第12話 「怨恨の果てに執念の刃を」
倒れた木の上には、倒れたはずだった金髪の少年――レオの姿。
「まだ気絶してなかったのか!?」
「なんてタフな……!」
「――下がれ!」
イグナーツの叫びに耳が痛む。しかしおかげで平常心を取り戻せたので、イグナーツの言葉に反対することもなく振り向いて駆け出した。自分たちがイグナーツの近くにいても、足を引っ張ること以外に出来ることなど思いつかない。
先程イグナーツとレオの戦闘を見ていたところまでと、ほとんど同じ場所に戻る。
「殺す!!」
レオはそう、幾らか怒気を強めた声で放つと、イグナーツの目の前に現れた。
――現れた?
「ぐ――!?」
ヴァルターから見て右、丁度この森の出口がある方向に吹き飛ぶイグナーツ。一体、何が起こったと言うのか。
「急に現れたように見えたけど、まさか……な」
「おそらく……現れたんじゃなくて、動いた」
フィリーネが言う。動いた。つまり距離を無視したのではなく、肉眼で追いきれないほどの速さで移動したということだろう。
「それが貴様のルガルか」
イグナーツが立ち上がる。かなりの威力を持った攻撃だったろうに、受けた傷は左頬の出血のみ。
「咄嗟の【城砦】で守備力の弱い防壁ではあったが……それを軽々と破るとはな」
イグナーツによれば、彼はレオから攻撃を受ける際、瞬時にその左頬に【城砦】を張ったらしい。
そしてレオはそれを破った。完全ではない防壁だったとは言え、ヴァルターらに思い込みをさせたほど微動だにしなかったあの防壁を、である。
一体先ほどまでのレオと何が違うのか――などと疑問に思うことが馬鹿らしいほど、彼の変貌ぶりは驚愕に値するものだった。否、レオ本人ではなく、レオの右手に握られた槍である。
レオの身長の倍以上はあったはずの漆黒の槍が、今やレオでも片手で持って振り回せるほどの短さに収まってしまっている。大体ヴァルターの肩から拳ぐらいの長さで、あれでは槍本来の強みであるリーチを丸ごと溝に投げ捨てたようなものだ。
「そのルガルはどういったものだ。私も曝け出したのだから教えてくれないか」
「――」
レオは無視して突撃、対してイグナーツは剣に【城砦】を纏って防御。再び打ち合いに入る。
最早その攻防は捉えきれないほど速く、ヴァルターの平凡な眼では意識全てを視力に集中させなければ、二人が何をしているのかすらわからない。
ほんの少しでも気を緩めたなら、剣と槍がぶつかる音のみでしか戦闘が続いていることを判断できないだろう。
レオの槍が異様に短くなったことで利点であるリーチの長さは消滅、更にレオが不利になるかと思われたが、意外にも戦況は傾くどころかどちらも引けを取らない互角のものだった。
通常より柄が短い槍に手槍というものがある。しかし彼のものはそれ以上に長さを持たず、当然イグナーツにとっても予想外だったはずだが、おそらく状況が拮抗している理由には成り得ていない。戦闘中に味方まで欺ける心の余裕を保っておいて、そんなことでイグナーツが動揺するとはまず思えないからだ。
では、何故戦況が動かないのか。
「オオオオオッ」
右から左へ水平に薙ぎ払われる、随分と見栄えを悪くした悪魔の羽。
しかし、その威力は言葉に表すのも馬鹿馬鹿しくなるほど、目に見えるものであった。
「――チッ」
防壁を纏った剣が凄まじい衝撃を受け、イグナーツが後退する。
「最早槍の攻撃ではないな」
イグナーツの言う通り、普通ではない。単純に考えれば小さくなって攻撃力が弱まるはずなのに、逆に強くなっている。今まではレオがイグナーツを押し出すことなどなかったのだ。
「それに力だけではない……スピードもか。得物のリーチを手放す代わりに身体能力を底上げする――強化型のルガルだな」
攻撃力と速さの増強――まさしくイグナーツと正反対のルガルである。
ともに人を超えた猛者であり、そして扱うルガルは表裏一体の”攻撃”と”防御”。そうとなれば、実力が拮抗し戦況が傾かないのも納得、必然であった。
イグナーツが周囲に【城砦】を張り下段に剣を構えたのを見て、レオが突撃。右腕を高く掲げ一気に振り下ろす。が、先程とは違ってイグナーツを後退させることは出来ず受け止められた。
