第31話 「狂えるcruel」
セレナが倒れ込んだ前に、プリオンの背中がある。
その奥にはイグナーツとレオが座っていて、彼らは隊列を組むようにほぼ一直線に位置していた。
「ねえ、セレナさん。アナタがここに来るまで、本当に誰も見かけなかったんですか?」
依然として小さな穴から内部を覗き見ているヴァルターからは、背を向けているプリオンの表情が読み取れない。
しかし、その声は確実に死体を食い漁っていたときのものとは異なっており、怒りが含まれていた。
「ワタシ、わかるんですよ。昔から勘が鋭いんです。アナタは、何かを隠している」
おそらく、根拠などないのだろう。ただ単に、プリオンがそう感じたまでのこと。勘とはそういうものだ。
本来ならばそんなあやふやな理由で蹴り飛ばされるなんて迷惑千万だが、実際に裏がある今回に限ってはそうも言っていられない。
ヴァルターが固唾を飲んで見守っていると、床に伏していたセレナがプリオンの奥で起き上がるのが見えた。
「アンタのくだらない体質のせいで私は蹴られたってわけ? ふざけるのも大概にしなさいよ」
ひるむことなく語気を強め言葉で応戦したところを見るに、特に負傷はしていないらしい。
とりあえず良かったと安堵するが、ここからどう動けばいいのかヴァルターには少しも考えつかなかった。
彼の強さは未知数なため、真っ向から戦うことは避け、奇襲を仕掛けてイグナーツとレオを救出する方がいいだろうと思っていた。
しかし、すでにプリオンはヴァルターの存在に気付いている。
完全に警戒態勢に移っている彼に奇襲は通用しないだろう。ミイラ取りがミイラになって終わりである。
そして、ただでさえこの基地にいることを感づかれているのだから、かろうじて残っている「姿を知られていない」という利点を失うことまではしたくない。
ゆえに、ヴァルターが今この場でセレナのフォローに入ることは悪手であると判断した。
「ふざけてなどいませんよ。これはワタシの命にかかわる問題です」
靴を履いていないプリオンの素足が、ひんやりしたタイルの床を踏む。
そうしてセレナとの距離が縮められるたびに、ヴァルターは心臓がぎゅっと掴まれる思いをした。
しかし、プリオンはある地点――セレナからまだ数歩離れているあたりで、その歩みを止めた。
ヴァルターの脈拍に気を遣ったというわけではあるまい。何かたくらみをしているのか、それともただの気まぐれか。おそらく後者だろう。
「結局、アナタは最後までワタシを理解してくれませんでした」
まるで死んだ親にでも語りかけるかのように、プリオンは悲しそうな声で勝手に独白を始めた。
その態度と雰囲気の変化に戸惑ったが、セレナはまた始まったとでも言いたげに呆れている。
それなりの期間をともに過ごしていたはずであるし、同居人の気まぐれには慣れているらしい。
「ワタシが人の肉を食していることがそこまで理解できませんか?」
「悪いけど、微塵もできないわ」
セレナは体についた砂利を手で払い、悪意のこもった目つきで殺人鬼を突き放す。
すると、プリオンは路頭に迷ったのかと思いそうなくらい大仰に頭を抱えて、
「どうしてですか? ただ肉を口にしているだけではないですか? アナタも豚を口に入れるでしょう? 牛を腹に蓄えるでしょう?」
そう、わけのわからないことを言った。やはりこの男は完全に狂っている。
プリオンは依然として大袈裟に頭を振っている。それはまるで理性をなくした蝶々のようだった。いや、彼の外見ならば蛾の方がふさわしいだろうか。
「生物の命を絶って食しているという事実は誰一人として変わりません。肉食主義者も、菜食主義者も、人食いも。この世の生物はみな等しく、自分以外の生物を殺して、胃に収めています。何も、変わらないでしょう?」
彼の言うことは滅茶苦茶だった。それはぐにゃりと複雑に曲がりくねったガラスのようで、光を正しく反射させない。
しかし、プリオンの話し方――もはや演説と言ってもいいかもしれないが、その身振り手振りを加えてよく通る声で発せられる言葉にはどこか説得力があった。
ガラスを通過する光が論理だとするのなら、たとえそれがどれだけ曲がりくねっていても、その歪曲した光こそが真実だと他人に思い込ませてしまう力。
ある意味でカリスマ性に似たものが、プリオンにはあった。
