第67話 「正義の在り処」
広間。カモフラージュの小部屋を除けば、アジトに入った者を最初に出迎える部屋だ。
今夜はその広間に大勢の人間が集まっていた。みなすべて戦争賛成派のメンバーたち。昨夜と同じく、今晩もここで宴会が行われる予定だった。
「……よう」
ヴァルターが声をかける。その目線の先にいたのはセレナだ。椅子に座って、伸びっぱなしの艶やかな黒髪をいじっている。彼女にしては珍しくこの空間に溶け込めていないように見えた。
「……ええ」
セレナはそう答えると、それ以上は何も言わなかった。目も一瞬こちらを向いただけで、すぐに意識を別のところへ向けている。しかしヴァルターもその無愛想な態度を責めたりはしない。
「……」
ヴァルターはセレナから少し離れた席を選ぶと、きまり悪そうに腰かけた。
セレナとの会話を最小限にとどめたのも、距離を置いたのも、全部他人に怪しまれないようにするため。自分たちは何も関係ない。そう証明するためだ。
これ以上、余計な犠牲者を出したくなかった。
「ほらよ! お待ちかねのもんの到着だぜ」
「みんなお待たせー!」
アジトの扉が開いて、奥から二人組の男女が現れた。手には大きな箱を持っている。すると、広間にいた大量の人間たちがワッと騒ぎ出した。
「酒だ!」
「待ってました!」
「ほら、さっさと開けようぜ!」
二人組の男女の周りに人々が群がる。箱の中に入った酒を求めて二人を囲む。あれではまるで酒乱だ。
「おいおいちょっと待てって」
「今テーブルに配るから!」
男女は困ったふうに、けれど嬉しそうに笑った。群衆を押しのけて進み、一番近い長机の上に箱を置く。どさりと重量感のある音を立てて着地した箱の中から、たくさんの酒が現れるのはすぐだった。
「奪え奪え!」
「早い者勝ちだぞ!」
瞬間、周りで様子をうかがっていたメンバーたちが酒に飛びつく。まるで待てと命令されていた犬みたいだ。でも、彼らがあそこまで興奮するのも無理はないかもしれない。
「ところでさ、何で今日も宴会なんだ?」
タイミングよく、ヴァルターが考えていたことと同じ会話が近くから聞こえてきた。
「昨日もしたじゃねえか。今まで二日連続でやるなんてなかったろ」
「ああ、それはダグラーリンが押し通したんだってよ。なんでも昨日のケネーとレオのパフォーマンスが随分と気に入っちまったらしくてな。二人をまだ祝いたいっていうんで、今夜もするらしい」
「なるほどな。ま、俺は酒が飲めんならそれでいい」
「ケネーとレオに感謝しろよな」
「なはははっ。ああ、あとで靴でも磨いてやろう」
遠くへ消えていく笑い声。ヴァルターは椅子に腰掛けたまま、ただぼーっとうつむいていた。手持ち無沙汰を慰めるために両手を組みなおす。足を揺らす。手を握る。きっと今、セレナも同じことをしている。
「……レオ」
今この場にいない少年の名を呟く。彼は無事だろうか。ヴァルターが甘すぎるばかりに、危険な任務をお願いしてしまった。無事に帰ってきてくれるといいのだが。
……ただ、レオが無事でいることが何を指すのか、それがわからないほどヴァルターは馬鹿ではない。
「……」
二つの願いは表裏で、同時には叶わない。叶わないのだ。心の奥底に抱いた理想は決して実現されることはない。そんな抜け道は――逃げ道は、存在しない。
「おっ、ダグラーリン!」
誰かが声を上げた。ヴァルターの肩が大きく跳ねる。
ダグラーリン。その名前を耳にした瞬間、えもいわれぬ恐怖に襲われた気がした。
「おうおうお前ら、オレが来る前に楽しんでるとは何事だ?」
「悪いな、酒は早い者勝ちだ」
「ったく。オレにも一杯くれ」
ダグラーリンの様子に異変はない。いつも通りの、敵対しなければ頼りがいのあるダグラーリンだ。まるで年の離れた兄のような――そんなことを考えるほどダグラーリンに入れ込んでいることに気が付いて、ヴァルターは意識的に頭を振った。
奴は敵だ。そう心内で告げるたび、胸が痛む。
「よう、ヴァルター」
「――!」
ヴァルターの背筋が伸びる。その大袈裟な反応を見て、ダグラーリンはけらけらと笑った。
「何だよその反応。オレは王様じゃあねえぞ」
「あ、ああ」
冷や汗が垂れる。冗談で言っているのか本気なのかわからない。
ダグラーリンはヴァルターの隣に腰かけると、ぐるりと周りを見渡した。
「まだ揃ってねえみたいだな」
「メンバーたちか?」
「ああ。全員来てねえ」
