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革命せよ、革命せよ、革命せよ  作者: 望月喬
第一章 アストリア編
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第6話 「革命の胎動」

 覚醒して目に入ったのは、見知らぬ土色の天井。


「あ、れ……」


 呟いた言葉が思った以上に響いたので少しギョッとする。

 ここは何処なのか――横になった体を起こそうとするが、太い針を刺されたようにもたげた首が痛んだ。強い痛みに呻きをあげながら何とか無理して上体を起こす。


「何だ、ここ」


 壁は天井と同じく土色の頑丈そうなもので、振り向くと寝心地など少しも考慮していないような簡易なベッドに、汚れた便器。そして、目の前には黒々とした檻。猛獣を閉じ込めるのに使いそうな物々しさを孕んでいる檻だ。


「……地下牢獄ってとこか」


 ヴァルターは体の節々の痛みを我慢しながら立ち上がる。床があまりにも冷たくて、背中をつけているのが辛かった。しかし立ち上がってみればそれはそれで、


「う!?」


 今にも失神しそうな激臭がヴァルターの頭部を漂い始めた。

 いや、始めたのではなくヴァルターが目を覚ましたときからこの臭いはずっとあったのだろう、周りの景色を見ればそれがよくわかる。


 檻の隙間から殺風景な牢獄の景色を覗くと、まず通路を挟んだ向こう側に死体の山が築かれていた。

 加えて通路の隅には大量の糞尿が盛られており、その上を何匹もの羽虫が気味の悪い音を立てて飛び回っている。

 清掃係が真面目に掃除していないのはひと目でわかるが、それでもあの適当に排泄物を隅っこに追いやったようなやり方は度を超えているだろう。

 意識した途端急激に吐き気を催し、牢の冷たい床に吐瀉物をぶちまけた。数歩先の便器まで耐える余裕すらないほどの臭い。正直生き地獄のようなものだ。


 生き地獄――――?


「――!」


 そんな些細なもので、ヴァルターの記憶は呼び起こされた。

 痛み。寒さ。苦しさ。不自由さ。痛み。

 途切れ途切れの記憶ではあるがあそこまで辛かったのはこの17年で確実に初めてだろう。


「何だったんだあれは……病気、って感じでもなかったし」


 確かに体も蝕まれていたものの、何よりヴァルターの脳に刻まれているのは精神的な苦しみであった。


「わけわかんねぇキツさでおかしくなって……それで俺、どうなったんだっけ」


 正直思い出したくないことではあるが、意識が途切れる直前の記憶を引っ張り出そうとする。体が言うことを聞かなくなって、アンナが自分の名を悲痛な面持ちで叫んでいて――。


「アンナ」


 呟きながら、周りを見回す。臭いと状況整理で頭が追いつかなかったものの、やっと赤毛の優しい彼女がこの場にいないことに気がつく。

 おかしい。自分の記憶が正しいなら、アンナも隊長と兵たちに捕まったはずだ。それなのに自分と同じ牢に入っていないとはどういうことなのか。

 一瞬男女で別にしている――とも考えたが、この不衛生を放っておくのだからそんなことまで考慮しているわけがない。


「――クソ! おい、ここから出せ! アンナは無事なのか!」


 ヴァルターが檻を叩き、金属の重低音が地下牢獄に響き渡る。

 他の牢に収監されている獄人たちがこちらを迷惑そうに睨みつけてくるが、そんなことには目もくれない。勿論、体中の骨にヒビが入ったような激痛もすべて無視である。

 右手の甲が青くなるのも構わずに檻を叩き続けていると、突然フッとヴァルターの牢の前に細身の男が現れた。驚いてうわっ、と素っ頓狂な声をあげ尻餅をつく。

 何の前触れもなく本当にその言葉の通り「現れた」男は、灰色の髪にきりっとした目で、少しミステリアスな雰囲気を醸す美青年だった。美麗な筋肉を備えた腕には戦いによるものだろうか、大きな傷跡が存在を主張している。


