21
放課後。人の減った学び舎で、ノックの音が鳴る。
「どうぞー?」
剣士は中からの返答を受け、再びその部屋へ足を踏み入れた。
「あらー、忘れ物ですかー?」
「いやあ、ちょっと聞きたい事がありましてー」
気楽な口調同士の会話。しかしお互い、内面もそのままとは限らない。既に何度も行われたそのやり取りに、今は少し…緊張感が漂っている。
「…どうしました?」
「いやあ…。もう……納得がいかないんですよね」
剣士の言葉には、はぐらかそうとしても無駄だと言わんばかりの険が含まれていた。納得が行くまで引く気はないと、実際の言葉以上に彼の意思を語っている。
LCは少し間を置いてから、それに応えた。
「意外ですね。先程の件、あなたは理解していると思っていましたが」
「評価については理解してますよ。特に異論もありません。もっと…根本的な部分の話です」
「…どうぞ?」
「この糞みたいな制度が何なのか」
「新学期初日に、説明したじゃないですか」
「あれは建前でしょう?」
「そんな事ありませんよ」
「じゃあ本当だったとしましょう。でもそれだけじゃありませんよね」
「そうですかー?」
(ふわふわと惚けて…イライラするね)
「説明じゃ、いわゆるコミュニケーション能力向上の為って事でした。そもそれなら、何か具体的な目標を達成するだけでも良い筈です。嫌いな相手とでも、上手く付き合う練習なんですよね?」
(そういう意味じゃ、俺は間違いなくそれなりにやっていたはず…。でも評価はあれだ)
「はいー」
「それなのに、バディによってはかなりおかしなものや、端から見ただけじゃ、何が大変なのかわからないものまである…。おそらく間違いなく、そいつだからこその課題です」
各バディ課題の多くは、既にクラスのグループチャットで共有されていた。そこからの情報で、剣士はそれを知っていた。
「一人ひとりに合った、為になる課題ですから」
「それが、おかしいんですよ」
笑顔に、怖さが増していた。
「上手くやるのに、隠したい内面や、弱いところを使う必要はありません。ちゃんと社会でも、取り繕えればいいはずでしょう」
「…つまり?」
「トラウマや傷を抉り…そして、新しい傷を増やそうとしているようにしか見えないんですよ」
LCは表情を崩さない。
「本当の事を…教えていただけますか?」
(俺達に…何をさせたい?)
読めない思考。彼女は何かを考え…そして、答えた。
「ふふっ…平城君、考えすぎですよ」
ふんわりと、気が抜ける声だった。この緊迫した話は、おしまい。そんな空気の弛緩。
「………」
「漫画じゃないんですから、そんな裏の意味みたいなのはありません。だから――」
(ああうん…それで逃がす気は…無いんだよね)
しかし剣士は、それに呑まれなかった。
「滅茶苦茶にしましょうか」
室内は、再び締め付けるような空気に戻っていた。
それでも、LC側も簡単にはぶれない。
「いえいえ、ですからそう言われましても、本当にー」
「幸いな事に、調整委員の役割を受け持っていますからね」
ほとんど遮るように、剣士は畳み掛けていく。
「大きなトラブルにならないように、停滞しないように上手くやる役割でしたっけ? 数金のところも良川のところも、確かいい評価でしたよね。となると俺は、役目を果たせてたんですかね。なら…その逆も可能ですよね?」
「…」
「どんどん取り返しの付かないトラブルを起こして、取り返しが付かないくらい、近寄りたくなくなるように誘導でもしましょうか。他人なんて、傷つこうがどうでもいいですしね」
「そんな事をすれば、退学になっちゃいますよ? この学園を退学…それがどういう事かわかっていますよね?」
「これは試験運用なんですよね。先生はその責任者で…。成果が必要なんじゃないですか?」
「転校だって、この学園が動かなければままなりません。契約違反で借金…程度で済まないかもしれませんよ?」
「とんでもない結果になっても、平気なものなんですかね?」
「………」
(なんて…自信ありげな演技はしてても、そもそも成果が伴わなくていいなら、こんなの何の交渉にもならないんだよね。でも、試験的な教育で大問題が起きれば、それなりに世間からのバッシングもあるはず…。どうでもいいって事は無いと思うけど…)
LCは、目を閉じ考え込んでいるようだった。
1秒、2秒……。
「なるほどなるほど…」
「……?」
やがて彼女は、いつもと変わらぬ笑顔で言った。
「そうですよ?」
「…は?」
「平城君の言う通りです。いやあさすがですね。調整委員に抜擢されるだけあります~」
「…それは」
「はい。要するに、適度に傷ついてくれていいんですよこっちは」
「…っ」
(本気か…? 仮にそうだとして、なぜこうもあっさりと打ち明けた?)
