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革命せよ、革命せよ、革命せよ  作者: 望月喬
第二章 砂骸編
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第39話 「泥塗れのボロ」

 動かなくなった体を見下ろす。その顔はもう誰であったかわからないくらいに混沌としていた。

 しかし、セレナはそのグロテスクさに気分を悪くすることもなく、ただただ無感情のままに顔を上げた。


「……」


 目の前には、有象無象の集団。中には結婚式に参列していたような面々もいた。

 それらみな、顔を蒼白にして今にも倒れ込みそうではあったが。


 どうでもいい。もう自分には、何もなくなった。


 セレナはそう、半ば自身の人生に対して一種の諦めのようなものを見出していた。

 だってそうではないか。16年間も一緒に過ごした父親を失い、これからを一緒に過ごすはずだった夫も失った。

 過去も未来もすべて奪われて、これ以上自分にどうしろと言うのだ。


「……」


 しかし、セレナのその考えはある意味間違っていたのかもしれない。

 セレナはそれを、群衆の中でひときわ波が大きいほうへ目を向けたときに気づいた。


「……!」


 波が大きいということは、群がっている人の動きが流動的ということだ。

 それはつまり、その群れの奥で無理な動きをしている人間がいるということ。

 人の群れはもごもごと童話に出てくる怪物みたいに蠢いて、やがてその中から数人の見知った人間が顔を出した。


「セレ、ナ」


 母親と、弟だ。その隣には、毎朝のように顔を合わせていた女給もいる。

 その全員と目が合って、セレナの黒目がかすかに揺れた。


「お母、さま。みん、な」


 彼女らの存在を認識した瞬間、セレナの体は崩れ落ちた。

 自分は何をしているんだろう。なんてことをしてしまったのだろう。

 激情に流されて、この顔をなくした男と同じことをしてしまった。

 それを理解した途端、両目から一筋の涙が流れてくる。


「わた、しは」


 何が過去も未来もなくしてしまった、だ。

 何がすべて奪われた、だ。

 まだ、愛する家族や人々がいるじゃないか。そこに、すぐそこにいるじゃないか。


「わた、しは」


 それなのに、自分は人を殺した。相手の尊厳など顧みず、ただ復讐心の暴走に付き従って残虐に刺し殺した。

 ふるふると首を振る。両手で顔を覆って、誰すらも視界に入らないようにする。

 涙が、一体何に対して流しているのかわからない涙が、執拗にセレナの頬を撫でてくる。


「セレナ、さま」


 自分の名を呼ぶ声が聞こえて、ゆっくりと顔を上げる。

 今まで何度も耳にしてきたその声色はいつも優しかった。穏やかで、気品があって、セレナは心のどこかで彼女に憧れていた。

 歳を取ったらこんな女性になりたいと、思っていた。

 でも、今は、その声色は震えていた。当然だ。人を殺した女を目の前にしているのだから。


「――!」


 女給の表情は、恐ろしい殺人鬼に向けるような、おびえたものだった。


「あ……あ……」


 よく見れば、母親や弟までもが彼女と似た顔をしている。

 目を見開いて、口を開けて、冷や汗を垂らして、セレナと距離を詰めすぎないよう一歩引いて。

 周囲の人間すべてが、セレナを恐れていた。


「……そう、か」


 自分は、取り返しのつかないことをしてしまったんだ。

 信用も、信頼も、愛情も、思い出も、全部崩れ去ってしまったんだ。

 あの人たちの中で、自分はただの人殺しになってしまったんだ。


「姉ちゃん」


 ふらふらと立ち上がったセレナに対して、弟が声をかける。

 でもきっとそれは味方のいなくなった姉を助けようとした一声ではなくて、殺人鬼が怪しい動きをすることに警戒したものだ。

 わざわざ表情なんてうかがわなくても、声でわかる。震えた、子犬がおびえているような声だ。


 もうこの街にはいられない。

 自分の居場所は消え去った。

 父親も、夫も、味方も失って――セレナは本当の意味で、何もなくなった。


 *


 それからのことを、セレナはあまりよく覚えていない。

 街をひとりで出てから持ち金がないことに気づいて、どうせなら屋敷に寄って持ってくればよかったと後悔した。

 所有物は着ているドレス一着だけで、それなりに高価なものだったのでこれを売って足しにしようと考えた。

