第4話 「宣戦布告」
突如開いた扉。その奥には、
「――ッ!」
鮮やかな白色の髪に、切れ長の眼を携えた男がいた。
かなりの高身長で、よく引き締められているのであろうその筋肉は華美な服装に隠されている。
外見だけであれば美男子と形容でき、その眉目秀麗な姿は女性を一瞬で虜にしてしまいそうな魅力を醸し出していた。
――――――まさに、現アストリア国王ハザ・エシルガその人である。
「何であいつがここに――!?」
ヴァルターらはとっさに近くの棚の奥に身を隠し、息を殺す。心臓の鼓動がうるさい。こんなにもヴァルターの体内が騒がしいのは、ただ単に王城に無断で侵入しているのが見つかったからではない。
「何なのよ、この空気……!」
苦しそうにアンナが小声で喘ぐ。どうやら彼女も同じものを肌で感じているらしい。
ハザがこの場に現れてから、何か尋常ではない、不穏な空気が書庫を闊歩していた。これを言葉で言い表すのなら、
「恐怖」
恐怖。きっとそれが最も的を射ている。体の髄まで染み渡る恐怖がヴァルターたちを襲っている。
だがその呟きは、二人にまた別の畏怖を植え付けることになった。
「――恐怖している?」
他の誰でもない、ハザが言ったのだ。ヴァルターもアンナも、一度だって恐怖なんて単語は口にしていない。
――ハザが口を開いた。声を出した。それだけで冷や汗が止まらなくなるというのに、なぜ、なぜハザ・エシルガは問いを投げかけた?
言うまでもなく、答えは明白で――。
「別に捕えたりはしないさ。おとなしく出てこい」
疑惑が確信に変わる。やはり、奴はこの書庫に侵入者がいることをわかっている。
ヴァルターは隣で震えているアンナの華奢な肩に手を置き、彼女の澄んだ瞳を見つめる。
アンナは自分の我儘で巻き込んでしまったのだ。ヴァルターひとりで入り込んだということにして、ハザを引き付けている間にアンナは逃げればいい。そう言おうと息を吸い込むと、
「私一人だけ逃がそうって言うならぶっ飛ばす」
涙目で、自慢の幼馴染はそう言った。
「……ぶっ飛ばされるのは困るな」
そう目をそらしても、アンナはキッとこちらを睨み続けている。参った。確かにこの可憐な少女はそういう人間だった。
長年付き合ってきて理解しているつもりだったが、この緊迫した状況下では経験なんて泡のように消え去ってしまうらしい。
「一丁前に手なんか置いてさ。震えてるのわかるのよ」
指摘されてたじろぐ。恥ずかしい話だが、格好つけてアンナの肩に添えた手のひらは先ほどから小刻みに揺れていた。
頑固な彼女のことだ。こうなると何を言っても聞かないだろう。
「……わかった。二人で行こう」
ヴァルターが観念してそう言うと、アンナは満足したように微笑む。
きりっとした表情が崩れて皺が浮かぶさまは、何とも愛嬌があって可愛らしかった。
アンナの肩から手を離して、深く息を吸う。肩が大きく上下して、肺の中が酸素で満たされた。
そして、覚悟の氷が解けないうちに本棚の陰から姿を現す。
「……思ったより若いな。何故ここに入った?」
ハザと目が合った瞬間、彼の全身から放たれている覇気をもろに受けるような錯覚に襲われた。
しかしここで屈するわけにはいかない。拳を強く握り、歯冠を噛み、望み通りの返答をする。
「探したい本があったので」
「それはなんという本だ?」
詰問はまるで鋭いナイフのようにヴァルターの体を突き刺す。
悔しいことに、ヴァルターはハザに対して嘘でやり過ごす魂胆など持ち合わせてはいない。
というよりこの局面でハッタリをかます人間がいるのであれば、それはきっと人間ではないだろう。
「……『パクス=グレイツの宝玉』」
刹那、その名を聞いたハザの表情が一変した。あれだけの威圧感を発していた男の驚いた姿というのは新鮮だ。
「そうか、あれを読んだか。――ハザの話も見たと」
「――はい」
するとハザは息を吸い込んで、
「その本に書いてあるハザという男。――それは俺だ」
「――――!!」
衝撃が体中を這い回り、やがて次に更なる恐怖が体を侵し始める。
ハザ・エシルガが、あの本に書かれていたハザと同一人物――?
