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 肆 SEVEN WONDERS OF 神奈備高校(2)

美術部の部室のおとなりに、非常にまぎらわしい“別モノ”がありました……。

挿絵(By みてみん)

「――ここが神奈備高校七不思議の一つ目、〝踊る二宮金次郎像〟だ」

 最初に梨莉花、清彦、真奈の三人が訪れたのは、校門を入ったすぐ横、北側に建てられた二宮金次郎の銅像だった。

 薪を担いで歩きながら、本を読んで勉強する二宮金次郎像――江戸時代の農政家・二宮尊徳の少年時代の姿を象ったものであり、昨今はほとんど見かけられなくなったものの、貧しくとも勉学に励んで立派な大人になった彼に見習えと、昔はどこの学校でもよく見かけられたポピュラーな像である。

「夜な夜なこの金次郎像が踊るという話だが……今は別段変わった様子はないようだな」

 梨莉花は腰に手を当てて、そんながんばり屋さんな子供の像を真正面から見据える。

 古典的な学校の七不思議において、動く二宮金次郎の像といえば定番中の定番である。ただ、歩くとかではなく〝踊る〟というのは、あまり聞かないパターンではないだろうか?

いや、それ以前に小学校とかならともかく、高校に二宮金次郎像があるというのからして珍しい。

 とはいえ、金次郎像自体は背中に薪を背負い、手に持った本に視線を落としているという、どこにでもある典型的なありふれたデザインのものだ。大きさは一メートルくらいで、同じく一メートル程のコンクリートでできた台の上に載っている。本体は銅でできているため、その身体の表面は長い間の雨風で緑青色に変化していた。

「でも、なんかこの像、違和感があるんですよねぇ……」

 腕を組み、金次郎を見上げる清彦が、どこか腑に落ちない様子で呟いた。

「そういえば、あたしもさっきからそんな気が……」

「私もだ」

 それには、真奈と梨莉花も同意見である。

「う~ん…………」×3。

 三人は並んで小首を傾げ、しばらく金次郎像を眺めた。

その脇を、時折、ランニング中の運動部連中が何か珍妙な生き物でも見るかのような視線を彼女らに向けて通り過ぎて行く。

「……ああっ!?」

 沈黙を破り、突然、大声を上げたのは真奈であった。

「どうした? 何かわかったのか?」

「本ですよ、本! この金次郎さん、本を持ってないんですよ!」

「本? ……ああっ!」

「……ほんとだ。どうして気付かなかったんだろ?」

 なんと、三人が見上げるこの二宮金次郎像は、その手に持っているはずの本をなぜだか持っていなかったのである。

 両手は胸の前で本を開いているような格好をしているのに、その手の中にあるはずの本がどういうわけか見当たらないのだ。三人がこの二宮金次郎像に感じた違和感――それは、この本の喪失だったのである。

「人間、思い込みというのは恐ろしいものだな。本を持っているのは当たり前だと思っていたので、これだけ眺めていてもぜんぜん気付かなかった」

「いまだに騒ぎにならないのも、おそらくは僕らと同じように、みんな気付いていないんでしょうね」

 梨莉花と清彦は本のない金次郎像を眺めながら、納得したように頷き合う。

 確かに、日頃から見慣れている金次郎像の本がなくなっていれば、もっと大騒ぎになっていてもおかしくはない。それなのになんの騒ぎにもなっていないということは、まだ彼女達三人以外には誰も気が付いていないということなのだろう。

「……なるほど。この像は全部一鋳で造られてるんじゃなく、胴体と本の部分は別パーツだったようだな」

 梨莉花はコンクリートの台の上に絶対領域(・・・・)も眩しく長い美脚をかけ、丈の短いスカートながらも中が見えそで見えないよう器用に乗り上がると、本来ならば本を持っているはずの像の手の部分を丹念に調べ始めた。

「じゃあ、やろうと思えば人の力でも本を取ることは可能ですね?」

 台の上で金次郎像にしがみ付く梨莉花に、下から見上げる清彦が尋ねる。

「本を強引に抜き取ったらしき形跡があるが、まだ新しいな……本がなくなったことに誰も気付いていないことからしても、どうやら最近取られたもののようだ」

「いったい誰がこんなことしたんでしょうか?」

 銅像の表面すれすれまで顔を近付けて調る梨莉花に、今度は真奈が思ったことを素直に尋ねる。

「取られたのが最近だということから考えると、おそらくは例の入院している三人組の仕業だろう。やつらが七つ目の不思議を突き止めると言って、その翌日、原因不明の高熱を出して入院したのが一週間前だからな。三人がやったと考えるのが妥当な線だ。それに……これはまだ推測の域を出ないが、ひょっとすると、このことが七つ目の不思議を知る方法と何か関係あるのやもしれん」

 確かに、ここ最近でそんなことをわざわざしそうな人物となると、現時点ではその三人の男子生徒以外には考えられないだろう。

「もしかしたら、まだその辺に本が転がってる可能性もある。みんなで手分けして探そう」

 そう言って梨莉花は台の上から飛び降りると、まるでジャパニーズ・ニンジャか何かのように音もなく優雅に着地し、ちょっとカッコイイなとか思いながら眺める真奈や清彦を引き連れて、三人で像の周りを探索することとなった。

