167話 鎮魂歌+転生(1)
Aランクで過ごしていた時と、変わらない何事にも興味が無いような目。口元だけ笑い、目は笑っていない吹雪の笑みは、光の張り付いた笑みとはまた違う、違和感があった。
吹雪の姿を確認した弘孝は、先程可憐に攻撃された痛みを無理矢理魔力を使い、相殺し、やっとの思いで立ち上がる。
皐月も吹雪の姿を確認すると、今までやっていた猛との戦闘を全て放棄し、六枚の羽を使い、吹雪の元へ飛び立った。吹雪の右側に近い場所に降り立ち、ゆっくりと膝を着いた。
皐月との戦闘が突然終了した猛は、ジンを抱えて、光と可憐の元へ飛び立つ。天使と悪魔。対の存在が互いに殺意を向けながら、向かい合っていた。
吹雪の登場により、隔てるものがほとんど無くなった瓦礫だらけの空間。そこには、四大天使と第一地獄の地獄長、熾天使と人間といった様々な者が、一つの空間に存在していた。
「南風君……」
可憐が小さく吹雪の名を呟くと、吹雪の視線がゆっくりと可憐の方へ向けられた。未だに光に抱きしめられている状態に近い姿勢でいる可憐に、吹雪は口角をゆっくりと上げた。
「その顔、一日早ぇけど、どっちか決めたみてぇだなぁ、可憐」
吹雪の切れ長な目に可憐が映り込む。真っ直ぐに吹雪を見つめる可憐の瞳には、僅かにエメラルドグリーンの魔力がこぼれ出し、それを彼女の首元にあるネックレスが吸収していた。
それを見た吹雪は可憐に向かってゆっくりと手を差し出した。
「答えろ、可憐、オレと契約してサタンの器となり、神を引きずり下ろすのか。ラファエルの器を選ぶのか」
光や猛も予想済だった吹雪の言葉。契約しないで、と光は声に出したかったが、それを言ってしまったら、彼女を傷付けてしまうと本能的に察知していた。その理由が何なのか、光には分からなかった。ただ、可憐を抱き寄せるように、自分の腕を可憐の左肩に回していたが、可憐がそれをそっと離した。
光から解放された可憐は、一歩だけ吹雪の前に出て、右手を自身の心臓に最も近い部分に持ってきて拳を作った。黒い瞳が吹雪を未だに真っ直ぐに捉えていた。
「私は、あなたの器にはならないわ」
エメラルドグリーンの魔力を全身に放ちながら、真っ直ぐに吹雪を見る可憐。彼女のネックレスが魔力に反応するように輝く。
僅かに震える彼女の両足を、エメラルドグリーンの魔力が優しく包み込み、震えを消した。すると、さっきまで吹雪を見つめていた黒い瞳は徐々に鮮やかなエメラルドグリーンへと変化していた。
それを見た吹雪は、再度口元だけの笑みを浮かべた。黒い十二枚の翼が彼が動かす度に魔力と混じり合い、音を立てる。
「ふーん。お前の為に親友が死に、幼なじみも悪魔になったって言うのに、まだ絶望しねぇのか」
否定できない吹雪の言葉。彼を真っ直ぐ見ていた可憐の瞳が僅かに揺らいだ。
「違う! 可憐! それは君のせいじゃ——」
光が離れていた可憐を再度抱きしめようと手を伸ばす。しかし、可憐はそんな光の手から離れるように、更に一歩吹雪に近付いた。小さな瓦礫を可憐が蹴る音によって、光の言葉は遮られた。
「いいえ、光。二人の運命を狂わせたのは間違いなく私よ。私がサタンとラファエルの器ではなかったら、優美はあんな最期を迎えるはずではなかったし、弘孝も、私が器ではなかったら、他の子を好きになっていたかもしれないわ。私が器ではなかったら、少なくとも、二人は救えた……」
吹雪を真っ直ぐ見つめながら話す可憐。僅かに揺らいだ瞳は既に無く、迷いのない瞳へと変わっていた。色も、先程よりもより鮮やかなエメラルドグリーンへと変化していた。
右手で光から貰ったネックレスの十字架を、強く握りしめる。可憐の手の中で十字架と彼女のエメラルドグリーンの魔力が美しい輝きを放っていた。
「ほぅ。そこまで自覚していても、絶望はしねぇのか。流石、ラファエルとでも言ってやるぜぇ。この結果を作ったのも全て神だと言うのに、その神をぶん殴らず、信じれるとでもいうのかぁ?」
可憐の真っ直ぐな瞳を見ながら、話す吹雪。未だに口元だけ笑みを浮かべたその表情は、目の前の少女を見下し、神を冒涜する表情であった。
