「事故案件」
□事故案件
「ホントなんだって!!」
思わず大きな声が出てしまった。
「またまたぁ~。そう言うのはいいから本当の事を話せって。その方がラクになるって!」
ニヤニヤしながら俺に嘘の自白を強要するのは同僚の田宮だ。
田宮に悪気がないのは分かるのだけど、コレばかりは腹が立って仕方ない。どうせ信じて貰えないとは思っていたけれど、真剣に話した内容を受け狙いのホラ話として流された事に納得できなかったのだ。
今年入社3年目の俺は、片道2時間もかかる電車通勤の苦痛に耐えかねてようやく引っ越しを決意した。3ヶ月程前の事だ。
けれど会社近くの物件は俺の給与では厳しい家賃の所が多く、リフォームしているけれど築45年という古い物件に行き着く事になったのだ。
正直、まったく気が進まなかったのだけれど、人の良さそうな不動産屋の口車に乗せられ築45年の古物件を見に行った。
実際にこの目で見てみると、抱いていた印象とは大違いでリフォーム済みの外見や内装は築45年とは思えないほど小綺麗で明るく清潔に感じた。部屋の間取りに古さを感じなくもないけれど、窓から入るお日様の光が心地よくて俺は即決してしまったのだった。
「わかった、わかった。そんなに怒んなって、なっ?」
田宮が人懐っこそうな笑顔を浮かべながら俺の肩に腕を回す。
「真面目にちゃんと聞くからさ、今夜お前の部屋で飲もうぜ」
一応周りに気を使ったのか、田宮は小声でそう言った。俺の怒りはまだまだ収まっていなかったけれど、田宮がこう言い出したら聞く耳持たない事は分かっていたし、早く仕事に戻りたかった事もあり俺はその申し出を受け入れた。
『ガチャ』
部屋の鍵を回した瞬間、部屋の中から声がする。
「あ、ケンちゃん?おかえり~」
ケンちゃんとは俺の事。三隅健二。それが俺の名前。
「あれ?そちらの方はお友達?」
あえて返事をしなかったのに、まったく気にすることなく言葉を続ける声の主。
「え?あ?!はじめまして。私、三隅君の同僚で田宮と言います」
唐突に聞こえてきた女の子の声に一瞬で緊張してしまったのか田宮の声が途中で裏返ったのには笑いそうになってしまったけれど・・・
「おいおい同棲してるなんて聞いてないぞ!」
肘で俺の脇腹を小突く田宮の顔が一気にニヤけてなんだか無性にムカムカしてきた。
「とにかく中へどうぞ。ほらケンちゃんも」
俺はムスっとした表情を作りキッチンに目をやる。
なにやら料理を作っている最中だったらしく、鍋の蓋がコトコトと音を立てていた。
「冷蔵庫の中のモノ使わせてもらったから~」
と、軽い調子で言葉をよこす。
『勝手なことすんなよ』と心の中で毒づきながら部屋の奥へと向かう。
「おいおいケンちゃんは亭主関白気取りなの?」
相変わらずニヤニヤしたままの田宮が余計なツッコミを入れてくる。
「そんなんじゃないよ、ただムカムカしてて喋りたくないだけだ。」
田宮に向けてそう言い捨てた。
「ケンちゃん、仕事で嫌な事でもあったの?」
そんな俺の言葉を拾ったのは田宮ではなく彼女だった。
彼女。彼女の名は中田真美。隣の部屋の住人。
引っ越してきて数日後、帰宅してすぐに玄関の呼び鈴が鳴った。無視しようと思っていたけれどノックと共に女の子の声がしたのだ。
「すみません、隣の部屋の中田です」
故郷の田舎町と違い、こんな都会で周囲の住人に引っ越しの挨拶なんてしなくても大丈夫だろうと思っていた俺は少し狼狽してしまった。
『ヤバイ、片付けの音がうるさかったか?それともゲームの音が響くとかか?』と一瞬の間に色々な可能性が駆け巡ったけれど、万が一こちらの不手際があったなら早めに問題の解消をしておくべきだと思い俺はドアを開けた。
それが彼女との出会い。
それからは顔を合わすたびに挨拶を交わし、そのうち二言三言と言葉を続けるようになのだけど、それが今ではこの有様。
「ケンちゃん、ご飯運ぶの手伝って~」
