125話 鎮魂歌+和解(1)
可憐の部屋から出た弘孝は、無意識にジンの部屋の前に立っていた。レフミエルの魔力の範囲から外れた為、心拍数を深呼吸して整える。左手首を見て、数値が正常なのを確認すると、弘孝はジンの部屋の扉をノックしようと、右手を上げた。しかし、その前に扉が開き、右の頬にバツ印のような傷跡がある青年が立っていた。
「そろそろ来るんじゃねぇかって思ってた」
入れよと付け足し、弘孝を自室に誘導するジン。弘孝はそのまま無言でジンの部屋に入り、扉を閉めた。
可憐や弘孝の部屋と何一つ変わらないレイアウトのこの部屋は、既に見慣れていて、ジンがベッドに腰掛けたタイミングで自然に弘孝もジンの隣に座った。彼の座高より長い黒い髪がベッドを優しく撫でていた。
「で、可憐とケンカでもしたんかよ」
弘孝が自分の隣に座ったのを確認したジンが先に口を開いた。彼の言葉に弘孝は俯くだけで答えることは無かった。
「ズボシかよ」
鼻で笑うジン。しかし、弘孝はそれに対して首を横に振った。
「口論したのは光と可憐だ。彼女が精神的に苦しんでいるのに、光がそれに対して否定していた」
可憐の部屋とは違い、監視下に置かれている状態では全てを話せない弘孝は、第三者に知られても問題が無い程度の情報のみ口にしていた。弘孝の視線がジンに固定されず、壁やテーブルにも移動する。
ジンはそれを弘孝の態度から瞬時に察し、軽くため息をついた。頬の傷跡を無意識に右手で掻きながらジンなりに言える範囲での言葉を探す。
「うーん。オレは現場にいなかったから何とも言えねぇなぁ」
必死に探した言葉があまりにも曖昧で、ジンは自身の不甲斐なさに思わず苦笑した。弘孝もジンらしくない言葉に、泳いでいた視線が一気にジンへと固定された。見慣れた切れ長な目が苦笑いにより目元にややシワが出来ていた。
「あまりにも光の態度が不服すぎて、僕はこれ以上の感情を可憐に見せたくなかった。だから頭を冷やす為に距離を置いた」
ゆっくりと深呼吸をして、心拍数を正常値の範囲内におさめる弘孝。なるべく感情を出さないように先程の出来事を第三者視線で脳内で整理する。しかし、脳内で浮かび上がる映像は、光を睨みつけ、スカートがシワだらけになるほど強く握りしめている可憐の姿ばかりだった。
「ふーん。でも、それってさ、弘孝のエゴだろ? 多分、可憐はこんなカンキョーで疲れてる。それでチョット間違ったコードーを取ったから光に怒られた。それにハンカンした可憐を見たくなかったから出ていった。オレにはそう聞こえるんだけど、気のせいか?」
ジンの言葉に弘孝は目を見開いた。彼の紫色の瞳が目の前の親友を捉えていた。
弘孝の口頭だけの情報と、二日前の可憐を思い出しただけで、ジンはそれとなく、可憐の精神状態が限界に近い状態で光がそれを正そうと指摘をし、弘孝はそんな可憐の気持ちを汲み取り、可憐の性格からして今の精神状態になるのは仕方ないから、しばらく受け入れようと可憐を擁護したのであろうと予測した。しかし、光の意見が正論すぎて、反論する余地が無くなった弘孝は、その場から逃げることを選択した。
弘孝との長年の付き合いで全てを予測したジンは冷静な目で弘孝を見ていた。中性的な顔立ち。艶のある黒い長い髪。宝石のような紫色の美しい瞳。既に長年見ていたその容姿は、男女を問わず虜にしていたが、想い人は例外であると思うと、ジンは無意識にため息をついていた。
「エゴ……か。そう言われたらそれは正しい意見だと僕は思う。そして、光の正論にどう返したらいいか分からないから二人から逃げてしまった。こんなエゴの塊のような僕をお前はまるで予見して待っていたような感じだな」
ジンに向けて微笑する弘孝。その笑みはまるで、懺悔した自分を受け入れてくれた事に安心しているように見えた。
「別にー。ただ、弘孝って、セーロンじゃなくて、自分のカンジョーで動く事が多いから、バクハツしたらその場から離れっからなって、今までの付き合いで思っただけだって」
ゆっくりと口角を上げるジン。その笑みは、実年齢よりも若く見えるくらい、純粋な少年のような笑みだった。彼の白い歯が、より一層、笑みを引き立てていた。
「僕は、これ以上、感情に左右される可憐を見たくなかっただけかもしれない。それは僕のエゴであり、可憐の為に何一つなっていない。僕は、今から可憐に謝罪しようと思う。そして、少しだけ、本心を伝えようと思う……」
弘孝が胸元を締め付けているネクタイを整えた。瞳も、不安気なものから、しっかりと前を見すえていた。
「自分の気持ちねー。オレはもうそれはできねぇから、コーカイしねぇようにやれよしか、言えねぇな」
ジンの脳裏にスズが過ぎった。美しい金髪と赤と青のオッドアイは、三年間見ていても、ジンは飽きること無く美しいとずっと思い続けていたが、それを伝えること無く、彼女の想い人を知り、そして目の前から別れの挨拶もなしに消えていった。
似たような別れをせめて弘孝は経験しないよう、自身の後悔を織り交ぜながら口にしたジンの言葉は弘孝をゆっくりと立ち上がらせていた。
「後悔か……。僕は椋川弘孝として、残り少ない人生を後悔しないように生きていきたい。どんなに長くても五年という時間の中、僕の終わりが明日かもしれないという気持ちを持って、可憐に気持ちを伝える」
弘孝はそう言うと、扉の方へゆっくりと歩き出した。彼のその行動を見たジンも釣られるように立ち上がり、弘孝の後を追った。
「これはエゴだけど、エゴじゃねぇよ。弘孝がやりたいと思っている事のやらなきゃならねぇ事がたまたま合体しただけのゲンジョーって訳だ」
弘孝に追いついたジンは、弘孝の肩に優しく手を置いた。彼の温もりがジンの手のひらを伝ってジン本人に伝わった。
「随分と今日は優しいな。まるで永遠の別れのようだ」
「んなキモチワリー事言うなっつーの。弘孝がんなシケたツラしてるのをオレは見たくねぇだけだって」
つか、オレはサイシモチだしと付け足し、弘孝への信頼を込めた笑みを見せるジン。それを見た弘孝は美しい微笑で返すと、ゆっくりと扉を開けて部屋を後にした。
「そうか。それならいいんだ。また、落ち着いたらお前とハルの結婚祝いを改めてやろう」
扉が閉まるのと同時に弘孝はそれだけ言うと、可憐の部屋へと足を進めた。残されたジンは弘孝の肩に乗せていた手を優しく反対側の手で包み込んでいた。
「せめて、お前だけは惚れた女一人くらい、守り通せよ、弘孝」
ジンの男らしい独り言は誰にも届いていなかった。ただ、彼の腰に隠された猛の剣からはサファイアブルーの魔力が微かに漏れていた。