 だが男たちを殺したときに跳ね返ってきた返り血で汚れていたため、ほとんど金にはならない。

 それでも一食分くらいは、と思って着ているものを売り払い、店の近くに居を構えていた放浪者に襤褸をもらった。

 高品質のドレスから襤褸へ、人生においてここまで綺麗な転落を経験する者もそういまい。


 毎夜毎夜さまよい続け、食べるものもろくになく、瞬きをしたあとには死んでいるかもしれないような日々を送り続けた。

 何度も死のうかと考えた。でも出来なかった。勇気がなかったのだ。

 他人をあれだけ残酷に殺しておいて、自分を殺すとなったらナイフを持つ手が震えてくる。そのおかしさに、乾いた笑いを漏らした。


 ある日、人の多い露天通りのようなところへたどり着いた。

 そこはどうやら闇市のようで、セレナのように辛い境遇を持つ者もちらほら見かけた。

 自分は恵まれた環境で育ってきたせいで、この世界の本来の厳しさを知らなかったらしい。

 転落などいくらでもあることなのだ。ただその事実を、受け入れたくないだけで。


 当時肉体労働などで何とか一日の生計を立てていたセレナは、その闇市に足しげく通い詰めていた。

 闇市は色々なものを安く売っており、生きることに困っている人間にはオアシスのような場所だったのだ。

 セレナはそこで様々な違法のものが売り買いされていくのを目にしていたが、結局そこを出ることになる最後までそれらに手を出すことはなかった。

 彼女に刷り込まれた倫理観とプライドは、今もなお16年の残滓として体を循環している。


「……へえ」


 藁などで編まれた簡素なテントの下で、三角座りをして休んでいたセレナ。

 今日の仕事がいつもよりかなり早めに終わったおかげで、夕日が沈む前に自分の定位置に戻れていた。


「……なによ」


 そのセレナの前に、ひとりの女が立っていた。

 闇市は狭いところに密集して形成されていて、構造の問題でテントの前に立たれると日の光が入ってこない。

 今日はせっかく早く切り上げられて、久しぶりに夕日を堪能できるのに。

 そんな心を落ち着かせる時間を堂々と邪魔されて、セレナの眉間に皺が寄っていた。


「ああ、ごめんごめん。ここに立っちゃ駄目だったかしら?」


 女は不機嫌そうなセレナを見て察したらしく、ひょいと真正面からどいて横に移る。

 かなりの美人だ。ちらと目線を向けて、顔をうかがう。体つきも女性らしく起伏があったが、何よりセレナの目を奪ったのはそこではなかった。


「……きれいな、色」


「ん?」


 女が不思議そうな顔をして振り返ったため、セレナは思わず自身の口を両手で覆った。

 街を出てからどれだけ経ったのかもはやわからないが、随分と骨ばった手だな、と他人事のように感じる。


「なになに、私のどこがきれいなの?」


「……髪よ」


 瞳を輝かせて顔をぐいと寄せてきた女に戸惑いながら、セレナは素直に答えた。別に隠す必要もないし、この女は正直に言わないと引いてくれない気がしたのだ。

 腰あたりまで伸びる彼女の髪は、海と森を混ぜ合わせたかのような、美しいピーコックブルーだった。

 女は「ああ、髪ね」と少し鼻白んだふうに言うと、


「女の命だもの。小さいころから大事にいたわってたのよ」


「……私は、邪魔だから切ろうかと思ってる。動くのに不便」


「え? もったいない!」


「えっ」


 女は再びその美貌をセレナへ押し付けると、念を押すように「もったいない!」とまた叫んだ。


「そんな綺麗な黒髪、生まれつきで手に入るもんじゃないでしょ。見たところかなりのお嬢様ね、あんた」


 急に確信を突かれて、セレナは息を飲んだ。

 基本的にこの闇市では、自身の素性を明らかにする者は少ない。話しても友好を深めた者同士くらいのものだ。

 それに、セレナは元領主の娘だ。実家が裕福であることを口走れば、どんなトラブルに巻き込まれるかわかったものではない。

 だから出来るだけ知人にも自分の過去は隠すようにしていたのだが――。


「……なんで、わかるの」


 どうしてか、セレナは女の言ったことを否定しなかった。

 それが何故かはわからない。だが、きっと波長のようなものを感じ取ったのだろう。

 この人は、()()人だ、と。


「女は髪でその人間のレベルがわかるのよ。ああ、私がね? もちろん全員が全員そうってわけでもないけど、イイ女はイイ髪を持ってる。何となくわかるの。その黒髪は、大事に手入れされてきた髪」