「ヴァルター・アインハルトですね。出てください」


 その男は優しげな声でそう言うと、懐から鍵のようなものを取り出した。

 それをヴァルターの牢の扉に付けられた錠に差し込むと、ガチャ、という心地よい音と一緒に扉が開く。

 男はヴァルターをじっと見ているが、当のヴァルターには彼の行動の真意が察知できない。自分は勝手に王城に侵入しこの地下牢に入れられた、つまり罪人である。その罪人をこんなにも早く釈放するとはどういうことなのか。


「まさか死刑確定……とかじゃないですよね」


「いいえ。それは違います」


 ほっとしたヴァルターが牢から出たのを見て男が扉を閉める。

 狭い牢獄から放たれたのはいいものの、いざ広い通路に立つと臭いがとにかく酷い。

 牢内からは角度的に見えなかった所にも、大量の黒茶の汚穢が捨て置かれている。空気自体がヘドロと化しているような不衛生の極みであった。

 しかし灰色の髪の男は、この汚染を気にする素振りも見せずに言葉を続ける。


「私はスチレット・ダガー。アストリア兵士です。――ヴァルター・アインハルト、イグナーツ様がお呼びだ」


「イグナーツ……? というか何で俺の名前を、ってちょっと、待っ」


 ヴァルターの質問にも答えずにスタスタと歩いていくスチレットを駆け足で追いかける。

 牢にぶち込まれてからこんなにも早く出てきた人間というのは多分自分が初めてだろう、と思いながら。


 スチレットに連れられて入ったのは、王城内の一室、それも書庫探索中に覗いたものよりも格段に豪華絢爛な部屋であった。見慣れない金属の輝きに目が回る。


「連れて参りました」


「ああ。ありがとう」


 ヴァルターが部屋の中を見回していると、奥の方にあるソファに見慣れた後ろ姿の少女が腰を下ろしているのが見えた。アンナだろう。

 無事だったことに安心して思わず名を呼ぼうとするが、ヴァルターには彼女よりもその奥――テーブルを挟んで、アンナの座るソファと向かい合わせになったもう一つのソファに腰掛けた、見たことのない男が目に入った。


 黄色を薄くしたような色合いの短髪に、動きやすそうな軽装。顔だけを見れば真面目で堅実といった印象を受ける。

 すると男は自分をジロジロと観察するヴァルターに目を合わせ、


「急に呼び出してすまないな。座ってくれ」


 と外見に相応しい穏やかでいて重厚な響きを持った声で言った。

 ヴァルターは言われるままにアンナの隣に座る。


「ヴァルター・アインハルト」


 突然名前を呼ばれてつい背筋が伸びる。面と向かってみてやっとわかったが、この男もハザと似たような威圧感を体から放っていた。素人でも感じ取れるのだから彼もかなりの腕を持つ歴戦の戦士なのだろう。


「改めて、突然連れ出してすまない」


「あっ、いえ。正直あの臭いの中じゃとても耐えられな……」


 はっ、として途中で言葉を止める。男の素性は知らないが彼もこの王城で働いているということはスチレットの言葉遣いやここにいることから予想できるので、仮に牢獄だとしてもそれをずけずけと悪く言うのは失礼だ。もう遅いが。


「構わない。私もあの臭気芬々たる地下牢はどうかと思っているよ」


 姿勢よく腰掛けた男はヴァルターの心情を読み取ったようで、目を細めながら言った。その様子にヴァルターは胸をなで下ろす。


「自己紹介が遅れたな。――私はイグナーツ・アルトマン。ハザ・エシルガ王直属『騎士』の片割れだ。宜しく頼む」


「宜しくお願いします……イグナーツ、さん。えっと、騎士?」


「あなたアストリア騎士も知らないの!? 常識よ!?」


 突然隣のアンナが声を上げる。詰問口調で自分の無知を責めるその様はいつも通りで、安心。


「なんで笑ってるのよ……」


「いや。元気みたいで良かったなって」


「バカにしてるの?」


「まぁまぁ。騎士については私から説明しよう。それとスチレット、紅茶を彼にも頼む」


 ヴァルターとアンナのやり取りを聞いたからなのか、少し表情を緩めたイグナーツから騎士についてと事の顛末を話された。


 まず騎士というのは、アストリア兵士の象徴たる存在で、国内で一度に二人しかなることが出来ない役職らしい。つまりは大変名誉なお勤めということだろう。

 二人の騎士はハザの直属になっていて、簡単な構図としては一番上にハザがおり、その下に騎士、その下に二人それぞれに所属している部隊が数隊ずつ、その部隊の下にまた小さな部隊……というふうな上下関係のわかりやすいピラミッド型である。

