第21話 「砂塵よ、どうか」
カラカラ、カラカラ、流砂が踊る。砂は砂を飲み込んで、生を貪る。
カラカラ、カラカラ、激しく踊る。いつからこの場所でこうしているのか。
カラカラ、カラカラ、カラカラ、カラカラ。
カラカラ、カラカラ。そろそろ時間だ。
カラカラ、カラカラ。意思はなく、意志もない。
カラカラ、カラカラ、カラカラ、カラカラ。
カラカラ、カラカラ。無理解にして無慈悲の存在。
カラカラ、カラカラ。それでも動く。殺す。滅す。
カラカラ、カラカラ、カラカラ、カラカラ。
カラカラ、カラカラ。目的も失い、わずかに残った存在理由を燃料として。
カラカラ、カラカラ。自身の主人のことなど、すべて忘れ去って。
カラカラ、カラカラ、カラカラ、カラカラ。
カラカラ、カラカラ、カラカラ、カラカラ。
カラカラ、カラカラ、カラカラ、カラカラ――――――――。
*
「点々と草木の生える地に眠る砂骸の脳に」あるという一つ目の宝玉。
ヴェリの加入を経て村を出発したヴァルターたちは、アストリアの西端に存在するというその記述に似た砂漠地帯を目指していた。
「あ~~腰がいてえ~~」
馬車に揺られながら、まるで老年のようにヴァルターがうめき声をあげる。
「ちょっとヴァルター。あなたも少しくらい荷物整理手伝ってよ」
「腰が痛くてもう立てない」
「その椅子燃やせば立てるかしら」
「割と本気のトーンで言うのやめてほしいな……」
幌で覆われた室内は、それなりの広さを保っている。取り付けられた座席がいくつかあり、アンナとヴェリがその後ろで荷物の整理を行っていた。
「マッサージしましょうか?」
ヴァルターの隣にフィリーネが腰かけて尋ねる。大きな麦わら帽子は外しており、純潔の白髪が幌に開いた窓から吹いてくる風になびいている。
表情はまだあどけなさが残っているものの、彼女の外見は今の時点で十分絵になるものだった。
「嬉しいけど遠慮しとくよ」
こんな可憐な少女をこき使うようなことをするのは気が引けて、やんわりと断る。するとフィリーネは目をそらしてしゅんとしてしまったので、
「あー、えっと……そうだ、フィリーネのルガルってこういう腰痛は治せないのか?」
笑顔を作って話題を変える。変えきれていない気もするが。
「どうなんでしょう。私の【維持】は傷を治すというよりは再生力を高めるものなので、出来るかもしれません」
パッと笑顔になって答えるフィリーネ。眩しい。この雪のような少女はコロコロと表情を変える。
「サイセイリョクね。よくある」
「ないわよ。わかってないでしょ」
再びアンナが鋭い刃物のような言葉を投げかけてくる。長い時間馬車に乗っているせいで痛めた腰がさらに悲鳴を上げた気がした。
と、刃物といえば。
「ヴェリの腕の傷跡はどうなったんだ?」
首を傾けて、アンナの隣で荷物をいそいそと移動させていた細身の男に聞く。
と、ヴェリはふうと一段落ついたように額をローブの袖で拭ったあと、こちらを振り返った。
「フィリーネが治してくれたよ。ほら」
袖をまくり、こちらも白い腕があらわになる。確かに以前見た無数の裂傷は最初からなかったかのように消え、きめ細やかな肌が生き生きと存在を主張していた。
「こんな綺麗になるなんて凄いよ。ありがとう」
「いえいえ! よかったです」
フィリーネが立ち上がって嬉しそうに首を振る。子犬みたいだ。
「傷がある方がかっこいいのに」
ぽつりと小声で呟く。馬車の端っこであぐらをかいているレオだ。
それを耳にして、良い遊び相手を見つけたとでもいうようにヴァルターの口元がにやつく。
「レオ、さてはあれか。傷は男の名誉だとでも言うつもりか?」
ゆらりゆらりと立ち上がってレオの近くまで歩を進める。アンナが怪訝な顔で簡単に腰を上げたヴァルターを見てくるのはあえて無視。
「それだけの傷を受けて生き残っているってことだからな」
レオが答える。いつもより饒舌だ。
普段は口数の少ないレオが喋るとついつい冗談を言ってしまう。