そこに反撃、防壁が消え、剣技が踊る。イグナーツの【城砦】は外部からのアクションを全て拒絶するだけでなく、内部から――つまりイグナーツ自身から敵へ――も遮断してしまうらしい。
が、イグナーツの攻撃のうち一つ目、正中線を狙った切り下ろしを躱したかと思いきや、レオはその後に続いたはずの攻撃を無視するように、再び上部からの振り下ろしで無理やり長剣を弾いた。
まるで相手の攻撃など考えに含まれていない、攻撃に攻撃で返すやり方――まさに攻撃こそ最大の防御とはよく言ったものである。
「なに」
さすがに心を乱されたらしく、後方に跳んで距離をとり【城砦】を張り直すイグナーツ。
が、レオは慈悲をかけることもなく、その人間離れした速さであっという間に距離を詰め直し、更にイグナーツを攻め立てる。
小柄なためか、レオはあの極端に短い槍の扱いが非常に上手い。短さを逆に生かして機動力を重視したような戦い方で、上下左右では飽き足らず、様々な方向から素早い突きと薙ぎ払いでイグナーツの半球体の防壁を苦しめていた。まさか、元々のものより今の長さの方が扱うことに長けているのか。
鬼神の如きレオの猛激が、今にも【城砦】を砕かんと襲いかかる。そして、その瞬間は案外呆気なく訪れた。
――パリン。
一度たりともイグナーツ本人に傷をつけさせなかった、最大の守備であった半球体の【城砦】。ついにそれにヒビが入り、そして全体に広がって――瓦解した。
目を見開くイグナーツ。しかしその瞳には、残る闘魂。決して負けを悟ってなどいない。
次の刹那、穿たれるであろう止めの一撃を捌こうと、彼の動きを見ながら打ち込んでくる場所を瞬時に予測。
レオは右からの突きを選択したらしく、単純でありながらも強力な風を切る突きがイグナーツの心臓部へ向かってくる。しかし、読んでいる。両手に握られた長剣を心臓の前に置き、これで防御は完璧、あとはそこから反撃を繋げるだけ。
――レオは更にその上をいった。
「!?」
右から突きが放たれると思いきや、それはイグナーツの心臓に置かれた剣に到達する途中で進路を変更、レオの右腕は引っ込み、蛇のように背中へ回される。そのまま左手に槍を持ち替え――持ち替えた勢いのまま、左からイグナーツの腹部を乱暴に薙ぎ払った。
「イグナーツ!!」
ルガルで強化された一撃が打ち込まれる。その完成度はレオが蹴りを入れたとき以上で、まさに決定打。
イグナーツは吹き飛ばされて転がったのち木に激突。横向きに倒れたまま起き上がらない。
そこへレオが歩み寄っていくのを視界の端に捉え、思わずヴァルターの足が前に出たところで、後ろから手首を掴まれた。
「アンナ」
「ダメ。私たちが干渉したら、もっとまずいことになるわ」
「わかってる。でもイグナーツが」
「イグナーツはあれだけでやられるような人じゃないでしょ。彼を信じるの」
「確かにそうかもしれないけど、でも」
抵抗しても、アンナがヴァルターの手首から、その柔らかな左手を離すことはない。
無論、ヴァルターとてアンナの言わんとすることは承知している。冷静にこの状況を鑑みるなら、イグナーツという千人力の騎士と、彼と対等にやり合う少年が人の域を超えた戦いを繰り広げていて、その中に割って入って己の命を守り通せるほどヴァルターたちは戦闘に長けていない。
加えて、あのイグナーツがたった一撃でダウンするかと問われれば、それに頷いて即答するだけの根拠を持ち合わせるのはきっと神ぐらいのものであって、ヴァルターには到底不可能な審判だった。
さらに、考えなしに飛び出したところで、状況が良くなるどころか悪化する恐れすらある。
故に、今ヴァルターらがレオへ刃を向けるのは愚策でしかなかった。
しかしそれは、この場を冷静に眺めた場合にのみ適用されるのであって、ヴァルターにとってその判断は冷静ではなく冷酷だとも思わせるもの。
レオが一歩ずつ、彼の小柄さを全く感じさせないほど、勝利を確信した獣のように雄大に、そして穏やかに土を踏みしめる。獲物を喰らう瞬間まで、あと数歩。
それでもイグナーツは立ち上がらない。樹木の前で横向きに倒れ伏したまま、沈黙を保っている。
「クソ、起きてくれイグナーツ」
やがてレオはイグナーツの目の前にたどり着き、槍を回転させながら構える。狙う矛先は一点。無防備な額へ、無残にも最期を告げる一突きが放たれ――。