 ヴァルターを連れてきたスチレットは騎士の下に位置するイグナーツの部隊の隊長だそうだ。かなりの兵者ということになる。

 丁度ヴァルターを叩きのめした白髪まじりの隊長も同じ程度かと思い尋ねたが、あの男は隊長ではあるもののスチレットより一つ下の隊の長らしい。

 あの中年の隊長にすら勝るスチレットやイグナーツがどれだけの腕を持つのか、ヴァルターには計り知るのも恐ろしかった。

 次に、ヴァルターが何より聞きたかったこと――自分が倒れた後の出来事である。


「単純な話だ。君が倒れた後、兵たちが君をこの城の地下牢獄に収監した。その後私はハザ王から事の始終を聞き、スチレットに牢の見回りをしてもらった。そしてアンナが先に目覚めたので君と同じようにここに来てもらったのだ。それから彼女に名前を聞いて、ヴァルター・アインハルトの名も教えてもらい、君も目覚めて今に至る」


「なるほど…………いや、すみません、ちょっと待ってもらってもいいですか」


「ああ」


 イグナーツが頷くのを見て、ヴァルターはアンナに耳打ちで話しかける。


「今のでわかったか? 俺は正直世界で一番早く釈放された人間が俺じゃなかったことしかわからなかった」


「私もわからないわ。後半に関しては思う節があるからスルーしておくけど、そもそもこの人何がしたいのかがサッパリなのよ。私たち罪人でしょう? いくら騎士でも罪人を勝手に連れ出すなんて」


「――それについても、しっかりと話そう」


「聞こえてた!」


「バカ! それも聞こえてる!」


「それもな」


 耳打ちの顔を近づけた状態から一転して、二人揃って背筋がピンと伸びた。というより伸びさせられた。

 と、イグナーツは先程よりも真剣な面持ちになって、


「――『パクス=グレイツの宝玉』を、読んだな」


 今までで一番の低い声で、そう呟いた。

 彼の急激な声音の変化に恐怖を覚えたヴァルターは、喉の渇きを癒そうと唾を飲み込む。しかし一向に渇きはなくならない。

 それどころか余計に、喉の両壁が貼り付いたような不快感がこみ上げる。スチレットが淹れた紅茶と一緒に自分の体温も冷めていくように感じた。


「読み、ました」


 黙って返事をしないヴァルターの代わりにアンナが返答する。

 するとイグナーツは暫時考え込むように腕を組んで下を向き――ふと顔を上げた。思わず体が驚いて反応する。


「君たちは、ハザ王とあの書のハザが同一人物だと思うか?」


「え――」


 唐突で予想だにしない問いに、ヴァルターは雷に打たれたように驚愕し、絶句した。

 アンナも口をあんぐりと開けて目を見開いているその様子を見る限り自分と同じ心持ちなのだろう。

 王の最大の信頼を受けるのであろう兵士の中の兵士、最高役職の騎士。その騎士の一人が、犯罪者へ王の沽券に関わる質問を投げかけた。それだけで十分に異様なことである。

 彼はこれから、自分たちと何を話そうとしている――?


