第55話 「動乱初日」
大きな瞳に光を宿して、何かを言った男。その右手に握られたハルバードはもはや下を向いており、敵意などどこかへ霧散していた。
「……何だって?」
「だから、オレたちの仲間に入らねえかって! お前、見たところかなり強いだろ?」
「つ、強い?」
今までの人生でそんな評価は一度たりとも受けたことはない。確かにイグナーツから剣技や体技を伝授され、自身のものに加えて宝玉のルガルも手に入れてはいるが、それでもヴァルターには自分が強いとは思えなかった。
「何を言ってるんだ。俺なんか」
「お前こそ何言ってんだ? オレの見立てを甘く見るんじゃあねえよ」
男はもう完全に戦意を喪失してしまったようで、ハルバードを近くの壁に立てかけている。銀色や赤色で着色された荘厳な槍斧をよそに、その両腕は頭の後ろに移動していた。
彼の顔は冗談など言っていないというふうに穏やかで、本気で自分を勧誘していることが伝わってくる。
ヴァルターはそれを見て呆れたようにため息をつくと、
「……あんたが誰なのか知らないけど、俺は忙しいんだ。仲間とやらになる暇はない」
そう頭を振って断った。男がどんな反応をするか気になったが、彼は珍しいものを見たかのような顔をしてヴァルターを見つめていた。
「……なんだよ?」
「いや、お前、オレを知らないのか?」
「知らないけど」
「……マジかよ」
信じられない、とでも言いたげに身をのけぞらせる男。そうまで大仰に振る舞われても、知らないものは知らない。
と、男は咳払いをして仕切り直すと、その長躯からぐわんと腕を広げて名乗り上げた。
「オレはアントゥーク王ユージンが直属、アントゥーク近衛師団長ダグ・ラーリン!」
「近衛師団長……?」
「ああ。みんな繋げてダグラーリンって呼んでるぜ」
近衛師団――つまりは最も近い位置で国王を守る兵団だ。その長となれば、軍の中ではトップといってもいい立ち位置である。確かに国内では知らない者のほうが珍しいくらいだろう。
ただ、アストリアにおいて似た存在だろう“騎士”を担当していたイグナーツは、民衆に顔を知られているわけではないようだった。みな役職の名前やその名誉の大きさなどは理解しているが、本人の素性まではよくわかっていなかったのだ。
だからヴァルターは疑問に思った。それならば何故、ダグラーリンはあそこまで知名度が高いのだろう、と。
「――あ、間違えた!」
「へ?」
ダグラーリンが突然声を張り上げたので、思考にふけっていたヴァルターの体が跳ねる。
「元、近衛師団長が正しい。いやすまん、この名乗りが癖になっちまってんだ」
「元……?」
「ああ、元だ。今は剥奪されちまってる。ははは」
「それってどういう――」
「ヴァルター!」
ヴァルターが話の続きを促そうとしたとき、予想だにしなかった方向から声が投げられた。弾かれたように声の主を見やると、周りに群がっていた集団の中から飛び抜けて背の高い男が現れる。
「イグナーツ」
イグナーツの後ろから、ヴェリとアンナも出てくる。一目散に飛び込んでしまったヴァルターに危険が迫っていると考えて、アンナが二人を呼びに行ってくれたのだろう。
「無事か? 何があった?」
「ヴァルター、怪我はない?」
イグナーツとヴェリが口々にヴァルターを心配してくる。ありがたいが、少し過保護というものだ。
「大丈夫だ。何ともない」
「本当に? あの人、何だか暴れてたみたいだけど」
アンナが言いながら、ヴァルターの頬についていた木片を払った。その慣れた手つきはもはや母親を彷彿とさせるものである。
「大丈夫だって。とにかく――」
「とにかく、退散するぞ」
ヴァルターが言い終わる前にイグナーツが目線で合図した。もちろん、踵を返す直前にダグラーリンを睨みつけることを忘れずに。
ヴァルターもそれに続いて、群衆の中へ戻っていく。しかしどこか友好的だった彼に何も告げずにこのまま去るのは気が引けて、一度だけ振り向いた。
「あー……すまん。こういうわけで、俺には無理だ」
