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翌日。剣士たち三人は、再び机を挟んで向かい合っていた。
「まあ…うん」
「ん…。とりあえずもうちょっと聞くから、ちゃんと教えて?」
「………」
ぎこちなくはあっても、それなりには落ち着いて…。はっきりと口にはしないまでも、昨日の事は水に流して…。そんなやり取りから始まり、今日もお互いの苦手に向き合う。ひとまずやる事の無い剣士は、その傍らで気配を潜め、自分の勉強を進めつつ話を聞いていた。
(今日こそ、このまま静観していたいね…)
そのフラグは、一時間も経たずに回収された。
「何言われたってわかんないっつってんでしょ!?」
「わかったから落着けって――」
「なんなのお高く留まっちゃってさー」
「だ、誰がっ! こっちがちゃんと聞くってのに!」
「それが馬鹿にしてる!」
「この…ガキかっての」
「あー! ああーそういう事言うんだ!」
「そう言うとこだよ…。すが――」
「老け顔」
この瞬間、ちょっとした言い争いの段階は…終わった。
「…ああ?」
「どうせ私はガキですよ。さみーから見れば仕方ないよね?」
「………」
(おいおい勘弁してくれ…)
学校に通っていれば、時にはこういう事もある。自分の所属しているグループの誰かが喧嘩をしたり、もしくは自分自身が誰かと言い合いをしたり…。しかしこと剣士に関しては、そうした場面になりそうなものなら、即刻離脱し、避け続けてきた。自分に火の粉が降りかからないように、こっそりと…。しかし、今はこれでも授業中。逃げるのは難しかった。
「…そうだなよなあ。ブラのつけ方もわからんお子様だもんなあ?」
(は?)
「――なっ」
「うんうん。ゆっくりでいいから、どうわかんないのか、ちゃーんと話してみなー?」
「あーー! そ、それ言うんだ!? ずっと馬鹿にしてたってワケ!」
(おい。過去にどんなやり取りがあったのかは知らんが、俺の居るところで持ち出す話じゃないだろ)
「そーんな訳無いって。ただまあ? 自分が大人にならなきゃなーって思ってるだけだよ」
口を挟むのも難しく、剣士は居続けるしかない。しかし内心は焦っていた。若干捻くれているとはいえ、彼も普通に男子学生。そういう女子の話は聞かないようにするべきだと、人並みには思っていた。
(結局こいつらも、この学園に通ってるような奴って事か…。とにかく口を出すタイミングは慎重に…)
そう剣士が落ち着こうとした時だった。
「…そっかー。面倒掛けてごめんねー、お・ば・さーん」
「…あ゛あ?」
(うっわあ…)
八社宮の口から、ドスの利いた声が発せられた。場が一気に険悪なムードへと変わっていく。
(とにかく要らない事だけは言わないように――)
「あ、耳遠い? おばばばんおっばおばおばんちゃーん?」
「ふふっ」
キッ、と八社宮の視線が剣士へと飛ぶ。
「………」
剣士はなんとか、表情をいつもの微笑に戻していた。
「平城もニヤついてんじゃねえよ!」
「…ごめん」
(この表情はいつも通りだろうが…。いや、危なかったけどね。あまりにガキ過ぎでしょ…)
「……はあ」
それについては、八社宮も同意見だった。反射的にはイラついたものの、言い返すよりもため息が出てしまう。しかしだからと言って、落ち着く事が出来ている訳でもなかった。
剣士たち三人は、教室内の注目を集めてしまっていた。まだまだ手探りで、バディと会話を試みている段階の生徒がほとんどの中、この二人は元から仲が良かった。だからこそ、遠慮も少ない。これはクラス内で、最も早い衝突だった。
(くそ、これは…)
剣士は似た感覚を知っていた。悪い意味で、クラスの中心になっているのがわかる。クラスと言うのは一つの世界であり、学生にとっては逃げられない絶対的なもの。社会人にとっての職場と同じ。そこで居場所が無くなるつらさを、剣士はよく知っていた。そして、二度とそうならないように、中心から離れて過ごしてきた。それはまだ学生の剣士にとって、“人生ずっと”と言ってもいい期間…。
(でも放棄はできない。ただでさえおかしな立場にされて、注目を集めてるんだ。俺は全く悪くないのに、“何だあいつ”と指を指される事になる。そういう空気になる…)
剣士は実に数年振りに、事態の中心に介入しなければならない。
(………)
