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172話 鎮魂歌+迷い(1)

 悪魔が存在した証拠が、崩壊した建物と、弘孝の黒い一枚の羽根だけになっていた。熾天使二人は、未だに眠るハルとアイを支え、猛とウリエルは視線を可憐と光へむけていた。数歩進み、可憐と光に近付く。


 弘孝の羽根が瓦礫の上に落ち、紫色の光りへと変わったのと同時に、可憐の両足から力が抜けた。崩れ落ちるように座り込む可憐を光が反射的に抱きとめ、支える。



「大丈夫? 可憐」



 光の言葉に、可憐は彼のブレザーの腕の部分をそっと掴む事で答える。普段スカートを強く握りしめる程の握力ではなく、触れるに近い程度の力加減であった。


 

「光……私……」



 弱々しい声で目の前の少年の名を呼ぶ可憐。吹雪たちに向けていた強い意思は既に無く、瞳は涙で潤んでいた。


 既に可憐の瞳の色は、エメラルドグリーンから見慣れた黒色に戻っていた。黒い瞳から溢れ出る涙。それは、可憐のものであり、涙の量に比例するかのように四肢が震えていた。



「怖かった……。南風君……サタンから溢れ出る魔力は、今までにない、恐怖の塊のようなものだったわ……」



 震える右手を震える左手で抑え込む可憐。しかし、両手が震えている為、それは無意味なものであった。


 可憐から溢れ出る涙が、彼女の頬を濡らす。そのまま頬を伝い、涙は可憐のブレザーまでも濡らしていた。


 そんな可憐を見た光は、自身の右手をそっと可憐の左手に乗せ、包み込むように握った。


 光の冷たい手に包み込まれた時、謎の安心感に襲われた。彼の手の温度の低さは、人間としての(ことわり)から外れた存在である故のものなのか、Sランクを包み込む強化ガラスが破壊され、冬らしい冷たい風が彼を冷やした結果なのか、今の可憐には分からなかった。



「うん。そう思うのが普通だよ。ぼくたちは、契約者だから彼の魔力に屈しないけど、可憐は人間なんだ。ぼくからしたら、ひとりの可愛らしい女の子なんだよ。怖い思いをさせてごめんね」



 光の手が、可憐の手をそっと触れる様な仕草から、やや力を込め、彼女の手を握りしめる。何度も経験した死体独特の体温。先程までは、冬のせいなのか、死体のせいなのか分からなかった可憐だが、より密着すると、その冷たさは、契約者独特のものであったと理解した。



「本当に怖かったわよ……。だけど、不思議と……私の中のラファエルが助けてくれるような感じだったわ……。怖いけど……それを悪魔に見せたら負けだと思ったの……。でもそれは……私の気持ちなのかしら……」



 無意識に本音を口にする可憐。光の手が自身の手に密着すればするほど、可憐の震えは解消されていた。浅い呼吸も整い、涙も止まる。


 本来ならば、何を言っている、可愛い女の子なんて、今使う言葉ではない、などと返事をする可憐だったが、今はそのような言葉が思いつかなかった。ただ、光の手に触れれば触れるほど、先程とは違う胸の苦しさに襲われていた。



「私が……早くあなたと契約しなかったから……。優美は消えて、弘孝も悪魔になって……ハルたちも、これから先、傷つくことになる……。全部……私が悪いのよ……」



 胸の苦しさを罪悪感だと思い込んでいる可憐は、更に大粒の涙を流していた。涙で視界が不透明になる。


 そんな可憐の涙と、その不安材料を少しでも拭うように手を握る光を見た猛が、二人を見ながらゆっくりと口を開いた。




「磯崎、それは——」



「んならさ、今スグに契約すりゃええんじゃね?」




 猛が何かを可憐に伝えようとしたが、それを防ぐ為にウリエルが猛の言葉に被せた。彼の言葉を聞いた光と可憐の視線はウリエルに向き、猛の目は見開いていた。



「ウリエル!」



 猛がウリエルに向かって怒鳴る。しかし、ウリエルは猛の言葉を無視し、さらに可憐に向かって言葉を投げかけた。



「この女がラファエルの器であり、サタンの器でもあんだろ? それなら、さっさとガブリエルと契約しちまえばコッチの勝ちだろ?」



 ウリエルの切れ長な目が可憐を捉える。その視線と言葉に思わず光に握られている手でスカートを握りしめた。


 見慣れた顔。聞きなれた声だったが、どこか他人のように可憐は感じていた。ルビーレッドの魔力がウリエルの周りを包み込む。


 そんな二人を間近で見ていた光がウリエルを睨みつけた。黒い瞳が徐々に朱色に染まる。



「ウリエル。それは、彼女に対する侮辱だとぼくは受け止めるよ」



 スカートを握りしめている可憐の手を、包み込むように握る光。朱色に染まった瞳がウリエルを映す。それを見たウリエルは光に向かって鼻で笑った。




「はっ。確かに、契約者にヒツヨーなのは強ぇカンジョーだ。だけどな、今、このラファエルから溢れ出る魔力は桁違ぇだ。それこそ、愛の大天使(オマエ)じゃなくて、戦いの大天使(オレ)でも分かるくれぇだし。っつーことは、なんかテキトーな契約をして——」



