144話 鎮魂歌+想い人(3)
「わたしは、とある国の奴隷でした。オッドアイのせいで忌み子と言われ、両親に僅かな金銭と引き換えに、殿方を慰める店へと、売られました。幸いにも、瞳の色以外の容姿には多少、恵まれていましたので、客に困ることは有りませんでしたよ。そして、待っていたのは、わたしを慰めの対象として扱うのか、単に怒りをぶつける相手が欲しかったのか、の二択でした。」
一度口を閉じ、ジンの反応を伺うベルフェゴール。殺意の込められていない瞳と気配であることを確認すると、続きを話し始めた。
「そんな生活をしていたある日、わたしは、蝿の王ベルゼブブ様に契約してもらい、悪魔……地獄長ベルフェゴールとなりました。そこで、与えられた仕事が、リーダー……綺麗な混血である器を誘惑し、悪魔側に取り込むこと。必死にこの国の言語や文化を学び、違和感が無いように、あなた達の前に現れました。全て、リーダーをわたしの虜にする為の手段だったんですよ……」
まるで何かを懺悔するかのように、自身の両手を重ねながら話すベルフェゴール。それを聞いたジンもまた、持ち前の頭の回転の速さで全てを理解していた。
ベルフェゴールが自分たちの前に現れたのは、弘孝を落とす為の手段であり、本当に助けを求めていた訳では無かった。そして、彼女がジンたちの仲間となった後も、懸命に働いていたのも、弘孝の気を引く為。
今まで見ていたものが全て悪魔ベルフェゴールとしての手段であったと理解した時、ジンは自分の心の一部が欠けたような虚無感に襲われた。初めは容姿に一目惚れしていたが、そこからは、彼女の健気な姿に惹かれていた。
しかし、それ以上にジンは先程のベルフェゴールの会話に違和感を覚えていた。まるで、自分は最初から弘孝に惚れさせる為に全て計算して動いていた。そう解釈の取れる言い方だったが、妙に説得力に欠けていた。
「そうか」
短い返事をするジン。それ以上の言葉をジンは自分の語彙力から探すことが出来なかった。ベルフェゴールと同じように、座りながら両手の指を簡単に絡ませる。
「随分、淡白なお返事ですね。てっきり、わたしに絶望し、殺意を向けるかと思いました。ジンは、長い間、わたしに好意がありましたよね?」
本人に伝わっていた自分の好意。ジンにとって、それは大した問題ではなかった。しかし、いざそれを本人の口から言われたら、反射的に顔に熱が集中する。
「……。今は、オレの気持ちなんてカンケーねぇだろ。オレだって、スズがずっと、弘孝の事を見ていたのは知ってんだからな」
なるべく自分の感情の話から逸らすように、誘導するように話すジン。未だに熱を帯びる顔面に自身の手を雑に頬に当て、無理矢理冷やそうとしたが、その手も熱を帯びていた。
ジンの言葉を聞いたベルフェゴールは、一瞬だけ目を見開いた。しかし、そのあと、すぐに儚い笑みを浮かべていた。
「本当に、ジンはよく人のことを見ていますね。さっき言ったでしょ? わたしは、リーダーを悪魔にさせる為に、好意を寄せているフリをしていました、と。だから、あなたが、わたしに寄せている感情は使い物にならなかったので、適度に放置していた。それだけですよ」
「ちげーだろ。お前は、弘孝から名前を貰った時から、スズとして生きて、スズとして、弘孝をスキになった。じゃねぇとこんな長い間、マワリクドイことしねぇだろ?」
ベルフェゴールの言葉を遮るように間髪入れずに否定をするジン。それを聞いたベルフェゴールは一度脳内に弘孝の姿が横切った。
悪魔の呪いとして長いままの髪。魔力によってこの国では異様な瞳。自分と同じ差別の対象として扱われていてもおかしくなかった弘孝だったが、そんな事は一切なく、悪魔の自分を無条件で受け入れ、名前をくれた。
