15
時間は、少しばかり遡る。花子が良川の事を聞き、彼の元へと向かったところだ。
「良川、行くわよ!」
「………」
「良川、行くわよ!」
「………」
「良川、行くわよ!」
「……………」
ここで初めて、良川は顔を上げた。口に出してこそ居ないが、「なんだこいつ」とその表情が語っている。彼は無言のまま立ち上がると、移動を始めた。
それを見て、花子はほっとした表情で後ろについて行く。しかし、すぐにそれが間違いであると気づいた。良川は、剣士達の待つ席ではなく、教室の外へと向かっていたのだ。
「待ちなさいよ!」
花子は回りこみ、仁王立ちで良川の進行方向に立ちふさがる。
「………どけ」
「今は授業中。バディにも迷惑がかかるでしょ? 戻りましょう」
良川は、舌打ちをしてではあるものの…引き返し、剣士達の席へと向かっていく。それを見た花子は、再び表情を緩める。
しかし、それはすぐに裏切られた。良川が突然走り出したのだ。
「えっ」
花子が呆けている間に、良川は窓枠に手を着き、その身を翻す。
「…ふっ」
「あああああああ!」
あっという間に、窓から跳び下りてしまった。
教室内がざわつく。しかし、まあ良川ならやるかもしれない…そんな雰囲気だった。誰も動こうとはしない。
(……ぶっころ!)
ただし、それに囚われない人間が、一人居た。
「平城! あんたはそっち! あたしは追うわ!」
花子の判断は早かった。剣士に目配せし、そのまま自分は走り出す。それは良川と同じ方向で――。
「お゛っら゛ああああああああ!!」
スカートである事も、下がどうなっているのか知らない事も…あらゆる障害を度返しし、花子は跳んだ。自分の身体能力であれば、同級生が降りられるなら平気だと踏んだのだ。事実、持ち前の身軽さで見事に着地し、すぐさま周りを見回す。目的の相手はすぐに見つかった。ほんの数メートル先に、信じられないものを見た顔で、呆然とする良川が居た。距離がほとんど無かったのも当然。彼は跳び下りた時点で、もう逃げ切ったつもりだった。追ってくる人間の事など、想定していなかった。のしのしと、ガラの悪い歩き方でゆっくりと進んでいたのだ。
「良川、行くわよ!」
「―――っ」
ここへ来てのこの台詞。教室でのものと全く変わらぬ物言いに、良川はとうとう、花子に対して怖さを感じた。そして、とっさに走って逃げ出した。人として、至って自然な行動…。
それがよくなかったとは、この時の良川が知る由も無い。教室の剣士とはまるで違う、肉体的アプローチが始まろうとしていた。
先進学園は、敷地全体が小さな丘のように隆起している。その為異なる階同士の連絡通路や、半端な高さへと繫がる階段が、あちこちに点在していた。基本的に、建物外は常に坂道という事になる。
そんな学園の敷地内を、授業中にも関わらず全力疾走する二人が居た。
「うっ…おおおおおおおお!」
「っら゛ああああああああ!」
気合の声を上げながら、良川と花子が跳ぶ。先の二階ほどでは無いとはいえ、その半分はあろうかという段差を、勢いを緩めずに走り抜ける。ほとんどの人間が、ここを降りようとは思わない場所だ。
(絶対あきらめない!)
時に急勾配の壁を蹴り上がり、時に渡り廊下の途中から、一階ずれた広場に跳ぶ。おおよそ、並みの運動能力では辿れないルートを二人は駆けていく。それはさながら、パルクールのようだった。
「っそ!? なんなんだよてめえは!」
「!」
その質問は、先日神社で向けられたものと同じ…。
(答えは…考えてある!)
「あたしは、野村よ!」
「知るか!?」
ここで、ふと周りを見回した良川は、偶然外を見ていた生徒と目が合った。
人に見られた事で我に返り、今の状況をとてつもなく恥ずかしく感じる。自分は何をしているのか。授業をサボったつもりが、同級生の、それも女子と追いかけっこをしている。
(だせえ…っ!)
良川は、作戦を変更する事に決めた。彼は今まで、学園内で花子を撒こうとしていた。花子もその前提で行き先を限定し、追いすがる事が出来ていた。無駄に高度な戦略のもと、この鬼ごっこは続いていたのである。良川は、その前提を壊しに走った。
「っんああ゛!」
良川は胸の高さほどの壁を乗り越え、突然ルートを変える。
「このっ!」
良川にとってはひと跳びの壁も、花子の身長では、全力で跳び、腕の力も加える必要があった。そのほんの少しの遅れで、目線の切れる時間が延びる。花子は、まだ焦っては居なかった。その先がどうなっているかはわからなくても、現在の位置的に、良川が大体どちらに行くか見当をつけていた。そうして壁の上に身体を引き上げ、視線を巡らすと…。
「居ない!?」
花子は、良川の姿を探した。しかし見つからない。その先入観から脱し、予想と別の方向へと振り向いた時、彼の姿はすでに小さく、そのまま学園の敷地外へと消えていった。
「ぐ………」
この距離を空けられ、学園内という縛りが消えた今、追いかけても見失うだけ。花子はそれを、すぐさま理解していた。
さらには終わりを告げるかのように、追い討ちでチャイムが鳴り響く。授業の時間は終わり、遂に花子は、良川を連れ戻す事が出来なかった。
「………手必勝、ぶっころ」
………ただし、先の授業時間中には。
ブツブツと、念じるように同じ単語を繰り返す。しばらくそのまま、策を考え…。
「…よし」
彼女は疲れなど知らないとばかりに、再び走り出した。




