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一夜を経て、始業式の翌日…。
「にしても、例のバディ制度が二年生だけとはなー。どうなんのかねー」
「だねー」
「まだわかんないけど、帰るの遅くなるとかはかんべーん」
「平城はいいな。要は様子見ときゃ良いって事なんだろ?」
「そう言うなって。俺だけ仲間外れで、なんだか居辛いよ」
「嘘ばっか。いつも通りヘラヘラしてるくせに~」
「そうかなあ」
いつものグループ。そこで変わらず談笑する。
今時の学生達にとって、一夜あれば、情報の共有をするには十分な時間だ。まして剣士たちの属するクラスは、昨年度からの繰り上がり。SNSを介して、おおよそ今知り得る情報は、ほとんどの学生が知るところとなっている。平城もまた、聞かれるがままに、自分が呼び出された理由を答えていた。どの道みんなが知る事。ここで秘密にする必要は無かった。むしろ上手く伝える事で、自分の特殊な立ち位置のせいで、変に避けられるのを回避していた。若い学生の世代、皆と違うのは、それだけで大きな問題だった。
(あの先生に任せて紹介されたら、どう転ぶかわかったもんじゃないからね)
「おはようございまーす」
そんな軽い挨拶と共に、LCが教室へと入ってくる。バディ制度の、導入一日目が始まろうとしていた。 ひとまず、逃げる事は出来ないらしい。その事実に、小さな緊張感が漂っている。
「そう言えばー、昨日私の自己紹介を忘れてたんですよぉ。私の事は、LCって呼んでくださいね♪」
「なんで偽名なんすかー?」
「それっぽいじゃないですかー」
(本当にただの思い付きなのかね…)
計算高いのか、それとも適当なだけなのか。そもそも、LCはただの教師なのか…。彼女の本性は、まだまだ掴みきる事が難しそうだった。
バディ制度の基本は、名目上の自習を使った、コミュニケーションによるもののようだった。
今、剣士の目の前には、二人の女子生徒が居る。名前は、数金と八社宮。彼女達こそが、最初に係を務めるよう命じられたバディだった。
ともすれば、二人には何らかの噛み合わぬ要素が存在し、それをコミュニケーションによって解決する事で、目的は達成される事になる。
「いや、でもラッキーだったよ。私達は」
「本当だよねー」
「まあ平城も楽にしときなよ。おっきい声じゃ言えないけど…そのうち面倒なペアにも当たるよ」
「すがー。しー」
「りょうかーい、さみー」
そんな二人と席を固めている剣士は、少々拍子抜けしていた。
この二人とは、普段ほとんど関わりが無い。どうなる事かと身構えていた。しかし目の前の二人は、お互いをくだけた略称で呼び合い、仲良さそうに会話をしている。思い返せば、確かに教室内で、一緒に居る場面を見かける二人だった。
(嫌いな奴とバディになってどうの…って言ってたのにね。あれもあの教師のいい加減な説明だったのか…。まあそもそも、気に入らない人間同士で、クラス内全部ペア組むなんて無理な話か)
「まー出された課題自体は頭痛いけどさー」
「まじそれなー」
(なんにせよ、俺にとっても都合が良い。少なくともこの二人なら、最悪よりは何倍もマシだ。変人の割合多いからなこの学園…)
「二人に出された課題はなんだったの?」
「んー」
適当な返事をしつつ、数金が端末のディスプレイを差し出す。そこにはバディごとに異なると言う、課題に関する通知メッセージが表示されていた。
『苦手科目“数学”の克服』
「あ、私は科目んとこが社会ね」
そして、八社宮が横から捕捉を入れる。
「数金は数学苦手で、八社宮は社会苦手なんだ?」
「これさー? 新制度ー契約ー…とかかこつけて、苦手とかゆるさんみたいなそういう事じゃないんー? 人権侵害ー」
「だるいよねー…」
社会に出れば、どんな人とも、どんな事でも…。それが問題のある違法な事などでない限り、仕事なら逃げる事は出来ない。そういう事だろうと剣士は考えていた。
LCが、昨日それに近い事を口にしている。要するに、それに立ち向かうのが練習だと言う事。得意を活かすのではなく、苦手を潰す。どうしても逃げられない事はある。正直その考え方は、もはやネット上において、旧時代の癌とまで言われる程だ。平等と言う聞こえの良い言葉の元に、全員同じスキルを求められる。しかし現実として、得意な分野の仕事に付ける人ばかりでは無い。特定の仕事の数は、人間の希望に応じて増減などしてくれない。それもまた事実だった。
そんな社会に出てぶつかるかもしれない壁に、学生のうちからぶつかって経験しておく。一部の生徒は自然と経験する事もあるそれを、意図的に全員経験させる。そう考えると、理にかなっている点も、無いとまでは言えなかった。
「ま…。これで成績上げれば、苦手科目とバディ制度の二つ良い評価貰えるって事だしね。のんびりやるのもいいんじゃない?」
「いいですねー。平城君は傍観者でー」
「かわいそうだろーすがー」
「はいはーい」
「いや、なんかごめんね」
親しい者同士の勉強会なんて、どこでもよくある事。そうそう問題も起こるまい。それが授業の一つだと言うなら、拒絶したいほどの理由がない以上、とりあえずは従う。それに、負い目もあった。学生であっても、大人と変わらぬ人格がある。自分達が契約の上で、金銭を得てここに居て、しろと言われている以上…。この二人の課題は、しなきゃダメかと思う程度には普通のものだった。加えて来年の受験を考えれば、悪い事では無い。良い機会…そんな打算もあった。
それでも、それは自然では無かった。自主的に始めたものでは無かった。
そんな“強制”が、さして意識せず、けれども上手くやっていた距離感を狂わせる。
「いやいや…さみーさ? わかんねって言ってるじゃん?」
「こっちも言ってるよね? まじで覚えらんねってさ」
「………」
(なるほどねえ…)
そのズレは、少しずつ表面化していく。
「ああもうぜんっぜんわかってない!」
「こっちの台詞。そんな当たり前ーみたいに言われてもねぇ」
(つまりはあれだ。あの教師の言ってた事とか、ネットの情報とか…。そういうのを信じるなら)
「もういい」
「同じく」
(こんなくだらない衝突を、社会に出てからもやってるいい大人が居る訳だ)
バディ制度なんてふざけた方策を、試そうと言う気にもなるのかもしれない。剣士はそう思ってしまった。
そして同時に…。
(落ち着け。こんなのなんて事無いだろ)
長年居合わせる事の無かった…否、避け続けてきた。険悪な雰囲気を前にし、机の下に隠した拳を、緊張で握りしめる。
「まあまあ…ゆっくりやろうよ」
剣士はそれでいいと考えていた。二人は事を急ぎ過ぎている。のんびりやればこんな風にぶつからないし、時間も稼げるはず…。
そんなところに、二つの端末へ、同時にメッセージが届いた。持ち主である二人が、それを開く。
「一度目の評価点は…」
「来週の小テストで決定ね」
こっそり横目で伺うと、LCがにこやかにほほ笑み、こちらを見ていた。
「…なるほどー来週かー」
(結局、俺は動かなきゃダメな訳だ…)
この二人が真面目に取り組んでいる以上、自分が何もしないのは、輪から外れる事を意味する。そしてそれは、自分のクラスでの評価を下げる事になる。居場所が崩れる事にもなる…。それは避けたかった。
剣士は自分の立場が、やはり貧乏くじである事を確信した。