかりやすいようにはっきり、といった感じで、さっきの演技もそうだが色々なことに手慣れているらしい。

 ヴァルターを先頭にして通路から廊下に抜け、足音を立てないように早歩きでスチレットの元へ。

 無事たどり着いて、兵士はもう消えたか気になって後ろを振り返ってみる。


 ――門番兵の丸くした目とヴァルターの目が合った。


「え」


 ヴァルターか兵士か、どちらがその腑抜けた声を出したのかはよくわからなかった。わかるのは、兵士が今にも声を張り上げようとしていることと――とにかくまずいこと。

 瞬間、ヴァルターの思考より早く隣にいたスチレットが動いた。右手を床につける、イグナーツの部屋で不可思議な現象を起こしたときの姿勢――。

 と、ヴァルターが一つ瞬きをした直後。


「あが」


 声を上げようとした兵士ともう一人の兵士が倒れた。後ろには、両手を手刀の構えにしたスチレット。

 状況から見てスチレットが二人を気絶させた――のはわかるが、どうやってこの長い距離を詰めたのか。

 いつだかに同じような疑問を抱いた気がするが、そこまで考えを巡らす余裕が今はない。


「二人は部屋で寝かせておきます。さあ、早く」


 黙り込んだ二人の兵士を背負ったスチレットがこちらに戻ってくる。

 彼は何事もなかったかのように、驚きで言葉が出ないヴァルターとアンナを放って城門を押し開けた。門は重い音を立てて開いていく。


 スチレットに促されるまま外に出ると、もう朝日が登りきっており、草木は照らされ風で柔らかに揺れていた。

 長い階段を降りた先には、嵐の後か、はたまた前か。そんな静けさのようにひっそりとした城下町、王都アストレシアがあった。

 この王城に入ってからまだ数時間しかたっていないのに、もう何日も王城にいたような気がする。


「人生で一番濃い一日だったかも」


「そうかもな」


 アンナの呟きに苦笑しながら答える。


「では、お二人とも」


 後ろからスチレットが話しかけた。


「私の案内はここまでです。あとの始末はイグナーツ様と私にお任せください。あなたたちは……ここから南西へ。七日立つ頃には、イグナーツ様も参るそうです」


「わかりました。本当にありがとうございます、スチレットさん」


「いいえ。では、そろそろ。……御達者で。ご武運を」


 朝日に照らされた二人を目に映して、スチレットが言う。

 別れの挨拶、そこまで堅くならなくてもとヴァルターは思ったが、きっと彼は元々そういう性格なのだろうと少し微笑んで、


「必ず、また会いましょうね」


 と握手を交わした。


「アンナ」


「うん」


 まだまだ王の打倒など程遠い二人、その道への第一歩目を踏み出す。


 *


「うーん……」


 小規模の街、テオスに到着したヴァルターらは、街の中央にある噴水広場で揃いも揃って小首を傾げていた。


「急いだとは言っても……早く着きすぎた……かしらね」


 王城を出立した時には登りきったばかりだった太陽が、今やっと沈みかけてきている。

 まさか半日もかからないなんて、世間知らずらしい完全な誤算だ。


「もうちょっとゆっくり歩いてくれば良かった……足痛え」


「突っ立っていても仕方ないわ。私たちは私たちで、イグナーツが来るまでに物資を揃えたりしてましょう」


 所持金(九割方イグナーツに追加で渡されたお金だ)でこれからの旅に必要な物をいろいろと買い集め、空が黒く染まってきた頃に一週間滞在予定の宿屋に泊まる。

 軽く夕食を終え、ヴァルターは部屋に入った。アンナは隣の部屋で多分もう寝ている。早い。


 部屋の窓に近づき真っ黒に染まった夜空を見つめていると、自らの人生の滑稽さが身に染みてくるようだった。

 宝玉を見つけるだとか王を倒すだとか、全くもって現実味のない、大人に言えば笑われるような夢。野望と言った方が正しいだろうか。

 でも、と黒の中に一際明るく輝く月を見つめて、ヴァルターは心の中で言葉を紡ぐ。


 ――俺は、行動した。


 前までの、何もかもやる前に諦めていた、何も出来ない臆病な自分じゃない。惰性で王の圧政に従うようなやつじゃない。

 王を、ハザを葬ることを決意した。今だって、これからだってその気持ちが揺らぐことはないだろう。

 それでもしかし、ヴァルターの心は不安だらけだった。そんなこと本当に出来るのかと目に映る夜空のように心が黒く染色され、度々不安がゆらゆらと蜃気楼のように現れては消えていく。