しかし、そんなプリオンの、無理やり整合性をとったような言い分には決定的な欠陥が存在する。
「……確かに、アンタが人じゃないってんなら筋が通るかもしれないわね」
ヴァルターの心の中に生じていた違和感を、セレナが皮肉に加工する。
プリオンのやっている極悪非道な殺戮と凌辱が、人がする行為と呼べるかどうかは火を見るよりも明らかだ。
しかしそれは、最初からプリオンが人でなかったのならまた話は別になる。
「ああ、人である私が、同種である人を喰らっているから気に食わないのですか? どうして? 倫理観の欠如? 道徳に反する行い? ああそうか、共食いだからですね?」
まくしたてるように繰り出される疑問符の槍。
それはセレナの起伏のある胴体を、そしてヴァルターの貧弱な魂胆を突き刺していった。
飲み込まれてはいけない。そう強く拳を握って、プリオンの戯言が自身の心を侵食していくのをせき止める。
と、プリオンはゆらりと体を動かして、右足を前に出した。セレナが吹き飛んだことにより空いた彼女との距離を再び詰める気らしい。
「…………ですがアナタたちも、ワタシの共食いと相応のことをしていませんか?」
セレナが向かってくるプリオンを警戒して、腿のあたりへ手を伸ばす。矢筒からすぐに弓矢を取り出せるようにするためだ。
「アナタたちは己の利益のためだけに、お互いがお互いを殺し合う――――戦争をするでしょう? 同じ“共食い”であることには変わりないのに、どうして戦争だけ特別なのですか?」
止むことを知らない雨期の豪雨のように、プリオンの詰問はその勢いを保ち続けている。
それは雨がじわじわと家屋へ漏れるようにヴァルターの柔い心をむしばんでいく。心は今にも悲鳴をあげそうだった。
「意味がわかりません――意味がわかりません。人類とは目先の欲にとらわれて行動する獣でしょうか? いえ、そうなのです。きっと彼らはそうなのです。人類とはそうなのです…………」
次第に語気が弱まっていき、最後には煙のように声がかき消されていく。
そこでプリオンは一旦立ち止まり、もう一度ふけや垢で薄汚れた頭を抱えた。
そして次の瞬間、何かに弾き飛ばされたように上体を起こして、
「――金! 女! 飯! 酒! 奴隷! 名声! 権力! 財宝! 賄賂! セックス! 絢爛豪華な家! 自身を羨望する愚民のマナコ! すべての生物への優! 越! 感! オォ~~~~~~~~!!!!!!」
突如、発作のように叫び出したプリオン。
予測不可能の状況に舌打ちをし、驚きに塗りたくられた顔を見るに、セレナでも目にしたことがないらしい。
即座に矢筒の蓋を開け、中へ手を入れる――。
「ああ、どこまでも利己的で自らが世界の中心であると錯覚している生物――――それでこそ人類です!!」
プリオンが感情のままに言い放った刹那、ヴァルターの耳を爆撃音がつんざいた。
途端に彼らの周囲に砂煙が生じ、外部からは様子が観察できなくなる。
プリオンのルガルだろう。【鱗粉】、砂を爆弾に変える力。
彼が最後に叫んだとき、懐に手を入れているらしき姿が確認できた。
おそらくあの白くみすぼらしい服の中には、砂粒を保管しているいくつかの小袋が仕込まれていたのだろう。
プリオンはそれを瞬時に引っ張り出し、セレナへ投げつけたのだ。まさに、セレナが矢を取り出そうとしていたように。
そして砂粒たちは袋から解放されたその瞬間に爆弾と化し――無防備なセレナへ襲い掛かった。
「セレナ――――」
あまりに一瞬の出来事であったため、ヴァルターは未だ壁の穴に眼球を押し当てて張りついたままだった。
助けに行こうにも、セレナなくしてこれ以上何が出来るというのか。
そもそも、これは一応は同じ暗殺団の一味であるセレナがプリオンの油断を誘うことで、イグナーツとレオの情報を聞き出す作戦だったはずだ。
それなのにプリオンがヴァルターの存在に薄々気づいている時点で、もう作戦は破綻している。
その事実を咀嚼して飲み込んでも、ヴァルターはまだ痒いというように歯噛みするしかなかった。
煙が徐々に消えていく。
すると、先に姿を現したのはプリオンだった。先ほどよりも後退している。爆発に巻き込まれないためだろう。
そして、その奥には――。
「!」
人影がある。立っている。
セレナだ。
伊達にプリオンのルガルを理解していない。彼女も瞬時に反応して後ろへ飛びすさり、直撃は免れたらしい。