 金次郎像の背後には、敷地の縁に沿って壁を作るかのように背の高いイチョウの木が植えられている。その木々の枝葉が濃い影を像の周りに作り、また薄暗い地面の上には雑草もかなり茂っているため、そこに何か落ちていたとしても簡単にはわからりそうにない。

 それでも、梨莉花と清彦は七不思議解明への知的好奇心からやる気を振い起し……真奈は突き刺すような梨莉花の鋭い視線が怖いので……三人は深い草を掻き分けて、本が落ちてないか懸命に探し回った。

と、真奈が像から少し離れた場所の木の根元を覗いた時である。

「……ん?」

 見ると、何やら金次郎と同じ緑色をした四角い物体が落っこちている。

 真奈はそれをおそるおそる手に取ってみる……すると、それは分厚い本をちょうど真ん中ぐらいのところで開いた形をしていた。

「あ、ありましたーっ!」

 真奈の発した大声に、各々別の場所を探していた梨莉花と清彦もそちらへと急いで向う。

「おお、そんなところにあったか。で、どうだ? 何か変わったところはあるか?」

 真奈の持つ銅でできた本を覗き込みながら、急かすように梨莉花が訊いた。

「それが……この本、なんか字みたいのが書いてあるんですけど……」

「何を当然のことを言っている。そりゃあ、本を摸造しているんだから、字が書いてあるのは当たりま……ん? いや、そんなんじゃないな、これは」

 真奈の返事に眉をひそめる梨莉花だったが、すぐにその言葉の意味を取り違えていたことに気付く。

開かれた頁には、何やら字のようなものが凸状に鋳出されているのだ。

 といっても、本物の本のように書いてある文章が精巧に鋳出されているというわけではない。漢字でも、仮名文字でも、アルファベットでもない「●※画像」というものが一つ、本の真ん中に大きく鋳出されているのだ。

挿絵(By みてみん)

「梵字ですね」

 梨莉花に少し遅れてそれを見た清彦が、即座にそう答えた。

「ぼんじ?」

「古いインドの文字でサンスクリットとも言います。本来、仏教のお経はこの文字で書かれていたんですよ。それを中国で漢訳したものが日本にもたらされたので、現在、日本のお経は漢字で書かれたものになっていますが、密教では今でもこの梵字を使っています。この文字は音を表す文字としても使われますが、一字一字が特定の仏尊を表してもいるんですよ」

「へ~梵字ですか。そういえば、仏教美術でこんなような字を見たような気が……」

「どうだ、清彦? なんという字かわかるか?」

 清彦の講義に感心する真奈を他所に、梨莉花が目だけを清彦の方へ向けて尋ねる。

「さあ? 道教霊符とかなら一目でわかるんですが、不勉強でまことにお恥ずかしながら、梵字はあまり得意じゃないんで……」

「そうか……確か『ウン』という文字だったように思うんだが、私も密教専門ではないので梵字はうろ憶えでな。フッ…我ながらこんな一般常識すら身に付けていないとは……こっちこそ、穴があったら入りたいくらいだ。しかたない。後で相浄に見てもらおう」

 いやいや、お二人とも。普通、高校生は梵字読めないから。ぜんぜん一般常識でも、お恥ずかしくも、ましてや穴があっても入るような必要ないって……。

 自嘲の苦笑いを浮かべる清彦と梨莉花にそんなツッコミを心の中で入れつつ、真奈は自己紹介の時に聞いた相浄の出自を思い出す。

 あんな(なり)してるけど、相浄さんって天台宗だかの寺の息子さんで、密教の呪法に長けてるとか言ってたな。そんな相浄さんなら密教で使われてる梵字もわかるってことか……。

「よし。それじゃあ、この本は写真を撮ってから銅像の手に戻して置こう。騒ぎになって、我らにあらぬ濡れ衣をかけられても困るからな」

 ……確かに。もうかなりの人々に、あたし達が金次郎像の回りをうろうろしているとこを目撃されている……これで金次郎の本がなくなったなんて騒ぎになったら、あたし達が真っ先に疑われるのは明らかだ……ってか、いつの間にやら、あたしも共犯!?

 ふと気付けば道連れフラグが立ってることにショックを受ける真奈のとなりで、梨莉花はブレザーのポケットからおもむろに黒いスマートフォンを取り出す。もともとは市販されている某有名どこのスマホだったらしいが、そうとは思えないくらい魔法陣やら魔術的な記号のようなものやらがデコされた、特異なオリジナリティー溢れる至極の一品となり果てている。

 梨莉花はその呪術部モデルのスマホを対象に向けてシャッターを押し、そして、液晶画面で撮れ具合を確認すると、青銅製の本を金次郎の手に返して次の目的地へと向った――。


「――七不思議の二つ目、第一音楽室の〝目が光るベートーベン〟だ」

 次に真奈達三人がやって来たのは、南校舎一階の東側にある第一音楽室だった。

 三人は音楽室へ入ると早々、壁に掛けられた歴史的天才音楽家達の肖像画の内、真ん中に掲げられたベートーベンの肖像画の前へと進み出る。

 それはどこの学校にでもあるような肖像画の安価なレプリカで、大きさはA3くらい。ただ紙に印刷されただけの偽物ではあるが、金縁の額に収められると一応は立派に見えるらしく、人の頭より少し高い位置に威厳を持って掲げられている。