ヴェリへ言葉を送ったときのように、彼は一見やさぐれているものの根っこのところは素直で優しい年相応の子供なんだろう。
そんなレオを勝手に可愛い弟のように思ってしつこく接しているうちに反応を返してくれるようになり、興に乗じて今もからかおうとしていたのだが、
「うん。同感だ」
あっさり頷いてしまった。
「は?」
レオも既に反論する気になっていたようで、肩透かしを食らったように声を出す。
いや、確かにヴァルターは「だからお前はいつまでも子供っぽいんだよ」とか言ってやろうとしていた。
しかし、と向きを変えてヴェリを見やる。
「何で傷、消しちゃったんだ……」
かっこいいのに。
「ハァ……」
アンナが呆れたふうに顔に手を押し当ててため息を吐く。
突然矛先を向けられたヴェリはすっかり無になってしまった腕を戸惑った表情で見つめて、
「いや、やっぱり綺麗な方がいいかなって思って」
「よくない! 背中以外の傷は勲章だって世界の常識じゃなかったのか!?」
「えっと、ごめん、僕早くに父と母をなくして、あとは兄と暮らしていたからそういうのはあんまり」
「話をすっごい重い方に脱線させないで!」
「ヴァルター」
後ろから名前を呼ばれて振り返る。そこにはあぐらをかいたレオの――レオの、信用に満ちた瞳。
「レオ……!」
あの冷たい、槍を投げてきた彼が自分にこんな顔をするなんて初めてだ。嬉々としてレオの想いを受け取り、もう一度ヴェリと相対すると、
「レオがこんな顔をしてるんだぞ! どうしてなんだヴェリ!」
「え、えぇ……」
ヴァルターの瞳孔が力をこめて、ヴェリを凝視する。モデルはイグナーツがよくやるやつだ。
その目力に圧倒されたヴェリは言葉を詰まらせ――スっ、とそっぽを向いてフィリーネを見た。
「私のせいですか!?」
ヴェリに加えて、つられて顔を向けたヴァルター(とレオ)も自身を見て、事態を静観していたフィリーネは耳元で大砲が撃たれたように驚く。
頬をふくらませて怒る様子は猫が毛を逆立てているようで、とても可愛らしい。さっきは犬だったが。
「何はともあれ俺は悲しい。ヴェリには少年の心を思い出してほしい」
「俺もそう思う」
ヴァルターが首を振って嘆くと同時に、レオも同意する。どうやら今日のヴァルターとレオは一蓮托生の仲らしい。ここまで意見も立場も合致するのはきっと初めてだ。
「あとでお祝いしような、レオ」
「は?」
「あれ?」
今度は明確な嫌悪を含んだ返し。伝わってくれなかったらしい。それにしても、
「テンションの差、もう少しどうにかならない?」
レオは返事をしない。何言ってんだお前、と顔に書いてあるから返事をする必要が露ほどもない。
「もう少し、静かに乗っていられないわけ? ほんとに騒がしいんだから」
巻き込まれるのを回避するためか、既に移動して離れた座席に座っていたアンナが言う。ヴァルターの言葉に似せたのはわざとだろう。
「そうは言っても、することがなくて」
「おめでとう。あなたは世界一私を呆れさせる人間よ」
「そりゃ、交友関係が狭いからな」
「馬鹿にしてるの? 馬鹿にしてるなら殴るわよ」
「ついにルガルを使う価値すらないと判断された」
ふん、とそっぽを向いてしまうアンナ。まぁ、燃やされるよりは幾分かましだろう。
と、そのとき、ちょうど馬車が減速して停止した。
「どこかで聞いた覚えのある言い方だな」
そう何やらわからないことを言って、白い幌をどけて外から男が顔を出した。イグナーツだ。
「到着した」
「おお!」
嬉しい報せを聞いて、待ちくたびれたとばかりに外に駆け出る。運転してくれていたイグナーツに礼を述べて、景色へ目を向ける――。
「え」
ヴァルターが前を見た瞬間、眼下に異様な光景が広がった。
「これは……?」
あとから続いて馬車を降りたヴェリが同じように目を見張る。
一面に広がる砂の海。そもそも少し北に行けば雪が降っているこのアストリアに砂漠があること自体がおかしいと言えばそうなのだが、目の前にはそれすら忘れるほどの奇妙な光景があった。