「――思います」


「ヴァルター!?」


 長考の末、ヴァルターが辿りついた結論は正直に話すことだった。

 ここで変に裏を読んでも、もし見抜かれたときに自分とアンナが騎士に太刀打ちできるわけがない。

 大人しく白状して、命だけは守り抜く。あの牢獄に戻るのは辛いが、正直に言えば釈放までの期間が早くなるかもしれない。

 ……王の超秘密事項を知ってしまったこの身に殺されない選択肢があるのかと問われればそれまでだが。

 何はともあれ、ここで嘘をつくのは悪手でしかない。故に、ヴァルターは覚悟を決めた声で答えたのだった。

 しかし、正直なのはある一つの点を除いて。


「ハザ王の政治はまさに『パクス=グレイツの宝玉』に登場するハザのような酷いものばかりです。そして名前が共通している――俺はハザ王がアレンと戦ったハザ本人だと思います」


 ――ハザ自身が自ら暴露したことだけは隠した。

 これだけは自分の口から話すべきではないと思ったからだ。イグナーツがヴァルターらとハザの邂逅を知っているとしても、ハザが部下に自らの正体を明言しているとは考えにくい。

 それにヴァルターの読みが当たっているのなら、イグナーツからしてみれば犯罪者がでっち上げたただの嘘にしか思えないだろう。無駄な怒りを生むだけだ。


 王を伝説の悪役呼ばわりした反逆者を再び牢屋送りにする――と思いきや、イグナーツはまたもやヴァルターの予想を遥かに上回る言葉を放った。


「――やはりな。実は私も前から、そうなのではないかと疑っていた」


「――――!?」


 衝撃。鉄の槌が体を打ち付けるような衝撃である。

 騎士が仕えている王のことを、忌み嫌われる対象であるはずの存在だと疑っていた? 冗談でも言ってはいけないレベルだ。


「私も君と同じ考えだ。ハザ王の悪政は度を超えているし、名前が一致している。そして、自警団所属時のハザ・エシルガという人間の詳細な出自が未だ不明のままなことに加え、書庫に入ることどころか警護することは騎士のみしか出来ないという秘匿性にも優れた警備方法」


「ちょ、ちょっと待ってください。あなたは騎士でしょ? なのにどうして」


「そもそも私が兵士になったのは、元アストリア国王マクシム様に選抜されたからだ。私が故郷の街で近くの盗賊団を退治したり色々と暴れていた頃、その噂をお聞きになったマクシム様が私を兵士に取り立てて下さった。それからこの王城で働くようになり、そして騎士になったのだ。――つまり」


「……つまり?」


「現国王ハザ・エシルガには、忠誠心は無い」


「い、言い切った」


「――とはいえ、もしハザ王が賢王だったならば忠誠を尽くしたがな」


 言って、イグナーツは咳払いを一つして冷めてしまった紅茶を飲み干した。


「それでだが」


 それで。まだ話すことがある――本題はこれからとでも言うのだろうか。ヴァルターも紅茶を一気に飲んで、喉を潤わせておく。


「私はハザ・エシルガを倒す――クーデターを起こそうと思っている」


「――――は」


 絶句。


「言ったろう? 君と同じ考えだと」


「……もう一度言ってもらってもいいですか」


「王を倒す。そして、君たちには私に力を貸してほしい」


「――ソレさっき聞いてねぇ! さらっとクーデターに巻き込まないで!?」


「王に直接宣戦布告したのは君だろう」


「それはそうなんですけど……」


「ヴァルター・アインハルト」


 改めて名前を呼ばれて、またもや背筋が伸びる。この男の呼名には不思議な力でもあるのだろうか。

 イグナーツはヴァルターを鳥が獲物を狙うような強い瞳で見つめる。思わず逸らしたくなるのに、何故か逸らせない不可避の眼光。まるで巨大な蜘蛛の巣にかかったみたいに身動きが取れなかった。多分、自分が頷くまでこの目を離さないつもりなのだろう。

 この短時間で何となく彼の人当たりがわかった。真面目で堅実、気遣いも出来るがしかし――どうやらヴァルター以上の頑固である。

 ヴァルターはハァ、と深く息を吐き出して、


「……わかりました。どうせもう戦うことは決意したんですから、あなたについて行きますよ。それに」


「……それに?」


「あなたが、ファンティーレを襲ったイスニラムの部隊を退けてくれたんですよね。どこかで見たと思ったんですけど、やっと思い出した」


 あの時、放心したままアンナに引っ張られて、家まで逃げる途中に見た薄い黄色の髪をした兵士。それが先ほどの彼の強い目を見たとき、あの兵士が今目の前に座る精悍な騎士だと確信した。