「聞くところによると、夜な夜なこのベートーベンの目が光るのだそうだ」

 悠然と三人のセンターに立ち、先程同様、腰に手を当てて偉大な作曲家と睨みあう梨莉花がそう簡単に説明をした。

「……で、二人とも何か変わったところはあると思うか?」

「いえ、ぜんぜん……どうみてもフツーのベートーベンの肖像画です」

 しばしの間、三人はベートーベンと睨めっこをしていたが、特にこれといって変わったところを見つけることはできなかった。

「まあ、音楽室の肖像画が云々という話も、誰もいないのに勝手に鳴るピアノと人気を二分するくらい七不思議の定番といえば定番だからな。単なる噂だけなのかもしれん。ただ、目が動くのではなく光るというところが少し気になる……豆電球でも入ってたりして」

 梨莉花がベートーベンと睨めっこしたまま、そんな冗談とも本気ともとれるようなことを口にした。まさかそんなことはないと思うが、もし本当に豆電球が仕込まれでもしていたとすれば、それはそれでずいぶんと楽しいイタズラである。

「そうだ、清彦。ちょっと絵の裏を見てみてくれ」

 いい加減、睨めっこにも飽きた梨莉花は、清彦に絵の裏側も調べてみるようにと指示を出す。

「はい。ちょっと待っててください……」

真面目な優等生タイプの外見通り、清彦はすぐさまよい返事をすると、背伸びをしてベートーベンの肖像画を壁から外し、くるりとその絵を裏返してみた。

「どうだ? 豆電球は付いていたか?」

 絵の裏側を調べる清彦の肩越しに、ちょっと期待しながら梨莉花が尋ねる。

「いえ、残念ながら……でも、その代わりおもしろいものを見つけましたよ」

 そう言って手にした絵の裏を見つめる清彦に近寄ると、梨莉花と真奈も覗き込んでみる。

 するとそこには、かつて貼ってあった〝何か四角い紙のようなもの〟を乱暴に剥がした跡が残っていた。ずいぶんしっかりと貼られていたものらしく、まだかなりの部分が破れて剥げ残っている。その残った部分には所々に黒い墨の跡が見受けられ、貼ってあったその紙にはなんらかの文字が書かれていたことを窺わせる。

「……御札?」

 真奈は、そこに貼ってあった何かがそうしたものであるように思えた。

「残っている部分から察するに、これもどうやら梵字みたいですね」

その剥がされた跡を見つめたまま清彦が呟く。

 梵字といえば、二宮金次郎像の本に書かれていた文字と同じである。同じ七不思議の場所二ヶ所でその文字が見付かったとなると、それが偶然とは考えにくい。

「ほう。七不思議の場所に梵字ありか……これはおもしろくなってきたな」

「でも、これじゃ、梵字読めるか読めないか以前に、なんの字かもわかりませんね……まあ、一応、これも後で相浄君に見てはもらおうと思いますけど」

「そうだな。よし、ではこれも写真を撮っておこう」

 梨莉花はその肖像画を壁に立てかけさせると、絵の裏側を大写しに撮影した。

「これを破ったのも例の三人組ですかね?」

 呪術部特注モデルスマホの画面を覗く梨莉花に、清彦が背後から問いかける。

「状況からしてそう考えるのが適当だろうな。だが、なんのために? ……やはり、これと七つ目の不思議の謎を解くこととは何か関係あるのか?」

 三人はしばらくの間、絵の裏側に残る破れた紙片の痕跡を黙って見つめた。

「さっ、誰か来ない内に戻しておかないと。今日は吹奏楽部が新入部員の体力作りで外へ走りに行っていて好都合でした。おとなりの第二音楽室も合唱部の練習休みだったみたいですし」

 だが、気付いたように清彦は止まったままの二人を急かすと、急ぎつつも証拠が残らないよう、丁寧にベートーベンをもとあった場所へと戻す。

 そう言われてみれば、通常、放課後の音楽室はその手の部が使っているはずである。それがなんとも都合のよいことに、今日は偶然にもその両部活がお留守だったのである。特に、もし通常通り吹奏楽部がここにいたら、この発見も難しかったかもしれない。

 とはいえ誰か他の人間が来ないとも限らない……ただでさえ、いろいろと噂のある呪術部。もしこの場を誰かに見られでもしたら、絶対、何かよからぬことをしているのではないかと勘ぐられること明白であろう……こんなところに長居は無用。早々立ち去るに限る。

 各々にそんなことを思いつつ、三人は廊下に誰もいないのを確認すると、コソコソと第一音楽室を後にした――。


「――七不思議の三つ目〝鬼の映る鏡〟だ」

 三番目に向ったのは、音楽室から南校舎を西に行った所の、一階廊下の突き当りである。

そこには、人の全身像を写せるくらいに背が高く大きな鏡が一枚、その大きさの割にはあまり存在感を主張せずにひっそりと壁に掛かっていた。

 鏡の縁を覆う木製の厚い枠には、嫌味にならぬ程よさで瀟洒な飾り彫りが施されており、その上に残る傷や色褪せ具合からして、ずいぶんと古くからある代物のようだ。

「なんでも午前0時にこの鏡の前に立つと、鏡には自分の姿が映らず、鬼のように恐ろしい形相をした魔物が写るとのことだ」

「なんか、骨董屋さんに置いてあるような鏡ですね」

「ええ。いつからあるのか知りませんが、よく今まで誰も壊さなかったものです」

 そんなことを言いながら、梨莉花、真奈、清彦の三人は鏡の前に並んで立ち、その中に写る世界をまじまじと覗いてみる……しかし、どう目を凝らしてみても、そこに見えるのは見慣れた男女三人の姿だけである。

