傷など痛くも痒くもない
刹那ピリッとした痛みと、熱を持つ感覚がライアーの全身を襲った。引っ掻かれたその場所からは、ジワリと血が滲み始める。じくじくと痛むその手を押さえた。
「ライアー!!」
怪我をした自分よりも顔面蒼白で倒れそうなイアルに、ライアーは平気だと笑った。
「かすり傷ですよ、心配ないです」
「はやく傷の手当てを」
焦った様子のイアルだったが、呆然と立ち尽くした夫人を放置しておくわけにも行かない。
どうしようかと判断に困っていると、騒動を聞きつけたロマードたちが姿を現した。
「何の騒ぎだ」
ずっと夫人の対応をしていた使用人が、二人の元まで行き一通りの説明をした。それを聞いた二人は、ライアーに視線を向ける。
「ライアーさん、傷の手当てをしてもらってきなさい。この方とは私とロマードが話をしますから」
「はい、有難う御座いますルイズ様」
耐えられないほどではないが、断続的にズキンと傷む傷口を強く握りなおし、ライアーは頭を下げた。
「イアル、お前もついていきなさい」
「はい父上」
騎士に連れられ夫人が奥の部屋へ向かう。ライアーたちは頭を下げると反対方向に歩き一室へと入った。
そこには王宮お抱えの医者が常駐している部屋だ。
「こりゃ、酷くやられたね。この傷は熊??いや熊の獣人から受けたものだね」
傷口を見た医者は、眉を八の字にたらして、ライアーの手にくっきりのこった五本の線を見つめた。
手首あたりから手の甲にかけての傷を処置してもらい、包帯が巻かれる。
「よく効く薬を塗ってます、傷は残らないでしょうから安心してください。また明日にでも様子を見たいので来て頂けますか??」
「分かりました、有難う御座います」
部屋の中で処置をされている間も、部屋を出た後もイアルは一言も喋らない。さすがに困ったライアーは、後ろを振り返った。
「イアル??」
ん??と顔を覗き込むと、視線をそらされる。しばらく攻防戦があり、顔をがしっと掴んで逃がさないようにしたライアーに軍配が上がった。
「おいこらこっちを見ろ」
「……るっていった」
ボソボソと何かを呟くイアルに、ライアーは声が小さくて聞こえず首をかしげた。
「君を守るって、言ったのに。情けない」
包帯を巻かれた手をとり頬に寄せ、苦しそうな表情を浮かべるイアル。ライアーはどうしようかと考え、その場にかがむように頼んだ。
「こんなこと普段はしないですからね」
何度も前置きをして、目の前に跪くイアルの額にキスを落とした。
「え」
もれ出る驚いた声。驚きで硬直したままの彼の体を抱きしめ、ぽんぽんと頭を撫でる。
落ち込むイアルには悪いが怪我をしたのが自分でよかったとライアーは本気で安堵していた。
夫人はかなり取り乱していた、そのまま暴れてイアルが怪我でもしたらと思うとぞっとする。
大切に思っている人が傷つくところは見たくない。
だがそれもイアルも同じ事、だからこそあんな苦しそうな表情になったのだ。申し訳なさと、安堵で気持ちがぐちゃぐちゃになる。
「今回は私が間抜けだっただけです。イアルがそんな顔しなくて良いんですよ。それに傷は跡が残らないだろうって言ってましたし大丈夫です」
「そうじゃない、僕が冷静でいられなかったから」
「私のために怒ってくれたからでしょ??嬉しかったです」
「いや、そうじゃなくて」
イアルから離れたライアーは、照れくさそうに笑った。
「じゃあ、今度は守ってください」
元後言えば隙だらけだった自分が招いた事故だが、といってもこの雰囲気のイアルが納得するとも思えない。
これでどうですか!!と鼻を鳴らすライアーの頬に、イアルの指先が触れる。
「うん、今度は絶対守る。もう一度チャンスが欲しい、絶対に守るために僕も強くなるから」
徐々に近づいてくるイアルの顔に、ライアーは目を白黒させた。
「え、ちょ!?!?」
唇が触れそうなほど近い距離で、ライアーは人生で初めて口から心臓が出そうな気分を体験した。バクバクと痛いほど響く鼓動、全身が熱くなり頭がボーっとした。
後数ミリ、互いの息すらも感じる近い距離。しかし、近くなった距離が重なる事はなかった。
「――廊下の真ん中で!!なにをしているの!?」
悲鳴にも似たルイズの声で、二人は我に返ったのだ。互いの距離を再確認しライアーとイアルはそれぞれ後ろに飛びのいた。