 顔を上げた。輝くあの明かりと、目が合った。


 ――俺も、あの明かりみたいになれたらいい。

 闇の中で見た人を導く、あの大きな明かりのように。


 気づけば小腹が空いていた。夜ご飯少なかったもんな、と考えて、ヴァルターはさっさとベッドに横になり自分の能天気さに苦笑しながら目を閉じた。


 *


 一週間は、特に何も起こることなく平穏に過ぎた。

 イグナーツは一週間がたつ丁度一日前にこの街につき、ヴァルターらと合流。時間厳守の上に少し早く到着というのは堅実な彼らしい。

 騎士はアストリア兵士の中で最も腕が立つ者たちと聞いたが、イグナーツは戦闘以外の仕事もこなせそうに見える。

 部屋が埋まっていたためヴァルターらとは少し離れた宿屋に泊まることになった。


「――でもイグナーツほど存在の大きな人が急にいなくなったら、ハザにもすぐ気づかれるんじゃないの?」


 ヴァルターらが泊まっている宿屋の一階は酒場になっていて、そこで三人一緒に夕食を取っている最中、アンナが茶を啜りながらイグナーツに尋ねた。


「だろうな。だが問題ない、王城を出立する際に兵士を辞める旨をハザに伝えた」


「兵士を辞めるって、いいの? せっかく騎士にまでなったのに」


「構わんさ。名声などどうでもいい」


「さすがね」


「イグナーツの部下たちはどうするんだ?」


 魚をむしゃむしゃと頬張っていたヴァルターが会話に参加する。


「本来なら一時しのぎでもう一人の騎士の部隊に振り分けられたあと、新たな騎士を選出する。だが一部がそれを望まなくてな、何が何でも私についてくると言うのでそういった者には計画を伝えた」


「へえ、人望あるんだな」


「計画ってクーデターを起こすことよね? いきなりそんな大勢に言ったら漏れないかしら」


「伝えたのは接する機会が多く信頼できる者だけだ。スチレットもその一人」


「スチレットさんみたいな人たちなら安心だな」


 ヴァルターが言いながらアンナに目をやると、彼女も同意するように頷く。情報の漏洩は危険だが、イグナーツが大丈夫だと判断したならば安心していいだろう。


「私たちの戦力が増えて、腰を落ち着けられる拠点が見つかったときに私の部隊を呼ぼうと考えている。それまではスチレットに私の代わりに臨時の騎士の座についてもらい、部隊をまとめておいてもらう」


「スチレットさんが騎士になるのね」


 そうだ、と首を縦に振って魚を切り分けるイグナーツ。王城で暮らしていただけあって、こんな庶民の宿屋で出される魚でもそれを扱うナイフとフォークの手さばきにはどことなく高級感が漂う。