良かった、と息を吐く。
が、しかし、そう安堵したのも束の間だった。
「――――フウッ」
ゴウ、と風を切る音を残して、プリオンが砂煙の中に飛び込んだ。
「――な」
ヴァルターが驚きの声を漏らした直後、二人の人間が晴れつつある砂塵の中から姿を現す。
相変わらずの背格好をしているプリオンと、そして、
「ッ……!」
しわがれた両手で細い首を拘束された、セレナ。
「セレナ……!」
プリオンが、セレナの首を絞めつけている。その力が相当であることは、セレナの苦しそうな表情が物語っていた。
煙の中にまだ立っている人影を確認し、セレナが無事であるとわかった瞬間、プリオンはその中にあえて飛び込んだ。
しかし、飛んで火にいる夏の虫、なんてうまい話はなく。
砂漠の人食いは、がっちりとセレナを捕えてみせた。
「ぐ……!」
「アナタもワタシの思想を理解できないのであれば、哀れな人類のひとりであるのなら、ここで死になさい。ワタシに排斥されなさい」
両腕に込める力をさらに強めて、プリオンがセレナを少し持ち上げる。あの骨を擬人化したかのような痩身のどこにそんな力があるのか。
セレナは喘ぎながらも両足を振って蹴りつけるが、プリオンはびくともしない。思った以上に体幹もしっかりしている。
「ワタシはこんなところで、どこの馬の骨か知れない侵入者に殺されるわけにはいかないのです。ワタシは生きて、生きて、やっとこの砂漠にたどり着いた。そしてここで砂骸様にお会いするのです。だからワタシはアナタを殺すのです」
「――!」
砂骸。プリオンは今そう言った。
想定外の事態が次々と発生したために本来の目的が放置されていたが、ヴァルターのそもそもの目的は宝玉を見つけることだ。そして、そのためには宝玉の書に記述されていた“砂骸”という存在が鍵となるはずだった。
プリオンは砂骸を知っている。しかも、呼び方から察するに砂骸を慕っている。いや、崇めている……?
「う、あ……!」
しかし、ヴァルターの思考はセレナの苦痛に満ちた声で現実に引き戻される。
濡れた布を絞ったようなその声音は、セレナの命に危機が迫っていることを認識させるには十分だった。
「クソ!」
ひそかに悪態をついて、穴から目を離す。
ヴァルターの姿を見せるというのが悪手であることは先ほど確認した通りだが、こうなってはどうしようもない。
このままではセレナが死ぬ。短時間とはいえともに過ごし、仲違いまでした相手が目の前で絞殺される様を見るのは御免だった。
「アナタはこの部屋に来るまで、誰かを目撃した。早く言いなさい。アナタは――」
壁をつたって移動し、部屋の入口へ。
通路に漏れているものよりかなり強い明かりがヴァルターを出迎える。その奥には、プリオンがいた。
奴は背を向けている。ここから【貯蔵】を発動して、セレナを巻き込まないように角度を調整して衝撃波を放てば彼女を救える。
ただしそこまで速度が速くないため、反応のいいプリオンにはかわされるだろう。
それでも構わない。とにかく今は、セレナの命を優先する。
そう覚悟して、ヴァルターがルガルを放とうと全身を強張らせた瞬間――。
「み、て、ない」
「――――!?」
か細い声で発された言葉に、ヴァルターは驚愕した。
セレナは、本当のことを言わなければ今にも自身の命が消え去る状況において、それでも嘘を貫いた。
きっと、ヴァルターを守るため。
勝手に巻き込んでしまったことへの申し訳なさからかもしれない。もしくはヴァルターと同じように、情が湧いていたからかもしれない。
理由は何であれ、セレナは今、命を挺してヴァルターを庇い通した。
「……そうですか」
極限状態になるまで拷問しても真実を吐かないとわかったのだろう。
プリオンがふっと両腕の力を抜くと、その干からびた手からセレナが崩れ落ちた。
セレナは激しく咳き込んで、限界まで失っていた酸素を吸入している。
と、ヴァルターは自身が助かると同時にセレナも一命を取り留めたことを理解し、急いで身を翻して壁に隠れる。
彼女が無事であるなら、このまま敵に姿をさらしている必要はない。
「はぁ……はぁ……」
「セレナさん。アナタは本当に愚かな人です。ワタシの勘は嘘をつかないというのに」
プリオンはそう、床に横たわったセレナを見下ろして言った。
