第一話:紙芝居芸人の敵情視察(前篇)
異世界映画館というジャンルは意外とないので書いてみました。
「つまらない……か」
王都セントリアの中央広場にある噴水で、アネルは独りため息をついていた。彼の手には複数の厚紙と小さな袋が握られており、そこには簡単な絵と大きめの文字が描かれている。アネルは10年ほど紙芝居師として、王都を初めありとあらゆる地域に住む子供たちに紙芝居を通じていろんな物語を届けていた。先ほども、王都に住む子供たちに紙芝居を披露していたのだが、聞いていた子供たちは突如、つまらないから違うところ行こうぜといって走り去っていってしまった。
こんな経験は、アネルにとって初めてだった。アネルの紙芝居は好評だったからだ。難しいが面白い物語を、子供たちにわかりやすく絵と文字で表現することで子供たちだけではなく親御さんまで支持を得ていた。にも拘らず、今ではつまらないという手厳しい評価を受けてしまっている。袋に入っている硬貨も、数枚程度しかない。今までは紙芝居だけで食べていけたが、このままつまらないという評価を維持してしまうと生活が危うくなる。打開策が必要だ。
「――そういえば、エイガカンにいくと子供たちは言っていたな」
去られた時に子供たちが言っていたことを思い出す。エイガカンという言葉自体は効いたことがある。つい最近この王都のはずれで開かれたということを聞いただけで、どういった施設かは知らない。しかし、子供たちはアネルの紙芝居より魅力を感じ、駆け出して行ってしまった。以前夢中になっていた紙芝居を上回るほどの楽しみを持つ"エイガカン"に、子供たちの心をつかむ何かがあるのかもしれない。
「……行ってみるか」
このままでは顧客を"エイガカン"にとられかねない。どういった施設で、どういったことをして人気を獲得しているのか、知る必要がある。敵情視察をしなければ、アネルの生活は終わってしまうのだ。
アネルは袋のお金を握りしめて、噴水から立ち上がった。そして、若干身体に力を入れて、歩き始めた。
新しくできたエイガカンは、王都の中心から割と歩いたところにある。エイガカンと思わしき建物についたときには足がすでに石のように固まっていた。紙芝居をするために足腰は鍛えているつもりだったが、気分は戦場に行くようなものであったので、無駄に体力を消耗してしまったようだ。
建物の玄関の前に立つと、文字が小さく書かれていた。しかし明らかに、違う言語が3種類表記されていた。一種類は、普段我々が用いているネシマ語であり、そこには確かに「エイガカン」という意味の言葉が表記されている。しかし、ネシマ語の他にも見慣れない言語が二つあった。ひとつは、「シネマエクスペリエンス」というもので、もう一つが「Cinema Experience」と表記されていた。アネルは25年の月日を生きてきて、紙芝居のためにそれなりに語学学習をしてきたはずだが全く見たことを聞いたこともない。本当にこんな場所が子供たちに人気なのか?
とりあえず、目の前の扉を開けるべくアネルは手を伸ばす。しかし、アネルは扉を見た瞬間に目を細める。扉は何と不透明なガラスでできているのだ。ガラスを作り出せる職人は王都でも数人しかいないので、かなり高い値段で取引されている。ガラスでできた扉など、王族でもそう簡単には所有できないだろうに。
だが、このエイガカンの扉は、2人分の幅に、大男でも入れそうな高さがある。いったいどれほど儲けているのだろうか。もしかしてとてつもなく高級店なのだろうか。
いや、それでもいくしかないだろう。生活が懸かっているのだから。アネルは勇気を振り絞って足を踏み出し、扉へと手を伸ばす。
しかし、指が扉に触れる前に、扉は静かに音を立てながらひとりでに横に開いた。
「なっ――」
指など一切触れていないし、何か魔術を用いたわけでもない。だが、アネルが手を伸ばした瞬間に、扉が開いたのだ。これは一体どういうことだ。
確かにガエイ王国には、魔法の文明はある。魔術印を扉に記せば、ひとりでに開くことなどできる。だが、それにしては、地味だった。何も魔力は感じなかったし、音もごく自然に出ていただけで、発光もしていなかった。
アネルはそのまま扉に立ち尽くしていた。いったい魔力を使わずにどうやって自動で開く扉を作り上げたのか。アネルはそれなりに学問をしてきたつもりであるが、全く未知の体験であり、原理など思いつくはずもない。自動で開く扉があれば、子供たちだって夢中にならないわけがない。これだけでも十分な集客になるのだ。中にはもっとすごいものがあるかもしれない。
アネルは恐る恐る足を踏み入れた。すると、アネルが中に入った途端、扉がまたも勝手に閉まった。それに不気味さを覚えつつも、前へと進んでいく。
――そこはまるで異世界だった。
日光に照らされた街並みとは打って変わって、暗い雰囲気ではある。壁面が暗い紺色に統一されているせいだ。にもかかわらず、天井につるされた、炎ではない明かりがいくつもあり、直視すると目が痛くなる程にまぶしい。ゆえに、一切曇り気を感じさせない。
明りだけではない。どこからか人の話す声が大きなボリュームで聞こえたり、食欲をそそるような香りも漂っている。王都の商店街も、人が鳴らす足音や宣伝のために張り上げられた大声とかでやかましいが、こちらもまた大概だ。決して広いとは言えないのに、密度が高すぎる空間に足を踏み入れている。アネルはしばし棒立ちになっていた。
――なるほど、エイガカンというのはこういった摩訶不思議な空間を体験する場所なのか。
「これは確かに子供たちが夢中になってもおかしくないな……」
圧倒的な光景で勝負することは、残念ながら紙芝居の専門外だ。子供たちの興味はそちらへと移ってしまった。ただそれだけのことだったらしい。
完敗だ。そう思い、アネルは踵を返そうとしたその時だった。
「ねぇ、今日は何のエイガを見る?」
「そうだな……マネージャーおすすめエイガでもみるか!!」
エイガ……?
アネルは足を止め、振り返る。そこにはカップルが手をつないで談笑しているのが見えた。そしてそのカップルは、エイガという単語を発していた。しかもエイガカンという単語とひどく酷似している。ということは、何かあるのか。エイガカンと、エイガの関連性とは何か。もしかしたら先ほど下した結論は、間違いだったかもしれない。
アネルは再び踵を返し、そのカップルの後を気づかれないように追った。
どういう仕組みで成り立っているかは後に書いていきます。