「わかるんだな」
感心したようなヴァルターの返しに、ダグラーリンは呆れたような顔をした。
「おいおい。オレは戦争賛成派のリーダーだぜ。仲間を把握していて当たり前だろうが」
「……そうだな。そうだ」
「どんなに人数が多くたって、大所帯だって――みんな、オレの大事な仲間たちだ」
「……」
直視できない。ダグラーリンの柔らかな微笑みを見ていられなかった。
――どうして。どうしてお前は、そんな眩しい笑顔をできるのか。
「おいダグラーリン、これじゃ宴会が始めらんねえぞ」
「ケネーとレオはどこ行ったのよ?」
群衆が文句を言い始める。それに対してダグラーリンは困ったように頭をかくと、
「そうだなあ。主役二人がいないんじゃあ宴会の意味がねえ。けどまあ、先に始めてたら帰ってくるだろ」
そう言って立ち上がる。酒を掲げて去っていくダグラーリンの背中は、大きかった。
「――カンパーイッ!」
「ケネー、まだ帰ってこないのかなあ。やっぱりあいつがいないと始まらないよ」
「俺あいつに娘さんの誕生日プレゼントのアドバイスするんだった」
「あんたが? やめときなさいって。どうせ変なもの勧めるんでしょ。ケネー、ああ見えて純粋なんだから」
「わかってるって。ケネーの大切な家族だ。ちゃんとあいつが選べばいい」
「――――――――ッ」
ガタン、と椅子が倒れる音がした。近くにいた者たちがこちらを見る。しかし、ヴァルターに彼らのことを気にかける余裕はない。
歩く。酒を飲み、がやがやと騒いでいる有象無象を押しのけて、歩く。そうしていると何かに後ろから追われているような気がしてきて、ついにヴァルターは走り出した。
「……ヴァルター?」
セレナが驚いたように声をかける。が、それも無視してヴァルターは走った。広間のなかを一直線、突き抜けていった。
「…………」
ダグラーリンがいた。自分のことをじっと見据えている。でも目は合わせない。合わせたら、自分が責められているような気になってしまうから。それは今のヴァルターでは耐えられないだろう。
「――――――」
走った。走って走って、限界まで腕を振って足を動かした。息が切れるのも構わずに、この場所から逃げ出そうとした。責任から逃げ出そうとした。選択から。決断から。
――ケネーから、逃げ出そうとした。
「ハァ、ハァ、ハァ」
通路に入り込んで、しばらく走る。そして目的の扉を見つけて――周囲を確認することもなく、中へ入った。
「ハァ、ハァ」
手を膝について乱れた呼吸を整える。しかし、ヴァルターの意識はすぐに別のことへ向けられた。
「……明るい?」
部屋の中が明るい。ここはセレナの個室だ。今は誰もいないのだから、明かりがついているはずはなく――、
「……!」
そのとき、奥で蠢くものを見つけた。テーブルの奥に座り込んでいたせいでここからは視認できなかったのだ。
「……レオ」
声をかけると、黄金色の短髪が姿を現す。やはりレオだ。
「随分、早かったな」
「……」
レオは答えない。
ヴァルターがケネーに指定した時間。そこから、まだあまり経過していない。つまりそれは――。
「もう、済んだのか」
レオが立ち上がる。彼の槍は本来の長さに戻っていた。そして彼の頬には、べっとりと血が張り付いている。
おそらく、きっと、彼の血ではない。
「……ああ」
レオの声は抑揚のないものだった。それが最初からそうであったのか――最初から感情がなかったのかはわからない。彼が何を考え、どう思っているのかもわからない。
と、そのときだった。
「――!」
突然扉が開いたのだ。ヴァルターが咄嗟に後ろを振り返り、レオは槍を握りしめる。
しかしその奥に現れた姿を見て、ヴァルターはほっと息を吐いた。
「――なんだ、セレナか」
「なんだとは何よ。あなたがおかしくなったみたいに走り出したから、心配して見に来たの」
セレナが呆れたようにため息をついて部屋の中に入ってくる。警戒しながら扉を閉めるところまでセットだ。
「……って、レオ。帰ってきてたのね」
セレナがレオを上から下までじっくりと眺める。頬にこびりついた血。乱れた服。いたるところに付着している土や砂。そのどれもが、激しい戦闘があったことを証明するものだ。
だが、レオは生きて帰ってきた。今のレオという存在が何を意味するのか、ヴァルターもセレナも瞬時に理解する。
「……そう。無事に帰ってきてくれて良かったわ。安心した」