俺の姉か母親気取りの真美の言葉を素直に聞きいれ無言で立ち上がりキッチンへと向かう。
『ガチャ』
料理の盛り付けられた器を持ち上げようとしたのと同時に玄関のドアノブがまわった。
「三隅~、一緒に飲もうぜぇ~。」
招いてもいないのに新たな客人がやってきた。
真下の部屋の住人、岬省吾。
コイツも真美と似たような経緯で顔見知りとなったのだけど、奴はもっと図々しくて会ったその日に酒を持って部屋に転がり込んだのだ。見た目が少しイカツイもんだから、怖くて反論出来ず部屋への侵入を許してしまったのだ。あの時のチキンな自分を呪ってしまう。
「お?知らない顔がいる?三隅の知り合い?」
岬は田宮の方を向いてニカッと笑顔を作ってみせた。本人的には最高の笑顔らしいのだけど、初対面の人間にとっては最大級の威嚇に見える。
「は、はじめまして。三隅君の同僚で田宮と言います・・・」
やや尻すぼみな返事を返す田宮。
『仕方ない。怖いもんな。岬の見た目』
最初から田宮と真剣な話なんてできないだろうと予想はしていたけれど、岬の登場でソレは絶対に揺るがない確定した未来となってしまう。岬の乱入した食卓は学生時代のサークルの飲み会のような、すこし懐かしい雰囲気になり田宮が部屋に来た目的はすっかり忘れ、久しぶりにただただケラケラと笑い続けられる楽しく心地よい時間だったように思う。
そんな賑やかな時間を過ごすうち、自分の悩みなんてどうでもいい事のように思えてくる。
「俺って小さいよな…器がさ…」
けれどその呟きは誰も拾い上げてはくれなかった。
フッと目が覚めた。俺の体には布団がかぶされているようだ。酔いつぶれて眠ってしまったらしい。
「お?起きたぞ」
目覚めたばかりの俺の頭上から太くて低めの声が響いてきて若干の恐怖を感じる。岬だろう。
「本当に!?よかった~、安心したぁ。」
続いて細く高めの声が聞こえた。コレは真美に違いない。
「ああ、よかった。気がついてくれて。」
また違う声がする。けれどこの声は…
「三隅君、大丈夫か?俺達がわかるか?」
さらに別の声が追加された。
「いや、あの、ちょっと待って下さい。眼鏡を…」
そう言いながら体を起こして定位置にあるはずの眼鏡を手探りで探すがなかなか見つからない。眼鏡を探しながらボンヤリした視覚情報を整理してみる。
『なんだか白い。視界が白い。周りの人の輪郭は分かるけれど、その奥の壁や天井に違和感がある』
二人の話によると俺は昨夜遅くに自宅玄関前で倒れているのを発見され病院に救急搬送されたとの事。警察まで出動し会社にも連絡が入ったらしく、俺の目の前には部長と課長が並んで座っていた。
「いやぁ、最近顔色悪いからひょっとしてって思ってたんだよ」
と課長。
「ずいぶん久しぶりだったしなあ。5年?6年ぶりか?」
とは部長の言葉。部長はちょっと嬉しそうな声でさらに言葉を追加する。
「三隅君は聞いたことないか?田宮先輩の話を」
部長の話は長いうえに、まったく要領を得なかった。
部長の話で理解できたのは、俺のここ数ヶ月のこと。引越しをしてからずっと顔色が悪く、独り言をぶつぶつ呟き、時折大声で怒鳴ったりしていたらしい。けれど仕事は正確にこなし、今まで以上に良い成績を出していたものだから社内でウワサになっていたのだ。『田宮先輩が戻ってきた』と。
「田宮先輩に目を付けられると体力をゴッソリ持って行かれるからなあ」
部長が笑う。
「よかったな三隅君、田宮先輩に気に入られたなら間違い。君は幸せ者だよ!俺も会ってみたかったなぁ・・・」
課長が遠い目をして微笑む。
何が何やら理解出来ない。何が現実で、俺の記憶のどこまでが真実なのか。
『あのぉ、ケンちゃん?』
部長と課長が俺の事をそっちのけで盛り上がっている横から真美と岬が顔を覗かせる。
『田宮が迷惑かけて悪かったな。悪いヤツじゃないんだけどな』
『田宮君の事、怒らないであげてね』
『それじゃまた"いつか"ね、バイバイ』
俺は再び眠りに落ちた。