80話 狂想曲+月下美人(2)
「くはっ……!」
氷の格子に背中を打ち付け、声にならない叫び声をあげたのは大天使ガブリエルの姿になった光だった。
「光!」
慌てて立ち上がり、光の元へ駆け寄る可憐。氷の格子越しに光の怪我を確認する可憐。
「可憐……大丈夫?」
心配する光を他所に、彼の翼に触れる。すると、可憐の手には光と初めて会った時のように彼のまだ生暖かい血がべっとりとついていた。
「私は大丈夫。光の方こそ血だらけじゃない!待って、今すぐ魔力で治療を——」
「ぼくは大丈夫だよ。君が傷付いていないならそれで充分さ」
可憐の言葉を途中で遮り、立ち上がる光。六枚の翼は力なく地面を撫でていた。
「どこが大丈夫なのよ!?」
可憐の叫び声は光が飛んできた方向からやってきた氷の破片によってかき消された。光が咄嗟に魔力を使い自分と可憐を守る。
「大丈夫かい? ガブリエル。そんな身体で愛しのラファエルを守れると思っているの?」
氷を飛ばした本人が現れる。美しい銀髪。揺れる月下美人の髪飾り。ルキフグスが見下した笑みを浮かべながら光を見ていた。
「守るさ。そう約束したんだ。たとえ、ぼくが君たちに殺されたとしても、ぼくは可憐を守るんだ」
剣先を地面に刺し、杖代わりにして立ち上がる光。右手からは魔力と血が流れ、氷を僅かに溶かした。
「随分今回のラファエルには執着するんだね。先代のラファエルには結構ドライじゃなかった?」
ルキフグスが右手を鳴らした。すると、可憐とベルフェゴールを閉じ込めていた氷の檻が細かく砕け、二人を解放する。しかし、ベルフェゴールの足枷は未だに地面に繋がったままだった。
「光!」
可憐が光に触れ、魔力を流し込む。怪我を治療し、剣がなくても立ち上がれるくらいには回復した。
「ありがとう、可憐。おかげでもう少し戦える」
翼を大きく広げ、剣を構える光。そんな彼に可憐は首を大きく横に振った。
「あなたも、弘孝と同じようなことを言うのね……」
再度魔力を光に注ぎ込み、完全に回復させる。軽く目眩がしたが、光や弘孝の怪我の具合から考えると自分の目眩なんて異常には入らないと可憐は思った。
「ぼくも弘孝君も、君の為になら死んでも構わないと思っているくらい大切なんだ。可憐」
光の言葉は翼が羽ばたく音で可憐には届かなかった。一枚の羽を残し、光はルキフグスに向かって剣を振りかざした。
「君がボクに勝てると思ってるの? 愛の大天使」
ルキフグスが魔力を使い氷の弓と矢を作り出す。足を肩幅に開き、構える。深呼吸をしながら重心を身体の中心に置き、弦調べを終えると、箆調べをするかのように光を見ていた。深呼吸から整った呼吸へと変える。右手を弦にかけ、左手を整えながら、ルキフグスは光をじっと見ていた。生死を分ける状況だが、彼女の周りだけは時がゆっくりと過ぎているような感覚になるほど、彼女は冷静だった。
「負けるとは思っていないよ。勝つしか方法がないんだから!」
光の言葉にルキフグスは呼吸を乱さない程度に小さく笑った。先程の構えのままからそのまま静かに両手を同じ高さに持ち上げ、魔力と殺意の込められた氷の弓を左右均等に引き分ける。光が振りかざした剣を自分に向けるギリギリまで、ルキフグスはそのまま光をじっと見つめる。
光が剣を振りかざし、自分に当たる直前にルキフグスは胸郭を大きく開き、矢を放った。数メートル離れている距離だが、ルキフグスの放った矢は正確に光の胸部に向かって飛んだ。
「光!」
可憐の叫び声は瞳が朱色に染まった光には届かなかった。
ルキフグスの矢が光の心臓を貫こうとした瞬間、彼女の矢は垂直に飛んできた魔力で出来た弾丸によって光を仕留める前に粉々に砕け散った。




