176話 鎮魂歌+魔界公爵(2)
桃色の髪。丸い大きな目。可憐と同じブレザーを着た少女が光たちの目の前に現れた。
「……。アスタロト……」
光が目の前の少女を睨みつける。彼の目には、オレンジ色の魔力が灯され、僅かに悪魔の魔力が漏れ出す少女が見えていた。
「七海ってこの姿で、もう呼ばれないのねぇ。悲しいわぁ」
アスタロトと呼ばれた少女は、言葉とは裏腹に笑みを浮かべ、全身を魔力で包み込んだ。すると、肩に届かない程度の長さだった桃色の髪が、魔力と同じ色へと変わり、長さも腰の位置まで伸びていた。
顔立ちも、瞳の大きい可愛らしい少女から、大人っぽい女性へと変化した。服装も、可憐が着ているものと同じデザインのブレザーから、闇と毒を混ぜたような色をしたワンピースへと変化した。両肩には髑髏が飾られ、彼女が動く度にカタカタと音を立てていた。
「あの姿、わたしは結構気に入っていたのよぉ?」
桃色髪の姿の時には一切感じることのなかった魔力。彼女の周りには、死人の臭いが充満し、口元からは腐りかけた血が滴り落ちていた。
「可憐を今すぐ戻して欲しい」
アスタロトの言葉を無視して、自分の要求を伝える光。彼の瞳は黒から朱色へと変化していた。それを見たアスタロトは、色気のある瞳で光を捉えていた。口角をゆっくりと上げ、口元からさらに腐りかけた血を流す。
「そんな怖い顔で見ないで頂戴。可憐ちゃんが本当に死んだら、悪魔側も困るのよぉ? 致死量の毒で噛ませてはいないわぁ」
アスタロトが右手を軽く動かし、光たちのそばに居た蛇を呼び戻す。蛇はアスタロトの命令に従い、彼女の元へ移動し、脚を伝い首元まで移動した。
蛇が定位置に戻った事を確認すると、アスタロトはワンピースの腰の位置にあるポケットから、小さな小瓶を取り出した。
「ここに一つだけ、解毒剤があるわぁ。わたしとあなた、どちらかがそれを取れるか勝負しなぁい?」
小瓶を親指と人差し指で摘むように手に取り、数回揺らすアスタロト。中に入っている赤い液体が、彼女の動きに合わせて揺れた。
光はそんなアスタロトと小瓶を、オレンジ色の魔力を目に灯しながら、用心深く見ていた。悪魔の魔力は変わらず全身から死臭と共に溢れ出ているが、彼女の発言により、変化する事は無かった。それが、彼女が嘘をついていないことを光に証明するには充分な情報だった。
「……。勝負の内容は?」
自分の腕の中で浅い呼吸を繰り返す可憐の頭を撫でる光。額には変わらず汗が浮かび上がり、こめかみから頬に伝っていた。それを光はブレザーの袖で軽く拭き取ると、一度だけ可憐に向かって微笑み、再度顔をアスタロトに向けた。
「簡単よぉ。毒のロシアンルーレットをするだけよぉ」
アスタロトはそこまで言うと、アスタロトは小瓶を持っていない方の手を使い、指を鳴らした。すると、それに合わせて魔力がさらに彼女を包み込んだ。数秒後、魔力が消えると、アスタロトの目の前には十個の小瓶が乗せられたテーブルが現れた。
「この中に一つだけ、わたしたち契約者にとっても、致死量の毒が入っているものがあるわぁ。それを先に飲んだ方が負け。契約者にとって、魂の解放ではない死が何を意味しているか分かるかしらぁ?」
最初に持っていた、赤い液体が入った小瓶をテーブルの隅に置き、テーブルに規則正しく並ぶ小瓶を軽く指先で突きながら笑うアスタロト。小瓶の中には、全て青い液体が同じ量だけ入っていた。
「魂の解放無しでの死は、つまり、人の輪廻から外れて永遠に魂が現世をさ迷うこと。ぼくたちは契約者になった時点で、一時的に人の理から外れているからね」
小瓶で軽く遊ぶアスタトロを睨みつけながら答える光。彼の答えに満足したアスタトロは、小瓶から指先を離し、視線を光に向けた。
「せいかぁーい。わたしたち悪魔は、それが魂を食べられているようなものだから、解放した所で意味が無いのよねぇ。でも、天使たちは違うでしょぉ? それを題材にして、勝負するのが面白そうと思ったのよぉ」
口元だけ微笑むアスタトロ。彼女が笑う度に、口元から腐りかけた血がゆっくりと氷の地面に落ちる。それを見た光は、可憐の額に一度だけ軽くキスをすると、彼女をそのまま氷の地面に寝かせた。ブレザーを脱ぎ、彼女に掛け布団のようにそっと被せた。
「苦しいと思うけど、ちょっと待っていてね……可憐」
光は可憐に聞こえるように、彼女の耳元で優しく囁いた。それを聞いた可憐は、意識を取り戻し、僅かだが目を開き、光を視界に入れた。
「ひか……る」
浅い呼吸で唯一口にすることが出来た少年の名前。それを聞いた光は、満足気に微笑んだ。
「ぼくは君を命に変えてでも守るって決めたんだ。例え、二度と人間に転生出来なくて、君に出会う機会さえ失ってもね」
光はそれを儚い笑みに被せて言うと、可憐からそっと離れ、アスタトロと小瓶が乗せられたテーブルに向かって足を進めた。
「……ばか……」
可憐の弱々しい反論は光に届く事は無かった。しかし、可憐はそれに気付く前に再度意識を失った。




