142話 鎮魂歌+想い人(1)
弘孝の嫉妬心が爆発し、地獄長モロクとなった瞬間、ジンは自室にいた。その時ふと、弘孝の気配に違和感を覚え、扉を開けた瞬間の出来事だった。
しかし、弘孝の放つ負の魔力があまりにも強力で思わず、扉を反射的に閉めてしまい、もう一度確認の為に扉を開けようとしたが、瓦礫が扉を封じこみ、長身で力持ちのジンが体当たりしても開く事がなかった。
「ちくしょう……!」
数回扉に向かって体当たりを繰り返したが、ジンと扉がぶつかる鈍い音だけが響き、ジンの右肩に鈍い痛みが走る。
その間にも、扉の向こう側では、可憐の叫び声と、更に施設が崩壊しているような大きな音が聞こえていた。
「可憐! 弘孝! 何があったんだ! 悪魔が来たのかよ!」
ジンの叫び声に扉の向こうの人間が答えることはなかった。それ以上の轟音が扉の向こう側から絶え間なく聞こえていた。少しでも、可憐たちに気付いてもらえるよう、ジンは何度も扉を殴る。しかし、体当たりでもびくともしない扉は、多少殴ったところでは無意味な抵抗となっていた。
「おい! 誰か返事しろよ!」
自身の行動が無意味だと察したジンは、舌打ちをすると、一度扉から数歩離れ、立ったまま目を閉じた。視覚を遮断し、意識を耳に集中させる。すると、今まで聞こえなかった声が聞こえてきた。
可憐や光が弘孝に向かって何かを叫んでいる。具体的な言葉はハッキリと聞き取ることは出来なかったが、意識を集中している為、ジンは誰が誰と話しているか程度は魔力を感覚的に察知する事で、把握出来ていた。
可憐のエメラルドグリーンの魔力と、光のオレンジ色の魔力が近くにあるのが脳内のイメージで見えるジン。そして、その数メートル先に、禍々しい悪魔の魔力を感じた。
可憐が弘孝と叫ぶ声と禍々しい魔力から、ジンは弘孝が悪魔になったのだと、本能的に察した。その魔力の量も、吹雪と変わらない程の量で、全てを理解したジンは思わず閉じていた目を開いて、壁を殴った。
「おい! 弘孝! お前なにバカなことやってんだよ!」
自分の勘が間違いであると願うように、再度目を閉じ、意識を集中させる。五年間共に時を過ごした親友の気配を探る。
現時点で、契約者となる資格のないジンにとって、かなりの倦怠感が襲っていた。しかし、それ以上にジンは、親友が最悪の選択を選んだのでは無いかと言う嫌な予感が、重い身体を無理矢理動かしていた。
野性的な感覚で、神経を耳に集中させる。そこで聞こえるのは、轟音と可憐の叫び声。何度聞いても同じ結果であり、弘孝のウリエルとしての魔力を感じる事もなかった。代わりに、出会ったことの無い悪魔の魔力をジンは気配として察知し、ゆっくりと目を開くと、身震いした。
「なんだよ……。これじゃ弘孝が悪魔になったみたいじゃないか……。そんなこと、アリエネーだろ……」
二重契約と弘孝が混血の事実を知らないジンにとって、予想外の結果だった。既に弘孝は、猛に願いを叶えてもらい、天使となる運命であると確信していたジンは、この出来事により、弘孝はもちろん、願いの対象となった自分たちの運命も、大きく変わってしまうのかと思い、再度壁を殴った。
何度殴ったか忘れるほど、壁を殴り続ける。ジンの拳の壁にぶつかる部分は既に真っ赤になっていた。それでも、感情の動きが痛みを忘れさせていた。
ふと、痛みを思い出し、壁を殴る事を止め、自身の手を空いている手で撫でていた時、ジンの背後に気配を察知した。それは、ジンがよく知る者の気配だった。
「ジン? 大丈夫かい?」
振り返ると、そこには、自分の妻であり、仲間であるハルの姿。拳の痛みで冷静なジンは、ハルを睨みつけていた。
唯一の出入口である扉は、地震のような揺れと轟音の正体によって、出入りが不可になっている。それなのに自分の前に突然現れた。その事により、目の前にいるハルは、本人ではないと判断したジンは、腰に隠し持っている猛の剣をそっと掴んで、いつでも抜刀できる状態でいた。
そんなジンをハルの容姿をした何かが優しく微笑みかける。しかし、彼女からは普段の姉貴肌な雰囲気はなく、どちらかと言えば、もっと幼く、まるでジンの想い人が弘孝に向けて見せる儚い笑みに近かった。
「……。スズ」
目の前の人物の正体を、長年の想いと勘で見破ったジン。彼の言葉に、ハルの格好をしたスズが再度儚い笑みを浮かべた。
ハルの瞳の形をしているが、瞳の色が段々、黒から赤と青のオッドアイに変わっていった。自身の喉元に軽く触れ、魔力が喉からこぼれ落ちた。それはまるで、自身の首を傷つけて出血したような、やや粘着質な魔力であった。
「やっぱり、バレてしまいましたか、ジン」
ハルの姿のスズから、悪魔の魔力が溢れ出る。そのまま、自身を包み込み、数秒後に魔力が消えた頃には、ハルの姿ではなく、悪魔の格好をしたスズがジンの目の前に現れた。