185話 鎮魂歌+第一地獄
Sランクで作り上げた氷の世界。そこの頂点に玉座を作り、吹雪は可憐を待っていた。玉座に足を組むように座り、可憐のいる方向を眺める。右側の肘掛けのみを使うような姿勢だったので、空いている左側の肘掛けに、弘孝が軽く腰掛けていた。それを三人の中では地位が一番下の皐月が、氷の地面に忠誠を誓うような姿勢で膝を着いていた。
その時だった、吹雪の体内で、彼を繋ぐ糸が二本切れたような感覚に襲われた。その繋ぐ糸の先に見えるのは、アスタロトとルキフグスの姿。それにより、吹雪は二人がもうこの世に居ないことを悟った。
「……。アスタロトとルキフグスがやられたなぁ」
なるべく普段通りの口調を意識しながら、呟く吹雪。それを聞いた弘孝と皐月が目を見開いた。
「アスタロトは兎も角、ルキフグスがやられるなんて……。相手はミカエルか?」
肘掛けに腰掛けていた弘孝が、振り返り吹雪を見る。彼の長い黒髪が、振り向くのと同時に美しく揺れた。弘孝の紫色の瞳が吹雪を映す。その姿は、地獄を統べる者として相応しい貫禄があった。
「んーや、ミカエル独特の裁きではねぇ。つーことは、これは、ミカエル以外の契約者が、肉体そのものをぶち壊したんだろぉなぁ」
弘孝が座っていない方の肘掛けに置いていた、吹雪の右手を軽く上げ、右手を拳銃の形に似せる。そのまま右手を吹雪のこめかみに移動させ、銃を撃つ仕草をする。
吹雪の動作を見た皐月は、立ち上がり両手に拳を作る。怒りを全て自身の拳に込め、俯いた。
「ルキフグス……!」
皐月の脳裏に浮かぶのは銀髪の少女の姿。和服が似合うその少女は、もう自分の前に現れないと理解した皐月は、六枚の虫の羽を何度も大きく揺らし、音を出す。
「落ち着けぇ、ブブ」
そんな皐月を見ていた吹雪は、右手で作っていた拳銃を辞め、そのまま簡単に拳を作って自分の頬を乗せていた。
吹雪の言葉に、皐月は再度目を見開き、拳を解いた。ゆっくりと顔を上げ、吹雪と視線を交わらせる。
「……。サタン様……」
「お前の気持ちは痛てぇほど良く分かっているぞぉ? 第一地獄の地獄長を失い、オレを一番慕っている部下を失った……。これは、報復しかねぇなぁ?」
口元だけをゆっくりと上げ、笑みを作る吹雪。その笑みは、復讐心で燃えていた。彼の脳裏には、紫色の髪をした少女の姿。自身との口付けで、恍惚した表情を見せていたその少女は、吹雪の知る中で一番自分のことを慕っているような気がしていた。
しかし、それがアスタロトであるが故のものなのか、七海としての感情なのかは、吹雪には分からなかった。分からない以前に、彼はそのような事に興味すらなかった。
そんな二人を見ていた弘孝が肘掛けに座った状態で、足を組みながら吹雪にもたれ掛かる様な姿勢をとった。
「ふっ……。報復か……。それならば、スズ……ベルフェゴールの時点でジンを殺せば良かったものを、敢えて攻撃しなかったように僕は思えたが……」
吹雪の左肩に寄りかかるような姿勢の弘孝。かつての仲間であった、オッドアイの少女の姿を思い出す。しかし、少女を思い出したところで、人間として生きていた頃に抱いていた、仲間としての感情は薄れ、吹雪の為に動く駒のような感覚だった。まるで、チェスの駒を一つ失った程度の感覚。それが今の弘孝の心情だった。
無意識に小さな笑みを浮かべ、吹雪を見る弘孝。それを見ていた皐月は、先程とは違う怒りを覚えたが、再度拳を作って怒りを無理やり鎮める。
「正直に言うなら、ベルやリリス、バエルと言った低層の地獄長には、期待も何もしてねぇ。しかし、ベルの場合、モロクを引き入れたという所は、褒めてやってもいいぜぇ?」
