63話 狂想曲+魔界公爵
弘孝たちが産まれるよりも昔。ダストタウンでは拷問、強盗、強姦が後を絶たなかった。その中、一人の少女が無意味な暴力にひたすら耐えていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
見知らぬ男が突然少女の家に押しかけ始まった暴力。男の吐く暴言から少女は家族から自分が男に売られたのだと理解した。
「お父さん、お母さん……」
早朝から仕事に出掛けた両親。そんな両親を家で帰りを待つのが少女の日課だった。しかし、家に現れたのは見知らぬ男。
「ゴミが幸せになるなんて不可能だ。お前の両親も、お前もだ」
男のこの言葉により、自分は両親から何らかの理由により捨てられたのだと悟った。Eランクでは、これは死ぬまで奴隷として生きていかねばならないことを意味するのだ。
幼い子供たちは、奴隷として衣食住を確保するか、グループを作り窃盗などをし生き延びるか路上で大人しく死を迎えるかの選択のみだった。
少女は男の奴隷となり、暴力や性的暴行から耐えながら生きるという運命を受け入れた。Eランクで家族に囲まれて過ごせたのだ。幸せな時間は少しは味わえたのだ。あとは生きるしかない。そう考えると現在受けている暴力から痛みを感じなかった。体の神経が麻痺したような感覚になり、少女の瞳からは光りが消えた。自害はしない。それがEランクでのルールだった。親から貰った命を自分で絶つなんて論外だったのだ。
「助けてよ……」
誰にも届かない声で呟いた少女。口内からは微かに自分の血の味がした。
その時だった。突然男の暴行が止まった。痛みは無い。暴行に飽きたのだろうか。それとも自分が既に絶命し、痛みを感じなくなったのか。答えはどちらでもなかった。少女は男の方に視線を向けた。しかし、そこには男の姿は無かった。
「よっ」
突然聞こえた声に少女は肩を上げた。男がいた所から声の聞こえた方へ顔を向ける。そこには見たことのない青年が立っていた。
「お前さぁ、このまま撲殺されてもいいかなって思ってるだろ?」
突然現れた青年に自分の心を読まれた少女はただ、怯えるように震えるしかなかった。
「そのまま死んでもオレは構わないが、なんか後味悪くないか? お前の家族、お前を捨てて今頃いい肉でも食ってるぜ」
青年は少女のこめかみに触れた。すると、少女の脳内に直接、家族が豪華な夕飯を食べている姿が浮かんだ。途端にこみ上げてきた負の感情。それは少女から死の覚悟を奪った。
「憎いだろ? 上の人間はもっと贅沢してるぜ?」
少女から溢れる負の魔力。それは人間が持てる魔力を超えた量だった。
「どうしてわたしだけ……」
毒と闇を混ぜたような色をした魔力が少女を包み込む。それを見た青年は思いっきり口角を上げた。
「なぁ、今この状況をどうにかしてやっから、お前、オレの部下になれ。ここでなると言ってくれたら、お前をこのキタネーオッサンから解放してやる。さらに、気に入らないものを消す力も与える。どうだ? オレと契約しないか?」
青年の言葉に少女は即座に頷いた。死にながら生きるより、騙されてもいいから賭けてみたかったのだ。少女の反応に青年は満足そうに笑った。
「おっけー。んじゃ、契約成立っと」
青年はその言葉と同時に自分の手首に魔力を使い、傷を作った。傷口から腐敗した血液が少しずつ流れた。
「これを舐めろ。そうすればお前は立派な契約者だ」
青年の命令に少女は躊躇いなく従った。人間の血の味は知っていたはずなのに、少女の口には今まで経験した事のない味が広がった。
数秒後、少女の舐めたところから血は止まった。それを確認した青年は魔力を使い、確実に止血した。
「よし、お前は今日から十地獄第四地獄“奈落”地獄長、魔界公爵アスタロトだ」
「御意」
少女の瞳は生きたように死んでいた。それと同時に彼女から溢れた魔力により、暴行をしていた男は何が起こったか理解する間もなく砂となり、少女の視界から消えた。
「あっ……」
アスタロトが目を覚ますと、そこは見慣れた氷で出来た地獄だった。薄着だが、寒さは全く感じない。それは無意識に魔力で自分を守っているのか、寒いという感覚が麻痺しているのかアスタロトには分からなかった。
「随分懐かしい夢だったわね」
眠っている間に散歩に出かけていた愛蛇が首に戻った。それを愛おしそうに撫でるアスタロト。
「そうよ。わたしは、あの方に命を救われたの。わたしの命はあの方の為にのみ存在するんだから」
地面の氷を爪で軽く削るアスタロト。その光景を一人の契約者が見ていた。
「一途なんだね。アスタロトって」
突然聞こえた声に振り返るアスタロト。そこには美しい銀髪をボブヘアーにした契約者の姿があった。
「ルキフグス様……」
アスタロトは自分より地位の高い契約者の登場に慌てて頭を下げた。
「ボクもあの方には感謝と忠誠はしているけど、それ以上の感情はないかな」
契約者にしては珍しい和服を戦闘用にアレンジした格好をしたルキフグスは、アスタロトに視線を合わせるようにしゃがんだ。動く度に彼女の頭にある闇と毒を混ぜた色の月下美人をモチーフにした髪飾りが美しく揺れる。
「大きな契約が待っているんだってね? あの花のナルシストも彼女を守ることにしたみたいだから、ボクも君たちの仕事、手伝うよ」
恐怖心を与えるような彼女の笑みは、アスタロトから拒否権を奪った。アスタロトの反応に満足したルキフグスは銀髪を揺らして立ち上がった。
「ベルゼブブ様を呼ぼう。それとバエルも。彼らはきっと無駄に人間を殺してる暇人だと思うしね。二人を呼ぶのはボクが引き受けるから、アスタロトはベルを見張っててよ。あの子がミスると色々と面倒だから」
「……。御意」
笑顔のルキフグスとは対照的に無表情に近いアスタロト。彼女の愛蛇はいつの間にか姿を消していた。
「正直言ってね、ボクは地位とかあまり意味を持たないと思うんだ。ボクたち悪魔は、目的はみんな同じ、あいつらを消し去ること。そして、神を引きずり下ろすこと。それなのに、そういうのに縛られて内輪もめしているのはおかしいと思うからね」
だからボクの前ではそんなに固くならないでね、とルキフグスは付け足すと、自身を魔力で包み込み、アスタロトの前から姿を消した。それと同時に愛蛇がアスタロトの手首に優しく巻き付いた。
「どうもわたしはあの契約者は苦手みたいね」
愛蛇の頭を優しく撫でるアスタロト。
「わたしが人間だった頃の記憶があれだけって思ったら、なんだか寂しくなっちゃった。もう少し長生きしたら、この記憶さえも消えてしまうのかな」
アスタロトの質問に答えられる者はいなかった。ただ、無心に愛蛇を撫でることしか今のアスタロトには出来なかった。
「さようなら、人間だったわたし。そして、こんにちは、魔界公爵アスタロト」
アスタロトの周りには彼女が出した魔力が溢れていた。それほ、コキュートスの氷をも微かに溶かすほどの魔力だったのを本人は知らなかった。