「【火天】!」
――槍を穿とうとするレオへ、火球が衝突した。
「アンナ!? お前」
「――うるさい! 手が滑ったのよ!」
「お、おう!?」
火球はレオに直撃した後――否、当たっていない。レオは火球が向かってくるや否やすぐに察知し、槍を元の長さに戻してそれを回転させながら受け止めた。槍の素早い回転に従って炎は八方へ逃げていき、木に燃え移る寸前に消滅。
「ほらね。私たちが何をしようが何にも効きっこない。手を出しちゃいけないのよ」
「出したのお前だろ」
「うるさい! いいからさっさと――来るわよ」
アンナが冷や汗を垂らして、呆れたふうに口元に笑みを浮かべながら、レオへ攻撃することの無意味さを繰り返し述べると、突然彼女の声音が低くなった。
レオがその鋭い眼光でこちらを睨みつけてきたのだ。完全にイグナーツから狙いを変えた瞬間である。
と、隣に歩み出たアンナがびくっと体を震わせた。レオと目が合ったようだが、それに対してヴァルターには、あの金髪の少年から発せられているのだろう威圧感といったものがそれほど強く感じられない。
「……俺は眼中にないってか」
あくまでレオが消すべきだと判断したのはアンナであって、断じてヴァルターではない。
そのこと自体と、そしてそれを事実だと認めるしかない自らの凡才さに、少なからず腹の中の何かが焼けるような気を抱いた。
「ちょっと、ヴァルター!?」
アンナの驚く声。当然といえば当然だろう。
ヴァルターは自ら、アンナをレオから遮るようにして、彼女の前に立ったのである。右手で腰に装備した片手剣の柄を握り、それを一気に引き抜く。
陽光に煌めく剣。商人から購入した安上がりなものだが、ヴァルターにとっては自分の最初の相棒である。
それを不慣れな仕草でよたよたと構えた。新鮮な動作のため不格好なのではと心配したものの、こうしてみるとそれなりに様になるのではないか。
「来い」
レオと目が合う。望んでいたような、望んでいなかったような不思議な感覚と同時にヴァルターを蝕んだのは、レオからありありと放たれる圧倒的な殺気。
その凄まじさは今にも膝をつきそうなほどで、それだけでヴァルターには彼が人間ではない何かの化け物に思えた。
「ヴァルター、そこをどいて。私にはルガルがあるわ。せめて私が」
「あいつには俺らが何しようが効きっこないんだろ。だったら俺がやろうと変わらねぇ」
膝が笑い出し目に涙が浮かぶほどの恐怖の中、慣れないことを言ったせいで震え声になってしまった。きっと今のヴァルターは、最高に格好悪いはずだ。
だが。
「イグナーツ!!」
少しでも彼に聞こえるように、何とか震えを耐えながら叫ぶ。
「俺が一瞬――いいや、一撃だけ耐えてやる! その間にさっさと立ちやがれ!!」
何とも身勝手で他力本願この上ない宣言。非常に哀れで恥の念を抱くものの、今のヴァルターに出来ることはこのぐらいが精一杯だ。
レオが顎を引いて槍を構える。直後、怒涛のスピードで駆け出した。
狂気的なまでの殺気を真正面に受けながら死神の鎌を待つとは、ヴァルターには余りある苦行である。まぁそもそも、この少年と対峙する上で”待つ”ことなど実質存在しないのだろうが。
レオが足を踏み出してから一秒と二秒の間ほど。そのぐらいの疾風の如き速さで、ヴァルターとレオの距離は詰められた。
右から迫るは漆黒の槍。再びその身を縮めたそれは純粋な暴力と化し、ヴァルターの剣とぶつかり合う――。
「――うあああああああああああ!!」
薙ぎ払われた槍を剣で受け止めた瞬間、体が全て支配されたかのような錯覚に陥った。
脳が命令を出しても器官は動かず、ただただ右から放たれた悪意の塊に従って吹き飛ぶことしか出来ない――それでは嘘をついたことになると、ヴァルターは悲鳴にも似た叫び声をあげて踏みとどまった。
レオの一撃を何とか凌ぎ切ろうと、全身の骨が軋むような痛みを受けながら、全神経を腕のみに集中させたヴァルターの剣がレオの槍を抑える。
しかし最初の衝撃に耐えたのはいいものの、ここからレオを押し切れる自信がまるでない。今にも弾き飛ばされそうである。そもそも子供と子供がやるようなこの純粋な力比べで、ヴァルターの勝算などゼロだったのだ。
