第200話 「パクス=グレイツの宝玉」
「【歪曲】――!」
すぐさま起き上がったハザが、反撃に出る。
だが、ハーデストに向けて放たれた歪曲弾は、別の方向から飛んできた何かに遮られた。
「!?」
「――【水鞠】」
アリシアだ。アリシアが水の刃を撃ち出して、ハーデストを庇ったのだ。
「アリシア――」
「ヴァルター、私たちはこのくらいしか出来ない!」
「!」
「まだキルコーズが戻りきっていないの。あとはお願い」
「――ああ」
ハーデストとアリシアが後退していく。
「ヴァルターさん。頼みます」
「ハーデスト――ああ。任せてくれ。それと、」
「?」
「――ありがとう」
ヴァルターの短い礼に、ハーデストは薄く笑みを浮かべた。
二人が下がっていく。それを確認するやいなや、ヴァルターは一気に飛び出した。
「アインハルト軍! 片を、付けるッ!」
「応ッ!」
ルガルを発動、ヴァルターが一瞬にして斬りかかる。
ハザを挟み込むようにして、後ろからイグナーツも間合いに入り込んでいた。
「鬱陶しいッ!」
「!」
だが、二人とも引き剥がされる。【歪曲】で作られた槍で弾き返されたのだ。
しかし、アインハルト軍は二人だけというわけではない。
「レオ――!」
そこへレオが突撃。
ハザの目を盗んで上空へ跳び上がっていた彼が、視界の上から奇襲に出る。
数度続く槍と槍の打ち合い。闇色と朱色の輝きが交差する。
「切り替えだ!」
イグナーツが指示を飛ばす。レオがそれに従って、後ろへ引く。
同時にイグナーツが踏み込んで前へ。自然、二人の位置は即座に入れ替わったようになる。
ハザを翻弄させる綿密な連携。だが、それだけに留まらなかった。
「イグナーツ!」
レオが叫びながら、後ろから自身の槍を投擲する。
イグナーツはそれを薄黄色の防壁で受け止めて――勢いを失った槍をキャッチ、翻りながらハザの肩へ一撃を与えた。
「なに――!?」
イグナーツは右手に長剣を握っていた。
それもあって、突如として行われた左手からの攻撃には、ハザも対応しきれなかったのだ。
と、
「アンナ!」
崩落した王城の外壁から、アンナが飛び降りる。
彼女は勢いを保ったまま両手に炎を宿して、
「ふんッ!」
ハザの頭部を殴り飛ばした。彼女の炎がハザの髪に燃え移って、頭が燃え上がる。
つまり、これでハザは視界を失われたことになる。
たとえ一時的なものであっても、それで構わない。
「セレナ――ッ!」
ヴァルターが振り返りながら叫ぶ。必死の形相で。
少し離れたところで待機していたセレナは、彼の指示にその詠唱だけで応じた。
「――【安息】」
弓を構えたセレナのもとから、一本の矢が射出される。
それは圧倒的な速度をもって、空気を裂き、ハザのもとまで駆け抜けたあと――、
「がは――」
彼の心臓を、直接貫いてみせた。
「今だ――」
ヴァルターが彼のもとまで向かうと、そこで見慣れた少女がいたことに気が付いた。
フィリーネだ。ハーデストやアリシアだけでなく、彼女も駆け付けていたらしい。
「【維持】――これで大丈夫です、ヴェリさん」
「フィリーネ」
「ヴァルターさん。止めを、お願いします」
「――!」
フィリーネが治療を施してくれていたらしいヴェリが立ち上がる。
彼はヴァルターを見て大きく頷くと、
「【冒涜】」
ルガルを発動、自身を殺してみせた。薄紫色の髪が、一面銀色に染まっていく。
「行くぞ、ヴァルター」
「ああ――頼む」
ヴァルターが答えると、彼の視界が薄黄色の防壁で覆われた。イグナーツだ。
と、ヴェリが数歩下がる。それから彼は助走をつけてヴァルターのもとまで走ると、
「ふんッ!」
脳細胞を解除した圧倒的な膂力で、防壁に守られたヴァルターを蹴り飛ばした。
「――!」
イグナーツがルガルを解除する。ヴァルターの肢体が韋駄天の速さで向かっていく。
標的はただ一人――ハザ・エシルガのみ。
「すべて、終わらせる――」
これでいい。
ヴァルターが自身でルガルを使うより、ヴェリが蹴り飛ばすほうが瞬間的に速くなる。
これで――ハザが立ち尽くしている間に、彼のもとまで行くことが出来る。