ダグラーリンは何が何だかわからないというふうに首を傾げて頭をかいている。こちらとしても結局彼が何をしていたのかよくわからなかったのだからお互い様だ。
好き放題に暴れ、叫び、物を破壊していた元近衛師団長。彼が何のためにあんなことをしていたのか、少なくともヴァルターは知りたかった。
*
「一体何だったんだ、あいつは」
集合場所に向かう道中ヴァルターがぼやく。一連の騒動に巻き込まれた(ヴァルターに至っては自ら首を突っ込んだ形ではあるが)せいですっかり日は沈み、夜空には星が瞬いていた。
すると集団を先導していたイグナーツが振り返り、
「私もアントゥークの内情に詳しいわけではないから、わからんな」
「元近衛師団長ね……アストリアで言う騎士みたいなものなのかな」
「それは俺も思った。ただ、イグナーツほど民衆への認知が低くないんだ。……あ、いや、別にイグナーツを貶しているわけではなくてだな」
「承知している。そもそも私は他人からの認知など必要としていないからな」
「器の広さが数段上ッ……!」
「でもとにかく、無事でよかったわよ」
頭を抱えるヴァルターに、隣を歩くアンナが苦笑する。
彼女の着ている赤色の外套は、ファンティーレを発ったときより少し悪くなっている気がする。長い旅に加えて度々発生する激しい戦闘のせいでほつれも出てきていた。彼女も年頃の女性だし、そろそろ新しいものを買ったほうがいいだろう。
「ヴァルター、聞いてる?」
「ん、ああ。聞いてるよ。外套の話だろ?」
「え? ああ、街灯ね。さすがはアントゥーク製なだけあって質がいいわよね」
「うん。アンナもそろそろ必要だろ」
「へ? いや、私あそこまで大きいのはいらないけど。でも小さいのがあったら便利だなって思うわ」
「もうサイズを確認したのか。まぁアンナはそこまで身長高くないもんな」
「ええ。夜とかにあればきっと重宝するわよ」
「確かになあ。夜は寒いもんな」
「……? そうね。手をかざせば暖かいものね」
「俺は手を突っ込みたいけど」
「勇者ね……?」
「そうか?」
「そうよ」
「……お二人さん、絶妙にすれ違ったまま会話を終えるのやめてくれない?」
ヴェリが微妙な表情で言う。なぜかはわからないが、まるでどこが痒いかわからないのにずっとどこかが痒いときのような顔をしていた。ちなみにヴァルターでもそれがどんな顔かよくわからない。
「すれ違う……? 何がだ?」
「別にそんなことなかったと思うけど」
「あったよ。すごいあったよ。もう聞いているこっちが気持ち悪くなっちゃったよ」
「なにそれヴェリひどい」
「僕が悪いの……?」
よくわからないが、ヴェリにとって気に食わないことがあったのだろう。そんなことは集団生活をしていれば嫌でも起こりうる。仕方がないのだ。
「ほら、ついたぞ。セレナたちもいるようだ」
まったくくだらない、とでも言いたげにイグナーツが振り向く。
彼が指さした先には王都の案内が書かれた地図が貼られている看板がある。その横にはセレナとフィリーネがいた。
看板の裏には黄金色の髪が見え隠れしている。レオも既に単独行動から戻っていたのだろう。
「遅かったじゃない。何か問題でもあったの?」
セレナが小首を傾げて尋ねてくる。それに対してヴァルターは苦虫を嚙み潰したような顔をして言い淀んだ。
「いやー……まぁ、ちょっと色々巻き込まれてな」
「あなたは自ら巻き込まれにいったでしょ」
「おっしゃる通り……」
アンナの指摘にたじろぐヴァルター。その顔はしわくちゃの渋面になっていた。
「何かあったんですか?」
フィリーネがぴょこんと顔を出して言う。彼女の頬は少し赤みがかっていた。ずいぶん楽しい時間を過ごせたらしい。
「ヴァルター、元近衛師団長に絡まれちゃったんだよ」
「? わかるように言ってもらっていいかしら?」
「ちょっと全然状況が掴めないです」
「おっしゃる通り……」
さらに顔をぐしゃぐしゃにするヴァルター。今となっては自らの肥大した正義感が恨めしい。
