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180話 鎮魂歌+魔界公爵(6)

 ナミ。その名を聞いた瞬間、アスタロトは手の力が抜け、持っていた小瓶を落としてしまった。青い液体が入った状態で小瓶は、氷の地面にぶつかり、粉々に割れた。



「なによぉ……その名前……わたしは、アスタロト……十地獄第四地獄〝奈落〟地獄長、魔界公爵アスタロト。人間のフリをしていた時は、七部海(しちぶかい)七海(ななみ)。ナミという名前なんて転生してから使った事ないわぁ……」



 今まで聞いた中で、一番弱々しい声色で呟くアスタロト。両手を使い、自分を抱きしめるような行動を取る。無意識に魔力を使い、姿をアスタロトから、桃色髪の七海の姿へと変えていた。


 氷の地面に落ちた青い液体が、アスタロトがこぼしていた腐りかけた血と混ざり、毒々しい色となる。


 そんな彼女に対して、光はただ、冷静に彼女を魔力を灯しながら見ていた。



「違うよ。ナナミという名前は、君のお姉さんの名前だよ。そして、君がその妹のナミだよ。その桃色髪の可愛らしい容姿も、君ではなく、お姉さんを参考にして作ったんじゃないのかな」



 光の脳内に現れる鮮明な映像。それは、目の前の少女がナミとして生きていた頃の記憶だった。病を患っていた姉が生きていた頃は、姉の喜ぶ顔が見たいという一心で、全てを耐えることが出来た。しかし、ある日家族は、一度だけ幸せな食事をすることが出来たが、その後、姉の病気が悪化し、この世を去った。


 姉がこの世を去ると、両親はまたあの食事をする為に、妹を奴隷として売り払っていたのだ。突然現れた(あるじ)に理不尽な暴力を受ける毎日。死を覚悟したある日に、出会ったのが吹雪であった。



「……。契約者としての願いがこんな裏目に出るなんて……。神は本当に皮肉屋だなぁ」



 光の呟きは、アスタロトの耳には届かなかった。ただ、光が脳内で見えた映像は、アスタロトの記憶の中から目覚め、彼女もまた、その映像を見ていたのだ。




「違う……違う……。わたしは、親に売られただけ、お姉ちゃんなんて……いるはず——」



「おそらく、ぼくと同じ記憶を見ているはずだよ。仮に、奴隷として売られた後も、致命傷になるような暴力は受けていないだろ? それは、君のお姉さんの加護があったからだよ」




 アスタロトの言葉を重ねるように口を開く光。目とは別に右手にもオレンジ色の魔力を灯し、アスタロトの手にそっと触れた。天使の魔力は悪魔のアスタロトにとって、毒のようなものだったが、この時は不思議と苦しみを感じることは無く、どこかあたたかかった。テーブルを挟んで掴むアスタロトの手に触れた時、彼女の両肩の髑髏が音を立てた。


 光の魔力がアスタロトに流れた時、アスタロトは、完全に生前の記憶が蘇った。走馬灯のように、生前の記憶が一気にアスタロト中で駆け巡る。


 その記憶の中にほとんど存在していたのが、姉の姿だった。七海として生きている時の姿にそっくりな姉は、どの記憶の中でもアスタロトを一番に思い、愛情を注いでいた。


 全ての記憶がアスタロトの中で完全に巡った時、彼女の目には、涙が溢れ頬を伝っていた。



「……ふふっ。降参よォ。わたしの負けだわぁ。その目の魔力を解除してみてぇ?」



 涙を流しながら、光を見つめるアスタロト。相変わらず余裕のありそうな笑みを、口元に浮かべていたが、涙がそれを完全に打ち消していた。


 アスタロトに言われた通り、光は目の魔力を彼女にSランクで会ってから初めて解除した。そこには、朱色の瞳ではなく、光明光らしい黒い瞳が現れる。そのまま、光は本来の目で小瓶を見つめていた。既に割れて、氷の地面に散らばっているものと、目の前に一本だけ残っている小瓶は、誰がどう見ても明らかな違いがった。