セレナが椅子に座る。彼女は軽く顔を傾けて、柔らかい表情でヴァルターとレオを交互に見た。とりあえず座ったら、ということだろう。
二人ともその気遣いに甘えて、床に尻をつける。
「……ありがとうな、レオ」
「?」
ふと呟いた言葉。思わず発してしまったというくらいの自然な感謝だった。
「ああ、いや。本当は言うべきことじゃないよな。わかってる。わかってるんだ」
自分たちは戦争賛成派などではない。アストリアの未来のために味方するべきなのは、ユージン王率いる戦争反対派だ。
そしてレオは戦争反対派としての任務を遂行したに過ぎない。本来なら感謝されるようなことではないのだ。
でも、とヴァルターはその正解を否定する。
「――でも、俺はお前に感謝したい。ありがとう、レオ。お前は俺が出来ないことをやってくれた」
数瞬の沈黙。レオはじっとヴァルターを見つめていたが、やがて気まずそうに目をそらすと、
「……別に。ヴァルターは関係ない。俺にとってあいつが邪魔だから、俺がやっただけだ」
そう言った。その言葉が彼の本心なのか、彼なりの優しさなのか。それはわからない。だが、少なくともヴァルターはレオに救われた。
自分がミスをしたのだから、本当はヴァルターがケネーを殺すべきだったのだ。それなのにレオは尻拭いをしてくれた。その小さな手を汚してくれた。
「嫌な役目を押し付けてごめん。よくやってくれたよ。本当にありがとうな」
レオが目を見開く。
気持ちが昂ったせいか、思わずレオの頭を撫でてしまったのだ。まずい、と瞬時に判断して手を離す。
さすがに今のは怒られる――と焦ったが、レオは目を開いただけで何も言うことはなかった。
「……?」
意外な反応に戸惑っていると、後ろからセレナが咳払いをした。
「とにかく、これで懸念事項は消えたわ。軽く話した感じだとダグラーリンは私たちのことを知っていないみたいだったし、もう大丈夫じゃないかしら」
「そうだな。……ケネー、俺のことをダグラーリンに言わなかったのか」
結局、ヴァルターたちとケネーの生死を分けたのはそこだった。仲間だった者を切り捨てられるか、最後まで信じようとするか。
ケネーはヴァルターを信じたかったのだろう。きっと戦争反対派などではないと。彼は自分の仲間なのだと。だからヴァルターの指示に従った。深夜、人気のない裏路地に――そんな怪しすぎる条件でも、最後までヴァルターを信じようとした。
「……ヴァルター」
セレナが心配そうに声をかける。それで我を取り戻して、ヴァルターは上を向いた。また思い詰めてしまっていたらしい。もう関わることのない、この世に存在していない人間であるはずなのに。
「す、すまん。大丈夫だ。大丈夫」
「それなら……いいんだけど」
「ああ」
笑う。出来るだけ元気に見えるように、口角をつり上げる。
「セレナ、風呂を借りてもいいか」
レオが立ち上がって言う。
「いいわよ。共同のよりここで洗った方が怪しまれないだろうし、入っていきなさい」
セレナが頷くと、レオは振り返って奥の風呂場へ向かっていった。ヴァルターは何となく、彼を目で追う。しかし見られていることを察知したのか、レオは途中で歩みを止めた。
「ヴァルター」
「……なんだ?」
背を向けたままレオが続ける。その右手には依然として、すべての闇を吸い尽くしたような漆黒の槍があった。
「正しいかどうかに正解はない。自分が正しいと思うかだ」
「――――」
彼はそれだけ言って、奥の部屋へ消えていった。
*
「自分が正しいと思うか……か」
アジトの一階部分の裏には、小さな庭があった。王城の中庭と比べれば規模はかなり小さくなるが、それでも立派なものだ。ただ周囲から見られてしまうことを避けるためか、庭を囲う柵は異常に高い。
その中をヴァルターはひとり歩いている。散歩というにはスケールが小さいが、気晴らしのようなものだ。
「正しいのかな、本当に」
アジトの外壁に寄り掛かって呟く。小さな声は冬の凍えるような大気に飲み込まれていった。
すでに夜深い。柵で覆われているため確認できないが、外は人通りがないのだろう。その証拠に、先ほどから全くといっていいほど人工的な音がしない。
「…………」
冬だからか、虫の声すら聞こえてこない。他の存在を感じ取れるのは、空に浮かぶ月と街灯から漏れる光だけ。
しかし、その孤独な状況はすぐに変わることになる。
「――ヴァルター?」
突然声をかけられたせいで驚いた。左を見れば、そこに立っていたのはダグラーリンだった。
