139話 鎮魂歌+氷結地獄(1)
可憐たちが父親と合流し、現状を説明している頃、氷結地獄では、新たに誕生した地獄長と第一地獄の地獄長たちが集まっていた。
「ルキフグスに、ブブにモロク。第一地獄の地獄長がここまで揃うのは何年ぶりだぁ?」
氷の玉座に足を組みながら、自分に向かって膝を着くルキフグスと皐月を見る吹雪。そんな彼の座る玉座の肘掛けに弘孝は腰掛けていた。衣服は既にAランクの頃のブレザーではなく、Eランクで生きるために着ていた和服と同じデザインのものであった。ただ、色が赤ではなく、闇と毒を混ぜ合わせたような色味になっていた。弘孝の長い髪が氷の玉座を撫でる。
それを見ていた皐月は、弘孝には見られないように小さく舌打ちをした。吹雪に対しては絶対の信頼と忠誠、弘孝には殺意を向ける。氷の床に膝を着いているため、袖の長いドクターコートが床を撫でていた。
そんな皐月の気配を察知したルキフグスがこれ以上の沈黙は争いの火種になると判断し、視線を氷の床から吹雪たちへと移動させ、ゆっくりと口を開いた。
「約四百年ぶりです。モロク様の転生は滅多に起こりませんからね。ボクも五百年ほど生きていますが、モロク様はこれでお二人目ですよ」
ルキフグスが頭を上げて答えた。既に彼女の頭部には、月下美人の髪飾りは無くなり、美しい銀髪だけが彼女が頭を上げた時に揺れていた。悪魔の魔力と同じ色をした着物の袖が皐月のドクターコートと同様に氷の床を撫でる。
彼女の言葉に、弘孝が視線をルキフグスに向ける。初めて見る銀髪の少女は、吹雪や皐月よりも、死臭が強く、この中で最年長であることは、彼女から溢れ出る魔力と嫉妬心で本能的に察していた。そして、彼女の言った五百年という単語と容姿で、恐らく江戸時代の人間が契約して、悪魔を続けているのであろうと理解しただけで、それ以上の感情を彼女に抱くことは無かった。
可憐以外の異性に興味が全く無い弘孝は、ルキフグスの存在だけを認知したら、再度視線を吹雪へと向けた。吹雪は白い歯を見せながら、ルキフグスに笑みを見せた。
「そうだったなぁ。オレが魂を分離させる前に一度三人は揃っていたかぁ。あの時は、オレに相応しい器が居なかったなぁ」
ルキフグスの言葉に吹雪が返す。器と彼が口にした時、弘孝の目が僅かに見開く。脳裏に浮かぶのは想い人の姿。慈悲深い笑みを浮かべる彼女の隣には恋敵である光の姿も思い出す。その瞬間、弘孝から、ルキフグスが思わず両足を震わせる程の魔力が溢れていた。
それを見た吹雪は、弘孝の頭を雑に撫でた。彼の細く柔らかい黒髪が吹雪の指に絡みつく。彼のこの行動により、弘孝は一度ため息をつくと、冷静さを取り戻し、これ以上の魔力の漏えいを防いだ。
「可憐を二つの魂を持つ者に仕向けたのは、お前か」
不意に弘孝が会話に割り込む。弘孝の言葉に、吹雪は弘孝の頭を撫でていた手を離した。乱れた髪を手ぐしで簡単に整える弘孝。
「仕向けたぁ? オレは何もしてねぇよ。可憐はただ、神に愛された一人にすぎねぇ。その証拠として、親友が目の前でいなくなっても、最大限の魔力が見えなかった。最大限の絶望を与え、オレの器になるまで何度でも絶望させてやんよぉ」
組んである足を入れ替え、口元だけ笑う吹雪。それを聞いた弘孝は、再度ため息をついた。
想い人に最大限の絶望を与える。それが今の自分の使命であり、その為の力であった。可憐の笑顔を思い出す度に同時に現れる茶髪の少年。彼がガブリエルである時点で、自分はやはり結ばれる運命ではないと頭では理解していた。
しかし、目の前で結ばれる運命の二人を目の当たりにしているだけで、弘孝の心臓は押し潰されそうだった。せめて、光よりも付き合いが長い自分が、何か彼女が困難に直面した時に、真っ先に頼られる存在だと思っていた。
しかし、現実は違っていた。出会って数ヶ月の光に全て奪われていた。五年間、彼女に会えなかった空白が、まるでそれ以前の時間を無に返したような結果が弘孝に待ち受けていたのだ。
それが、弘孝にとって解せない出来事で、ウリエルとなる決心を全て嫉妬心へと変化させていた。彼女がサタンの器で自身が氷結地獄で唯一、頭を下げなくても対等に会話ができる地位である悪魔になれる。
それならば、共に地獄を制し、自分と共に悪魔として生きる。そうすれば、光とも引き離せ、自分は永遠のパートナーとなれる。その選択を選ばない理由が弘孝には無かった。
既にモロクとなった弘孝には、可憐が最大限の絶望を味わう事に抵抗を持っていなかった。彼女の絶望により、涙を流す事は、弘孝にとってその先にある自分にとって最も都合の良い結末に必要な要素程度の認識であった。
「そうか。僕は……可憐が絶望し、僕の隣で生きていく未来が早く欲しい。僕は、ガブリエルから早く可憐を引き離し、僕の傍で僕を必要として人間以上の寿命を生きる可憐が欲しい」
右手の人差し指を自身の目の前に出し、悪魔の魔力を灯す弘孝。魔力と同じ色をした瞳が、彼の指先を映す。その光りは、皐月とルキフグスの持つ魔力よりも禍々しく、嫉妬心と殺意を可視化したようなものも言っても、過言ではなかった。
それを見た皐月が今まで閉じていた口をゆっくりと開いた。顔を上げ、視線を弘孝に移す。その視線には、兄弟とは思えないほどの殺意が込められていた。
「随分とエゴが強いなー。兄貴ぃー」