189話 鎮魂歌+四重奏(3)
大声で叫びながら光は、朱色の瞳に皐月を映す。それを見た皐月は、一度だけ魔力を光の方へ飛ばした。しかし、それは、猛が剣を薙ぎ払うことで、光に当たることはなく、氷の地上へと垂直に落ちていった。
「光! 大丈夫か!」
視線を光に向ける猛。彼の瞳の色を見た猛は、一瞬だけ目を見開いたが、それを光に悟られないように剣を構える仕草をする。
「猛君……。ありがとう……」
「お前は磯崎を守る事だけに専念しろ。お前は……俺が必ず守る……!」
猛が視界に入った瞬間、光の瞳の色は、元の黒色へと変わっていった。猛は、そんな光の目をみると、口元を緩ませ、小さな笑い声をもらした。
「今度は、何かが変わるかもしれない……」
そう呟いたが、猛の言葉を聞き取れる者は誰一人居なかった。それは、皐月が再度魔力を放ち、攻撃した音でかき消されていたからだった。
「執着ー? 確かにオレは可憐ねぇの事好きだよー? だけど、それって、姉貴としての好きだからさー、別に兄貴みたいな感情は持ってねぇしー?」
皐月の攻撃を、猛は先程と同じように剣で弾く。片手で持って弾いていた剣を、両手で構え直し、皐月を睨みつけた。それを見た皐月は、切り傷で痛む手を無理やり動かし、猛と同じように両手で剣を構えた。
「ただ、オレが命を懸けてお守りすると決めた、サタン様の器である事は話は別だ」
蝿の王としての威厳のある言葉を述べると、皐月は手の痛みに耐えながら、猛に向かって剣を振りかざした。先程の攻撃より安定した皐月の剣は、確実に猛の喉元を襲った。剣先が僅かに猛の喉に触れ、猛の喉から血が僅かに流れた。
「所詮、私はあなたたちの前では器でしかない存在……」
そんな猛たちを見ながら、可憐はか弱い声で呟いた。周りにいる自分以外の存在は、全て人間の理から外れた存在。しかし、そんな彼らの運命を左右するのは自分である。
そう思うと、未だに人間であることを求め続け、契約をしていない自分が我儘な存在だと、可憐は自分を責めるように光のブレザーを強く握りしめた。同時に唇も噛み締め、可憐の口内に自身の血の味が広がった。
可憐の言葉を聞き取っていたジンが、皐月へ剣を振るいながら視線を可憐に向けた。皐月は猛とジンに攻撃を繰り返している。しかし、ジンはEランクでの暮らしで本能的に身につけた反射神経で、彼の攻撃を受け止めたり、避けたりしていた。
「だったら、オレが早くあのハエをどーにかすっからさ、ラファエルはガブリエルと契約しろよな!」
顔を可憐に向けながら叫ぶジン。彼の制帽が顔の半分ほどを隠しており、可憐の方からは、表情を見ることは出来なかった。それを見た皐月が、攻撃対象をジンに絞込み、剣を振った。甲高い金属音が耳を刺激する。
「転生して数時間のお前が、オレに勝てると思ってんのー?」
「ンなのカンケーねぇだろ! やっぱオマエ、ムカツクな!」
「奇遇だなー。オレもお前の事、殺したいくらい嫌いなんだよなー」
互いの剣を何度もぶつけ合いながら、罵り合いをする皐月とジン。皐月の紫色の瞳を見る度に、ジンは舌打ちをした。
弘孝と唯一似ているその瞳に、ジンは殺意を覚える。その感情の正体がなんなのか、彼は知らなかったが、宝石のような輝きを持つ皐月の瞳は、ジンの動いていない心臓を苦しめていた。
「ベルフェゴールを殺した罪、オレが罰する」
そんなジンを紫色の瞳に映しながら、皐月は無意識に今は亡き地獄長の名を口にした。普段以上に殺意の込められたその言葉を聞いたジンは、目を見開き、一瞬思考が停止した。
「ベルフェ……ゴール……?」
無意識に想い人だった地獄長の名を口にする。記憶には無いが、心当たりのあるその名は、ジンの動いていない心臓をさらに苦しめた。
「ウリエル! 今は目の前にいる蝿の王に集中しろ!」
ジンの異変に気付いた猛が、大声を出し皐月に向かって剣を振る。それに気付いた皐月は、行動が停止したジンを放置し、猛の攻撃を受け止める。
猛は、意図的に大天使としての名で呼び、契約者として意識を集中させた。幸いにも、猛の呼び掛けに我を取り戻したジンは、これ以上考える事を放棄し、皐月に剣を振った。突然攻撃を再開したジンに、皐月は咄嗟に六枚の虫の羽を羽ばたかせ、距離をとることしか出来なかった。
「すまねぇ、ミカエル。なんかキューに頭が真っ白になっちまった」
ジンもまた、一度六枚の白い翼を羽ばたかせ、皐月と距離をとる。猛もジンの隣に立つように、翼を羽ばたかせて移動した。
「気にするな」
猛はそう短く答えると、それ以上は話すなと言わんばかりに、コバルトブルーに近い紫色の魔力を剣にさらに纏わせた。魔力を纏わせる事によって、大剣の大きさまで巨大化させた彼の剣は、持ち主と同様に目の前の地獄長に殺意を向けていた。
「転生したら生前に倒した地獄長の名前すら忘れるんだなー」
傷が痛む手を一度剣から離し、軽く振りながら皐月は挑発するような笑みを浮かべる。魔力を使い、自分で出来る最大限の回復を試みるが、蝿の王ベルゼブブに出来るのは、精々痛みを若干和らげる程度だった。
「別に、人間の頃に倒した地獄長なんて、どーでもいーだろ。それに、契約者でもねぇ人間にヤラレるなんて、そーでもねぇ地獄長じゃないか」
皐月に斬られた翼の傷の痛みに耐えながら、皐月を睨みつけるジン。焼灼止血で焼き付いた、自身の肉と血が焼ける臭いが鼻腔を刺激した。
「……。その言葉、後悔させてやる」
ジンの言葉を聞いた皐月は、目を見開かせた。皐月の脳裏には金髪のオッドアイの少女。既にこの世に居ない少女を侮辱したようなジンの発言に、皐月はこれ以上にない殺意をジンに向けた。
具現化させていた剣を投げ捨て、闇と毒を混ぜたような色をした魔力を両手に込めた。それをジンの首に向かって、掴むように手を伸ばした。皐月の予想外の行動に、ジンの判断が一瞬遅れ、避けるのが遅くなり、皐月が間合いに入った。
その時だった。殺意で暴走している皐月でさえも、一瞬で冷静にさせ、動きを止めるほどの負の魔力が全員を包み込んだ。
「いつまで大天使と戯れている、ベルゼブブ」