 女の話すことが少しも理解できなくて、セレナは唖然としてしまった。

 なぜなら、今の自分の髪は少しも手入れされていないのだ。もうほとんど梳いてすらいないし、毛先が暴れている。

 それなのに、どうしてこの女は自分の出自を髪で見抜けたのか。

 俄然、興味が出た。


「どうやって判断したのよ。私の髪、こんななのに」


 髪を指にくるくると巻き付けて、眼前の女に見せびらかす。

 しかし、女はそれに対してけらけらと笑って、


「そんなこと言われたって、勘としか言えないわよ。今までの経験とか、そんなところ」


「それじゃ納得できない」


 こちらのモヤモヤも知らずに素っ気なく返す女に向かって、幼い子供のように歯向かうセレナ。

 どうしてこんなに彼女に興味を抱いているのか、自分でもよくわからなかった。

 でも、きっとセレナは関心を持ったのだ。

 そそり立つ崖から落ちるように堕落してきたセレナの過去を一瞬で見抜いた女。

 そんな彼女が、自分の中に残っているかすかな未練と繋がった気がした。

 まだ明るい世界で生きていたあのときを、セレナはどこかで求めていたのかもしれない。


「なに、そんなに気になるの?」


「気になる」


 困り顔で眉を下げた女に構わず、セレナは大きく頷く。

 その様子を見た女は腕を組んで、悩む素振りを見せる。彼女の豊満な胸が山のようになって腕へのし上がった。

 そして少ししてから、うん、と一呼吸おいて、


「それなら、お姉さんが色々教えてあげる。ついてくる?」


 と口角を釣り上げて言った。

 彼女の整った顔立ちに良く似合う、いたずらっぽい表情。


「――!」


 セレナもその子供のような笑顔につられて、薄く微笑を携えた。彼女の誘いに応じることを示す頷き。

 そうしてセレナが顎を引くと、女の背中から漏れる陽光が彼女の黒髪を照らした。


「綺麗な女の人についていったら危ないって、習わなかったの?」


「そんなのもう、忘れたわ」


 女が瞠目する。するとその形のいい双眸は緩く弧を描いて、セレナをしっかりと見据えた。


「気に入った。ククルア・ピスカよ」


「セレナ・アバスカル。よろしく」


 これが、セレナとククルアの出会いだった。


 *


「見てこれ。綺麗な宝石」


 セレナとククルアはテントを出たあと、しばらく闇市をぶらついていた。

 何も踏み込んだ話をしないククルアに対して不満は覚えていたものの、セレナもセレナで当たり障りのない話題ばかり選んでいる。

 何より、彼女と言葉を交わすのは楽しかった。まだ出会ってからほんの少ししか経っていないというのに、とても話しやすい。

 たぶん、気が合うのだろう。


「すごく不思議な感じね。うっかりしてたら引き込まれそう」


 ククルアは先ほどから宝石店の軒先でひとりはしゃいでいた。

 彼女の細長い親指と人差し指には小さな石が挟まれていて、それを太陽にかざしたり色々な角度から眺めたりしている。

 その様子はまるで子供みたいで、大人びた色香のなかに可愛げのある女性だ、とセレナは関係ない誰かを分析するように見ていた。


「ちょっと、セレナ」


「え?」


「え? じゃなくて。何ボーっとしてんのよ。すっごく退屈そうな顔してたけど」


 ククルアに指摘され、慌てて表情を取り繕う。意識すれば笑顔はすぐに戻ってくる。叩きこまれた愛想笑いは、まだ忘れていなかった。


「ご、ごめんなさい。別に退屈してるわけじゃなくて」


「ふうん。それならいいけど」


 ククルアにも言った通り、本当につまらなくて暇を持て余していた、というわけではなかった。

 ただまぁ今の自分の気持ちを素直に表現するならば、それは「肩透かし」という言葉が的確だろう。

 セレナはククルアに、自分の知らないことを知っていそうな年上の女性に、何か特別なことを期待していたのだ。