しかし剣士には、この件を解決するアイデアがあった。自分の意見であると言う責任を負わぬ為、黙っていた考えが。今もできれば言いたくはない、自分の意思。
緊張の中…。剣士はそれをやっとの事で…口にする。
「あー…。そういえば、昨日良さそうな記事をネットで見たんだよ。それを試してみない?」
ただし…自分も知ったばかり、しかも他人の言っている事だと、嘘をついて…。
二人の視線が、同時に剣士へと向いた。
「………」
「…どんなの?」
「うん。相手のわからない理由を聞き出すのは止めて、自分のわかってる事を、細かく話してみるのはどうかな」
「…?」
「それって…結局同じでしょ。今だって自分が得意な科目教えてんだから」
「そこをもう一声って感じ…らしいよ?」
「どゆこと?」
「ほら、昨日数金さ、社会はテスト範囲の話を覚えれば終わりって言ってたでしょ?」
「ん」
「一年の最後のテスト…世界史が20ページくらいあったけど、いくつ覚えた?」
「5個」
「はあ? いや何個覚える単語あったと思ってんだよすがー」
「ええ!? 5個しかなかったじゃん!」
「だから――」
「そこ、数金そこもっと詳しく。めっちゃ詳しく」
「えー…? だからさー…えー」
悩みつつ、数金はしばらく唸り…。
「…やっぱり5個話覚えただけなんだけど?」
「…」
「っだあ…」
これには剣士も八社宮も肩を落とした。剣士は、内心のみに留めては居たが…。
(俺が全部解決しても、意味無いのはわかるんだけど…もうこれくらいはいいでしょ)
「ほら、昨日八社宮と少しチャットで話したやつ」
「あー…うん」
「例えば歴史って繫がってるでしょ? 出そうな単語を10とか20覚えるんじゃなくて、そのページに書かれてる出来事を、そういうお話として一つ覚えるって感じみたい」
「…いやいや、結局覚える量変わんねえって」
「数金、どう?」
「どうって言われても」
「あー…こうやって覚えてるんじゃない?」
「そりゃそうだよ」
「はぁ!?」
「だって八社宮」
「えぇー…」
「え? え? 何? 当たり前の事言っただけじゃん」
「いやいやいやいや」
「あーほら、昔話とかまるっと全部覚えてるでしょ? そう言う感覚らしいよ」
「そりゃ昔話ならいくつか…。でも世界史とかとは…えー…」
「よくわかんないけど、テスト範囲の話覚えるだけだって!」
「あーもうわかった。わかったからすがは静かにー」
「ええー!?」
「うるっさいってもー」
相手の言っていた事が、意味のわからないものでは無くなった。それだけで、落ち着いて話を受け入れられるようになる。八社宮は納得こそできなかったが、数金が適当を言っていた訳ではないと理解した。そのほんの少しの違いで、空気は大きく緩和していた。
騒ぎ、どつき合う二人をしばらく見守った剣士は、頃合いを見て八社宮に耳打ちした。
「結局数金の方は、そうかもってのを俺が言っちゃったけど…。八社宮もほら、数金にとっては当たり前じゃない事もあるかもしれないから…ね?」
「…考えてみるよ」
「じゃ…一応調整係? の役割を果たしたって事で」
嫌味にならぬよう、あくまで明るく…。剣士はそれだけ伝え、離れる。
「ちょっとー。何ですかー急に二人だけで話してー」
「ああもう気にすんなってすがー」
「やっ、もー髪ぐちゃぐちゃすんなってー」
そこには、元通り仲の良い二人が居た。
――ポコン。
…そんなタイミングで、またしても唐突に、剣士の端末へメッセージが届く。
『来週月曜日の放課後、指導室まで♪』
剣士はこれ以降、二人に加わろうとはしなかった…。
最近の若者は、喧嘩すらした事が無いまま大人になる。だから弱いし、自己主張もできなければ、ちょっと強く言っただけで萎縮する。我慢もできない。
…そんな事を言う人が居る。
「そんな子が居る事自体はともかくー。多すぎるとー、困っちゃうんですよねー」
それは大人の勝手な都合かもしれないが、本当の事でもある。現実は甘くない。そう考える大人が、間違いなく…存在しているのだ。
これは、まだほんの序章。
ここまでに起きた程度の出来事ならば、どこかで自然に発生して、経験した事のある人間はたくさん居た。
……のは、今は昔の話だ。
これは、SNS高度成長期。自分の望む関わりだけを、持つ事が許される時代。その選り好んだ経験のみで、コミュニケーションなら普通に出来ると信じている世代。
その弊害を防ぐべく、変化がもたらされた学園がある。そんな、大人の陰謀が降りかかった学生達の話――。