「――おおおおおおおおッ!」
剣を構える。
「この、塵芥どもめ」
ハザは立ったままだ。アンナが燃やした頭部は元に戻っていた。
しかし体自体の再生は終わっておらず、心臓に刺さった矢を腹立たしそうに抜いている。
「何故そう、諦めが悪い。俺を殺す手段は、もはや存在しないのだぞ」
「俺はお前を、殺す――!」
「何故――待て」
ハザが何かに感づいたような顔をする。
だが、もう遅かった。
*
『――いいですか』
『話が、あります』
『【偉大なる秩序】は――――もう一つあります』
*
「――ハザァァァァァァッ!」
「まさか、貴様」
ヴァルターが到着する。ハザの眼前、目の前へ。
ヴァルターが剣を突き出す。構えていた剣を、そのまま前へ。
そこは丁度、ハザの心臓がある部分だった。
「【偉大なる秩序】――ッ!!」
虹色に、光る。七色に、輝く。
抑制剤の力を纏った剣が――ハザの心臓を、貫いた。
「ぐ――――あ」
ヴァルターが剣を引き抜く。
するとハザはよろよろと数歩後ろへ下がって、自身の心臓部分を両手で抑えた。
「がっ……」
彼の口元から血が吐き出される。
心臓――キルコーズを生み出す器官へ、【偉大なる秩序】を纏った剣を突き刺した。
確実だ。ヴァルターはそう思った。一度目のように中途半端ではなかった。
ハザの手などではなく――心臓を、突き刺したのだ。
「貴様――はっ」
ハザが驚いたような顔をして、ヴァルターを見やる。
自身が眼前へと差し出していた手のひらから、黒紫色の膜が生まれなかったのだろう。
「ルガルが――使えない?」
「心臓に抑制剤を流し込んだのと同じだからな。体中を巡る血液と一緒に、その効果は全身に行き渡っているはずだ」
ヴァルターが答える。その声音は喜びも達成感も抑えたような、控えめなものだった。
「俺はもう、不死身じゃない、のか」
その事実を、新しい自分をはっきりと認識して、ひどく動揺したらしい。
ハザは地べたに崩れ落ちるように座り込んだ。
尻をついて、まるで世界の敵とは思えない体勢をしている。
「フィリーネ、来てくれ。このまま放っておくと、ハザが死ぬ」
「はい」
指示に従ったフィリーネが駆けつけてくる。気付けば、他の仲間たちも寄ってきていた。
ハザは心臓を抉られている。彼はもはや不死身ではないのだから、さっさと治療する必要があった。
フィリーネの両手が緑色の淡い光に包まれ始める。その間、地面に座ったままのハザは、ぶつぶつと何かを呟いていた。
「いや、だが、謎だ。理解できん。何故……何故、お前はもう一つ【偉大なる秩序】を持っていたのだ」
当然の疑問だろう。この世界に存在する【偉大なる秩序】、もとい抑制剤は三つだけだった。一つ目はアレンが使用し、二つ目はエウロが破壊し、三つ目はヴァルターが失敗した。
だがハザは脳を回転させて、自身で正解の結論へと至ったらしい。
「ああ、そうか……ジナリオルの体内に、埋め込まれていたものか」
もう隠す必要もない。ヴァルターはそう思って、すべてを洗いざらい話すことにした。
「そうだ。エウロが破壊する直前に、俺の【虚像】で見た目だけ同じ宝玉を複製して、場所を入れ替えた」
正史の伝播が終わった直後、エウロはジナリオルを殺害したあとで、彼女の体内から宝玉を取り出したうえに破壊していた。意志を失いかけていたヴァルターは、それを何もせずに見つめていただけだったのだが――、
『俺の先祖に俺の生き方を決める権利はない。――俺は、俺だ』
エウロが口にした言葉を耳にした瞬間、走馬灯のように、これまでヴァルターが殺してきた人たちの姿が浮かび上がってきたのだった。ダグラーリン、オスニエル、エマ。彼らはみな、殺される必要のなかった者たちだった。それなのに、ヴァルターは殺したのだ。勝手な正義のために、彼らは犠牲になった。
三人の尊い命を奪っておいて、こんなところで意志を失っていいわけがない。ほとんど地に堕ちかけていたヴァルターの心が、そのときだけ、強く叫び声をあげた。闇へと引きずり込まれる直前に、最後の足掻きをしてみせた。まるで星が寿命を迎える最後の最後に、一番明るく輝くかのように。