「……よそう。これ以上、自分達のアホ面を眺めていても仕方がない」

 代わり映えのしない景色に堪りかねて梨莉花が呟く。

「そうですね……特に何の変哲もない鏡みたいですから……」

 古めかしい鏡ではあるが、これといって変わった所はどこにも見当たらない。古くて大きいこと以外は、銀かアルミニウムをガラス板に蒸着させた、ごくごく普通の鏡である。

 それでも夜、暗い中でこの鏡の前に立ったりなんかしたら、ちょっとは恐いと感じるかも知れないが、生憎、今はまだ明るい時間帯である。おまけにここはけっこう日当たりもよかったりするので、不気味な雰囲気など何一つとして感じられないのだ。

「でも、ここも七不思議の一つではある以上、きっと前の二つ同様、梵字がどこかにあるはずです。今までのパターンからすると…」

「鏡の裏か!」

 清彦が言い終わるよりも早く、梨莉花はその考えに思い至ると、壁に鏡を固定している金具の部分を調べ始めた。

 鏡の四隅にはL字型をした金具があり、それをネジで壁に固定している。

「やっぱりだ。最近外した形跡がある」

「どうです? 外せそうですか?」

 しゃがんで左下隅の金具を調べている梨莉花に、インテリジェンスなメガネをかけ直しながら清彦が尋ねる。

「ああ、任せておけ」

 シャキン!

 梨莉花は自信満々な顔でそう答えると、懐からドライバーやら小型スパナやらの一式揃った工具セットを平然と取り出す。

「え? ……なんでそんなもの持ってるんですか?」

 さも当り前のように工具なんか携帯してる珍しい女子高生に、真奈は唖然とした顔で問い質す。

「なーに、こんなこともあろうかと思ってな。常日頃からちゃんと用意しているのだ。ま、乙女の嗜みだな」

 いや、こんなことそうそうないと思うんだけど……そして、絶対、乙女の嗜みじゃないし……。

「よし、外してみるぞ。二人ともちょっと鏡を支えていてくれ」

 密かにツッコむ真奈の視線もまるで気にかけることなく、梨々花は床に広げた工具セットの中から大サイズのマイナスドライバーをすぐさま選び出し、早々、金具を壁に固定しているネジを端から順に回し始めた。

 真奈と清彦は慌ててその左右に立ち、鏡が落ちないよう添えた手に力を込めて押さえる。

一つの金具に付き二つ×四隅の、計八つもネジはあったが、やけに慣れた手つきの梨莉花によって、三分と経たずにそのすべてが床の上に転がされる。

「じゃあ、まーなさん、床に降ろしましょう。ゆっくりですよ」

 金具が外れると、清彦は真奈に合図をして、鏡を押さえる腕を徐々に下方へと下ろしてゆく。と同時に、真奈のか細い腕にもずっしりと厚いガラス板の重みがのしかかる。

「フーっ……」

 無事、重たい鏡がリノリウムを張った床の上へ着地すると、真奈と清彦は大きな溜息とともに額の汗を拭った。さすがにこれだけ大きい鏡となると、思った以上にけっこうな重労働である。

「さてと、読みが当たっていればいいんだが……」

 さっそく、梨莉花が床に降ろされた鏡の裏側を覗き込む……。 

「ビンゴだ。苦労して鏡を外した甲斐があったな」

 そこには、先程のベートーベンの肖像画の時と同じように、頑丈に貼られた紙を何者かが剥がした痕跡が残っていた。

「これも梵字が書いてあったとみて間違いないようですね」

 やはりこちらもギザギザに破れて剥げ残った紙片がまだ張り付いており、そこに残る墨跡からは、何か解読不能な梵字が一字書かれていたであろうことがかろうじて読み取れる。

「これも相浄君行きですね。部長、写真お願いします」

「うむ……だが、これではっきりしたな。七不思議が起こるとされている場所には、どういうわけか、必ずなんらかの梵字の記された物が存在する。そして、これまでの状況から鑑みるに、入院した例の三人組はどうやらその梵字の書かれた物を取り去って廻っていたらしい……あるいは、それが七つ目の不思議を解き明かすことに関係しているのかもしれんな……これは、予想以上におもしろい成果が得られそうだ」

 そう言って不敵な笑みをその美しい顔に浮かべながら、梨莉花は清彦の支える鏡の裏側をスマホのカメラに収めた。

「それじゃ、これも誰か来ない内にもとに戻しますかね」

「ああ。さっきの絵と違って面倒だが、戻さんわけにはいかんしな」

 そうだ! こんなとこを先生にでも見られたりしたら、それこそ悪いイタズラをしている生徒か何かに誤解されてしまうだろう。早くもとに戻しておかなくては!