「本当に……“点々と”してる」
「点々と草木の生える地」という宝玉の書の記述。アンナが言ったように、砂で覆われた土地の中、草木がまさに“点々と”生い茂っていた。
丸や四角、またはどれとも取れない形の草原が、まるでその場所を選んだかのように不自然に配置されている。
緑と砂のコントラスト――生と死が入り組んだ謎の地帯は、かなり先まで広がっているようだった。
「あれ、なんでしょう」
フィリーネが指さした一点を見やると、灰色の物体が目に入った。
何らかの建造物に思われるが、崩壊して原形を留めておらずそれ以上の推測はできない。
「おそらく石か金属で造られたものだろうが……見たことのない様式だな」
「イグナーツが知らないんなら無理ね。とりあえず下に降りない?」
アンナの提案に乗って、全員で坂を下っていく。上から見下ろしていた状態から徐々に目線の高さまで砂漠地帯が近づいてくる。
「うお」
砂地に足を踏み入れた瞬間、思わず声が出る。硬いような、柔らかいような、不思議な感触の砂だ。たぶん全員が同じことを思ったのだろう、執拗に足踏みをして何度も確かめている。
「……なんか、変な集団みたいじゃない。早く行きましょう」
自身を客観視して恥ずかしくなったらしく、アンナが先陣を切って歩き出す。
「おい、レオ。行くぞ」
「……ああ」
他の者たちがアンナに続く中、まだ足踏みを繰り返していたレオにヴァルターが呼びかける。こちらに駆け寄ってくるレオをちらりと見て、
「お前、楽しんでたろ」
「黙れ」
図星だったらしい。やはり心の中で蠢く少年の本能にはレオといえども敵うまい。可愛いやつだと微笑みかける。
「ちょっと待て。俺は今微笑んだだけだぞ。槍を握りしめるな」
「ヴァルター」
「なんだよ」
「俺は他人に馬鹿にされるのが大嫌いだ」
「馬鹿にしてないだろ今の! だから何でそう感情の振れ幅がネガティブ寄りなんだよ!」
ヴァルターが勢いよく突っ込むと、レオは少し表情を緩めて走り去ってしまう。
その小さな背中を眺めて、
「……笑ってたな」
彼も少しずつ、変わり始めているのかもしれない。誰ひとり、ずっと変わらない人間など存在しない。
ふと、故郷の記憶が思い起こされた。目の前に広がる景色とは随分異なった、でもある意味殺風景という点では共通しているファンティーレ。
父親と母親と暮らし、幼いころは毎日アンナの家まで行って一緒に遊んだ。二人がこの世から消えてしまう瞬間まで、ずっとそんな日々が続くと思っていた。
現状を受け止め、この国を変えることをヴァルターは決意した。「変化」がどれほど恐ろしいものを中に含んだ概念か、その身をもって知っていながら。
理解しているはずでも、覚悟しているはずでも、たまに恐ろしくなる。これ以上変化するのは嫌だと。これ以上大切なものを奪わないでくれと。
前を歩く五人の後ろ姿をぼんやりと眺める。きっとこの旅で、全員が何らかの変化を経験している。
アンナは覚悟を決めた。
イグナーツは名声を捨てた。
フィリーネは弱い自分に終止符を打った。
レオは心を開き始めた。
ヴェリは一歩踏み出した。
全員が、一定ではない。今この瞬間も、定形を持たずに、ろうそくの炎のように揺らめき続けている。
それでも。それが真理であると理解していても。
「……誰も、失いたくないな」
ヴァルターの小さな呟きは、砂塵に乗ってどこか遠くへ飛んでいく。それでいい。こんな恐れなど、自分の知らないところへ消えてしまえばいい。
拳を固く握りしめる。爪が食い込んで、血がにじむ。
砂粒が口内に入り込むのも構わずに、大きく深呼吸する。
「変化を、恐れるな」
自分が知る人間の中で、最も臆病な人間に向かって吐き出した命令。あるいは宣戦布告と捉えてもいいかもしれない。
もうすでに、敵を倒している。自身にとって邪魔になる障害を、この力で人生という戦場から蹴落としている。
だから、もう後戻りはできない。
「――変化はすでに、始まっているから」




