69話 狂想曲+契約(2)
広げていた足を組み、瞳に猛を映すジン。彼の瞳の周りに微かに悪魔の魔力が現れていたが、それに気付く者は誰もいなかった。
「そいつが少しでも善意があれば、お前が斬って俺が裁くのがこれ以上あの悪魔を傷つけることの無い最善策だ」
猛が自分の魔力で自分を包み込んだ。数秒後、そこに現れたのは大天使ミカエルの姿をした猛だった。腰の鞘に複数ある剣を一本抜いた。それをジンに差し出す猛。
「持っておけ。これならば悪魔を斬ることが出来る。悪魔の力量次第では、裁くことも可能だ。俺の魔力が混ざっているから、こいつらを守ることも出来る。使い道はお前の自由だ。しばらく預かっていろ」
それだけ言うと、再度魔力で自分を包み込み、今度は人間としての一色猛の姿に戻る猛。大天使ミカエルの時の彼はとっくに成人しているような容姿だなとハルとジンは内心思った。
猛が人間の姿に戻る時、鞘から出されていた剣は皮で出来た別の鞘に収まっていた。無造作に拾うジン。
「って事は、猛はもしかしたらオレたちを守るよゆーねーからなるべく自分で守ってくれって言ってんの?」
柄を簡単に握りしめ、鞘からゆっくりと剣を出すジン。見た目はどこにでもあるダガーナイフのような物だったが、目を凝らすとコバルトブルーに近い紫色の魔力が剣を包み込んでいた。しかし、その奥に見える猛のもう一つのゴールドの魔力は、集中して魔力を見るのがやっとのジンには、見る事が出来なかった。
「鋭いな。正直に言うと、そうだ。悪魔とは言え、お前の仲間をお前自身で斬らせるのは胸が痛むが、万が一に備えて覚悟して欲しい」
頭の回転が早いジンに誤魔化しは効かないと判断した猛は偽りなく話した。ジンの右手から微かにこぼれる悪魔の魔力。それが猛の剣により相殺されていた。
「いいのかよ。オレにそんなタイソーなもん預けても。見えてんだろ? さっきから地味に出てきてるオレの魔力」
ジンが指先からこぼれている魔力を猛に見せる。魔力をコントロール出来ないジンはただ無意味に自分から放出される闇と毒に近い物を眺めていた。
「元々人間には俺たちと契約する程の量ではないがそれくらいの魔力は持っている。あの悪魔に毒されたからそれが現れるようになっただけだ。お前そのものにはそこまで大量の魔力は感じていない。故にその魔力は次第になくなるであろう。それに、俺の剣を持っていれば相殺も多少され、そのうち見えなくなる。心配するな」
猛は半分本当の事を黙っていた。正直に話した分は人間はわずかだが魔力を持っていること。話していない部分はスズの影響によってジンの魔力が表面上に現れたこと。恐らく潜在的な魔力ではなく、ジンの魔力そのものが大幅に増えたのであろう。
しかし、猛の剣をジンは違和感なく持っていた。悪魔になるであろう人間ならば、猛の魔力が込められた剣を素手で握りしめるなんて不可能だ。最悪、ウリエルの親友を裁く事を想定し、賭けで剣を預けたのだ。
「ふーん。んで、オレはスズの力に当たったからイチジテキなもんか。それならいいけどさ」
ジンもなんとなく猛が嘘をついているのは分かっていた。しかし、どこか嘘の部分でどこが本当なのかまでは分からなかったし、仲間である猛が自分につく嘘だと考えたらこれは、自分が知ってはいけない事だろうと無理やり解釈し、口にすることはなかった。
無造作に猛から渡された剣をベルトの隙間に差すジン。猛はそれを確認すると立ち上がった。彼の飲んでいたコーヒーカップの中は空だった。
「その剣の魔力に何かあったらすぐに分かる。なるべく早く駆けつけるからそれまではお前たちのパーティーを守れ。ジン」
邪魔したなと付け足し、そのまま立ち去ろうとジンとハル二人に背中を向ける猛。そんな猛にジンは右手を伸ばし、肩を掴む。
「待ってくれ。オレたちからも猛に言わなきゃいけねー事がある」
猛の行動を一瞬だけ止め、再度こちらを向くように誘導するジン。ハルが彼の隣に立った。
「どうした」
視線を二人に合わせる猛。
「オレ……。ハルとケッコンする事になった。字も覚えた。仕事も決まった。ケーサツ官になって悪ぃ奴を取り締まる。そうしたら、アイをヨウシに取って家族にする。こうすりゃこれ以上仲間が離れ離れになる事はねぇんだろ」
ジンの言葉に猛はゆっくりと口角を上げた。一瞬ハルに視線を移す。彼女の頬は微かに赤くなっていた。
「ほぅ。政略的契約か。愛してない者同士の誓いは人間らしいな」