「神……ねぇ。私はまだハッキリとそのようなものは、信じていないわ。だけど、あなたが言う、この結果が神が導いたものだと言うのであれば、それは間違っているわ。神を裏切り、全ての運命を狂わせたのはあなたよ! ルシフェル!」
再度首元の十字架を強く握りしめる可憐。今まで以上に、エメラルドグリーンの魔力が可憐の右手を中心に放たれる。それは、光や猛といった天使の傷を全て癒し、弘孝と皐月といった悪魔には、胃袋が無くなったような不快感と痛みを与えた。身体の不調により、必然的に膝を着き、痛みに耐える二人。
皐月が可憐の魔力の影響で嘔吐き、口元から赤い体液をこぼす。弘孝もまた、口元を強く抑えていた。弘孝の口元を抑える手の隙間から赤い体液が漏れていた。
二人の地獄長が隣で苦しむ姿を横目で見ながら、吹雪は相変わらず不敵な笑みを浮かべていた。彼の口元にも、ほんの僅かに赤い体液がこぼれ、口の端から顎へ伝っていた。
「神に奪われたその名でオレを呼ぶか。良いだろう。お前の為に最高の絶望をくれてやるが、まだそんな口が叩けるのかぁ?」
口元を簡単に手で拭い、吹雪は十二枚の黒い翼を大きく羽ばたかせた。弘孝や皐月以上の悪魔としての魔力が彼を中心に可憐たちに向かって放たれる。それを浴びた弘孝と皐月の嘔吐感は一瞬で消え、吐血も止まっていた。僅かに残る口内の血の味を噛み締めながら二人はゆっくりと立ち上がった。
「させるか!」
吹雪の魔力を瞬時に察した光と猛が、可憐とジンを守るように魔力を使い、壁のようなものを作り出す。その壁に吹雪の魔力が当たる頃には、強力すぎる魔力によって視界が塞がれていた。
直接魔力を浴びる事は無かったが、それでも人間である可憐とジンにとって、吹雪の魔力は、例えようのない強い吐き気を覚えさせた。思わず口元を抑える可憐とジン。
吐き気に抗いながら、可憐はジンの手首をそっと掴んだ。そのままエメラルドグリーンの魔力を彼にそっと注ぎ込んだ。
「悪ぃ、可憐」
吐き気が消えたジンが口元から手を離し、可憐に感謝の言葉を述べる。可憐は、気にしないで、と簡単に返事をすると、ジンからそっと手を離した。
二人の嘔吐感が消えた頃、吹雪の魔力も消え、視界が晴れる。殺意と悪意を向けていた吹雪だったが、身体は可憐たちの方ではなく、広場の片隅で熾天使たちに守られながら事を見守っていたハルとアイに向けられていた。その光景を目撃したジンは目を見開いた。
「ハル! アイ!」
震える二人の元へジンが駆け寄る。吹雪がもう一度、意識を集中させ、翼に魔力を込める。大きく羽ばたかせた翼は、数枚の羽根が抜け落ち、それが弾丸のようにハルとアイを襲った。
「ジン! やめろ!」
猛の声はジンには届かなかった。怯えるアイと彼女を抱きしめるように守るハルだけを視界に入れながら、熾天使たちよりも前に、吹雪の攻撃を庇うように前に出る。ダガーナイフを構え、吹雪の攻撃を全て受け止め、落とそうとダガーの面積がより広くなるようなジンの構え方だったが、それは無駄な抵抗だった。
アリエルが反射的にジンを庇うように前に出ようと、足を一歩前に出した。しかし、ジンはそんな彼女を強く突き飛ばしていた。予想外の出来事に、アリエルもされるがままのように動かされた。
「ジン!」
ハルが彼の背後から叫んだ。しかし、その瞬間、ジンの全身に大量の黒い羽根が突き刺さる。それは、負の魔力をジンの体内に注ぎ込み、内蔵を瞬時に使い物にならないようにさせていた。
「ぐはっ!」
言葉にならないような声を上げながら、大量の血液を口から吐き出すジン。ルビーレッドの魔力が本能的に吹雪の魔力を相殺しようと混ざり合うが、吹雪の魔力の濃度と量に負けて消えていった。
「ジン! ジン!」
ハルが何度も自分のパートナーの名を叫ぶ。しかし、ジンはそれに答える余裕も無く、何度も大量の血を吐いていた。
人間の一度に失っても問題無い血液量を遥かに超える吐血と出血。それは、ジンの視界と思考をどんどん奪っていった。冷や汗がジンの額を濡らす。
僅かに残った体力を使い、吐血と羽根によって真っ赤に染った身体をハルの方へ向けた。
「ゴメンな……ハル、こんな男とケッコンさせちまって……。最期くらい……カッコイイオレを見せれた——」
ジンは自分の言葉を最後まで述べることなく、心臓が止まっていた。