 ヴァルターはそんなイグナーツを見て、ふと疑問が生じた。遠慮するのも変であるし大事なことなので迷わず聞いてみる。


「もしハザを倒せたら、そのあとはどうなるんだ?」


 ピタ、とイグナーツの手が止まる。

 いきなり聞くのはまずかったかと焦るが、彼はゆっくりナイフとフォークを皿の端に置くと、


「……わからない。わからないが、基本的に私が王になるのだろうということは」


 そこまで言いかけて、イグナーツは木で作られた大きいカップの取っ手に手をかけて持ち上げ、中に注がれている茶を口に運ぼうとした。

 が、彼はふと迷ったようにその動きを止める。


「正直、自信が無いんだ。ハザを倒す覚悟は出来ているが、そのあとのことはまだ――」


 カップに入った茶の水面を眺めるように目を落として呟く。イグナーツらしくない弱気な声。

 酒場の騒音とも言える賑やかな笑い声の中、イグナーツの弱々しい声はヴァルターに微かに聞こえる程度だった。


「王様って太陽みたいだと思うの」


「へ?」


 ヴァルターがどう励まそうか悩んでいると、アンナが唐突に言葉を発した。急によくわからないことを言うあたり、母親譲りかもしれない。

 変な声を出したヴァルターと驚いた顔のイグナーツを放ったまま、彼女は続ける。


「みんなを空から照らして見守っていて、暖かい光で雪を溶かして草木を育てる。前の王様はきっとそんな人だった。そうでしょ?」


 イグナーツが頷く。アンナは一口茶を含んで、


「イグナーツならそんな王様になれると思うの。だから自信持って。私たちはあなたについて行くんだから、あなたがそんなのじゃどうするの」


「アンナ」


 イグナーツはもう一度視線を未だ手にしたままのカップに向けると、その中の茶をぐいっと飲み干した。かなり大きなカップなので量は相当である。

 おお、と思わず呟きが漏れたヴァルターを余所に、イグナーツは微笑みの戻った顔で、


「ありがとう。逃げずにしっかり考えてみよう」


 と言い切った。うん、とアンナが強く頷く。


「変に喩えないで素直に言えばいいのに。頑張れって」


「うるさいわね! 私なりに喝を入れたのよ!」


「元騎士に喝入れるとか肝据わってるよな」


「う、うるさい!」


「ふっ。ははははは」


 牙を剥き出しにするアンナとそれをからかうヴァルターを見て、イグナーツが噴き出す。

 今まで見たことのない、イグナーツが本気で声を上げて笑った様子に二人は不思議にも目を奪われた。なるほど彼らしいと言えば彼らしい、上品かつ大胆な笑い声である。


「……ただまぁ、そんなに面白かったか?」


 ――王様って太陽みたいなものだと思うの。


 つい最近似たようなことを考えたな、と思い出す。確か自分は太陽ではなく月だった。

 イグナーツが王になって自分が宝玉の力を手に入れることが出来ていれば、自分もそれなりの役には就くのだろう。

 イグナーツが太陽で自分は月――まるで表裏一体の関係である。

 そんな凄いことになったらいい、とイグナーツの笑い声の中ひとり妄想を巡らした。


「イグナーツも笑い過ぎだけど、あなたも何ニヤニヤしてるのよ……」


 顔に出ていた。


 ひとしきりイグナーツが爆笑したあと、これからのことについてヴァルターの部屋に戻り作戦会議をした。

 その中で決まったこの先の方針については、パクス=グレイツの宝玉――全部で四つある宝玉を最優先で探すということ。

 それはなぜか。


 イグナーツの話によると、どうやらハザは自身の体がどれだけ傷ついても無限に再生できるルガルを所持しているらしい。ハザが軽傷を負ったとき、その傷がみるみるうちに塞がっていくのを目撃したそうだ。

 ここからはヴァルターたちの仮定の話ではあるが、ハザを倒すのに助けとなる、と記述されていた宝玉が、ハザのその再生能力に対抗できる手段なのではないかと考えた。だから、宝玉を最優先で見つける。