【虚像】はそのものの中身までコピーすることは出来ない。だからヴァルターはルガルを発動して、外見だけ宝玉とそっくりな物質を複製した。そしてそれと、エウロが踏み潰そうとしていた本物の宝玉、二つの位置を入れ替えさせたのだ。つまり、エウロが破壊していたのは、偽の宝玉だった。
「ブレストラの斜塔へ【偉大なる秩序】を回収しに行く前から、俺はもう、同じものを持っていた」
「……そういうことか。一つ入手してすぐ俺を殺しに来ないとは、随分肝が据わったな」
「贅沢に二つ使えるのなら、そっちのほうが成功確率は高くなる。実際お前が、俺が【偉大なる秩序】をすべて使い切ったと油断したおかげで、今こうなってるんだからな」
「途中でお前が死んで、二つとも無駄になることは考えなかったのか?」
「考えたさ。ブレストラの斜塔で飲み込む前に。少なくとも俺が二つ持っているより、分散させたほうがリスクは低いだろうって。でも、俺が飲んだ。これは俺が始めた戦いだから」
「……そうか」
斜塔で最後の宝玉を手に入れたあと、ヴァルターは確かに、それを飲み込もうとした腕の動きを止めた。すでに自分は体内に一つ【偉大なる秩序】があるというのに、二つも持つ必要はないのではないか――そう思ったのだ。だが結局、ヴァルターが飲み込んだ。
と、ハザはフィリーネによって治療された自身の心臓部をちらと見て、述べる。彼の表情や声音は、すでに落ち着いたものに戻っていた。ただ、どこか寂しそうで、切なそうだった。
「他人に助けてもらわなければ、傷が治らない。こんなのは、初めて……いや、そうか、傷が治らない時代が、あったのだな。俺は、人間に――普通に、戻ったのか」
「……」
「ヴァルター。お前が、俺の心臓を貫いたとき、同じ痛みを感じた。アレンに心臓を穿たれたときと、同じ痛みだった。オイゲンといい、お前といい、ナキリの執念というのは異常だ。何百年も、何千年も、脈々と続いている」
「……歴史と同じだ。全て、繋がっている。関係のない一瞬なんて、存在しない」
「そうか。そうかもしれんな。……いつまで、こうしているつもりだ。殺すのなら、早く殺せばいい。もう俺は、何の力も使えないのだから」
ハザはそう、淡泊に言った。だがヴァルターはその言葉に対して、あえて首を横に振る。
「まだだ。お前みたいなやつでも、死に場所は残ってる」
「……?」
ハザは最初こそヴァルターの言わんとしていることが理解できなかったらしい。
だが少し考えて、彼が断わった理由に察しがついたらしかった。
「ああ、なるほど。ここまで来て、馬鹿なやつだ。結局お前は、世界の正史やナキリがどうこうではなく、ただアストリアのために動いていた」
ヴァルターは、世界の敵ハザ・エシルガを殺したいわけではない。
ただ――アストリアに仇なす悪王、ハザ・エシルガを殺したかったのだ。
「父さんや母さん、おばさんの復讐も、だ。別に、アストリアだけってわけじゃない」
「それでも、俺が世界の敵だとかは興味がなかったはずだ」
「ああ。だってお前は、ただの人間でしかなかったから」
「――ふっ。そうだな」
ヴァルターの言葉を聞いて、ハザはそう、やはり寂しそうに笑った。
*
それからアストリア国王ハザ・エシルガは、裁判にかけられた。彼を斬首刑とするかどうかの裁判だった。そして投票の結果、ハザはギロチンにかけられることになった。
アストリアには死刑執行人がいたが、今回に限って特別に、革命の英雄であるヴァルター・アインハルトが執り行うことになった。
「我々は、苦しめられた」
断頭台のうえで、ヴァルターは言った。王城前の広場。その周りを、多くの民衆たちが取り囲んでいた。兵士たちが諫めようとしていたが、それも無駄であるようだった。
「だがそれも、これで終わりだ。アストリアを疲弊させた悪王ハザ・エシルガは、今日をもって、我々の王ではなくなる」
カメラのシャッター音が鳴り響く。新聞記者たちも国内中、いや、世界中から集っているようだった。
「革命は成功した。我々アストリア国民は、自由を勝ち取った!」
「うおおおおおおお――――!」
