マンホールを抜けた先は異世界でした
「えええ……」
「む? どうした少年」
「いや、どうしたじゃねえよ何やってんだあんた」
いつもと変わらない、ある日のことだった。
いつもと同じように学校に行き、クラスメイトとシモの話で盛り上がったり、クラスのアイドル佐藤さんのスカート目がけてヘッドスライディングしてみたり、女子更衣室を覗こうとした挙句教師にバレてぶっ飛ばされてみたり。
よくよく考えてみたら自分がヤバいヤツなんじゃないかと不安になる、そんないつもと変わらない日の放課後。
俺、篝火雄平は戸惑っていた。
「なんでビキニ姿で道の真ん中に寝そべってんだよ!」
目の前に痴女が現れたからだ。
いつも通り馴染みの駄菓子屋に寄って、意気揚々と家に帰ろうとした矢先の出来事だった。
透き通るような銀色の髪をした美人がいたかと思えば、そいつは往来の真ん中でいきなり服を脱ぎ出した。そしてあらかじめ着込んでいたのであろう極小のビキニ姿になるや、その場に寝転がりグラビアポーズ。
……いや、痴女にしたって大胆不敵すぎるだろ。まだ日も暮れてないんだよ?
「まあまあ……まずは君の名前を教えてくれたまえ。話はそれからだ」
「なんでだよ! 絶対教えたくないんだけど!」
「おっと失礼。まずは私の正体から明かさないとな。私は――変態です」
「見りゃわかるよ!」
やべえよこいつ、絡まれちゃいけない類の人間だよ絶対。近道しようとひと気の少ない道を選んだのが失敗だった。
「さて、冗談は置いておくとしよう。少年よ――」
「なんか語り出そうとしてるけど、お互い早く切り上げた方が身のためじゃないかこれ」
人に見られたら二人とも社会的に終わる気がする。ので早く切り上げて立ち去りたかった。
立ち去りたかった、が、
「そうは言ってるが少年、君の視線はずっと私の胸元に集中しているぞ」
「くっ、やはりバレていたか……」
男の性が邪魔をする。
ここからはもう開き直っていくことにした。
「ふふん、どうだ私の自慢のバデーは」
「なかなかやるじゃねえか。ずばりGカップと見た」
「残念、Hカップだ」
「なん、だと……」
未知との遭遇。まさかこんなところでHカップを拝む日が来ようとは。
「さて少年、もう少しこっちに来ないか?」
「それはちょっと」
銀髪痴女が手招きをしている。が、それに安易に乗っかるほど俺も迂闊ではない。
怪しすぎる。具体的に何が怪しいかと言えば、
「さっきから気になってたんだけどさ」
「ん? なんだ?」
「あんたの目の前にあるそれだよ」
その女のすぐそばにあるマンホールだ。
やたらでかい。しかもよく見れば……わずかに光を放っていた。
「なんでそんなにキラキラしてんだ? そのマンホール」
「マンホールとはこういうものだろう?」
「俺の知ってるマンホールはもっと慎ましい存在なんだよ」
「ちょ、さっきからマンホールマンホールって……いやらしい」
「何言ってんだあんた」
お前の脳内、中学生か。
まあちょっと俺も思ってたけども。
「とにかく、怪しすぎる。俺は逆の道から帰る」
「待て」
「あ? 何言われても……」
「今こっちに来てくれたらちょっとだけ揉ませてあげよう」
「は? そんな誘惑に俺が乗るか!」
そう言いながら、俺は女の方へと駆け出していた。
……あ、あれ?
「掛かったね?」
俺の手が女の胸に伸び切るその前、マンホールがひとりでに開いた。
「し、しまったぁああああああ!」
「じゃ、いってらっしゃい」
まるで吸い込まれるかのように、俺は地下深くへと落ちていく。
「あああああああああああああああ!!」
俺の体を包む不思議な浮遊感。
「あああああああああああああああ!!」
周囲は謎の光に包まれており、視界はどこを向いても真っ白だった。
「あああああああああああああああ!!」
やはりただのマンホールではなかったようだ。この後、どうなってしまうのか。
しかしまあ、
「あああああああああああああああ!! ……長くない?」
何秒落ち続ければいいんだこれ。そろそろいいんじゃない?
我ながら尋常じゃない適応力だ。ちょっと飽きてきた。そろそろ次の展開ください。
そんなことを思っていた時だった。
「お? ぶへぁ!!」
白い空間を抜け、俺は地面へと叩きつけられた。
「いつつつ……」
背中をさすりながら、すぐに体を起こす。
そして周りを見渡し、驚愕した。
「……森の中?」
立ち並ぶ針葉の大木達、葉の隙間から覗く灰色の空。
気が付けば、俺は外にいた。
「おいおい、まさか」
マンホールを抜けた先は違う世界でした、ってか?
無駄だとは思ったが、一応ここがどこか調べるため、俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
落下の衝撃で真っ二つになっていた。
……これはさすがに予想外。
「ジーザス!」
俺は使い物にならなくなったそれを思いっきり放り投げる。
と、そこで、
「はぁ……はぁ……」
「っ! 誰だ?」
背後から聞こえてきた足音と荒い呼吸音に、俺は振り返った。
そこには、
「あなた……何者……?」
「こっちのセリフなんだが……」
深くフードを被った人物が立っていた。背丈は俺の首一つ分小さいくらい。声から察するに女だろう。
それと服装は……ローブってやつだ。ゲームなんかで魔術師が着てるあれに身を包んでいる。
コスプレ、だろうか? しかしながら、全身黒ずくめのその格好からは怪しさしか感じられない。
「反乱軍の人間、じゃ、なさ……そうね。……平民? こんな、ところに……?」
「反乱軍? っていうと?」
「説明してる、時間は、ないの」
そう言うと、その女はフードを取った。
「……わお、キュート」
思わず口からそんな言葉が漏れる。
その子は、金色の長い髪の毛を後ろで結っており、とても綺麗な青い目をしていた。
整いまくっているその顔立ちには、わずかながら幼さが残っている。下手すると同年代かもしれない。
と、考察はここまで。
「んで、どうしたんだ? それ」
謎の美少女との邂逅。なんと素晴らしいイベントだろうか。しかしその感動を打ち消し、俺の顔をしかめさせるのは、その子の口の端から垂れている真っ赤な血液だった。
しかも、よくよく見てみれば腹の辺りからも滲み出している。
黒いローブだからわからなかったが、目の前の女の子はかなりの重傷を負っているようだ。
「これを……」
「ん? 何これ」
「あいつらにくれてやる、くらいなら……おね、がい、逃げて……」
「こっちの話聞く気ゼロか」
その子は懐から一冊の本を取り出し、俺に押し付けてくる。
そしてそのまま、前のめりに崩れ落ちた。
「……なんなんだ?」
わけがわからない。さすがに俺でもこの状況は戸惑う。
わかっているのは、この本がよっぽど大事なものだってこと。あと、このまま放っておいたらこの子は間違いなく死ぬってこと。
「でも俺にできることなんてなぁ……」
それこそ、言われた通りこの本を持って逃げることだけだ。誰から逃げるのかもさっぱりだけど。
そもそもこの本っていったい……ん? あれ?
「よく見たら本じゃねえなこれ」
何気なく手元に視線を落として、気が付いた。
確かに紙の束ではあるのだが、それは本と呼んでいいものじゃない。
……大学ノートだ。
しかもコンビニとかでよく見るアレだ。Can○usのヤツだ。
そしてその表紙にはこう書かれていた。
《ぼくの・わたしの・禁忌のしょ》
俺はそのノートを地面に叩き付けたのだった。