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(……誰だ?)
剣士だけでなく、クラスメイト達も、同様の疑問を抱いていた。
(こんな教員…少なくとも去年までは居なかったと思うけどな)
その女性は、今もにこやかに笑っている。学生達に混ざっても、一番低いのではと思われる身長。その割に主張の激しいバストが、スーツを押し上げて目立っていた。
段々と、一度は静まった教室内が活気づく。
「おっぱい…っ!」
「うほおおおおおお勝ち組だああああ!」
「ふー…。ふー…!」
中でも、男子生徒のテンションはにわかに上昇していた。眼前の女性の身体的特徴を、遠慮もせず叫ぶ者も居れば、口には出さずとも、血走った眼で見定める者も居る。
(露骨過ぎなんだよ変人どもが…)
「せんせー! 私ちょっと後で揉んでもいいですかー?」
「あああああああああずりぃぞ女の特権使いやがってええええ!?」
「うるせーぞオス猿ぅ!?」
「きぃぃぃぃぃぃぃっほぉおおおお!」
(ほんと、うるせえ…)
学生特有の過剰なノリで、すでに教室内は大騒ぎになっていた。
「結構かわいい先生だなー」
「だねー」
剣士は投げかけられた言葉に、あくまで笑顔のまま答える。騒ぎの隅に、こっそりと…控えめに参加する。
そんな収拾のつかない状況の中、教壇の女性が再び口を開いた。
「おはようございまーす♪」
(っ!?)
この場の全てが凍りついたようだった。
先程と同じ。見た目愛らしい女性の口から出た、ただの挨拶のはずだった。しかしそれは、軽めの口調とは裏腹に、確かな威圧感を放っていた。
静まり返った教室で、女性は続ける。
「はい、皆さん初めまして。さっそくですが本題です。本日より、この学園の教育課程に、“バディ制度”を取り入れることになりました。契約の通り、しっかり頑張ってくださいね?」
(………は?)
剣士を含め、勘の良い一部の生徒は、この時点で気付き始めていた。そんな敏い面々を余所に、教室内は再びざわつき始める。
「バディって何ぞ…?」
「英語だろ、確か相棒とか…そんな感じの」
そんな反応を受け、女性はくるりと反転し、生徒たちに背を向けてから、芝居がかった口調で語り始める。
「かの引きこもり世代の一件を受け、私達は大いに反省し、そして考え続けてきました。聞こえの良い幻想や建前では無く、真に社会が求めるものとは何なのか。そして、それを育てるためにはどんな教育を行えばいいのか…」
「それは…一体!?」
空気を読まず、大げさな反応を見せた生徒も居たが、それをまるで意に介せず、再びその場で反転、そしてそれは告げられた。
「ずばり、コミュニケーションです」
「…コミュニケーション?」
「たってなあ…?」
どういう事なのか、まるでピンと来なかった。友人とも話をするし、行事や委員会、当番の仕事…。そうしたありふれた生活の中で、彼らは人と関わり、それなりに折り合いをつけて過ごしていた。コミュニケーションとは、そういう事では無いのか? あえて教育するような事だろうか?
「社会人の受けるストレスで、最も大きい要因が、対人関係によるものです。会社に行って、決められた仕事をする事は出来ても、それが原因で退職者は後を絶ちません。それはなぜなのでしょう?」
「………」
「そうです。それは耐性が無いからです。人間の常識、子供の頃に身に付いた当たり前の概念…それを大人になってから変えるのは、とてもとても大変な事なんです」
「でもー、コミュニケーションなんて普通に皆やってますよー」
「そうですねえ。じゃあお聞きしますがー」
女性の口角が持ち上がり、より一層笑顔を際立たせながら、話は本題へ入って行く。
「自分の嫌いなお友達や、自分と価値観が合わない皆とも、ちゃーんとこみゅにけーしょん♪ してますか?」
「はあ?」
「嫌いな奴とって…」
「そうですよねぇ。しませんよねえ? 気の合う人がクラスに居なかったとしても、今の世の中、ネットでも何でも、気の合う人と楽しくやればいい話ですもんねー?」
「「……………」」
ここへ来て、この場全体が、ようやく事態に気付き始めた。
「細かい事は追い追いとして…。具体的に言いますと、貴方達にはこちらで決めたバディと共に、これからの学園生活を送ってもらいます。授業は今まで通りありますし、基本的にはこれまでと変わりませぇん」
女性は人差し指を立て、それを口先へと運ぶ。見ようによっては官能的に見える仕草。
「ただし…そこに一つ、バディとの成果によって決まる評価が増えます」
「………内容はなんですか?」
「決まっていません」
(は?)
クラスメイトと女性とのやり取りを聞き、動揺しつつも、剣士は笑顔を保ちながら沈黙を続ける。
「正確には、全員同じではないので、これと言えるものが決まっていない…ですね」
「あの…っ!」
「せっかちな子が居ますねえ…。そんな事だから、コミュニケーションの教育が必要なんですよぉ」
「………」
「例えばです。苦手な事ってありますよね? それをバディの力を借りて、克服する。それが出来たら、高評価になります」
(おい…)
「あいつとは価値観が合わないーって思う事、ありますよねー? 歩み寄って、理解に努めて下さい」
(おいおい…)
「社会人はね? どんな人とでもお付き合いしないといけないんです。それなのに最近のお子様たちは、気の合う人とだけ楽しく過ごして、そのまま社会に出てきてしまっています。それが出来る時代になってしまったんですねー」
剣士の額から、汗がにじみ出ていた。彼はこの場に居る中で、現実を飲み込むのが早い面子の一人だった。
「時代が変わったんですから、教育も変えないといけませんよね? 社会で本当に必要な事を、ちゃーんと学生の時に練習させてあげる。これこそが正しい教育、優しさと言うものだと思いませんか?」
こうして、話は冒頭へと繋がって行く。
「わからない事はありますかー? ありませんねー?」
(ほらみろ…面倒な事になった)
これが、国の人材育成の命運を懸けた…バディ制度の始まりだった。