ヴァルターが腕を掲げると、民衆たちもそれに応じた。熱狂的な空間が、王城前の広場に形作られていた。
そんななかで、断頭台のうえにうつ伏せで横たわっていたハザは、ぽつりと呟くように言った。
「俺は本当に、死ぬんだな」
「……」
ヴァルターは彼の声を聞いて、掲げていた腕を降ろした。そして、ハザにだけ届くような小さな声量で返す。
「そうだ。お前がどれだけ生きてきたのか、知らないが。……死ぬのは、嫌か」
「嫌といえば嫌だが……俺は、有罪だ。こればかりは、仕方がない」
「……」
ハザの表情はうかがえない。
だからヴァルターは、その声音から内情を察するしかなかった。
「……ミオに、追い付けるだろうか」
「――」
率直な疑問。いや、それはもはや願いと言ってもいいだろう。
ここで彼が少しでも心安らぐような答えをしてやることも出来たのかもしれない。ただ、ヴァルターはその点、どこまでも冷静だった。
「……世界の正史で見た限り、ミオさんはいい人だった。だからきっと、それは無理だろ。お前はたぶん、地獄行きだ」
「……そうだろうな」
ハザが押し黙る。民衆はまだ騒いでいた。
「なあ、ヴァルター。最期に、一つだけ聞かせてくれ」
「……なんだ」
「俺は、特別だったか」
「……」
特別になりなさい。
ハザがその言葉に、母親からの呪縛に苦しめられていたことは、知っていた。
そしてそれを救っていた唯一の存在が、東郷澪という女性だったことも。
だからヴァルターは彼に何と返すべきか迷った――だが、やはりこれも、正直に言うべきだと思った。
「特別とか、普通とか。他人が決めることじゃねえよ」
「……」
「お前がお前のことを特別だと思うのなら、それはもう、特別なんだ。誰に何と言われようと、それがお前の正義なら、揺るぐことはない」
「……ああ。まったくだ」
ハザはおそらく、笑っていた。だがそれは、彼がよくしていた傲慢な笑みではなかった。身震いするような悪魔の笑みでもなかった。
それは、普通の人間がするような――心の底から生まれ出た、純粋な笑みだった。
「……さよならだ。ヴァルター」
「……ああ。ハザ」
リグ・ウレゴス暦1805年。
そのよく晴れた日――アストリア国王ハザ・エシルガは、処刑された。
*
「ヴァルター」
後日、一人で王城の屋上を訪れていたヴァルター。彼の背中へ、一つの声がかかった。
「イグナーツ。みんなも」
振り返れば、階段を上ったあたりにアインハルト軍の面々が立っていた。しかも、それだけではない。
「ユージン王、ハーデスト、アリシアまで」
アインハルト軍の他に、アントゥーク軍の三人も来ていた。これでは勢揃いではないか、とヴァルターは困ったように微笑んだ。
「どうしてここに?」
彼の問いかけに代表して答えたのは、アンナだった。
「あなたが思い詰めたような顔で屋上に行ったってフィリーネから聞いたから」
「偶然、ヴァルターさんを見かけたんです」
「みんな心配して、様子を見に来たんだよ」
あとに続いたのはフィリーネとヴェリだった。わざわざ屋上に来たのは、何となくハザと最後に戦った場所へもう一度だけ行こうと思ったからだ。特にこれといった理由があったわけではない。
ただ、自分の始まりと終わりに大きく関わるこの場所を訪れることで、どこか晴れやかな気持ちになれるような気がしたのだ。
「思い詰めたような顔って、そんな大袈裟な」
「それが、そうでもないようでな」
「どういうことだよ?」
イグナーツが意味深長な表情で首を振ったので、ヴァルターは気になって問いかけた。
「アストリア国民たちの間で、次の王は誰なのかと噂が立っている。ハザが倒されて、もう数日だ」
「噂というか、議論じゃないのか」
「まあ、レオの言うことも正しい。とにかく――ヴァルター。国民たちはほとんどが、君が新たな王になることを望んでいるのだ」
「え――」
自分が、王に。
確かにイグナーツとは出会ってすぐのころから、ハザを倒したらもう一度選挙をやり直そうという話をしていた。いわゆる選挙王政である。王冠の名のもとに、国民が王を選出する――そういうようなことを行おうと、話をつけてはいたのだが。
