138話 鎮魂歌+無心(3)
「……。なんでもないわ、お父さん」
それだけ言うと、可憐は父親に儚い笑みを見せた。初めて見た娘の意味深な笑みに、父親は無意識に可憐を抱きしめた。久しぶりに感じた愛娘の温もりに、慈愛と寂しさが溢れ手が震えていた。
「可憐……。お前はまだ十七なんだぞ」
もっと大人を頼れ。そう父親は言いたがったが、可憐が父親が理解している以上の事件に巻き込まれていると、本能的に察し、これ以上の言葉を口にすることは無かった。ただ、目の前で慈悲深い他の誰かになったような愛娘を強く抱きしめ、父親は可憐に自身の愛情を伝えていた。
「大丈夫。私は、私がやれる最大限の事をやり遂げるだけだから」
父親の強い抱擁に応えるように可憐もまた、父親を強く抱きしめた。彼女の身体から、エメラルドグリーンの魔力が溢れ出し、二人を包み込む。その魔力は、父親の不安感を取り除き、可憐の父親に対する愛情を増幅させた。
数十秒の抱擁から、父親は可憐を優しく解放し、彼女の黒い瞳を見つめた。幼い頃から変わらないその瞳だったが、その奥には幼い頃には持っていなかった強さを感じていた。その瞳に思わず父親としての優しい笑みを可憐に送った。
そんな父親の表情から、可憐は父親の不安感が薄れていったと判断したら、父親の傍から離れ、光の隣に移動した。父親は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、それを悟られる前にいつもの表情に戻った。一度咳払いをし、光と猛の注目を集める。
「ところで、可憐を守ってくれた二人の名前を教えてくれないか? 父親として名前くらいは覚えさせて欲しい」
光の隣に立つ可憐と二人を交互に見ながら父親は口を開いた。父親の心境を察した光は、張り付いた笑みを浮かべながら、自身の右手を胸元に当て、一礼した。
「ぼくは、光明光です。元々、Sランクの住民でしたが、Aランクへ降格し、可憐さんと仲良くさせていただいております」
光の聞きなれない口調に、可憐は父親に見えないようにため息をついた。相変わらずペテン師ねと口にしたかったが、スカートの裾を強く握りしめることでそれを堪えた。
光の自己紹介が終わると、父親は視線を光から猛へと移した。猛は、相変わらず無愛想に頭だけ軽く下げた。
「俺は一色猛です。光と同じでSランクから降格し、Aランクで過ごしていました」
名前以外はほぼ同じ自己紹介を簡単に済ませる猛。これ以上は何も話すことがないという意思表示として、下げていた頭を上げ、父親から軽く視線を逸らした。
それを見た父親もまた、頷き、光君に猛君かと名前を簡単に復唱する。
三人の自己紹介が終わった事を雰囲気で察した可憐が、両手を一度だけ合わせて音を立てた。三人の視線が彼女に集まった事を確認すると、自己紹介より前に話していた話題から延長した質問をした。
「そうだ。さっき、お父さんが言っていた、非科学的な現象で何か分かったことがあるの?」
三人の視線が可憐に集まる。これ以上契約者の情報を父親に伝える前に、何も知らない人間が悪魔の行いをどこまで理解しているか、可憐はまず、そこから整理しようと考え、父親に尋ねた。父親は一度腕を組み、考える素振りを見せる。
「うーん。分かったことと言っても、父さんが研究していたのは、突然、財や名誉を手に入れた人たちの理由だからなぁ。例えば、どんなに偏った食事をしても、生活習慣病にならない薬を突然開発したり……。それを成功させた根拠を探していたんだ。だけど、Sランクの人たちと、ほとんど接触が無いから、データでしかどんな人かも知らないし。あくまでも、父さんと母さんはAランクの住民だから、仕事以外での外部との接触は禁止されてたしな」
あまり有益な情報は無いなと付け足し、父親は苦笑していた。それを聞いた可憐は、一瞬だけ表情を曇らせた。自分の教育指数が足りないせいで、Sランク相当の仕事をこなしている両親だったが、給料と生活はAランク止まりとされている。
しかも、それでもまだ良い方で、弘孝がいなければCランクのままだったのだ。平等を掲げている国だったが、それは、真逆の不平等を意味していたと可憐は理解した。無意識にスカートの裾を強く握りしめ、シワを作る。
「そう……。じゃあ、お父さんたちの研究内容とは別の……例えば、そんな人たちがその前に何かに接触したとか、それか、名誉などを手に入れた後の行動について研究していた人とか、なんでもいいの、お父さんたち以外に研究している人がいなかったの?」
国の不平等さに怒りを覚えるのは今ではない。そう自分に言い聞かせるように可憐は握りしめているスカートの裾をさらに強く握りしめ、奥歯を噛み締めた。
それが国に対して怒りの感情だと気付いた父親は、可憐がこれ以上怒りを露にしないよう、慌てて言葉を探し出し、とある人物を思い出した。
「何か研究している人が居たな……。名前は確か、椋川皐月君で、一瞬、Cランクで仲良くしていただいていた椋川さんの所の息子さんかなって思ったけど、可憐よりも年下だもんな……。最後にあの家族にお会いしたのも五年以上前だから、同一人物とは確信が持てなくてね」
父親の口からこぼれた悪魔の名前。それを聞いた三人は目を見開いた。可憐の脳内にも、五年前に会った皐月が蘇る。ベルゼブブとして現れた時よりも、身長も低く、もっと細々とした体型だった。病弱で、肌も可憐より白く、弘孝と同じ紫色の瞳を弱々しく可憐に向けていた。
可憐の父親の言葉を聞いて、自己紹介以外は無言を貫いていた猛がゆっくりと口を開いた。
「恐らく、奴も同じ事を考えていたのであろう。その……特別な力を得る条件を奴なりに研究していたと推測します」
可憐の父親を意識したのか、普段の口調から意識的に敬語を使おうとしている猛に、光が視線を移す。猛は、それを軽く睨みつけることによりそれより先のからかいの言葉を制した。
「なるほど……。どうやら、この一件は君たちの方が詳しそうだな。恐らく、現代科学では説明することが不可能な事が起こっているんだろ? 私には到底理解出来なさそうだ」
先程、可憐が魔力を指先に灯していた仕草を思い出す父親。しかし、それの意味を理解出来ず、ただ分かったことは、愛娘は自分の想像を遥かに超えた事にぶつかっている。そして、それを彼女は逃げずに立ち向かっている事だけだった。
一度可憐に近付き、父親は彼女の頭を優しく撫でた。
こうやって撫でたのは何年ぶりだろうか。そう内心呟きながら、数秒間、愛娘の頭を撫でた後、ゆっくりと手を離した。
そのタイミングで、父親のズボンのポケットから、機械音が鳴った。慌ててポケットに手を突っ込むと、携帯型の通信機を取り出し、何か連絡があったのが、目を文字を読むように動かすと、機械をポケットにしまった。
「どうやら、時間のようだ。しばらくここの監視は全て無くなっているから、会話は安心してくれ。そして、可憐を守ってくれてありがとう。最後に、これは純粋に可憐の父親としての質問なんだが、君と可憐はどんな関係なんだい?」
父親は視線を光に向けながら後半の言葉を口にしていた。父親の言葉に、光は儚い笑みを浮かべながら答えた。
「ただの片想いですよ」
可憐の父親には、光が六枚の翼を持つ天使に見えたような気がした。