初めて貰った想い人からのプレゼントは、ベルフェゴールにとって、一生の宝物だった。何度もその名で呼ばれる度に、動いていない心臓がうるさく音を立てる。この感情が自分自身の正直な感情だと理解した時には、既に弘孝を悪魔に引き抜く為に誘惑をしようという気持ちは完全に消えていた。
「ジンには、隠し事は無意味な事のようですね……。これは、本人には秘密ですよ。と言っても、もう、まともに会話をできる関係では無いと思いますが」
ベルフェゴールのその言葉で、ジンは弘孝が悪魔となった事を思い出した。無意識に拳を作り、テーブルを殴る。
「スズ、お前はホントーに弘孝の事がスキだった。だけど、悪魔としてのタチバがそれを邪魔した。その結果がコレかよ……。アイツ……ホントーにバカだな」
ジンの脳内にも弘孝の姿が横切った。五年間共に生きて、彼が魔力を使う異端児だと知った。それでも、それ以上に彼の性格や価値観がジンには持っている物ではなく、憧れと尊敬があった。
年齢が離れている事を感じさせない二人の関係は、二度と元に戻る事は無いと察したジンは、親指の爪を噛んだ。
「すみません。これは、わたしが悪魔としてのタブーを犯した禊でした。サタン様にラファエルとガブリエルの幻覚を使って、リーダーを絶望させろ。それがご慈悲の命令でした。わたしはベルフェゴール。スズはもう、いないのです」
ジンの言動から、怒りの感情を覚えていることは簡単に想像出来ていた。しかし、それ以上にベルフェゴールはジンに懺悔したかったのだ。スズとして生きていた三年間を無かった事にしたくない。そんな彼女の我儘が今の二人の雰囲気を作り上げていた。
そんな彼女の言葉にジンは大きく首を横に振った。彼の弘孝ほどではないが、無造作に伸びた髪が動きに合わせて揺れる。
「お前がそう言っても、オレの中では目の前にいる女は悪魔じゃなくて、ナカマの一人である、スズだからな。弘孝が悪魔になったのは、アイツの心が弱ぇからって事だろ」
仲間という単語を先程から何度も言葉に混ぜ、意識するジン。目の前にいるのは、仲間であり、敵ではないと願う気持ちが無意識に言葉としてこぼれていた。
「嬉しい事を言ってくれますね。お礼として、わたしから何か渡せるものはありますかね……」
ジンの言葉に儚い笑みを浮かべながら呟くベルフェゴール。そのまま、ゆっくりとジンに近付いた。殺意はなく、ただ、単にジンの顔に自分の顔を近付ける。彼女の予想外の行動に、ジンの心臓が音を立てたが、赤面することは無かった。
「わたしの、最初で最後のプレゼントとして、キスくらいなら、あげられますよ?」
自分の唇を指さし、魅惑的な笑みを浮かべるベルフェゴール。唇の間から僅かに見えた舌が、自身の唇を妖艶に舐めとる。
想い人の妖艶な姿を見たジンだったが、一切顔色を変えず、イタズラをした少年のように舌を出した。
「ばーか。ンなのできねぇーよ。オレはハルとケッコンして、アイを子どもとして受け入れた。サイシモチなんだよ。そもそも、お前とソンナコトしてぇって思った事は一度もねぇし。オレはただ、お前がシアワセなら、ジューブンなんだよ」
自身の心臓を親指で指さし、言葉に偽りが無いことを行動で示す。
お前が幸せなら充分。その言葉にベルフェゴールの動いていない心臓が音を立てていた。しかし、それを無理矢理無かった事のように振る舞うと、ベルフェゴールは、幼子のような笑みを浮かべ、小さな笑い声を出した。
「あら、そうですか。それはおめでとうございます。それなら……結婚祝いとして特別なものを渡しましょう……」
そこまで言うと、ベルフェゴールは立ち上がり、ジンの目の前に立った。そして、両手を広げ、殺意が無いことを示す。一度深呼吸をして、気持ちを整えると、ベルフェゴールはゆっくりと口を開いた。
「ジン、わたしを殺してください」