猛は愛しているという言葉を未だにはっきりと理解していなかった。ただ、ガブリエルとラファエルの様子を見たり、自分もまた彼らを失いたくはいという気持ちがそれに近いものであろうと自分なりに解釈していたのだ。それ故にでた言葉。ジンは猛の言葉に乾いた笑いで返事した。
「はっ。難しい言葉並べて分かったような口してんじゃねーよ。オレは、セッカク手に入れたこのパーティーを失いたくねぇ。そして、ハルを、アイを……もちろん、サキやスズも……。リーダー……弘孝も大切な家族として愛してる。こいつらを守るためにオレたちができる、カクゴってやつだ」
ジンの瞳が真っ直ぐに猛の瞳を見つめる。そこからは微かながらルビーレッドの魔力が悪魔の魔力を打ち消していた。それを見た猛は一瞬だけ眉間にシワを寄せたが、ジンに悟られることはなかった。
「なるほど。それはすまなかった。お前たちの覚悟、この裁きの大天使ミカエルがしかと受けとった」
慈悲の笑みを浮かべる猛。それは、十七歳の見た目とは程遠い死を知らない者としての笑みだった。
再度ジンたちに背を向けると、猛は両手に魔力を集中させ、ジンたちの周辺に散らばせた。数秒後、その魔力はスイセンの花の形となり花びらが舞った。
突然の光景を目の当たりにした二人は目を丸くしていた。感嘆の言葉がこぼれる。
「キレイ……」
ハルの言葉に猛は再度魔力を変形させた。今度は花びらが蝶の形となり二人の周りを祝福するかのように舞った。
「猛……これ……」
ジンの言葉に猛は二人に目を合わせることなく返事した。
「大天使様からの祝福だ。有難く受け取れ」
スイセンの花も蝶も既に絶滅しているのでそれが祝福を意味しているのは二人には理解出来なかったが、その美しさと儚さはそのような知識がなくとも感じることは出来た。ハルがありがとうと言うと猛はそのまま二人の顔を見らずに談話室を後にした。
玄関へと続く廊下へ出ると、そこには祥二郎が猛の帰りを待っていた。相変わらず筋骨隆々な身体が猛の視界を埋める。
「お似合いのカップルよね、あの二人」
指でハートマークを作り、ウインクする祥二郎。猛は彼の行動に対して特に何も反応せずに会話する。
「お前の入れ知恵だろ」
「あらやだ。確かに、アタシはみんなの前で言ったわよ。二人が結婚してアイちゃんを養子にしたら、離れ離れになることも無くAランクに居られるってね。でもね、その前にジンちゃんから相談されたのよ。結婚と養子縁組みを短い期間でしても国から怪しまれないかって。驚いたわ。Eランクから来てまだ数日よ。そこまで頭の回転が速い子だなんて」
いい感じの筋肉と顔の傷もポイント高いわーと最後は個人的な感想を述べる祥二郎。
「それで、ジンが言いやすいように、お前がいかにも最初に言った風に舞台を作ったのか。相変わらず契約者に近い人間には甘いな」
鼻で笑う猛に祥二郎は相変わらずの笑みだった。
「それがアタシにできる唯一の事よ。それで、ミカエル。用事って何かしら」
瞬時に今までとは真逆の表情を見せる祥二郎。切れ長な目が猛をとらえる。声色も落ち着いていた。
「……。ナナミが契約終了した。約百五十年間、責務を全うした。魂は俺が無事に解放し、今頃家族のもとへ向かっているであろう」
猛の言葉に祥二郎は目を大きく見開いた。思考回路が停止したかのように動かない祥二郎。
「お前もあいつが天使へ転生してからよく耐えてくれた。礼を言う。ショウ……嫌、祥二郎」
猛の言葉をそこまで聞くと、祥二郎は崩れるように両膝を床に着けた。先程の切れ長な目は優しい表情筋になっていた。
「そう……。ナナミちゃんが死んで三十年……。でも、あの子は百五十年天使として一生懸命お仕事出来たのね……。良かったわ……。アタシも、あの子のおかげでAランクの人間として……祥二郎として、生きていけたわ……。あの子はあなた達のお役に立てたかしら」
祥二郎の言葉にゆっくりと頷く猛。
祥二郎は、生まれはEランクの人間だった。しかし、ナナミの契約によって、Aランクへ昇格していた。当時、差別や偏見が色濃く残っていたAランクでも、少しでも違和感が無いように生きていく為に、名を変えていたのだ。
「ならよかったわ。あとは、アタシがナナミちゃんのような天使が世の中に存在する。信じてるって思い続ける事よね……」
祥二郎の言葉に猛は何も答えなかった。そのまま祥二郎の横を通り過ぎる。
「お前のような者のおかげで、俺たちは生き続けられる」
それだけ言うと猛は玄関の扉を開けて出ていった。
残された祥二郎。瞳にはうっすらと涙が出ていた。
「これでアタシも救われるわ……。ありがとう……ミカエル」
祥二郎の言葉は猛には届かなかった。玄関には一枚の羽がふわりと優しく落ちていた。