「一つ目の宝玉は点々と草木の生える地に眠る砂骸の脳に、だった。……何だよ、それ」


 床に広げられた地図を見て、首を傾げながらヴァルターが言う。


「読み方はすなむくろ、で本当にいいのよね。砂ってなると砂漠とか?」


「点々と草木の生える地――本来なら砂漠などが生成されるはずもないアストリアの西部に、そのような草と砂の混じった異質な場所があると聞いたことがある」


 イグナーツが言う。彼の情報量は王城で勤めていた経験やそこで得た人脈から来ているのだろうか。どこまでも有能な男である。


「そんなところが本当にあるのか。当たってみる価値はあるな」


「ああ。明日出発しよう」


 会議が終わり、アンナとイグナーツはそれぞれの部屋に戻る。明日も早いのでもう寝ようと、ヴァルターもすぐに眠りについた。




 ――夢を見た。


 どこかの国の、どこかの街の、どこかの宿が、燃え盛っている恐ろしい夢。


 声がした。


 誰かが走り回る音が聞こえた。


 赤い何かが見えた。


 赤髪の少女が自分の名を呼んでいた。


 必死に、必死に、今にも泣きそうな声で。


 焦げ付く臭いがした。


 何なのかわからない不快な熱気にむせ返った。


 ――やっと、それが夢ではなかったことに気づいた。


「ヴァルターっ!」


「うおおおお!?」


 アンナの声でベッドから跳ね起き、急いで周りを見回すと、ヴァルターたちが泊まっている宿屋が炎に包まれていることがすぐにわかった。


「なに、なにが……!?」


「いいから早く! 逃げるわ……よっ!」


 騒ぎの中まとめてくれたらしい荷物をアンナが無理やりヴァルターの肩にかけ、二人で部屋から飛び出る。


「火の手は!?」


「多分一階の調理室! 私たちの部屋からは遠いわ!」


 アンナを先頭にまだ火の侵食が少ない廊下を駆け抜けるが、木製の宿だ。すぐにここも焼け落ちるだろう。

 無我夢中で走って出口前の受付にたどり着く。もう外は安全区域だ。既に消火隊も到着しているらしく、避難の指示の声が中からでも聞こえてくる。


 その消防隊の奥には、ざわざわと心配そうに宿屋を見つめる人たち。

 目を凝らすと、薄い黄色の髪をした頭が奥の方で忙しなく蠢いているのが見える。イグナーツだろう。騒ぎを聞いてやって来たが野次馬たちに阻まれてこちらまで来られていないというところか。


「ヴァルター!」


 アンナの大声にはっとする。


「もう出口! 早く出るわよ!」


「――っ」


 が、ヴァルターは出口への方向とは真逆、さっきまで走っていた方へ向きを変えた。


「え!? どうし――」


「まだ人が残ってる! アンナは早く避難してろ! 荷物も頼んだ!」


「ちょっと、ヴァルター! そっちは火の元に――」


 アンナの忠告を聞くことなく、ヴァルターは再び駆け出した。




 ――熱い。

 我ながら馬鹿だと、本当に思う。

 一階にいた消火隊の、「未避難者残っています、炎に囲まれ近づけません」の言葉だけで駆け出してしまうのだから、相当な馬鹿である。

 段々と火の元へ近づいていき、段々と熱さも息苦しさも増していく。走ることも、足を上げることすらも辛くなってきた。


「ぐっ……はぁ、あぁっ!」


 呼吸もままならなくなり、意識が遠のく。それでも、ヴァルターを走らせる理由があった。

 理由と言えるほどの高尚なものでもないかもしれない、それは一種の傲慢であると自分自身わかっているつもりだった。


 何か上手くいったことがあったとき、調子に乗って他のことにも挑戦して痛い目を見る――これは未熟な若者がよく仕出かすような、馬鹿げた過ちの縮図と言ってもいい。それとも事の大きさからして拡大図か。