漆黒の槍と激突してから約二秒、剣にヒビが入る。そのヒビは徐々に全身を侵食し、イグナーツの【城砦】以上にあっさりと――剣は砕け散った。
剣が砕けたおかげでレオの圧力は散開したが、それは九死に一生を得ただけに過ぎない。ピンチなのは相も変わらず、レオの更なる第二激が襲いかかり、
「――ぐッ!?」
逆方向から向かってきたレオの槍がヴァルターの首を切断せしめんとしたときだ。
ヴァルターの左手から、隠されていた銀色に輝くナイフが現れた。
生きることへの貪欲さが、ヴァルターにその勇気を奮い起こさせたと言っていい。
自らレオの元へ踏み込んで体を近づけたかと思うと、槍が首を掻っ切る直前に、レオの腕へナイフを突き刺したのだ。
それに合わせてレオの動きがピタリと止まり、槍が地に落ちる。
「ぐああああああああああああああ――――――ッッ!!」
耳を劈く絶叫。
しかしこれはヴァルターのものではなく――レオであった。
血走った目をむき、涙を流している。そしてナイフの刺さった腕からは、少量の血がこぼれていた。
予め左の手のひらに含ませておいたあの村のナイフで、自分が無我夢中に、レオの槍すれすれに彼の腕を刺したことはわかる。あと少しで刺し違えていたこともだ。
が、深く入った覚えはなかったので、レオのあまりに大袈裟な反応に疑念を抱いた。
「どういうことだ」
「お前エエエエエ!!」
「がっ……!?」
腹部に強烈な痛み。怒りに身を任せたレオに蹴りを決められたらしい。
あれだけ堪えていた忍耐はどこへやら、呆気なく吹っ飛んでイグナーツと同じように木に突撃する。咳き込むと、服に点々と血が飛び散った。
「ま、ずい……アンナ、フィリーネ」
レオは今まで以上に正気を失っている。このままでは、次に攻撃の対象となるのはアンナとフィリーネだ。
なるほど確かに自分が手を出したのは間違いだったかもしれないと、アンナの言っていたことを今更ながらに痛感した。
「く、そ、さっさと、起き……やがれ、イグ……ナーツ」
少しずつ意識が朦朧としてきた。
木に衝突したとき後頭部もぶつけていたようだし、気絶するのも時間の問題だろう。
「ばか、やろ……」
悪態をつききることすら叶わずに、ヴァルターの意識は深い闇の中へ。
すると、そのときだ。
「私が、治します」
「……!」
麦わら帽子を被った美しい少女が――小さな拳を固く握り締めて、告げた。
「フィリーネ」
アンナが驚いたように名前を呼ぶ。臆病な彼女にそのような顔が出来るとは思っていなかったのだろう。何を隠そう、ヴァルターとて同じだった。
フィリーネは、その整った顔に不安と恐怖の色を浮かべながら――敵へ挑もうとする、決意を感じさせる表情をしていた。
「私がイグナーツさんを急いで治します」
「っ、フィリーネ! 待って、今動いちゃ――」
瞬間、フィリーネが足を踏み込む。と、アンナが制止した通り、彼女たちのほうへ向かってきていたレオがゆらりと目線を移した。彼の緋色の瞳はフィリーネの背中を追っていたのだ。
イグナーツを治す――その言葉を聞いて、彼女の行動を止めようとでも考えたのだろう。
だが。
「私は、足手まといじゃありません」
「!」
フィリーネが言う。意を決したように。彼女はすでにイグナーツのもとへ辿り着いて、しゃがみ込んでいた。すると間髪入れずに、意識のないイグナーツへ両手を差し出す。
「【維持】」
何かを呟いたかと思えば、彼女の白く細い指先から手首にかけてが、全体を覆うようにして緑色の光で包まれた。フィリーネのルガルだろう。
「私は村から出たいんです。強くなりたいんです。もっと、色んなことを知りたいんです。でも、イグナーツさんは駄目だ、駄目だ、って。お父さんもそうでした。危ないからやめろって。どうしてですか」
「フィリーネ……」
「どうしてあなたたちは、今もこうして自由に外の世界を経験しているのに、私だけが駄目なんですか」
「……!」
アンナの瞳が恐怖に染まる。目線を移していたレオが、ゆっくりとフィリーネのもとへ歩き始めたのだ。
「フィリーネ、後ろ――」
「私が弱いからですか。私が未熟な女の子だからですか。私に戦う力がないからですか。でも、それでも私は――このままじゃ、いられないんです」
「フィリーネ――!」
レオが踏み込む。槍の穂先を、目標の背中に固定して。