「でも、最初に言った通り、やろうとしている事は変わりませんよ?」
諭すように、LCは言う。
「要するにコミュニケーション能力の向上。それを鍛える事が目的です。間違っても、お前らなんかどんどん傷ついてしまえー…みたいな事では無いですからねー?」
「…だとしても、問題ですよね。こんな事は」
「そう、その感覚ですよ!」
教え子をただ褒めるように続ける。そこに険悪さは感じられない。
「昨今、学生に対して、教師はちょっと強く注意する事も許されません。そんな事をすれば、あっという間に情報が共有されて、数の暴力一直線…悲しい事です」
「まあ…そうでしょうね」
「でも、社会は違います」
「…」
「社会では、今でも根強く昔からの環境が残っています。暴言を吐かれたり、怒鳴られたりなんて、正直日常茶飯事なんですよ。仕方ないですよね? うっかりで命に関わるようなお仕事もあるんですから」
「それはまた…夢の無い現実ですね」
「そんなところに、怒られた事も、争った事すらない若い子が入ったらどうなりますか? そんなのつらいに決まってますよね?」
「…」
「昔の人はもっと強かった…。そんなのは当然です。子供の頃からたくさん怒鳴られて、慣れていたんですよ」
(…いやいや、それ麻痺してるだけでしょ。何年か前に問題にもなってた気がするんだけど)
「子供の頃の経験って貴重なんですよ? 常識に組み込んでしまえば、大抵の事は耐えられるようになります」
「それでも…大人が叱って育てるなんて、現代じゃ無理」
「そうです~。それなら、子供同士でぶつかって、心を鍛えておいて貰えばいいですよね?」
「ついでに、苦手に向き合う過程で、それを克服すれば一石二鳥…ってわけですか」
「その通りです。出来る事が増えて、心の鍛錬になる…良い事でしょう?」
「おおっぴらに言えない事が、良い事とは思えませんけどねー」
「…それで、どうですか? 質問には正直に答えました~。実際これ、やり過ぎはまずいんです。これからも協力してくれませんかー?」
「………」
「腑に落ちないのが……、問題だったんでしょう?」
いつもと同じ、ゆるくかわいい系統の声が、まるで違うものに聞こえた。
(そうか…。この人は、俺がここから逃げたり、本当に退学になるような事はしないとわかってた訳だ)
剣士の交渉は、脅しになってすらいなかった。ただ不満を取り除いたほうが、向こうにとって都合がいいと判断されただけ。剣士は実際、今聞いた情報を言いふらせない。それはすなわち、クラス全体に広がり、そのうち世間にも広がるという事…。つまりは滅茶苦茶にするのと変わらない。そうなれば…責任は剣士にも追及される可能性がある。彼はそう考えていた。
(こういうの、社会じゃ守秘義務って言うんだっけね)
「それで…俺のやる事は結局、変わらない訳ですか」
「もちろんです。全力で、バディのコミュニケーションをサポートして下さい。皆が…、傷ついたりしないようにー」
(どの口が…)
「…わかりました。これで…失礼します」
「はーい。何かあったら、また相談してくださいねー」
今の会話は、単なる進路相談だった。二人は…暗黙のうちに、そう取り決めた。
今度こそ一人になった指導室で、LCは舞う。意味など無く、気分のままに。
「……ふ…ふふっ」
それが、抑えきれず漏れ出した笑いによって止まった。
「い、いやあ…平城君、かわいすぎますね。笑いを堪えるのが大変でしたよぉ」
剣士とは違い、先程のやり取りによって、彼女はむしろ機嫌がよくなっている。
「他人はどうでもいい…ですか。うふふ…。平城君、口だけでは、大人は騙されてくれませんよ?♪」
それこそが、彼女がこうしてふわついている理由であり、剣士にその気が無いと見抜いた理由でもあった。
「野村さんと別れてから確認するなんて、本当…調査の通り、気遣い屋さんな子です」
次に彼女は、人差し指を口元に当て、首をかしげながら悩む。
「んー…あの様子だと、意外に野村さんの事…。0点って程、酷くは無かったかもしれませんねえ。次週の参考にしましょう」
LCは、自分の生徒達を想い、また笑う。
そんな風に思われているとは知らず、剣士は悔しさを感じて帰路に着いている。彼は確かに、同年代の中では周りが見えている方だった。それでも、やはりまだ学生。他の生徒同様…、今はただ手のひらの上で踊っている。