これ以上黙っていると好奇心旺盛な彼女たちに追及されそうだったので、ヴァルターはわざと体を看板の裏へ運ぶ。
「レオは珍しく問題を起こさなかったみたいだな」
「ヴァルター、年下を利用して話題をずらすのってどうなのよ」
「ちょっと黙ってて!」
アンナの突っ込みを華麗に回避しながら、ヴァルターは再びレオに向き直る。「で、どうなんだ?」と軽々しく問われたレオは世界を敵に回したかのような不機嫌な顔をしていた。いつも通りである。
「……うまかった」
「うま? 乗ったのか?」
「は?」
「え?」
「どう考えてもあなたの会話能力に問題があるでしょ、ヴァルター」
「アンナも人のこと言えないと思うよ……」
「え?」
ヴェリの控えめな指摘にアンナが振り向く。何だか面倒なことになっているが、あまり気にしない。
「で、馬がどうした?」
「もしかして本気で聞き漏らしてるの?」
「うまかったって言ったんだ」
レオがさらに表情を歪めて呟く。呟くというより吐き捨てるに近いだろうが。
「ああ、なんだ。なに食ったんだ?」
「……ェ」
「なんて?」
「……パフェ」
レオが目線をそらすのと同時に、ヴァルターが目を見張る。
「うそだろ。レオがパフェを食うなんてあり得るのか」
「別に確率の話じゃないでしょ」
「いやそうだけど。想像できないっていうか」
「悪いか」
このぶすっとしたレオがパフェをつついている姿というのは想像しがたい。でも、彼だってやりたいことはちゃんとあるのだ。ヴァルターにはそれが少し嬉しかった。
もちろん小恥ずかしいので直接伝えるわけではないが、ヴァルターはその気持ちを表情に乗せて首を振った。
「別に悪かねえよ。というか金はどうしたんだ?」
「イグナーツにもらった」
「何だよレオだけずるいな」
「軍での活躍の差だ」
「実績で待遇が変わるの反対! 金は一旦リーダーに預けよう!」
「ヴァルターに預けたらどこで無くされるかわかったものではない」
「イグナーツ、せめて使い込むとか言ってくれ。どこまでも無能感がすごい」
そろそろ革命軍のリーダーとして威厳が欲しいところではあるが、威厳を持ったら持ったでそれはもう自分ではない気がする。
最近はイグナーツの影響で変化してきているとはいえ、何年も付き添ってきたこの性質はそう容易に手放せない。
と、少々遅れたものの無事に合流できたアインハルト軍は、なんとはなしに足を動かす。行き先は勿論アントゥークでの日々を過ごすことになる宿だ。
「セレナとフィリーネは何をしてたの?」
向かっている途中、沈黙を持て余したヴェリが話を振る。
仲間たちには気を許しているし、別に沈黙が降りていても気まずくはない。しかし宿屋までの道は街灯が少なく薄暗いため、誰かが喋っているというのは何となく安心感があった。
「そりゃ私がしっかりエスコートしたわよ。完璧にね」
「中身が何一つ伝わってこねえな、フィリーネ」
さらりと聞く相手を変えられたことにセレナが異議をとなえているが、ここはあえて無視する。
話の矛先を向けられたフィリーネは顎に指を当て、「ええと」と可愛らしく目線を宙にさまよわせた。ヴァルターたちと別れてからの行動を思い返しているらしい。
「おしゃれなカフェでお茶をして、ベーグルを食べて、崖で一休みして、城下町の通りにあるお店で夜ご飯を食べました」
「すごい食べてるじゃない」
「どれも美味しかったですよ」
「楽しかったわよね、フィリーネ」
「楽しかったです!」
フィリーネがセレナと顔を見合わせ、花が咲いたような笑みを浮かべる。セレナが少し羨ましいが、ちゃんと束の間の休息を楽しめたようでなによりだ。
と、ヴァルターが麦わら帽子の彼女を微笑ましく眺めていると、視界の端でちょこちょこ歩いていたレオがフンと鼻を鳴らした。
「きっと俺が食ったパフェが一番うまかった」
「いや、自分が食ったもので張り合うんじゃねえよ。お前は何でそういつも何かと戦ってるの?」
「ふっ」
「褒めてねえよ。何だそのドヤ顔。ほんとその癖やめとけよ、絶対あとで思い出して辛くなるタイプのやつだぞ」
