173話 鎮魂歌+迷い(2)
可憐が声の聞こえた方へ振り向く。すると、そこには可憐の知らない筋肉質な男が、紙袋を一つ持っている状態で、立っていた。齢は恐らく、可憐の両親と変わらないか少し下くらいであろう。しかし、雰囲気はどこか女性らしいものだった。服装も、男女どちらが着ても違和感のない簡単なシャツとスラックスであった。
三人の契約者が翼を隠していない状態で、誤魔化しが効かないと察した光は、可憐を庇うように前に出る。そのままオレンジ色の魔力を自身の目に灯した。目の前の男を魔力を通して見ると、男からは時間の経過したミカエルの魔力が僅かに見えていた。
「……。あなたは?」
ミカエルの魔力が光には見えることにより、信用は出来ていたが、全く知らない人間に心を許すほど信頼はしていなかった。その結果、本人に直接聞くことが最善策と判断し、男をしっかりと目で捉えながら口を開いた。
さらに目を凝らして男を見ると、ミカエルの魔力とは別に、既に魂の解放を受けた下級天使の魔力も僅かに見えた。それが誰の魔力なのか分かった時、光は目の前の男の全てを理解した。
天界で裁きを受けたナナミという名の下級天使。おそらく、彼女の家族か友人で、契約時の幸せにしたい人間の一人であったのだろう。そう判断した光は、一瞬だけ視線を可憐に向けた。しかし、ガブリエルの魔力を持っていない彼女に、この事実を知る術は無かった。
睨みつけるに近い表情で男を見る光に対し、男は女性らしい笑い声をこぼしていた。
「うふふ。アタシは祥二郎。ショウさんって呼んで欲しいわ。ハルちゃんたちがAランクで暮らしている間の世話役として、国から派遣されたって立場なんだけど、本当はあなたたちの味方よ」
祥二郎はそう言うと、ハルたちに説明した事と同じ事を光たちにも説明した。
過去に契約者となった友人がいた事。契約者を理解し、信じている現代では少ない人間であること。ハルたちが契約者の恩恵で、ランク昇格が出来たと考えて、世話役を応募した事——。
その間、光の目にはオレンジ色の魔力が消えることは無く、魔力を使った状態で祥二郎を見ていた。しかし、祥二郎の言葉に嘘偽りは一切無かった。
「……という事よ。そして今は、Aランクが崩壊して、生き残っている少ない人間として、Sランクに避難しろって言われていたのよ。本当は、もっと早くあなたたちに会って、情報を共有したかったけど、流石Sランク、管理がキチンとされていて抜け出すことができなかったわぁ」
祥二郎が全て話し終えたと光たちに伝えるように口を閉じ、微笑する。それを見た光は、魔力で再度祥二郎を見た。相変わらずミカエルの魔力が彼を僅かに包み込んでいる。そして、嘘偽りや、負の気持ちが一切見えなかった。
「……。分かりました、ぼくは、あなたを信じます。あなたの言葉には、嘘が見えませんから。それに、ミカエルの魔力が見えます。恐らく、過去に身近な人が、契約者となった恩恵を受けたのでしょう。そして、あなたには、今、ぼくたちの周りで何が起こっているのかを知る義務もあります」
目に灯していた魔力を消し、祥二郎を見る光。視線も柔らかくなり、無意識に微笑する。それを見た可憐は、光の前に出て祥二郎を見た。契約者でもない微量の魔力のみ所持しており、人間であることを確信した。
「アタシが知る義務? その前に、まずはあなたの名前が知りたいわ、素敵なイケメンさんと、可愛いお嬢さん」
そんな二人を見ていた祥二郎もまた、微笑し、右手を光たちに差し出した。光もまた、右手を祥二郎に差し出し、握手を交わす。
「ぼくは光明光。契約者としての名は、愛の大天使ガブリエルです」
数秒の簡単な握手を済ませ、手を離す二人。祥二郎はその後可憐とも簡単な握手を済ませる。雰囲気や口調は女性らしかったが、可憐と握手を交わした手は、男らしく、筋肉質であった。
「あら、あなたが噂のガブリエルね。ミカエルから聞いているわ。そして、ミカエルとは違った魅力を持ったいい男……」
秋波を送りながら言葉を述べる祥二郎。そんな彼に光は、女性に向けるものと同じ、張り付いた笑みでこたえた。
「ありがとうございます。ショウさんも、とても素敵な方ですね」
光の言葉に祥二郎は頬を真っ赤に染めた。両手を頬に当て、腰を左右に動かしながら歓喜の悲鳴をあげる。それを見ていた可憐は、初めて見る類の大人に瞬きを数回繰り返していた。
可憐の不思議な生き物を見るような視線に耐えきれなくなった祥二郎は、一度咳払いをし、本来の男らしい姿勢へと戻す。祥二郎が真面目な態度に戻った事を理解した可憐は、自分も自己紹介をしなければならないと気付き、自身の右手を心臓の位置に移動させた。
「私は磯崎可憐です。私は、まだ契約していませんが、癒しの大天使ラファエルと、サタン……裏切りの大天使ルシフェルの二つの器でもあります」
可憐の黒い真っ直ぐな瞳が祥二郎を捉える。それを見た祥二郎は、可憐の頭を優しく撫でた。慈悲深い彼の手は、指先から人間独特のごく微量の魔力を可憐に無意識に送っていた。それが、可憐に伝わる頃には温もりとなり、彼女の心をあたためていた。
「ルシフェルとラファエルの器ね……。大変な役割だと思うけど、アタシはあなたの味方よ、可憐ちゃん」
男らしい手で撫でられる感覚。それは、可憐の父親を連想させた。それと同時に聞こえた優しい口調。それは、可憐の母親を連想させた。
Sランクで仕事をしながらも、それ以下の給料で満足していた両親の気持ちは、初めてSランクを見た時に初めて理解した。全てか管理され、まるで国に生かされているようなSランクの世界は、感情が全く無く、機械のような人間ばかりだった。
E、C、Aと三つのランクを見てきた可憐にとって、人間味のないSランクが一番怖かった。Sランクでであった機械的な人間とのやり取りを思い出すと、今祥二郎に撫でられている温もりが、どれだけ慈悲深いものなのか、可憐には痛い程分かった。思わず何度もマフラーを強く握りしめる。
「自己紹介も終わったので、ぼくたちの周りで何が起こったのか、少しだけ聞いてくれますか?」