 真奈は急いで鏡に取り付き、清彦と一緒にえいやっと持ち上げた。

 金具がもとの場所にピタリと合わさるよう、二人の手によって鏡が壁に押し当てられると、梨莉花が再び、先程とは逆回しにネジを回し始める。急いではいるが非常に落ち着き払った様子で、彼女は着々と作業を進めてゆく。

 この馴れた手付きと妙に堂々とした態度……この人達、絶対、今までにも何かよからぬことをいろいろとやらかしてきたに違いない。いったい、どんなことをしでかしてきたんだろうか? ……いや、恐いので、これ以上考えるのはよそう。

 恐ろしい想像をしてしまいそうなので、しかも、真実はその想像をもはるかに凌駕していそうなので、真奈はあれこれ推察するのを途中でやめた。

「よし。あと一つだ」

 その間にも鏡の金具は次々と壁に固定されてゆき、ふと気づけば、梨莉花の手馴れたドライバー捌きのおかげで残すネジも最後の一つとなった。

と、その時である!

「君たち、そこで何をやっているのかね?」

「…⁉」

 突然の声に振り返った三人の大きく見開かれた目に映ったものは、こちらへ向かって歩いて来る、ツイードのジャケットを着た中年男性の姿だった。

 その印象深い男の風体は真奈も入学式の折に見て知っている。白髪交じりの髪を横に撫でつけ、太い黒縁のメガネをかけたやつれ気味の顔……神奈備高校教頭・折口信雄(おりくちのぶお)である。

 ヤ…ヤバイ……!

 三人の脳裏に、そんな言葉が同時に浮ぶ。が、その悪い予感を現実のものとするかのように、風紀に厳しいことで評判の教頭はつかつかと鏡の前まで歩み寄り、順々に三人の顔を舐め回すかのように見定めてゆく。

「古くから本校に伝わる、この由緒正しい鏡に何をするつもりかね?」

 そして、疑わしげな深い皺をその眉間に寄せて、さらに三人の目と鼻の先へぬっと詰め寄る。

 あと少しというところで、よりにもよって悪名高きあの教頭に見付かってしまうとは……このままでは入学四日目にしてもう前科一犯だ! 嗚呼、あたしの夢にまで見た理想の高校生活があぁぁぁ~!

「誤解ですよ、教頭先生。この鏡がぐらついていたので、今、金具を直していたところなんです」

「そうなんです! この神奈備高校を愛してやまない僕達は、どこか校舎が痛んでるところはないかと、常に見回っているんですよ」

 自らの不運を真奈が嘆いている傍らで、梨莉花と清彦は苦し紛れにありえない言い訳を口にし始めた。ダメ押しとばかりに梨莉花はそう嘘を吐いてから、最後のネジを回してアピールをしてみせたりなんかもする。

「本当かぁ~?」

 だが、教頭はまだ疑念の目を向けたままである。というより、こんな絶対ありえない言い訳、騙される方がどうかしている。

 …ガタガタ……ギシギシ……。

 教頭は鏡の枠に手をかけると、左右に揺すったり、手前に引っ張ってみたりもして、完全に信用のない様子で丹念に調べ始めた。

「う~ん……どうやら鏡に異常はないようだな」

「でしょう? ほら、以前よりも頑丈になりましたよ?」

 負けじと梨莉花も鏡の縁をわざとらしくバシバシと叩いて見せる。

「……まあ、どこにも異常はないようだし、非常に疑わしいところではあるが……とりあえず今回だけは信じておくことにしよう」

「もう、いやですねえ、教頭先生。少しは我々のことを信用してくださいよ」

 まだまだ納得したという様子ではなかったが、確たる悪事の証拠を得ることのできなかった教頭は、横目で三人を見つめながら不服そうにその場を立ち去って行った。

「ふ~…なんとか切り抜けられたな」

「さすがに七不思議調べてるなんて説明できないですからね」

 冷静を装って芝居を打っていた梨莉花と清彦が、ホッと表情を緩める。

「ハァ……」

 よかったぁ~前科一犯にならなくて……人間、諦めずに足掻いてみるもんだな……。

 同じく真奈も安堵の溜息を吐き、また一つ人生の勉強をする。

「さっ、教頭の気が変わって戻って来ぬ内に、とっとと次へ進もう」

 からくも危機を脱することのできた三人は、次の七不思議の舞台へと歩を進めた――。


「――四つ目〝一段増える階段〟だ」

 四番目は北校舎の西隅にある、一階と二階を結ぶ階段であった。

「これも七不思議の定番だな。夜、この階段が何段あるか数えると、いつもより一段増えてるというアレだ」

 誰もが知ってるよく聞くタイプの話ではあるが、一応、これまでの慣習に倣って、梨莉花が簡潔に説明する。

「……ま、普通に階段ですね」

 ここも今見た限りではなんの変哲もない、ただの、ごくごくありふれた普通の階段である。もちろん、段数が変わるなんていう物理法則を無視した超自然現象が起こるようにもとても思えない。