「ねえ、これなんて言うか知ってる?」


 そんなセレナの淡い期待をことごとく打ち壊すように、ククルアが身を寄せて手の中の宝石を見せつけてくる。

 近づいた彼女の肢体からは、ふわりといい香りがした。きらびやかで、淑やかな艶のある香りだ。


「……チャロアイトね」


「へえ、よく知ってるわね。詳しいの?」


「別にそこまでは。お父さ――父親から、知識や教養は多く身に着けておいて損はないって言われていたから」


「そう、さすがね」


 何が流石なのだろう。セレナが小首を傾げるが、とうのククルアがそれに気を向ける素振りはない。

 なんというか、すごく掴めない女性だ。


「こんなに禍々しい色をしているのに、見てると落ち着くのよね。変な感じ」


 ククルアはもう一度チャロアイトを天に掲げると、片目を閉じてじっくりと観察していた。紫色を中心として構成された石は空の中できらめいている。

 夕日に照らされる彼女と妖艶な色をまとう宝石は、まるで絵画の題材になりそうなほどよく似合っていて、


「……確か、魅力とか魅惑とか、そんな意味」


 気づけば、セレナはそう呟いていた。


「え? 魅力?」


 ハッとして口を塞ぐ。自分は突然何を言っているのだろう。いや、別に石の意味を言うくらいおかしくはないのではないか。

 なぜかはわからないけれど、頭がぐるぐると平衡感覚を失ったみたいに混乱している。


「魅力か。それなら別にいらないわね」


 セレナの焦燥をよそに、ククルアはチャロアイトを店先に優しく置くとこちらへ向き直る。

 長い睫毛が上下する様はいつまでも尽きぬほどの色気があって、たなびくピーコックブルーの鮮やかな長髪はセレナの色覚を狂わせた。


「ひとつ持ってるものをふたつ持ったところで、両手が塞がるだけだもの」


 ククルアはそう笑みを浮かべて言い切ると、塞がっていない片手でセレナの頬をさすった。

 瞬間、伝わってくる手のひらの温度。それが移動したのか、セレナは自身の耳が赤く染まるのを感じた。

 身をのけ反らそうとしても、ククルアの吸い込まれそうな目に捕らえられて動けない。でもずっと見つめ合っていたら、それこそ吸い込まれて自分が死んでしまいそうで。


「え、その」


 心臓がバクバクと高鳴る。口が言うことを聞かなくなったみたいにもごもごと声を発するのをためらって、瞬きばかりを繰り返している。

 と、ククルアはそんなセレナを見てぷっと噴き出し、


「ごめんごめん。困らせた?」


 頬に添えられていた手をおさめて、何事もなかったかのように目を細めた。


「……べつに」


 ククルアの余裕綽々な姿に、まごついていた自分が馬鹿らしくなって目をそらす。でも、その唇が尖っているのは見え見えだった。


「怒らないでよ。セレナが可愛くってつい」


「意味がわからないんだけど」


「そのまんまの意味。あなたは可愛い」


「……いいから、そろそろ本題に入ってよ」


「本題って?」


「どうやって髪だけで私の出自を見破ったのかって話。私、それが聞きたくてついてきたんだけど」


 セレナが不満げに言う。

 と、ククルアは「あー」とわざとらしく目線を宙に泳がせて、


「あれは本当に私の経験よ。昔から髪だとか、女の特徴的なところには敏感だったから。でも、私がセレナの前に突っ立って、セレナをじっと見ていた理由は髪だけじゃない」


「……じゃあ、なんなの?」


 セレナが続きを促すが、ククルアはその先を言い淀んでいるようだった。

 しかしもう後戻りは出来まいと判断したのか、その本性を掴みにくい計算された笑顔を乗せながら、口を開いた。


「あなた、人を殺したことがあるでしょ?」


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