「アレンたちとの戦いのあとしばらく眠っていたが、四年前に目覚めた。そして俺はただの一般人と偽って自警団に入団し、政権転覆を謀った非国民どもを捕らえ王座についたのだ」
本当だった。ヴァルターが疑っていた、偶然とは思えなかった名前の一致は、真実だったのだ。
頭の整理が追いつかないヴァルターたちを気にする様子もなく、ハザはそのまま言葉を続ける。
「まぁ、あれは冤罪だがな」
「冤罪?」
「そうだ。俺が捕まえたあの闇組織は、裏で違法な取引をしていたただの闇商人だ。王座につくために俺がでっち上げたのさ。踏み台のようなものだな。――王家を皆殺しにしたのは俺だ」
「なっ……」
つまり彼はたった一人で王家全員を殺害し、闇商人に罪を被せた。そしてそれを利用して王の地位に至った、ということらしい。
物理的にも道徳的にもやることが人間ではないと糾弾しようとするが、そもそも奴は人間と言っていいのか。
「その後は簡単だ。俺の目的はアレンが修復したこの世界を壊すことなのだから、まずはこの国から潰そうとした。今度は力ずくではなくもっと知的にな。例えば隣国と戦争を始めたり、税上げをしたり――」
にやにやと笑いながら話すハザの呑気な様子を見て、ヴァルターはついに我慢しきれなくなり、
「――お前の! お前のせいで……! 国民は苦しんでるんだ! 戦争に無理やり連れて行かれて、俺の父さんは……! 母さんやおばさんだって、殺され、て」
叫ぶ。書庫の柔らかいカーペットの上に崩れ落ち、すすり声をあげた。
「ヴァルター……」
アンナの心を痛めた声も、ヴァルターには届かない。
ヴァルターの母親は昨年ファンティーレを襲ったイスニラムの部隊によって剣で胸を貫かれて殺された。急な襲撃だったため、外に出ていたヴァルターと母親は逃げるのが遅れたのだ。
その結果母親はヴァルターを庇った形で戦闘の巻き添えを食らった。彼女の冷たい体の感触は、今でも覚えている。
そして、その後一人になりアンナらの家で暮らすようになったヴァルターに止めを刺すかのごとく帰ってきたのは、何も話せない「物」となった父親だった。
一気に天涯孤独に突き落とされたヴァルターはしばらく立ち直れず、部屋にずっと篭ることになった。
――あれから、まだ一年もたっていない。
動揺や絶望、怒りや怨嗟。さまざまな激情がヴァルターの脳を乗っ取って、目まいを引き起こす。視界が揺らいで、何も考えられない。
――それでいいのか?
ヴァルターの脳内で、誰かの声が響き渡った。それは頭蓋に跳ね返るように反響して、脳みそを掻き出すように飛び回る。
――それでいいのか?
今までずっと、受動的に生きてきた。
争いごとが嫌いで、街一番のガキ大将も苦手だった。アンナにいつも守られていた。
やりたいことも、一生を賭けて成し遂げたいことも無かった。目標も目的も意志もないまま、怠惰に命を貪って生きていくのだと無意識に思っていた。
それでも、弱い自分を受け入れることはどうしてもしたくなくて、虫けらのようなちっぽけなプライドを守り通していた。
――それでいいのか?
でも、自分は行動したのだ。
伝説の宝玉を見つけて、強くなろうと。アンナとアリアに誓ったのだ。
自分は、変わるのだと。
――それだけでいいのか?
いいわけがない。父親を物体に成り下がらせ、母親とアリアを無慈悲に殺させた元凶が、自分の退屈な人生をある意味で打ち壊した男が、いる。
今、自分の目の前に、いる。
それだけでいいはずがないのだ。「強くなる」だけでは足りないのだ。
すべての恨みを、返す必要がある。すべての怒りを、ぶつける必要がある。すべての仇を、討つ必要がある。
――俺は。
宝玉を手に入れて、強くなる。そうしたら何をする?
このまま黙ってはいられない。自分は動き始めた。
強くなるだけでは、満足できない。
――そうだ。
大切な人たちを奪われて、生まれ育った母国を好き勝手荒らされて、そのまま泣き寝入りする?
ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな。
ずっと小さなプライドを守ってきた。もし自分がここで決断しなければ、きっとその誇りでさえ失うことになるだろう。
――だから。
“俺は、この国家を、許さない”
「生きてるだけの人生なんか、終わりだ」
ヴァルターは立ち上がり、自らの頬を手のひらで叩いた。書庫に広がる決して軽くない響きは、目を、脳を、そして心を醒ます。
「意志を持たずに流されるままの人生も、終わりだ」
ヴァルターはその威圧感に屈しそうになるのを堪えながら、ハザを睨みつけた。そして、空前は無論、絶後にもなるであろう酷く自分には重すぎる決意をする。
「――俺は、お前を倒す」
「ヴァルター!?」
突然の宣言にアンナが、今まで聞いたこともないような驚きの声をあげる。
しかしそうなるのは当然で、一国の王を倒す――つまり、革命やクーデターは成功させるどころか、起こすことすら難しいのだ。しかもその相手が伝説上のハザ本人となれば、難しいかのレベルで計れるような話ではない。
ヴァルター自身、それはわかっていたはずだった。しかし激情と共にやってきた決断を律することが出来るほど、彼は自分に余裕がない上にそこまで世界を冷たく俯瞰して見ていない。
何より、ヴァルターは怒っていた。感情が生まれる器官があるとするのなら、その底の底から激怒していた。
両親やアリアが殺される原因を作ったこと、国を滅ぼそうとしていること、自身の人生を狂わせたこと。
すると、ハザはその荒波のような感情の塊を真面目に受け取ったのか、彼の表情は少しずつ不敵な笑みに変わっていく。
「ほう」
「……俺はパクス=グレイツの宝玉を手に入れて、お前を殺してやる」
荒れ狂い混沌とした心から生まれた純粋な復讐心が、静かに吐露される。
場が静寂に包まれる中、ヴァルターは深く息を吸った。
まだだ。まだ足りない。まだ、相手に自分の決意は伝わりきっていない。敵意も悪意も、怒りも悲しみも、ヴァルターの感情のひとかけらだって届いていない。
言え。言え。言え。
奥底でくすぶった、自身の想いをすべて吐き出せ。――言え!!
「――お前を、ハザ・エシルガを! 殺して、この世界から葬り去り、アストリアを救う――ッッ!!」
ヴァルターの宣戦布告に、ハザは答えない。
この世すべての沈黙を結集して収斂したような凄まじいものが書庫を覆う中、その沈黙とハザの威圧によるあまりのプレッシャーで体中を吐き気が駆け回り、膝が笑い、歯が下手糞なリズムを奏でる。
アンナは耐えられなかったようで、やがてしゃがみ込み顔を手で覆った。
「フフフ……」
ようやく、ハザが口を開く。
「フフフ……ハハハハハハハハ! 俺を葬り去るか! いいぞ、やってみるがいい! この国が潰れない内にな!」
「お前――!」
「それなら試してみるか。ヴァルター、といったな」
依然としてその覇気と威圧感を撒き散らしながら、ハザが廊下に出る。
そして、ヴァルターらにとって今一番言われたくない言葉を叫んだ。
「侵入者だ――ッ!!」
「――っ!」
もちろん待たせてもくれず、城内がざわつき始める。あと一分と経たないうちに大量の兵士が書庫へなだれ込んでくるだろう。
「クソ、急ぐぞアンナ!」
完全に戦意喪失してしまっているアンナの手を引く。彼女の小さな手は柔らかく、そして驚くほど冷たくなっていた。
「生き残ってくれよ。今回は張り合いがありそうだ」
「話してる場合じゃねぇ。くそっ、うまく走れねぇ……!」
「ヴァルター」
アンナが不安げに名前を呼ぶ。
だが、ここはヴァルターの小さなプライドが勝った。
「隠れるとき、足を棚で打ったんだろ。おぶるから乗れ」
アンナは一瞬躊躇いを見せたが、相当な痛みらしく素直に頷く。
「――動け!」
肺へ十分に酸素を送り込んで、ヴァルターは走り出した。
意志を持ち、正義を貫く、革命の物語の第二歩目を、踏み出す。