「それ以上はやめろ! ジン!」




 ウリエルの言葉を遮るように猛が大声をあげる。誰も予想していない彼の行動に、熾天使であるレフミエルとアリエルが、息を飲んだ。


 そんな熾天使たちを気にも止めず、ウリエルは猛のジンという言葉を小さく復唱した。それを聞いた猛は、自分が無意識に転生前の名を叫んだ事を理解し、一度ウリエルから視線を逸らした。



「……。人間としてのウリエルの名だ。ウリエルと呼ばれるには難しい時がある」



 先程の怒鳴り声とは違い、呟くような声量で話す猛。それは、近くにいたウリエルと光、可憐にのみ聞こえていた。


 猛の言葉を聞いたウリエルは、猛を見下すように小さく笑った。乾いた笑い声が三人の耳に聞こえた。



「ふーん。ジン、かぁ。あんまりシックリこねぇなぁ。どっちかっつーなら、あのロン毛の悪魔が呼ばれてたヒロタカ? のほうが落ち着くってか、いいなって思ったんだけどな」



 ジンの視線が猛から可憐へと移動する。先程までエメラルドグリーンに染まっていた瞳は黒に変化しており、溢れ出る魔力も若干落ち着いていた。


 弘孝の名を聞いた可憐は一瞬だけ表情を曇らせた。物心着く頃から、同じランクで勉学を励んでいた幼なじみ。七歳の頃に彼のバイオリンをきっかけに距離が縮まり、気付いたらCランクで記憶に残る唯一の人間となっていた。そんな彼が同じ契約者としての運命を背負い、自分の傍にいてくれていた事を考えると、その動機が自分への好意であったと理解した時、例えようのない罪悪感に襲われた。



「弘孝……」



 無意識に幼なじみの名を呟く可憐。それを聞いたジンは、鼻で笑っていた。



「ふん。それなら、その悪魔をぶん殴れる力をくれって契約内容にすりゃいいだろ? ワケアリなら、戦うのはラファエルにとって、良くねぇと思うし」



 ジンの言葉に可憐は視線を逸らすことしか出来なかった。自分の言い分が正しくない事も理解しているつもりだった。しかし、それを光や猛に甘えて正当化していた。あまりにも器としての覚悟の足りなさと、弘孝の気持ちに今まで気付けなかった罪悪感に、スカートの裾を何度も握りしめる事しか出来なかった。


 そんな可憐を見たジンは、一度わざとらしいため息を着いた。その後、六枚の翼を羽ばたかせた。



「ま、契約するしねぇは、ラファエルが決めることだからな。カンジョーが魔力の源ってのもオレは分かってるつもりだ。仮に、ラファエルが契約したくねぇってなるなら、その前にオレがサタンをぶっ倒し、ミカエルが裁けば問題ねぇだろ? オレは先に行ってるぜ」



 そう言うと、ジンは再度六枚の翼を羽ばたかせ、吹雪の玉座が置いてある方角へ飛び立った。



「おい! ジン!」



 猛もまた、ジンを追いかけるように同じく六枚の翼を羽ばたかせ、ジンが飛び立った方へ向かった。残された熾天使と可憐たちはただ、二人が見えなくなるまで見つめるしか出来なかった。


 数秒の沈黙。一番最初に口を開いたのは光だった。



「ウリエル……ジン君は随分、論理的になっちゃったね」



 既に可憐から手を離し、肩を抱いていた手も、可憐が気付いた時には可憐から離れていた。



「前からジンは自分の感情よりも、周りを最優先するような性格だったわよ。それが表に出てきただけ」



 ジンが自分の視界から消えた事に安堵の息をもらす可憐。彼の前での緊張感は、自分の感情なのか、ラファエルの感情なのか可憐には分からなかった。



「そうだけど……。こうやって知り合いが契約者になるって、やっぱり辛いものがあるなって思ったんだ」



 光が苦笑しながら話す。その表情は、どこか儚く、どこか可憐の心にひっかかる違和感があった。



「そうね……。記憶を失って、他の誰かとして天命を果たすって、残された人間には辛いものがあるわ」



 可憐の視線が眠るハルとアイに向けられる。深い眠りについている二人は起きる気配が無く、規則正しい寝息が聞こえていた。



「私があなたに初めて出会った頃に、契約していれば、少なくとも、彼女たちの運命は狂わなかったかしら……」



 弱々しい声で光にだけ聞こえるように呟く可憐。彼女の涙は既に枯れ果て、これ以上頬を濡らすことは無かった。




「可憐様……」



「可憐……」




 レフミエルとアリエルが可憐を見て思わず名を呟く。彼女から溢れるエメラルドグリーンの魔力が、契約者としての呪いの重さを表しているように見えていた。


 レフミエルが可憐に慰めの言葉をかけようと口を開いた時、ふと、別の方向から人間の声が聞こえてきた。



「あなたたち、契約者ね」

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