「やっぱりヴァルターか。何でこんなところにいるんだよ? つうか、そこまで驚くこたあねえだろ」
「人間誰しも、自分しかいないと思ってた空間に誰かがいるとビビるものなんだよ」
「そうか? まぁいいか。で、どうしたんだよ」
ダグラーリンの姿を見ただけで、体に緊張が走る。必要以上に全身が強張って、額に汗が浮かび、喉がカラカラに渇いてくる。それが嫌だった。自分にはやましいことがあるのだと、もう本当にダグラーリンの敵になってしまったのだと、それを体で理解するのが嫌だった。
「……少し、外の空気が吸いたくてな。ほら、あいつら無限に飲もうとするから疲れちまった」
「ガハハハハッ。ウチは酒豪が多いからな。お前もすぐに慣れるさ」
ダグラーリンはそう笑って、そして表情を真面目なものに変えた。その唐突な変化に少しぎょっとする。
「……ケネーがよ、帰って来ねえんだ。さっきレオとは会えたんだが。何か知らねえか」
ケネー。その単語に、ヴァルターはトラウマのような恐怖を覚えていた。
もう、この世界では何の意味も持たなくなったその言葉。それなのに、しつこく執拗く、真綿で首を締めるようにヴァルターを苦しめ続ける。
それでもヴァルターは返答を吐き出した。必死に取り繕って、何も知らない顔で。
「いや、知らないな。先に家に帰ったんじゃないか」
「それならいいんだがな。今日も宴会をやるってあいつにも知らせておいたはずなんだが」
「……」
静寂。冬の静かな空気のなか、二人が黙り込む。その沈黙が痛い。
何か話題を探して話を逸らさなければ。そう頭を回すも、特に思いつかない。こうなったら天気のことでも話すか。そう思い切って息を吸う――が、口火を切ったのはヴァルターではなかった。
「オレが何で戦争賛成派なのか、お前には言ってなかったっけか?」
ダグラーリンがぽつりと呟いた。その優しくて悲しそうな響きが意外で、ヴァルターは隣の大男を覗き込む。
「聞いてないな。気になる」
そういえば、ダグラーリンが戦争を推し進めている詳しい理由を知らなかった。
普段の彼は気性は荒いものの、国民を危険に晒す戦争をしようと画策するような男ではないはずだ。
そんな彼が、なぜ戦争賛成派にいるのか――ここで聞き出しておいて損はないし、何より本心から気になった。
「オレはよ、貧民街出身なんだ」
「ああ」
その話は知っている。ハーデストとアリシアから聞いていたことだ。
「昔のアントゥークはまだ貧富の格差が大きくてな。ガキの頃は辛かった。父親はオレのことを殴り続けたあと家を出ていったし、母親は娼婦として生きたのちに子供を孕んだ。そして腹の子とまとめて殺されたんだ」
「――――」
彼の口から直接語られる壮絶な過去。それはヴァルターの両親を失った過去に勝るとも劣らない、苦しみにまみれたものだった。
それを話すダグラーリンの表情は暗い。思い出したくない過去なのだろう。しかし、「でも」と彼は言葉を区切った。
「――でも、そんなときにユージン王が即位した。あのお方は凄かった。強硬ともいえる政策で、アントゥークの格差はどんどん無くなっていったんだ。オレはユージン王に憧れて、必死に努力して近衛師団長にまでなることが出来た」
ダグラーリンの面影に光が差す。
憧れたアントゥーク王を一番近くで守る。きっとそれは、彼にとって最も素晴らしい日々だったはず。
「……でもある日、オレは知っちまった」
「……何をだ?」
額に手を当てる。彼の表情はまた重くなった。
「アントゥークの近隣には、小国がいくつか存在する。オレはその国々を訪れて、知っちまったんだ。……アントゥークの近くには、まだオレが小さいときのような貧富の格差が大きい国がたくさんある」
「……」
「子供たちが必死に働いてるんだ。畑を耕して、物資を運んで、大人たちの靴を磨く。傷ついて、涙を流して、泥水をすすって生きている。オレが生きてきた世界は他にもあるんだと、この目で見て思い知らされた」
おそらく知らなかったわけではないのだろう。ただ、ダグラーリンも信じたくなかっただけだ。ヴァルターを最後まで信じようとしたケネーのように。
自分の大好きな子供たちが、過去の自分と同じように苦しんでいる事実を受け入れたくなかった。信じたくなかった。
それでも信じざるを得なかった。その目ではっきりと見てしまったから。