「……わぁ……。随分簡単な仕掛けだったんだね……。これは一本取られたよ」



 ぼくにしか仕掛けを作っていないなんてね、と付け足し、口元だけ軽く笑みを浮かべる光。そして、それが自分は勝負に負けていて、死を意味している事も理解した。


 黒い瞳のまま振り返り、一瞬だけ可憐を視界に入れる光。可憐は未だに浅い呼吸を繰り返していた。そんな彼女に光は、儚い笑みを浮かべる。可憐が意識を取り戻す頃には、自分は存在していないかもしれない。


 そう考えると、不思議と可憐に儚い笑みを向けることしか出来なかった。


 そんな光を見たアスタロトは、小さい笑みを浮かべると、テーブルの隅に置いていた赤い液体が入った小瓶を手に取り、光に向かって差し出した。



「さ、早く可憐ちゃんに、解毒剤を飲ませてちょうだぁい。わたしも、七海として生きていた頃の友達が、苦しむ姿は見たくないのよぉ」



 無理やり見下した笑みを浮かべるアスタロト。それを見た光は、死を覚悟した状態でアスタロトの持つ赤い液体を受け取る。一度視線をアスタロトの顔に向けると、彼女は早く飲ませろと言うように、可憐を見ながら顎を使って指示をした。それを見た光は、アスタロトに背を向け、可憐の元へ駆け寄った。



「可憐、これをゆっくりと飲むんだ。全部だよ」



 左手を使い、可憐を軽く起こす光。そのまま右手に持っている液体の入った小瓶の蓋を雑に開けると、可憐の僅かに開いている口に、そっと赤い液体を注ぎ込んだ。口の中に入ってきた赤い液体を、可憐は反射的に飲み込み、体内に浸透させる。


 全て飲み込んだ事を知らせる喉を鳴らす音を光が聞いた頃には、可憐の意識は戻り、うっすらと目を開けていた。



「ん……。光……?」



 可憐の黒い瞳に映るのは、自分を抱き抱えている茶髪の少年。何度も見ているその少年の顔には、うっすらと涙が浮かんでいた。



「良かった! どこか苦しい所は無い?」



 抱きしめたい気持ちを抑え込み、両手で軽く可憐を支える光。可憐はそんな光を見ながら、軽く自身に触れ、異常がないか触診していた。



「私はもう大丈夫……。さっきの息苦しさが嘘みたいだわ」



 喉元に触れながら話す可憐。口内には僅かに赤い液体が残っていたが、無味無臭の為、可憐がそれに気付くことは無かった。


 そんな二人を見ていたアスタロトは、光が立っていた方のテーブルに向かい、軽く身体を預けるように、もたれ掛かりながら立っていた。



「可憐ちゃん、ごめんね? 苦しい思いをさせちゃって」



 全身を一度魔力を使って包み込み、七部海七海の容姿に変身するアスタロト。桃色髪のあどけない偽りの少女の姿がそこにはあった。



「……七海さん? いや、魔界公爵アスタロト……」



 アスタロトの声に反応し、視線を彼女に向ける可憐。既に自力で起き上がれるほど回復し、光もそれを察して手を離していた。


 その離した手を使い、指先にオレンジ色の魔力を込め、光は可憐の目にそっと魔力を塗った。



「可憐、ぼくの魔力を少しだけ貸してあげるから、それで彼女を見てごらん?」



 突然光に言われた出来事に、やや混乱しながらも、目に塗られた魔力を使い、光に言われた通りに、可憐はアスタロトを見つめた。


 すると、今まで見えていなかった、アスタロトの周りにほんの僅かに現れるエンジェの魔力が見えていた。そのまま、可憐の脳内に、先程光やアスタロトが見ていた過去の光景が浮かんだ。その時、全てを理解した可憐は、目を見開いた。