「ヴァルターにはそんな経験があるのか」
「そりゃあるさ。使いもしねえのに剣を買って振り回してみたり、自分オリジナルのルガルを考えて毎夜妄想を巡らせたり……いや言わせんなよ!」
「言わせてない。こう聞けばお前は勝手にべらべら喋るだろうと思ってた」
「それを言わせたって言うんだよ! 確信犯!」
ヴァルターの憤慨に対してレオはうんともすんとも言わない。つい先ほどまで自慢げに歪められていた彼の唇は既に尖っており、ぶすっとした顔を取り戻していた。
やはり自分はレオを不快にさせることに関して優れているらしい。ただ、大体こちらもダメージを負うので諸刃の剣である。
「そうだ、さっきフィリーネが言ってたけど、このあたりに崖なんてあったの?」
助け舟と言えるかは怪しいが、ヴェリがすかさず話題を変える。彼はこうした細かい気遣いが上手い。ぜひともレオにも見習ってもらいたいものだ。
「ありますよ。ええと」
「王都の奥に入ったあたりにあるのよ。この時期はちょっと寒いけど、海からの風が吹いてきてて雰囲気が良かったわ」
「海自体は覗き込まないとよく見えないんですけどね。崖の先に人の背丈くらいの壁が立っていて」
「そうなのか。落ちないためか?」
「順当に考えればそうなのではないか。もしくは、過去に何らかの建物が存在していたのかもしれないな。それの名残かもしれん」
イグナーツが目線だけをこちらに寄越して言う。彼は相変わらず集団の最前を歩いていた。
しかしその丁寧な推測に対して、ヴァルターの返事はあまり気持ちがこもったものではない。正直に言えば崖にそびえ立つ壁のことなど興味がなかった。
「まぁ色々理由があるんだろ。そんなことより――」
適当に話題を変えようとしたヴァルターの言葉が不意に止まる。その異変を感じ取ったアンナがこちらの様子をうかがった。
「……ヴァルター?」
突然口をつぐんだヴァルターは、眉をひそめて前方を眺めている。しかしそれは、その前に立つイグナーツも同じだった。
「何者だ?」
イグナーツが声を発する。それは、アインハルト軍の前から歩を進めてきていた一人の男に向けられていた。
「兵士……か」
男は深々と帽子を被っており、その素顔は確認できない。胴の部分には軍服をまとっていた。さらに右手には長槍まで装備されているのだから、誰がどう見ても兵士としか思えないだろう。
「――あなた方が、ヴァルター・アインハルトを擁する一味ですね」
兵士はそう低い声で告げると、槍の先端を固い地面に打ち付けた。カツンと周囲に緊張感を撒き散らす音が鳴る。
「……!」
その音が鳴ったのと同時に、後方にいたレオが振り向いた。彼が気配を察知した通り、後ろからも同じ姿をした兵士が近づいてきている。
「どうやら、挟まれてるらしいね」
ヴェリが声を落として呟く。ヴァルターはそれを横目で捉え、イグナーツの背中から姿を現した。瞬間、案の定イグナーツが不服を唱えてくる。
「君はまだ下がっていろ」
「名前も顔もバレてる。これ以上コソコソしても意味がないだろ」
言われたことに一理あると思ったのか、イグナーツはそれ以上追及してこない。理解してくれたことに心のうちで感謝しつつ、ヴァルターは前に立つ兵士に向き直った。
「俺がヴァルター・アインハルトだ。あんたたちは?」
形式上そう問いかけたものの、彼らの素性は大方あたりがついている。
軍服の胸のあたり、そこには緑色の塗料で紋章が刻まれていた。既に何度か見かけた紋章――アントゥークの国旗に描かれているものだ。
「我々はアントゥーク兵団です。あなた方にお伝えしたいことが」
予想通りの単語が飛び出したため特に驚きはない。やっぱり、と心の中でひそかに頷く。
「……伝えたいことってのは?」
だがしかし、次に放たれた言葉まではヴァルターの許容範囲に含まれていなかった。
「ヴァルター・アインハルト。――アントゥーク王、ユージン王様がお呼びです」
「……なんて?」
アントゥーク滞在一日目――それはまさに波乱の幕開けに相応しい初日であった。