「この状況は、もはや選挙など必要ないのではないか」
イグナーツが口角を上げて笑いかける。どうだ、私の言う通りになっただろう――彼は、どこかそんな自慢げな顔をしていた。まるで自分の慧眼に間違いはなかったとでも言い出しそうな雰囲気である。
「……俺が、王に」
「俺は賛成ですよ、ヴァルターさん」
最初にそう言ったのは、意外なことにハーデストだった。だが、彼はアントゥークの国民だ。どうしてアストリアとは直接的に関係のない彼が賛同するのだろう。
そう疑問に思ったのも束の間、それはすぐに払拭されることになった。
「ダグラーリンに夢を託されているんでしょ。貫いた正義が結果を生み出す瞬間が見たい、って」
代わりに答えたアリシア。するとハーデストが頷いて、
「きっと、ダグラーリンさんも喜ぶと思います」
「……」
彼らの言葉を聞いて、ヴァルターは黙り込んだ。少し考えていたのだ。ブレストラでハルルアートから「ハザを倒したあとのこと」を考えなければならないと教わって、ヴァルターも自分で色々と巡らしていた。
そして、彼は思った。やはり自分に王は向いていないと。
「……俺は、王にはならないよ」
「!」
これまで、多くの「王」をこの目で見てきた。アントゥークのユージン王、エウフエイヴのカヌア、そして、アストリアのハザ。王族も含めれば、そこにはブレストラのハルルアートも入ってくる。皆、きっと王の器を有した者たちだった。
だが、彼らと比べて、ヴァルターが同じような役目を背負えるかと言われたら、それはきっと無理な話だった。やはり自分には向いていない。自虐でも何でもなく、ただ冷静に、客観的に自らを見つめて、そう思うのだ。
「それに、そもそも王って存在は必要なのかって、疑問に思うんだ」
「どういうこと? ヴァルター」
今度はアンナが問いかける。
「アストリアに新たな王は必要ない――革命で勝ち取ったんだから、みんなで治めていけたらいいんじゃないか」
「つまりヴァルター、君は王政を廃止すると?」
イグナーツが驚いた様子で尋ねる。ヴァルターはそれに「ああ」と頷いて返した。
「王が存在しない――つまりは共和制か。アストリア王国ではなく、アストリア共和国になると。驚いたが……確かに、君らしいかもしれんな」
「アストリア共和国、ね。結構いい響きなんじゃない?」
イグナーツに対して、セレナが賛成するように言う。
すると今まで黙っていたユージン王が、おもむろに口を開いた。
「アントゥークとしては、どちらでも一向に構わない。王国でも共和国でも、同盟相手として対等に向き合うだけだ」
「……もっと、よく考えてみます。それこそ、みんなで話し合えばいい」
ヴァルターが言うと、他の全員はそれで納得してくれたようだった。
ハザは倒したのだから、時間はたっぷりある。ゆっくり国民同士で話し合って、考えていけばいいだろう。
「……ヴァルター?」
誰ともなく、彼の名を呼ぶ。
突如としてヴァルターが振り返って、屋上の奥のほうを見つめていたからだ。
「ハザは……」
彼が見つめていたところ――それは、最後にハザの心臓へ剣を突き刺した、ヴァルターがすべてを終わらせた場所だった。
「ハザは、たったひとりのためにいくつもの人を殺した。その点に関しては、俺も変わらない。たったひとりを殺すために、いくつもの人を殺した。人食いの殺人鬼を殺した。子供たちを救いたかった男を殺した。幸せになれたはずの二人を殺した。最期まで自身の生き様を貫いた騎士を殺した。本当は、殺したくなかった人もいる。でも――でも、やっと、あのときの苦しみが、痛みが、嘆きが、認められた気がする」
そう、彼はゆっくりと言って――やがて、振り返った。
「背負い続けるよ。彼らの死は無駄じゃなかったってことを、俺が世界に証明し続ける」
それは、新たな覚悟と言ってもいい、決意に満ちた宣言で。
ヴァルター・アインハルトという男は、歴史的に見れば英雄だったのだろう。
だが、その中身は――栄光を掴み取る過程で出した犠牲を忘れまいと心に刻むような、人間らしい、普通の男だった。