白い歯を見せるように笑う吹雪。それを見た弘孝は、吹雪を若干蔑むような目で見ていたが、吹雪はそれを気付かないふりをしていた。
弘孝の脳裏には自分が二重契約をした瞬間の出来事。光と可憐が自分の前で恋仲になる事は、時間の問題だと頭では理解していたが、納得はしていなかった。その結果が二重契約であった。
「……。冷静に考えれば、あれがベルフェゴールの幻覚だったというのは、直ぐにわかる事だ。しかし、彼女の幻覚のお陰で、僕は全てを吹っ切れる事が出来た。天使としての運命を破壊し、可憐を大天使の呪いから解放する……」
自身の気持ちを整理するかのように、弘孝は吹雪に言葉を述べる。それを見た吹雪は、満足気な笑みを浮かべていた。彼の白い歯が光りに反射して輝く。
「はっ、やっぱりオレの器は、契約者を惹き付けるらしいなぁ」
サタンの器。吹雪の口からそう聞いた時、弘孝は一瞬だけ胸が苦しかった。契約者となった今は動いていない心臓が、誰かに握りつぶされているような感覚に襲われた。
一瞬だけ眉を潜める弘孝に対し、皐月は二人に背を向けた。六枚の虫の羽を忙しなく動かし、不快な音をたてる。
「どこに行く」
皐月の行動に気付いた吹雪が、短い言葉を皐月にぶつけた。吹雪の言葉に、弘孝も我に返り、皐月を睨みつける。しかし、皐月はそんな二人を一切気にせず数歩足を進め、二人から離れた。
「決まってますよー。ルキフグスとベルフェゴールの仇をとる……!」
拳を作り、怒りを込める皐月。それを見た弘孝は、吹雪が口を開く前に自身の口を開いた。
「お前は第一地獄の中で一番、魔力が高いアタッカーなんだ。別に、転生したてのウリエルや、戦闘向きではないガブリエルに負けるとは思っていないが、慢心するな」
淡々と言葉を述べる弘孝。その口調が気に入らないのか、皐月は吹雪と弘孝に気付かれないように舌打ちをした。
「へーへー。火力はあるけど、オレはやられたら回復とか出来ねぇ契約者だからなー。殺られる前に殺るしかねぇなー」
皐月らしい気怠い口調。しかし、その言葉には殺意が込められていた。殺意に比例するように皐月の魔力が溢れ出し、全身から溢れ出していた。六枚の虫の羽を動かし、不快な音を立てる。
「ベルフェゴールを殺したあのウリエルは、オレが許さない」
皐月は蝿の王としてのセリフを残すと、そのまま六枚の虫の羽を使い、大天使たちの魔力を感じる方へ飛び立った。
残されたのは地獄のトップである吹雪と弘孝。先に口を開いたのは吹雪だった。
「お前は行かなくていいのかぁ? ガブリエルを殺したくてたまんねぇだろぉ?」
挑発的な笑みを浮かべる吹雪に対し、弘孝はゆっくりと首を横に振った。彼の動きに合わせて黒い長髪が揺れ、弘孝の太ももを撫でた。
「別に。殺したいのは山々だが、ベルゼブブが殺しに向かったのはガブリエルじゃなく、ウリエルだ。正直、ウリエルも僕が殺したい気持ちはあるが、それ以上にガブリエルを殺し、僕は可憐を僕のものにする」
拳を作り、怒りを自身の右手にぶつける弘孝。それを見た吹雪は、再度挑発的な笑みを浮かべた。そのまま弘孝の頬を撫で、視線を強制的に合わせる。
「面白ぇ。ブブと契約したのはオレだからなぁ、ヤツに何かあったら、オレが気付く。モロクはそのタイミングでブブの所へ迎え。そこでウリエルをぶっ殺してこい」
弘孝の頬に触れていた手を離し、視線を解放する吹雪。しかし、弘孝は彼から視線をそらすことは無く、色気のある笑みを浮かべていた。舌を出し、自身の唇をそっと舐めた。
「……御意、サタン様」
その笑みは椋川弘孝ではなく、地獄長モロクの笑みそのものであった。