「そうか、君はファンティーレの……あれは、災難だったな」


「……あの戦闘で母親は死にました。でもあなたが来てくれたから犠牲者は少しで済んだ」


「あの女性が、君の母親」


 イグナーツは目を見開いて言うと、テーブルに両手をついて頭を下げた。


「すまなかった……彼女を助けられなかった」


「あなたが悪いんじゃありません。――元凶はハザだ。だから、力を貸します。微力ですらないけど」


 冗談にならない自虐を言って、苦笑する。

 イグナーツは顔を上げ少しの間逡巡したようではあったが、やがてその表情は双眸を細めながらにこやかなものに変わる。


「……本当にありがとう。アンナは……」


 イグナーツがアンナに目線を移す。二人の会話にあまり口を出してこなかった彼女だが、意外にもヴァルターのようには悩まなかった。


「振り回されるのはヴァルターで慣れてるのでお構いなく。私はヴァルターが選んだ方に行きます」


「感謝するよ。良い伴侶だな」


「ばっ! 伴侶じゃないから!」


「イグナーツさん。本当に信じていいんですね?」


 赤くなっているアンナは置いておき、ヴァルターがイグナーツに確認をとる。

 それに対してイグナーツは大きく頷き、


「勿論だ。それと、これからはハザを倒すために運命を共にするのだから『さん』はいらない。敬語もやめてくれ。――スチレット」


「はっ」


 イグナーツが部屋の扉の横に立って成り行きを見守っていたスチレットの名を呼ぶと、スチレットは威勢の良い返事とともに左膝を立ててその場に跪いた。

 まるでそれこそ王に忠誠を誓う時のようなその姿勢のまま、彼は右の手のひらを床につける。

 すると、ヴァルターが一つ瞬きをした次の瞬間、スチレットの姿は跡形もなくその場から消えていた。


「え?」


 ポカンとしていると、数秒後先ほどと全く同じ位置にスチレットが現れる。体勢も彼が忽然といなくなったときと全く同じものである。

 しかし、唯一違ったのはスチレットの床につけていない方の手、左手に袋を持っていた。

 スチレットはソファから立ち上がったイグナーツにその袋を手渡すと、イグナーツがヴァルターにそれを差し出してくる。

 袋には硬貨と剣、携帯食料がヴァルターとアンナの二人分入っていた。


「これ私たちが持ってた物よ。無いと思ったら、やっぱり捕まった時に没収されてたのね」


「他の兵たちが処分する前に回収しておいた」


「おお、ありがとうござ……ありがとう、イグナーツ」


「ああ。それではとりあえず、ヴァルターとアンナは今すぐにここから南西に行ったところにあるテオスという街に向かってくれ」


 私も一週間後には合流出来るようにする、とイグナーツが言うと、彼は扉の方に向きを変えて、


「スチレット。二人を頼む」


「はい」


「――待ってください」


 そのまま取っ手に手をかけて扉を開こうとしていたイグナーツをヴァルターが止めた。イグナーツがこちらを振り返る。


「敬語はよせと――」


「俺たちはハザから、直接ハザ・エシルガ王が伝説のハザと同一人物だということを聞きました」


「――な」


「ハザは一人で王家を殺害して、その罪を闇商人に被せたそうです」


「――――」


 イグナーツの形相が怒りのものへと変わっていく。彼はそれを隠すように下を向いて、凄まじい感情を何とか押し殺すように震えた声で呟いた。


「何故先ほどそれを言わなかった」


「もしハザが騎士にも本当のことを伝えてないなら、信じてもらえないと思ったんです。でも本気でハザを倒そうとしているあなたを見て、言っても大丈夫だと判断しました」


「――――そうか」


 イグナーツは囁くと再び後ろを向いた。そして、


「必ずハザを討つ。力を貸してくれ」


 力のこもった響きで言った。表情は見えない。しかし彼の覚悟は深くヴァルターの目に映る。


「ああ。――イグナーツ」


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