「本来は一〇段のものが夜になると一一段になっているということだが……念のため、何段あるか数えてみるか?」

 それでも、せっかく来たのだからということで、とりあえず真奈達は階段の段数を数えてみることにした。

「じゃ、数えてみるぞ? 一、二、三、四…」

 三人は横一列に並び、一段ずつ上がりながら一番上の段まで声を出して数てみる。

「…五、六、七、八、九……一〇」

 しかし、当然のことながら一段増えているなどということもなければ、何か他におもしろいようなことが起きるわけでもない。

「…………異常ありませんね」

「ああ……」

「ハァ……」×3。

 三人は、またしても強い脱力感に襲われた。

「だ、だが、ここも七不思議の一つに数えられている以上、きっとどこかに梵字が書かれた物があるはずだ! そうだな、例えばそこの絵とか……」

 下がったテンションを上げるため、梨莉花は無理やり気合を入れて適当に言ってみる。

「ええ~この絵ですかあ?」

 清彦は疑わしげに、梨莉花が指さす階段の中腹あたりの壁に掛けられた絵の方へと顔を向ける。

その絵は一〇〇号ほどもある大きなもので、絵自体はよくありがちな山を描いた風景画である。やはり、これといって変わった様子などどこにも見当たらない。

「これまでのことからして、その裏に梵字があるということは充分考えられる」

 梨莉花の言葉に清彦は階段を数段下りると、その絵の額に手をかけて裏側を覗き込もうとする。

「まあ、確かにありがちな展開ですけど、なんの変哲もないただの絵ですよ? いくらなんでもそんな簡単に…………あった」

 皆の予想に反し、覗き込んだその絵の裏側には見憶えのある紙を剥がしたような跡がくっきりと残っていた。これまで同様、紙の剥ぎ残りがまだ貼り付いたままになっており、そこにはやはり梵字と思しき字の書かれた墨跡が確認できる。

「本当にあったんだ……」

 予想外にもあっさり見付かってしまい、同じく傍に寄って覗き込んだ真奈は、ポカンと呆けた顔をしてそれを見つめる。

「………ほ、ほら、やっぱりあったじゃないか。私の読み通りだ」

 そう口では言しているものの、言い出しっぺの梨莉花自身、実はかなり驚いている様子である。

「……なんか、こうあっけなく見付かってしまうと拍子抜けですね」

「ま、まあ、たまにはそんなこともある……それより、早く写真を撮って次に行こう」

 同じく唖然としている清彦にそう答え、梨莉花はしゃがみ込んで絵の裏側に下からスマホを向けると、今度も梵字の残欠を写真に収め、早々、次の場所へと向った――。


「――五つ目は、この〝不開(あかず)の体育倉庫〟だ」

 五つ目の場所は、体育館の裏手にある体育倉庫だった。

体育館は校舎の北側、グランドと校舎の中間にあり、その「不開の体育倉庫」というのは体育館の西側外に設けられている倉庫のことである。

 遥か遠くで威勢のいい運動部連中のかけ声が響いているが、ここは南のグランドからは見えない西側の裏手に位置しているためか、辺りを見渡しても人の姿は視界の中に映らない。となりのプールもまだこの時期は使っていないし、生徒達もあまり近寄らない場所のようである。

 ここって、あんまし人来なさそうだから、告白するのによく使われてたりして……。

 オレンジ色の夕日に染められた体育館裏という絶好のロケーションに、真奈はそんな七不思議とは似つかない、ロマンチックなイメージを密かに思い浮かべた。

 七不思議の場所をいくつも廻ってる内に、いつの間にやら太陽もすっかり傾いている。

「古来、夕暮れ時は逢魔ヶ(おうまがどき)と云って、この世ならざる者に出会う時刻だとさている。フフフ…ようやく七不思議巡りには似つかわしい、よい雰囲気になってきたな」

 同じ夕暮れ時というシチュエーションながら、真奈とはまた別の、ある意味ではロマンチックな感想を抱く梨莉花も楽しそうに目を輝かせている。

「で、なんで不開の体育倉庫なんですか?」

 そんな気分も乗ってきて、むしろ怖しさを感じるほどご機嫌な梨莉花に、真奈が怪訝な表情を浮かべながら素朴な疑問を尋ねた。

「うむ。私も以前、気になって先生達に訊いてみたことがあるのだがな。かなり以前に作られたものなので建てつけも悪く、その上、鍵までなくしまったために誰もここを開けなくなったとのことだ」

 この野外に面した体育倉庫の扉は、左右にスライドするタイプの木製の引戸である。見れば扉に塗られた薄緑色の塗装はほとんどが剥げ落ち、言われるまでもなく年代物のように感じられる。

「えっ、じゃあ、ここが不開の体育倉庫なのは幽霊とか、呪いとか、そういうのが原因じゃなくって、ただ単に戸が開かないって、それだけなんですか?」

「残念ながらな。まあ、一応、噂ではここで首吊り自殺した生徒の霊の仕業だとかなんだとか、至極もっともらしい理由をつけてはいるがな。もちろんそんな事件は過去にないし、ぶっちゃけ、本当のところはそういうことだ」

