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また、新しい一年が始まる。
世の学生達が、不安と期待を胸に抱き、新たな立場となる。学年が変わり、大なり小なり環境も変化する。そんな学生達を応援するかのように、桜が咲き誇る季節…。
ここにも、通学路を歩く一人の学生が居た。彼は歩きながら端末を操作し、ネット掲示板のトップページを流し見る。その中で、目に留まる表題のスレッドを発見した。
『<現代のモルモット>先進(笑)学園<税金の無駄>』
「………」
(暇なんだなあ。…間違ってないけど)
彼の通う学園…私立先進学園は、かなり特殊な場所だった。まず、私立であって私立では無い。実質国が運営する学園である事。そこに通う生徒には、卒業後を含む一定の状況報告義務がある事。そして、国の提案する仮の教育指導要領に則り、学園生活を送る必要がある事などなど…。ここまでの内容なら、好き好んで通う生徒など居ない。成り立つはずの無い学園である。しかしここ数年では、入学するのに倍率が存在するほどになっている。その理由は単に、“金”だ。この学園では、奨学金の貸与どころか、返す必要のない金銭の援助までもが行われていた。ここに通う学生は、その身を提供する事で、報酬を得ている。やっている事は一般的な他校の学生と同じではあったが、その実情は仕事に近いものだった。彼らは給金を得て、学園に通っているのだ。
(どれだけ待遇が良くても…。親にまともな神経があれば、こんな糞みたいな学園には通わせないと思うんだけどね)
破格の条件ではあった。賃金まで得た上、教育課程も履修し、卒業資格も得る事が出来る。それでもなお、変わる事の無い事実…。それは、彼らがモニタリングされる対象であると言う事。世間では、実験動物のようだと囁かれていた。それが、モルモットなどと揶揄される所以…。
それでも学園が存続しているのは、それ程に社会で現状に喘ぐ人間が多いからだった。そう、この学園の成果は出ておらず、社会的人材不足は未だ解決していない。それもそのはずだった。各所との衝突、倫理的問題…それらを完全に潰しきらずに発足したこの学園は、未だ試験運用となる教育指導要領を、一度として実施した事が無かった。つまり、普通の学校と同じカリキュラムで、普通に授業が実施され、普通に卒業資格を得て生徒たちは旅立っていた。学園の存在意義を、まるで満たして居なかったのだ。こちらが、税金の無駄遣いだと、批判を浴びる要因だった。
(意味の分からない思いつき教育をされても、俺達は堪ったもんじゃないからね)
引きこもり世代の問題は、現在の学生達にも周知の事実だった。
そうしたいくつかの問題もあり、新たに試される指導方針が決まらぬまま、この学園は存続し続けた。その間、この学園には、ほぼメリットだけが存在していた。そうして近年、リスクを知りつつも入学を希望する生徒数が、とうとう定員数を越えるまでになったのである。
そんな各家庭、そして生徒本人の様々な事情がひしめく中には、この学園へ通う事を、心からは望んでいない者も居た。
この男子生徒も、その一人。名前は、平城―。
「でさ、ここで剣士がさ」
「ああああ剣士がここか! なるほど帰ったらやってみるわー」
「―っ」
(ゲームか何かの話…か)
廊下に居た、剣士と同じ学生の会話。それが耳に入り、平城は内心ドキリと反応した。
彼の名前は、“平城 剣士”。
(こんな名前付ける事と言い、ここへの入学を承諾した事と言い…。やっぱりうちの親はまともじゃない。…ここに通ってる奴の親は、皆そうか)
剣士は、自分の名前が嫌いだった。
(大体、仲良くなったら名前で呼び合うとか誰が決めたんだろうね。そんなのがあるから…)
剣士はその名前が原因でからかわれ、半ばいじめのような目に合った時期があった。その経験から、剣士は少々ひねくれていた。
「皆ー、おはよー」
にっこりと笑顔で、けれども控えめに…。
「おーす」
「はよー」
そんな軽い挨拶を交わしながら教室へ入り、剣士はクラス内のグループの集まりに入って行く。そして、その端の定位置に着いた。
(人付き合いなんて楽なもんだ…)
剣士はこう考えていた。“ただそこに居る奴”になればいい。
仲良くなりすぎれば、名前の話題が出る。だからと言って、この名前のせいで人を避けるのも馬鹿らしい。何より一人で居るのは逆に目立つし、変に気遣って、親友を気取ってくるような奴に絡まれるのもごめんだった。それにそういう手合いは、大抵友情がどうのなどと言い、名前を呼んでくる。
「えー? 平城もそう思うよなー?」
「そうだねー」
「えーうっそだあ」
(だから、俺はこの立ち位置を維持するだけでいい。たまに話を振られれば笑って返し、居ても居なくても大して変わらない)
今日も剣士は、冷めた心で教室を見ていた。
(クラス替えが無かったのはありがたい。自分の立ち位置を作り直さなくていい)
今年先進学園では、第二学年においてクラス替えを行わない事になっていた。楽しみにしていた者達からは不満も上がったが、それもその程度。こういう学園なのだから、そういう事もある。気にしている生徒は、すでにほとんど居なかった。
しかし、それは変化の予兆だった。
(出来ればこのまま、何事も無くこの学園生活を終えたいね…)
コツコツと…廊下を歩くヒールの足音が、剣士たちの教室へと近づいて来ている。それに気付いている生徒はまだ居ない。今も前学年の頃と変わらず、何でもない会話が飛び交っている。今、時刻を知らせるチャイムが流れ始めた。それを受け、ある生徒は席に着き、一部の生徒は、教師はまだ来ていないからとおしゃべりを続けている。どの学校でも見る事の出来る、ありふれた光景…。そしてチャイムが鳴り止むのと同時に、教室のドアが開いた。それは学生にとって、教師が来たと言う合図。バタバタと席に戻る生徒たちを余所に、一人の女性が教壇へと進む。続いて生徒たちへと向き直り、言った。
「おはよーございまーす♪」
教師にしては明るく、軽すぎる印象を受ける。それでも、何の変哲もない朝の挨拶だった。
しかし、それは同時に…日常が一変する引き金でもあった。