迫る。距離が詰まり、あと少しで彼女の華奢な背中が貫かれそうになる。
しかし、フィリーネの両手を包んでいた緑色の光が収まったのも、そのときだった。
「馬鹿に、しないでください」
「――ああ」
「!」
「もう、十分だ」
ヴァルターの意識が、落ちていく。
だが彼は、途切れる直前に聞こえた低い声と、振るわれた剣の風を切る音に、確かな安堵を抱いていた。
*
ゆっくりと、目を開く。どのくらい意識を失っていただろうか。
「ヴァルター!」
アンナがヴァルターの近くに座り込んで、心配そうに名を呼ぶ。
気絶する前、腹と背中、そして頭にかなりの傷を受けたため、立ち上がるのはしばらく不可能かと思ったが案外すんなりと立てた。
そのことに意外そうにしていたのに気づいたのか、
「フィリーネがルガルで治療してくれたのよ。イグナーツもね。えっと、何て言ったかしら」
「【維持】です」
「凄い能力だ。本当に人の傷が治せるとは。……君の気持ちは十分に伝わった。すまなかったな」
「わ、私も、取り乱してしまってすみませんでした」
フィリーネが照れたように頬をかく。その隣に立っているイグナーツも、受けた傷がきれいさっぱり治っているようだった。
「本当に治ってる。びっくりだ。ありがとな、フィリーネ」
「い、いえっ」
フィリーネが小動物のようにぶんぶんと首を振る。
「……それで、どうなった?」
「簡略に説明しよう」
イグナーツが口を開き、始終を要約して語る。
ヴァルターが蹴られたあと、フィリーネによって治療を施されたイグナーツが覚醒し、すぐに向かってきたレオへ斬りかかったらしい。
レオはそれを躱したもののルガルを使っていなかったこともあり(槍も長くなっていた)、イグナーツ優勢がしばらく続いた後レオの隙を突いて、やむなく背中を切りつけた。
それが致命的な傷になりレオは行動不能となったようで、その場に倒れ込んだ。
「レオは?」
「あそこだ」
イグナーツが指さしたのは、ヴァルターのほぼ対角線上に位置する一本の木の幹。その下にレオが背を預けて座っていた。
そして彼の周囲には、本来イグナーツの体に纏われるはずの薄黄色の防壁が。
「気絶した後、縄で縛りつけようと思ったのだが……奴には縄を力ずくで破り解くことなど、パンをちぎるのと同じだろうからな。私の【城砦】で代用した」
「放っておくと出血多量で死んでしまいそうだったので、あの子も少し治療しました」
もじもじと述べるフィリーネにイグナーツは頷くと、レオの元へ歩みを進めた。
ヴァルターもそれに続く。
「レオ・エーレンベルク、といったな」
四人がレオの目の前まで来て、イグナーツが代表して口を切る。
が、レオは俯いたまま返事をしない。彼が身につけている質素な軽装は所々に血がこびりついており、先程まで行われていた戦闘の生々しさを想起させる。きっと背中部分は更に赤く染まっているだろう。
返答を待つ必要はないと見て、イグナーツが質問を続ける。
「端的に聞こう。私たちを襲った目的は何だ」
イグナーツ特有の低い声で言い放つ。相手を威圧し震え上がらせる、静かな雄叫びのような声。
しかしレオはそれに屈せず、顔を上げるとその鋭い眼光でキッとイグナーツを睨みつけた。
対してイグナーツはゆっくりとした動作で騎士剣を引き抜き、レオの眉間――【城砦】を合わせても剣先との距離は数センチ――にそれを突きつけた。
「私がこの防壁を消せば、貴様が瞬きをする暇もなくその眉間を貫く。己の状況をよく鑑みることだ」
ゾッとするほど冷徹なイグナーツの行動に、思わず背筋が震える。子供相手にやり過ぎでは――否、これはそういう話ではない。
レオはヴァルターと違い動じた様子は微塵もなかったが、小さく舌打ちするとようやく口を開いた。
「――俺はあの滅びた村の生き残りだ」
「滅びた村……って私たちがさっきいた村のことよね」
「俺もよくは知らないが、あの村は空間を歪ませる能力で存在を隠匿していた。でもある日」
レオから語られた村での出来事は、まさに生き地獄そのものであった。
口にするのも憚られるような、むごたらしい少年の記憶。
それでもヴァルターは、彼の言葉を拒絶することを敢えて拒絶し、噛み締めて飲み込んで、そのちゃちな脳へと植え付けていく――。