 夢もロマンも何もない真相ではあるが、まあ、現実ってそんなもんなんだろう。

別に梨莉花や清彦のように興味があるわけでも、何かを期待していたわけでもなかったが、真奈はちょっと肩透かしを食らったような気分になった。

「でも、妙ですね……それなら改修するなり、新しい鍵に変えるなりして使えばいいと思うのですが……こんないいスペース、使わないのはもったいないでしょうに」

 一方、今の話を聞いて、そんなそこはかとない疑問に捉われた清彦が梨莉花にそのことを尋ねてみる。

「ああ、それならなんてことはない。何十年か前にな、古くなった机やら椅子やら、そういった要らなくなって置き場に困った物の類をここに放り込んだらしいのだ。だから、もともとここは滅多に開けることもなかったらしく、今さら開かなくなったとて、これといって困るようなこともなし。そのまま放置されて現在に至る…といった具合だ」

「なんだ、そういうことですか……なんか、それ聞いちゃうとますます味気ないですね」

 一瞬、興味を惹かれた清彦も、梨莉花がさらっとしてくれたその説明にテンションを急降下させる。

「まあな。だが、これまで同様、きっとここにも梵字の書かれた物があるはずだ。さ、はりきって探すぞ」

 梨莉花はそれでも清彦を促すと、自身も気を取り直すようにそう言って、その物理的(・・・)に〝不開の扉〟の方へと近付いて行った。

「でも、鍵がなくて開かないのに、どうやって中を探すんですか?」

そんな二人の背後から、またも水を差すようにして真奈がそのことを冷静に尋ねる。

「いや。その心配は無用だ。予想はしていたが、やはり鍵は壊されている」

 だが、そのもっともな疑問に対し、左右の引戸の合わさる真ん中、南京錠をかけるための金具のある場所を見つめていた梨莉花はそう答える。

「えっ⁉」

 それを聞き、清彦と真奈も急いで梨莉花の視線の先へと自らの目を向ける。

 すると、確かにそこにあるはずの金具も南京錠も見当たらず、ただ、薄緑色の塗料の上に残る日焼け具合の差と釘の穴から、そこに金具が付いていたであろうことが窺い知れるだけである。周りに残る真新しい傷からして、おそらくはバールか何かで力任せに引き剥したのであろう。

「……これも、やったのはやっぱり例の三人組ですか?」

「たぶんな。それ以外はまず考えられまい」

「でも、鍵がかかってなくても、建てつけが悪くて開かないんじゃ……」

「どうやら彼らは、その建てつけの悪さに業を煮やしたみたいですよ?」

 清彦の声に振り返ると、彼はしゃがみ込んで左側の戸の底部を見つめている。

梨莉花と真奈もそこを覗き込むと、引戸を滑らすための金属製レールと木製の戸の底部が噛み合う場所には、これまた最近できたと思われる新しい傷が付けられている。

「強引に戸を取り外す時にできた傷でしょうね」

「まったく。南京錠といい、力技しかできんのか? 忍び込むにももっとスマートにしてもらいたいものだ……よし、我らも戸を外して中を調べるぞ」

 美学を重んじる怪盗の如く、彼らの乱暴な手口に文句をつける梨莉花であるが、彼女も彼らの後に倣い、その引き戸の縁に両手でしっかりとしがみ付いた。

 いや、忍び込むこと自体いけないと思いますが……そして、結局は同じ方法で開けようとしているし……。

それを見て、同じ穴のムジナである清彦と、いつものように心の中でツッコミを入れる真奈もその後に続く。

「上げるぞ。せーのっ!」

 ガタン…。

 以前に一度、取り外された後だったためか、案外簡単に戸は外れた。

「暗いな。どこかに明かりのスイッチがあるはずだ。長年使われてなかったとはいえ、まだ電気は通っていると思うんだが……」

 すでに日暮れの時刻でもあり、中はかなり暗かった。暗闇の中、最初に入った梨莉花は扉付近の壁を手探りで調べ、電灯のスイッチを見つけるとカチッっと押す。

「こりゃまたスゴイな……」

 古ぼけた白熱球の黄色い光に照らし出された倉庫の中には、所狭しと古い木製の机だの椅子だのといった物が山済みになって積まれていた。

 それは戦前の学校の様子を撮った、歴史の教科書の写真なんかで見たことのあるような代物で、何十年も前に古くなったものを押し込んだ云々という話はどうやら本当のことであるらしい。