「だからオレはユージン王に言ったんだ。近隣の小国たちは疲弊している。それならアントゥークが小国を吸収すれば、ユージン王の政策を適用できるって。そうすれば、アントゥークがそうだったように、あの子供たちも救えるって」
「そういう、理由で……」
「でも――。ユージン王は頑としてオレの提案を聞き入れなかった。あのお方は“アントゥーク以外”はどうでもいいんだ。あれだけ有能なのに、その力を周囲に及ぼそうとしない。アントゥークが進攻して領地にしてしまえば、ユージン王の力で他国の子供たちも幸せにできるはずなのに」
言葉が出なかった。だって、ユージン王も、ハーデストとアリシアも、自分にそんなことは一度も告げなかったから。いや、ハーデストは言おうとしていた。王城の中庭で話したとき、アリシアがそれを止めたのだ。
「――正直ショックでした。彼は、アントゥークを第一に考えている素晴らしい武人だと思っていたから」
ハーデストの言葉が思い出される。
ダグラーリンはアントゥークを第一に考えているのではないし、苦しめようとしているのでもない――もっと広い視点で物事を見ている。
彼は他国を、他国の子供たちを――「戦争」という形で救済しようとしている。
「……それは、他の賛成派の人たちもダグラーリンみたいに考えてるのか?」
「人それぞれだ。オレと同じように子供たちを救いたい奴もいるし、子供たちのこと関係なしに本気でアントゥークが領土を広げるべきだと思ってる奴もいる」
「……ケネーは?」
「あいつはどれとも違うだろうな。ケネーはオレと同じ貧民街出身なんだ。だからオレの気持ちを理解してくれて、オレについて行くって決めてくれた」
「……!」
ヴァルターの両目が見開かれる。
ああ、そうだったのか。ケネーも、ダグラーリンと同じ目的で生きていたのか。
それを自分は――あっけなく、殺してしまったのか。
子供を救いたがったダグラーリンを支持したケネーは、皮肉にもその子供に殺されたのか。
「――確かに戦争をすれば互いの兵士が死ぬ。でも、オレやユージン王、ハーデストやアリシアがいれば被害は最小限に済ませられるはずだ。戦争せずに大勢の子供が死んでいくよりマシだ。……死ぬやつが少なくて、幸せになるやつが多いほうが良いに決まってる」
ダグラーリンが続ける。その表情は上手くいかないことに苛立つ子供のようだった。
「なあ、ヴァルター。これは理想論だ。でも、オレは、この世の誰か一人すらも理想論を追い求められないような世界は、嫌だ」
「――――」
「嫌なんだ……オレみたいなやつらが、また……」
そこで言葉を切って、ダグラーリンは下を向いた。あふれんばかりの激情を抑え込むように。
そして彼は顔を上げた。そして彼は名を呼んだ。信じている仲間であるはずの、自分の名を呼んだ。
「ヴァルター。お前は本当に戦争賛成派か?」
「――――!」
突然の質問。ヴァルターが不意に左を見やる。ダグラーリンと目が合う。
「別に疑ってるわけじゃあねえよ。ただ、聞いておきたいんだ、お前の口から。オレと共に戦えるやつなのか、知りたいんだ」
その目は本気だった。にじんだ瞳の奥には、確かな光が宿っている。その決意を、闘志を、意志を――真正面から受け止めて、ヴァルターの心はひるむ。
「ヴァルター。――お前の正義はどこにある」
自分は正しいのか? 正しいに正解はあるのか? 正義とは、なんだ?
自分は本当に、戦争反対派であるべきなのか?
「俺は――――俺は、」
その瞬間だった。
ごきゅり。
「――――――!?」
何かに、何者かに、背中から異物を入れられた。後ろを見ようとする。だが体が動かない。時が止まったように体が固定されて動けない。
ダグラーリンはまだ目の前にいる。じゃあ、誰が。
「なに、が――――――」
目をぎょろぎょろと移動させて、やっとのことで視界の端に何かを捉えた。
帽子を被っているせいで、それが誰かはわからない。
だが、ヴァルターがその人物を――ヴァルターの後方から、背中へ手を突っ込んでいる人物を目にした瞬間、ある一つの可能性に思い当たった。
否、可能性ではない。確信だ。
これは、この感覚は、そう――――、
「“介入者”――――――――――――!」
意識が朦朧としてくる。視界が揺らいで、音も聴こえなくなっていく。
ただ、自分の目の前にいたダグラーリンがもう一度こちらを見て、悲しそうな顔で呟いたのだけは聞き取れた。
「――ごめんな、ヴァルター」




