癒すはずが癒される
両者が納得したこの縁談話は、滞りなく進んだ。父デレクと婚約者になったイアルは会話に花を咲かせ楽しそうにしているが、ライアーは完全に蚊帳の外。
別に話に入れて欲しいとは思っていないが、こうも喋らず一人ボーっとしていると色々考えてしまうのだ。モヤモヤとし始める心に、小さく顔をゆがめた。
どうにもこの気持ちの悪いモヤモヤが、目の前の景色を真っ黒に塗り替えている。
彼女を置いて、婚約披露パーティーはいつにするだなんだという話が始まった。しかし、このままの状態では、冷静な判断もできないし何よりも一生懸命に日程を決めている二人に失礼だ。ライアーはデレクとイアルにすこし外の空気を吸ってくると一言声をかけた。
一度外の空気を吸って心を落ち着かせよう、イアルの焦った声が聞こえたが振り返る余裕もなくただ逃げるように部屋を後にした。
目的なく歩く足。廊下は妙にヒンヤリとしていて、色々考え熱を持った頭をゆっくりと冷やしてくれている。ハーッと長いため息をつき、顔を手で覆った。
先ほどからの心のモヤモヤ、原因は明白だ。
女に二言はない。結婚すると一度でも言ったのだから結婚はする。しかし、結婚という言葉に無条件で不安を感じていた。
イアルが悪いわけではない。数時間も彼と父との話しを聞いていればわかる、彼の誠実さも物腰の柔らかさも。そうではなく、遠い異界の地に嫁ぐということに不安を感じるのだ。
知り合いもいなければ勿論父もいないそんな場所。簡単に言えば、大口たたいて了承したものの不安で、怖い。今更尻込みしているのだ。
「情けない、伯爵家の令嬢よ……しっかりしなければ、お母様に笑われてしまう」
廊下の壁にもたれ掛かり、ズルズルとその場にしゃがみ込んだ。ライアーの呟きはいつもの様にハキハキとしておらず、どこか消えそうなほどか細い。
「……不安ですか??僕との婚約は」
過剰なほど跳ね上がる肩。バッと振り返れば、イアルは不安そうに眉をたらし立っていた。ライアーが部屋を飛び出した後を追ってきたのだろう。慣れない屋敷の中を急いで探したのか、少し息が荒い。
「そんなこと御座いません」
きっぱりと言い放つのはなめられたくないと言う強がりで、声にも力が入る。彼は少し考えるそぶりをすると、何を思ったのかフワフワの毛並みの狼へと姿を変えた。
「動物は心を穏やかにさせるといいます。ささ、どうぞ」
それは撫でろという事か??ズイッと頭を突き出してくるイアルに、ライアーは硬直した。しかし、恐る恐る指を伸ばしその毛に触れた。
「……モフモフ」
硬かったライアーの表情が崩れ始めた。柔らかな彼の上質な毛は毎日の手入れの賜物か。いつぞや、モフモフだと巷で流行った縫ぐるみよりも何倍も触り心地がいい。
イアルは、ずっと撫でるライアーの手に頭を押し付ける。長くフサフサの尻尾は先ほどから、忙しなく左右に行ったり来たりを繰り返していた。顔も心なしか幸せそうに破顔している。
「気持ち良いの??」
ライアーの問いに、イアルはピキッと動きを止めた。
「い、やこれは違います!!……癒すつもりが癒されてしまった」
僕としたことが、とブツブツ呟くイアルにライアーはクスクスと笑った。その様子に怪訝そうにイアルが見上げてくるので、止めていた撫でる手を再開する。
「わんこみたいねイアル様」
「僕は狼です」
ガウッとイアルが唸る、心外だと少し怒っているようだ。しかし気にせずモフモフを楽しむと彼は数秒後には先ほどと同じように尻尾を振っていた。
「あぁ僕かっこ悪い」
彼自身は、モフモフねと彼女だけが喜ぶ予定だった。しかし、蓋を開けてみれば彼女よりむしろ自分が喜んでいる。尻尾はほこりが立ちそうなほどゆれている。この状況に、イアルは情けないと耳をたらした。
ガックリとうな垂れている、そんな様子を見ていたライアーは耐え切れず笑った。