「……!? これは……。もしかして、あなたは……ナミ? エンジェ……ナナミの妹のナミなの?」



 脳内に浮かぶ光景と、アスタロトを見比べる可憐。七海の容姿をしているアスタロトは、生前のエンジェに瓜二つだった。



「えぇ。わたしは、ナナミではなくて、妹のナミよ。この姿も、お気に入りだったのは、大好きなお姉ちゃんの姿だからだったのねぇ……」



 可憐の言葉に頷きながら返事をするアスタロト。七海の姿で自身の桃色髪を撫でるように触れ、眺める。


 彼女の記憶に蘇った姉の姿は、どんな時も笑顔で自分に接してくれていた。そんな姉を忘れていた事に怒りを覚えたアスタロトは、桃色髪に触れていた手を離し、拳を作る。そのまま魔力を全身に纏わせ、桃色髪ほ七部海七海の姿から、紫色の髪の魔界公爵アスタロトの姿へと戻る。


 そんなアスタロトを見た可憐は、立ち上がり、アスタロトの方へと足を進めた。


 光が一度可憐の行動に軽く目を見開き、手を伸ばしたが、彼女の慈悲深い微笑みを見た途端、伸ばしていた手をゆっくりと下ろした。



「私は、姉のナナミさんから伝言を預かっているの。こんなお姉ちゃんでごめんね。そう、彼女は言って裁きを受けていたわ」



 アスタロトと視線が重なり合った事を確認し、エンジェの伝言を可憐は微笑みながら伝えた。伝言を聞いたアスタロトは、一度目を見開いたが、その後魔界公爵に相応しくない優しい笑みを浮かべていた。



「……。お姉ちゃん……。ありがとう、可憐ちゃん。わざわざ伝言を預かってくれていて。そして、ガブリエル、おめでとぉ」



 言葉の後半は光を見ながら口にしたアスタロト。そのまま振り向き、背後のテーブルに置かれていた青い液体の入った小瓶を持ち上げる。


 二人の契約者とラファエルの魔力を持つ人間。三人がその小瓶の青い液体を見ていたが、それは毒の入った液体だと見てわかるほど怪しい輝きを放っていた。アスタロトはそのままその小瓶を開け、ゆっくりと口にしようと持ち上げた。




「アスタロト! それは——」



「言ったでしょぉ? 勝負は勝負。わたしは、さっき最初に選んだ方の小瓶を、割っちゃったのよぉ? 仕方ないから、残っている方を飲むわぁ」




 光の言葉を遮るように言葉を重ねるアスタロト。毒薬の入った小瓶を持つ手が、僅かに震えていたが、一度深呼吸をして震えを強制的に消し去る。そして、そのまま一気に小瓶の中の毒薬を飲み干した。


 アスタロトの喉が鳴る音が三人の耳を支配した。



「これで勝負は終わり。あなたの勝ちよぉ。愛の大天使ガブリエル……」



 口元に毒薬の混ざった腐りかけの血をこぼすアスタロト。彼女は余裕の笑みを浮かべていたが、額には汗が滲み、声色も弱々しかった。


 毒薬が身体中に浸透した事を示すように、アスタロトの身体が末端から徐々に光りへと変わっていった。身体の酸素が奪われたのか、呼吸が浅くなり、咳き込むと、腐りかけた血を口から吐き出していた。



「最期の相手があなたで……良かったわぁ……少し、ときめいちゃったものぉ……」



 腐りかけた血を吐き出しながら光に微笑むアスタロト。そんな彼女を見た光は、一度だけ悪魔には向けることの無い、優しい笑みを浮かべた。



「でも、ぼくは可憐が一番だからね。君に興味を持つ事はないんだ、ごめんね」



 光の正直な返事にアスタロトは、振られちゃたわぁ、と小さく呟いた。その間にも身体は悪魔の魔力と同じ色の光りへと変わり、四肢や内蔵を失う痛みと苦しさで、何度も吐血していた。



「七海さん!」



 可憐の叫び声を聞いていたアスタロトだったが、それに返事をする前に、紫色の光りとなって消えていった。ただ、消える直前にありがとう、と声に出さず口元だけ動かしていた事を知るものは、誰一人いなかった。

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