ここからではやはり視認できないが声音から察するに、きっと見た者を凍らせるほどに冷たい、感情の消え去った目をしているのだろう。
おちおち穴が空いている地点まで戻る気にもなれなかったので、ヴァルターは入口を縁どっている壁からほんの少し顔を出して様子をうかがっている。
「その勘とやらが……鈍ってたんでしょ……。アンタの崇拝してる……何だっけ。スナムクロ? だって未だに見つけられてないんだから」
「……ええ。確かにワタシはまだ砂骸様を見つけられていません。ですが、必ず見つけ出します。会います。話します。意思疎通します。そして、あ」
「うるさい。アンタの勘なんて精々私の癇に障るくらいしか能がないでしょ」
「…………くだらない言葉遊びなど」
「ううん、ちがう。――私のくだらない言葉遊びのオモチャにすることにしか、有用性が見出せないって言ってんの」
「――――」
セレナの挑発は、プリオンを怒らせるまでには至らない。自分自身は気まぐれで感情的になることもあるようだが、他人からの干渉には強いのだろう。
だから、もう決まっていたことだったのだ。プリオンがどれだけ冷静沈着を一貫しようとも、どれだけ感情を乱されようとも、既に決まっていた。
彼がその行動を取ることは、もう。
「セレナさん」
プリオンが呼びかける。そこには先ほどのような冷たい響きはなく、それどころか死体の肉を漁っていたときのような明るいものが含まれていた。
セレナは長い間呼吸を妨害されていたことによる後遺症から回復し、ちょうど立ち上がろうとしている。
しかし。
「ワタシは、これからククルアさんを食べようと思います」
「――――――――!」
刹那、セレナが再び崩れ落ちた。足が突然折れたみたいに力が抜けて、床に座り込んでしまう。
「セレナ……?」
怪訝な表情をしながら目を細めて奥を見やる。
唐突にタイル張りの床に吸い寄せられたセレナは魂が抜けたようにうつろな目をしていて、プリオンを強気で煽っていた彼女の姿はもうなかった。
「ま、って。それはだめ。それは、それだけはやめて」
急激な態度の変化に唖然とする。
焦点の合わない目は空虚を眺めていて、プリオンの前でへたり込んでいる姿は従順な子犬を彷彿とさせた。
ククルア、と言っただろうか。知らない名だ。二人の共通の知り合いということは、おそらく暗殺団の団員なのだろう。
「そうですか。いやですか」
「いや。それは、いや」
幼い子供が駄々をこねるように首を振るセレナ。いつもの大人びた色香は霧散していて、まるで別人のようであった。
「それなら本当のことを言ってください。言わないのであれば、ククルアさんを食べに行きます」
数瞬の沈黙。
セレナは瞳に光を取り戻し少しの間逡巡していたようだが、やがて首をガクンと垂れ下げて、
「見た」
「――――!」
あまりにもあっけなく真実を呟いたことへの驚きが勝って、ヴァルターはあることにしばらく気が付かなかった。
だって、あれほど自身の生命が脅かされていてもヴァルターのために口を割らなかったセレナだ。
その彼女が、ヴァルターの知らない誰かの名が出た瞬間、すべてを悟ったように本当のことを吐き出した。
それに驚かずしてなんとする。
「だからワタシの勘は正しかったでしょう。最初からそう言えばよかったのです」
「…………」
セレナは黙り込んで下を向いている。彼女は、一体今何を思っているのだろうか。
「では、ワタシはこれから侵入者を殺しに行きます。セレナさん、有用性のある情報をありがとうございました」
そこでようやく、ヴァルターは自身に危機が迫っていることに気が付いた。
そうだ。セレナが本当のことを言ったということは、ヴァルターが売られたということと同義になる。
つまりそれは、同じ目的を共有する仲間であったはずのセレナまで失った――裏切られたヴァルターが、この基地の中において本当の意味で“ひとり”になったということを意味する。
「――どう、する」
踵を返したプリオンが、ゆっくりとこちらへ向かってきている。
イグナーツとレオは捕まった。セレナは裏切った。
そんな絶体絶命の状況で、自分に何が出来るというのか。
そもそもイグナーツとレオでさえ倒せないような化物じみた相手を、自分がどうやって倒せばいいのか。
踵を返したプリオンが、ゆっくりとこちらへ向かってきている。
絶望が、徐々に徐々に距離を詰めていく。