 惰性で生きてきた自分を変えようと決意して行動し、何の間違いかそれが成功してしまった。

 一度捕まったのだから完璧な成功ではないのかもしれないが、ヴァルターにとってそれは17年の短い人生で最大の成功だったのだ。

 この運の良い体験が今のヴァルターを支える自信の大部分を占領していることは言うまでもない。

 そしてそれは、ヴァルターに自信だけでなく傲慢さも齎した。


 ――自分が助ける、と。


 倒れてくる炎と化した柱を転ぶように避けて、立ち上がりもう一度走り出す。

 もともとこの宿屋は小さいものだったので、走った距離はそれほどのものではなかったのだろうが、体感時間ではその倍、はたまたそれ以上にヴァルターは感じていた。

 やがて壁に手が付き、ここが行き止まりということを知ると、そのすぐ左に手を伸ばし――扉は開いている。のではなく、もう無くなっていた。


 部屋に入り、救助に来たことを叫ぶものの返事はなかった。

 否、声がか細すぎて、聞き取れなかった。

 普通ならこぼしてしまうであろうその助けを呼ぶ声を、ヴァルターはすくい上げる。きっとそれも、傲慢から来る正義感が捻くれた結果なのだろう。


 急いで声の元に向かうと、その声の主はまだあどけない顔立ちをした、自分より少し年下であろう黒い髪の少女だった。

 ヴァルターは少女をゆっくりと背負い、他に誰かいないか確認してから部屋を出る。

 さらに炎が満ちて崩れ出している廊下を、再び意を決して一直線に駆け抜け、炎の中から受付広間に躍り出た。


 ――自分も女の子も、息がある。


「いき……てる……」


 安心した途端に膝が折れ、前のめりに倒れた。火花が散って、瞼が岩でも乗ったかのように重い。


「ヴァルター!」


 宿屋の前の人混みから二人がこちらに駆け寄ってくるのが視界の端に映った。アンナとイグナーツに見える。

 彼女らはヴァルターに励ましの言葉をかけてくれていたようだが、アンナの声が涙声なことからもわかるように、二人の健闘もむなしく自分の意識はこれ以上保てそうになかった。

 ここ最近、ボロボロになってばかりである――。


 *


「……ん」


「ヴァルター!」


 目を覚ますと、アンナが飛びついてきた。突然のことに動揺する。


「大丈夫!? 痛みは!?」


「あーないない、大丈夫。だから手どけてくれ」


 アンナの質問に答えてそう言うと、彼女ははっとしたようにベッドに寝たヴァルターの上へ置かれた両手を離した。痛みがすっと引く。

 アンナには痛みはないと嘘をついたが、どうやら彼女の手が上に乗った重みで傷が痛んだだけだったらしい。なら嘘ではない。


「まぁ絶対言えないけどな」


「何言ってるのよ?」


「何でもない。ここはどこだ?」


 横になった体勢のままぎこちなく首を動かして周りをうかがってみる。

 石で組まれた灰色の壁に灰色の床、窓から差し込む明るい光――清潔な印象で少々窮屈な部屋は、病院というとそれらしいだろうか。

 と、どうやらヴァルターの予想は当たっていたようで、


「テオスにある小さな病院よ。一昨日の火事の重傷者はみんなここに搬送されて入院したの」


「そうか……そうだ、あの女の子は無事なのか」


 ヴァルターが火傷まみれになりながら必死に救出した小さな少女。

 消えゆく意識の中、背中に背負った彼女の体温の低下を感じたのを覚えている。

 あそこまで炎に囲まれていたのに、背中だけは熱くなかった。きっとかなりの重傷に違いない。

 最悪の結果は想像しないようにしても、自然と体に力が入る。


「無事よ。さすがにまだ意識は戻ってないけど、容態は安定してるって」


「そうか……よかった」


 優しげな声音が伴ったアンナの返答に安堵して、思わずベッドに全身を預けてしまう。


「それで」


 しかし、ヴァルターの安堵もつかの間だったようで。


「言いたいことはたっくさんあるけどね、まずは弁明を聞こうかしら」


「うげ」


 少女の無事を伝えたときの柔らかく優しい声とは打って変わって、冷酷そのもののような刺々しい響きがヴァルターの心を抉る。怒りのオーラを津波のように発していた。

 これはアンナなりの自分への心配だということは重々承知ではあるが、できればもう少し甘くしてほしいものである。

 そうしてヴァルターが言葉を詰まらせてあたふたしていると、助け舟を出すように部屋の扉が音を立てて開いた。


「イグナーツ!」


 助けてくれ、と二の句を継ごうとするが、イグナーツの神妙な面持ちを見たことで言葉が引っ込む。

 イグナーツはその変にかしこまった表情を崩さないまま、部屋の入り口に突っ立ってヴァルターをうつろに見つめていた。


「イグナーツ? どうしたんだよ」


「……ヴァルター」


 イグナーツがやっと口を開く。いつも以上に固い声である。


「何だ?」


「君が、王になれ」


「…………は?」


 ――――自分が、太陽に?


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