126話 鎮魂歌+和解(2)
「可憐に酷いこと言っちゃった……」
ため息をつきながら光は、自室のベッドに腰掛け、俯いていた。彼の右頬は未だに可憐からの平手打ちによって、僅かに赤みがかっていた。手のひらで自身の顔面を覆うように俯き、何度もため息をつく。指の間には光の前髪が絡んでいた。
「はぁ……」
何度目か数える事も馬鹿らしくなるほどのため息をつく光。脳内には涙を浮かべ、今にも泣き出しそうな可憐の姿が焼きついていた。
彼女の癖であろう何かを握りしめる動作。シワだらけのスカートが彼女の胸の内を全て物語っているように光は感じていた。
両手で頭を抱え込み、自身で髪を乱す。動いていない彼の心臓が押し潰されているような苦しさが余計に涙を流す可憐を思い出させた。
そんな事を考えていると、ふと、扉の方で光の知る魔力を感じた。抱えていた頭をゆっくり上げながら、三色の魔力を持つ特殊な契約者であると判断した光は、扉をノックされる前に開けた。すると、そこには予想通りの背丈の高い少年の姿が目の前にあった。
「どうしたの? 猛君」
張り付いた笑みを浮かべ、猛を見る光。猛はそれを無視すると、光の部屋に無理矢理上がり込んだ。扉を閉め、魔力で監視を封じていることを確認すると、猛はゆっくりと口を開いた。
「磯崎に何を言った」
喜怒哀楽、全ての感情のどれにも当てはまらない冷静な猛の声色。猛は、人差し指で自身のこめかみを数回指さした。それで自分の独り言が猛へと無意識に伝わっていた事を察した光は、張り付いた笑みから、儚い笑みへと変わった。
「レフミエルに依存している彼女に惹かれないって、言っちゃったんだ」
座ってよと付け足し、ベッドを指さす光。しかし、猛はそれを無視して壁に寄りかかった。光はそんな猛を見ながら、先程座っていた場所に戻った。
「花の契約者からレフミエルの事は聞いた。沖田に瓜二つなんだろ? 目の前であのような失い方をしたら、誰だって依存すると俺は思うが」
猛の言葉に光はゆっくりと首を横に振った。右手を使い、先程自分で乱した髪を軽く整える。
「それは、ぼくだって理解しているよ。だけどね、沖田さんは可憐に生きてと言って、消えた。可憐の行動はそれをどこかで否定しているかのように感じちゃったのかな」
Aランクでの出来事を思い出しながら話す光。可憐の目の前で砂となり消えた優美の最期は悪魔として当然のものだったが、光も納得のいくものではなかった。
「レフミエルは慈悲の熾天使だ。ラファエルに最も近い熾天使と言っても過言ではない。どんな容姿をしていても、磯崎を甘やかすのは目に見えていただろ」
猛の言葉に光は俯き、視線を逸らすことで返事をした。既に光の顔からは笑みは消えていた。
「分かっているよ。ぼくもそれはレフミエルが転生したって聞いた時からなんとなく予想してたしね。でも、目の前であんに仲良くしていたら……妬いちゃうよ」
顔を上げ、猛に苦笑する光。そんな彼を見た猛は、ため息をついた。腕を組み、光を呆れた目で見る。
「熾天使に愛しの大天使を盗られたから嫉妬し、攻撃的になったという事か」
「違うよ……違う」
猛の言葉を即座に否定するように首を横に振る光。そのあと、自身の言葉を探すようにゆっくりと口を動かした。
「可憐が二つの魂を持つ者だと分かってから、彼女の態度がどことなく変わったのは分かったかな? まるで、彼女の心が奥の方へ逃げちゃった感じがして……。それから器であることを妙に意識しちゃってるように見えたんだ。でも、それは、ぼくのせいでもあるし、気持ちも分かるから、ゆっくり向かい合うことが出来たらいいなって思ってたんだ。そこでレフミエルに依存されちゃって……。余計にぼくとの距離が遠くなった気がしたんだ」
これもある意味嫉妬だねと付け足し苦笑する光。しかし、その笑みには嫉妬心は込められてなく、自分を卑下しているような笑みだった。
「確かに、天界にいた頃から自分が器だと理解していたが、まだ磯崎としての自我が強かった。しかし、今は器を意識しすぎて、魔力が不安定だった時が多々あった。それが磯崎可憐という存在を自分で否定している。そこがお前が気に入らなかった所か」
猛の言葉に光は頷いた。自分の言葉を完結にまとめた契約者としてのパートナーに内心感謝をしながら自身の両手の指を絡め、自身の体温を確認した。冷たい身体。それは動いている心臓を持たない契約者としての特徴であったが、今の光には、自身の心情を表現しているように感じた。
「ぼくは、光明光として可憐が好きなんだよ。それなのに、彼女が自ら自分を封じてラファエルになろうとしている……そう思ったらつい、あんな事を言ってしまって、ぼくの言葉の本当の意味を理解してもらう前に、怒らせちゃった……」
口元だけ笑みを浮かべる光。彼の瞳には猛が映っていたが、光から見た猛には光のオレンジ色の魔力の効果により、一色猛という少年ではなく、六枚の翼を持つ裁きの大天使ミカエルに見えていた。
そんな光を見ていた猛は背中を預けていた壁から離れ、数歩前に進み、光の頭を無造作に撫でた。
「猛、君……?」
数秒続いた猛の行動は、光の思考回路を停止させた。完全に光が自身を卑下するような表情から離れたのを確認すると、ゆっくりと彼の頭を撫でていた手を離した。
「気持ちのすれ違いなら、歩み寄って合わせればいい。磯崎が今求めている言葉がなんなのか、光が一番理解しているはずだ。今まで共に過ごした時間が全てを物語っている」
喋りすぎたと付け足すと、猛は一瞬だけ猛らしくない慈悲深い微笑を光に向けた。そのあと即座に振り返り、光に背を向け、光がその笑みの意図を知ることは出来なかった。
「もう、やる事は分かっているだろ。それをどうやって実行するかは、光、お前次第だ」
猛はそれだけ独り言のように呟くと、そのまま前に歩き出し、扉を開けて光の部屋を後にした。扉が閉まる音が聞こえた時、光は我に返り、猛の言葉を振り返った。
「ぼく次第……」
光が猛の言葉を完全に理解した時には、既に頬の赤みは引いていた。
「歩み寄って、ぼくは、可憐に気持ちを伝えるよ」
光もまた、猛と同様、部屋の出入口の扉へ向かって歩き出した。
光の言葉を聞き取っていたのは、同じ契約者の猛のみだった。聴力では聞こえない場所だったが、パートナーである光の心情と口にしていた言葉が全く同じであったので魔力で直接頭に響いていた。
「お前は神に愛された契約者の一人だからな」
猛の声は光にさえも届くことは無かった。