163話 鎮魂歌+君主の想い(1)
ジンがウリエルの記憶を引き継ぐ夢を見て飛び起きていた頃、可憐は既に起床し、洗顔をしていた。光たちと全く構造がおなじ大部屋であり、三台ほど並ぶ簡易的なベッドの近くに、個室で過ごしていた時も同じようなシャワーボックスが一台設置してあった。
シャワーボックス内のシャワーを使い、自分の服に水がかからないように洗顔をした。
「ふぅ……」
シャワーの隣に簡単に置いていたタオルを使い、顔を拭く。Aランクでは味わった事の無い極上の触り心地と吸水力を持つタオルは、一瞬で可憐の顔の水分を吸収していった。
完全に水分を拭き取ると、タオルを使用済みの衣類等を入れる箱の中に簡単に投げ入れる。そして、可憐は部屋の中央にあるテーブルの方へ向かった。そこには、既に洗顔と着替えを終えたハルとアイが椅子に座って可憐を待っていた。
「おはよう」
挨拶を済ませ、一番近くにあった椅子に可憐は着席した。そんな彼女にハルとアイは軽く手を振り、同じような挨拶を済ませる。
「Sランクだと、どーも時間の感覚が分かんなくなっちまうなぁ」
挨拶が終わり、次の話題として口にしたハルの言葉。可憐はふと、左手首の機械に目を向けた。相変わらず体温や心拍数が、無機質に記入され続けていた。その隅に現在の時刻を知らせる数字が並ぶ。
数字は、可憐の普段の生活ならば、着替えて学校に行くために家を出なければならない時間を示したいた。
「そうね。空調が完璧に管理されているから、窓も必要のない部屋だもの。時間を把握することがこの機械でしか出来ないと、私の体内時計もずれてしまいそうだわ」
監視されている事を意識しながら、当たり障りのない返事をする可憐。ハルもまた、自身の左手首の機械を眺めていた。
「あー。窓がないから外の時間が分かんねぇから調子狂うって事か。変なキカイがないと時間も分かんねぇのかよ。ってか、アタシはやっと数字が読めるようになった程度なのに」
苦笑しながら機械を眺めるハル。そこには、可憐の機械と同じ時刻を示していたが、正確な時間を把握する必要のないEランクで過ごしていたハルにとって、それが早いのか遅いのか分からなかった。
「ハル、もう少し、勉強した方がいい。ワタシ、既に文字読める。もっと勉強する。試験受ける。いい結果残して、ジンとハルを楽させる」
腕時計型の機械を眺めているハルに向かってアイが口を開く。彼女の口から仲間を家族の呼び名で呼んでいる所を目撃した可憐は、思わず笑みがこぼれた。
Eランクでの生活と悪魔との死闘を経験したとは思えないほど、明るい口調で話すアイに、思わずその思い出話をしようとしたが、監視されていることを思い出し、喉まで出ていた言葉をゆっくりと飲み込んだ。
「そうね。私も勉強して、次の試験を受けないと……。降格しない程度の点数ならいいのだけど」
代わりに口にしたのは、試験を受ける前向きな姿勢に聞こえるような言葉。しかし、可憐はその言葉の最後の方は皮肉を込めて言っていた。
その時だった、部屋の唯一の出入口である扉からノック音が聞こえた。一度会話を中断させ、三人は扉の方へ足を運んだ。
「健康診断と朝食のお時間です」
扉越しに聞こえたのは、やや無機質な声色。Sランクの住民らしいその声色だったが、それは、可憐が今最も信頼している契約者の声だった。
慌てて立ち上がり、扉を開ける。すると、目の前にはSランクの住民であることを示す、白い服を着た契約者が現れた。パーカーのようなものを深く被り、表情は見えなかった。
扉を閉め、その契約者は部屋の壁に触れ、魔力を流し込んだ。数秒後、魔力が部屋全体に行きわったことを確認すると、契約者は表情を隠していた被り物を取り、可憐に顔を見せた。そこには、可憐の親友に瓜二つな顔立ちが見ることが出来た。
「フミ!」
魔力により、監視から解放された事を察知した可憐が大きな声で熾天使の名を呼ぶ。そのまま彼女に抱きつき、契約者独特の冷たい感触を肌に染み込ませた。
「おはようございます、可憐様」
自身を抱きしめる可憐に優しい声をかけるレフミエル。そのまま、可憐の頭を愛おしそうに優しく撫でる。彼女の黒い髪がレフミエルの指に絡み、ほどけていった。
「状況はどうなのかしら。ここに移動しろってSランクの人が言った割には、顔を見せないわ。普通、その日か今の時間に事情聴取してもおかしくないはずよ」
レフミエルに撫でられ、幸福感が満たされた可憐は、一度彼女から離れ、彼女の瞳を見た。青空を凝縮したようなその瞳は、目の前の大天使の器を映していた。
「はい。私もそれを疑問に思い、調べていました。すると、それを指示していた者はたった一人である事が分かりました。」
レフミエルの言葉に可憐は、たった一人と復唱する。それを聞いたレフミエルはゆっくり頷き、再度口を開いた。
「更に、詳しく調べたら、可憐様たちをSランクへと移動させるよう指示したのも同一人物だと分かりました……。その人の名は……椋川皐月です」
皐月の名を聞いた途端、可憐の目が見開いた。数回、瞬きをし、ハルたちに無駄な不安要素を増やさないよう、冷静さを保つ。しかし、可憐の僅かな表情の変化に気付いたハルが彼女の隣に立ち、肩に触れた。
「なぁ……椋川ってことは、リーダーのシンセキか何かかよ」
ハルの言葉に可憐はゆっくりと頷いた。その動作と共に、彼女の黒い髪が揺れ、表情を隠す。
「えぇ……。皐月君は、弘孝の弟よ……」
可憐の言葉を聞いたハルとアイは同時に目を見開いた。
「オトート!? いや……リーダーが何でEランクに居るのかってってのは、アタシたちはみんな知ってたんだけど……生きてたって事かよ……」
「リーダー、弟、殺して追放された。ワタシ、そう聞いていた……」
二人が似たような言葉を並べると、可憐はゆっくりと頷く。表情を隠していた髪をかき上げ、頬を撫でていた髪を耳にかけた。
「昨日説明した、第一地獄の地獄長ベルゼブブ。それが今の皐月君よ。弘孝に殺されたのは事実で、その前に契約していたみたい」
可憐の言葉を聞いて、ハルは昨日彼女から聞いたAランクが崩壊した出来事を思い出す。ベルゼブブという名の悪魔が弘孝と可憐の前に現れ、それをきっかけに弘孝がAランクを崩壊させたと聞いていたが、その悪魔が弘孝の弟とは想像していなかった。
口を間一文字にしているハルを横目に、可憐は指を顎に触れさせるようにし、考える仕草をした。
「という事は、これも皐月君の策士かもしれないわね……。早めに何か対策を取らないと——」
可憐が自分の言葉を全て話すのを防ぐように、部屋の外から何かが破壊されるような轟音が聞こえた。