死屍累々と恐れられた暗殺者が、なぜかターゲットである皇女に仕えることになった話
「次の暗殺対象は帝国の皇女だ」
「帝国の皇女……わかった」
いつものように命じられた暗殺対象を処分する。
そこには感情など存在しない。俺にとってはただの作業に他ならない。
出された食事を胃の中に押し込むようなものだ。
何人殺したかなどとうに忘れてしまった。
数えるのも億劫なほどの屍を踏み越えて俺は今ここに存在している。
いつしか『死屍累々』そんな名で呼ばれるようになったが、興味はない。
俺と言葉を交わしたものは、すでにこの世には居ないからだ。
帝国の皇女……真実を見抜く神眼を持つと言われる絶世の美女。
まだ成人したばかりだというが、短い人生だったな。
「今夜は月が綺麗ね。アンリ」
「……そうだな。綺麗かどうかはわからないが、普段より丸い」
俺は暗殺対象である皇女に仕えることになった。
なぜそうなったかは、今でもよくわからない。
あの日、俺が宮中に忍び込んだあの日から……。
「……皇女アナスタシアだな?」
月明かりに照らされた窓辺に暗殺対象は佇んでいた。
「……貴方、今なんと言ったのかしら?」
耳が悪いのか?
「……皇女アナスタシアで間違いないのかと聞いた」
「ああ……なんてことかしら、有難う殺し屋さん」
殺し屋であることは理解しているようだが、なぜ礼を言われたのかわからない。
「礼を言われる筋合いはないが?」
「ふふっ、私ね、生まれた時から、姫、とか、殿下、とか、皇女さま、だとか、せっかくアナスタシアって名前があるのに、誰も呼んでくれなかったの。だから嬉しくて……」
「そうか。それは理解したが、なぜ嬉しいのに泣いている?」
「あら? 人は嬉しいときにも泣くものよ。ところで殺し屋さんのお名前は?」
「……死屍累々と呼ばれている」
「それは二つ名でしょう? 本当の名前よ」
本当の名前……?
「そんなものは無いな。あんたと同じで、名前を呼ばれたことはないんだ」
「それは可哀想ね……いいわ、私が付けてあげる。そうね……ブラッドなんてどうかしら?」
ブラッド……血塗られた俺に相応しいような気がするな。そうか……ブラッド……。
「ふふっ、気に入ってくれたようで嬉しいわ。笑顔も素敵よ」
笑顔!? この俺が……? なぜだか表情筋がコントロールできない。こんなことは初めてだ。
「……使う機会はないとは思うが、もらっておこう。ではさよならだ」
予定外のことはあったが、仕事に支障はない。早く終わらせて――――
「あ、ちょっと待って。ねえブラッド、私に雇われてみない?」
何かと思えば命乞いか。まあよくある話だがな。金に興味がない俺には意味が――――
「報酬は、この帝国と私よ。どうかしら?」
……? この女、何を言っているんだ?
「……すまない意味がわからない」
こんな戯言、無視して殺してしまえば済む話なんだが、なぜだか聞き返してしまった。
「言葉通りよ。この帝国すべてと、私を貴方にあげるって言ったの」
「……正気とは思えないが」
「……私ね、もうすぐ政略結婚させられるの。よりによって一番嫌いな人と」
「…………」
「だからね。私は自分の意志で貴方を選びたいのよ。お願い」
「……状況は理解したが、なぜ俺なんだ?」
「私の神眼『ジャッジメント』はね。その人間の本質を見抜くの。貴方は今まで出会った人間の中で、一番純粋な人だから。私の容姿や権力目当てではない、初めてのひとだからよ」
物心ついた時から忌み嫌われ避けられ続けてきた俺が……純粋? 殺すしか能がないこの俺が?
「む……だが、雇い主を裏切るわけには……」
「私とその雇い主、どっちが好きなの?」
「……好きという感情は持っていない」
「ふーん。じゃあ、もし川で私とその雇い主が溺れていて、どちらかひとりしか助けられないとしたら、どっちを助けるの?」
「……そうだな、それならアナスタシアだな。軽いし、助けた後のリスクも低い」
「ふふふ、それならブラッドは私の方が好きなんだよ」
「……違うような気もするが」
「ううん。違わない。だから……ね?」
結局、俺は皇女アナスタシアに雇われることを選んだ。
彼女の最初の依頼は、俺の元雇い主を暗殺すること。
朝飯前以下の簡単な依頼だった。
物言わぬ骸になった元依頼主を見ても何の感情も湧かなかった。スランプではないようだ。
「さあブラッド、忙しくなるわよ」
手渡された暗殺対象リストはずっしりと重たい。
「……ずいぶんと多いな?」
「そりゃあそうよ。貴方を皇帝にするための邪魔者は掃いて捨てるほどいるわ。全員どうしようもないほどのクズばかりだからゴミ掃除だと思ってくれればいいのよ」
「わかった。それはともかく、俺は皇帝に興味はないのだが……」
「あら、そうなの? ふーん……だったら、もう一つ依頼を頼まれてくれるかしら?」
「……なんだ? 言ってみろ」
「ブラッド……私をさらって逃げなさい」
「……どこへ?」
「そ、そうね、この世の果て……とか?」
「……もう少し具体的に頼む」
「……貴方に期待した私が間違っていたわ……」
「……?」
「……さっきの無し。私が女帝になるわ」
「わかった」
帝国の歴史上、初となる女帝アナスタシアの治世に関しては、後世学者によって大きく評価が分かれることになる。
恐怖政治を断行したというもの、汚職や不正がほとんどなかったと評価するもの。
ただし、女帝に影のように寄り添う男が何者かまったくわからないということは共通している。
おしまい。
ブラッド Illustrated by管澤捻さま