「ゴホ、ゴホ……ずいぶん埃っぽいですね」

 梨莉花に続いて入って来た清彦は、倉庫の中に舞い散る埃にむせる。

「心なしか目もシバシバします……」

 続く真奈も目をパチクリしながら空気の悪さを訴えている。

「そりゃあ、何十年も前から放ったらかしだからな。埃っぽさのレベルが違う」

 梨莉花がなぜか自慢げに語るように、倉庫内は床といい積まれた机や椅子の上といい、いたる所に分厚く埃が溜まっていた。

「やはり、何者かが……おそらくは例の三人組が中に入ったのは確かなようだ」

 刺激的な空気に目が慣れてくると、その溜まった埃で真っ白になった床の上には、あちこちに最近付けられたと思しき靴の跡が残っている。

 梨莉花はその上を慎重に進み、山積みにされた収納物の周りを調べ始める。

「おかしいな。ここに積まれている物には動かしたような形跡がない」

 その言葉に清彦と真奈も周囲の机や椅子を見回してみるが、確かに足跡の残る床の埃に対して、机や椅子に積もった埃はまったくと言っていいほど乱れてはいない。

「ということは、彼ら三人はこの机や椅子には触れていない……つまり、それ以外のところに梵字の書かれた物を見つけたってことですよね?」

 清彦の言う通り、机や椅子に動かされた形跡がないということは、三人は梵字の書かれた物を取り去る際に、それらには見向きもしなかったということであろう。

「そういうことになるな。ではどこだ? やはり何か壁に掛かっているような物か?」

 梨莉花達はこれまで見てきた絵や鏡のように、裏に梵字の紙を貼っておけるような物がないかと周囲の壁をぐるっと見渡してみた。

「…………ないな」

 しかし、倉庫内の壁には何一つとしてそのような物はない。

「壁に何か貼られていたような形跡もありませんね……」

 清彦は壁の表面も調べてみたが、壁自体にもそのような痕跡は見付けられなかった。

「だが、必ずやどこかに梵字があるはずだ。うーむ……これまでは銅像が手に持った本の上や廊下の大鏡の裏、壁に掛かる絵の裏など、そこにあっても普段は誰も見ないような場所を好んで仕掛けられていた。おそらくはここの場合も、そういうパターンできていると思うのだが……」

「そこにあっても誰も見ない場所……ですか」

「そこにあっても誰も見ない場所……ですよね」

「そう。そこにあっても誰も見ない場所……だ」

 三人はその場に立ったまま同様に腕を組み、しばしの間、首を傾げて黙って考え込んだ。

「……そこにあっても誰も見ない場所……ハッ! そうか!」

 どれくらい時間が経った後だろう……突然、梨莉花があることに思い至り、入口の方へ向って歩き出す。そして、何を思ったか倉庫の外にまで出ると、取り外して壁に立てかけてあった戸をおもむろにひっくり返した。

「……やっぱりそうか」

 飛び出していった梨莉花を追いかけ、清彦と真奈も急いで外へと出る。

「どうしたんですか? いきなり……」

「もしかして、梵字見付かったりとか?」

 戸の真ん中辺りを見つめる梨莉花に、追いついた清彦と真奈が尋ねる。

「ここを見てみろ。紙が貼ってあった跡だ」

 そこには、何か貼ってあったものを剥がしたと思しき跡が残っていた。

色褪せた薄緑色の戸のその部分だけが、四角く鮮やかな本来の色を残している。一辺が一五センチくらいの正方形で、その四角の四隅には古めかしい紙の切れ端がほんのわずかばかり剥がしきれずに残存している。

「たぶんこれでしょうね。でも、これだとさすがに何の字が書いてあったのかまではわかりませんね」

 これまでも剥がされてはいたものの、多くの部分が剥がしきれずに残っていたため、かろうじて書かれていた文字がなんなのかを判読できそうな状態にはあった。しかし、今回はほぼ全てが綺麗に剥がされてしまっているため、どこをどうしようと書かれていた文字を読むことは不可能なのだ。

「困ったな。見つけたはいいが、その文字がわからんのではな……」

 虚しく残る紙の痕跡だけを見つめ、梨莉花と清彦はそこで再び黙り込んでしまった。

一方、悩む二人の傍らで、真奈は何気なく、体育館の周囲に設けられた水捌けのための側溝の中へ視線を落とす……それは本当に何気ない無意識の行動だったのであるが、そのコンクリートで作られた側溝の底に、丸められた紙切れのようなものがあるのを彼女の目が偶然に捉えた。

「……ん?」

 なんとなくそれが気になった真奈は、目を細めてそちらの方へと近付いて行く……そして、その丸められた紙を手に取ると、まさかとは思いつつも念のため開いてみた。大きさはちょうど戸に残っていた跡と同じ、一辺一五センチぐらいの正方形である。

「あああーっ!」

「ど、どうした!?」

「どうかしたんですか!?」

 突然の頓狂な叫び声に、梨莉花と清彦は慌てて真奈の方を振り返る。

「ありましたぁぁーっ! こんなとこに落ちてたんですよ! 例のぼんじの紙!」

「何っ!?」

「本当ですか?」

 その重大ニュースを耳にするや、梨莉花と清彦は急いで真奈のもとへと駆け寄る。

「……本当だ」

 真奈の手に握られた、くしゃくしゃに皺の寄ったその紙には、確かに梵字らしき文字が記されていた。それは「●※画像」という文字である。

挿絵(By みてみん)

「これは『カーン』ですね」

 その文字を見た瞬間、清彦がすぐさまそう口にする。

「カーン?」

 当然、なんの知識もない真奈としては、その文字の発音を鸚鵡返しに聞き返す。

「カーンというのは不動明王を表す梵字です。これはよく御札とかにも使われてるんで、不勉強な僕でもわかりました」

「不動明王ときたか……不動といえば憤怒の形相で火焔の光背を背負い、その怒りの炎によって一切の魔障や悪心を焼き尽くすとされる尊格だ。なんのために七不思議の場所にこんなもんがあるのかは知らんが、これはますますもっておもしろいことになってきたな」

 梨莉花はその不動明王を表す呪術的な文字をしげしげと見つめ、再びその美しい口元を不敵な笑みに歪めた。

「しかし、金次郎の本といい、この紙といい、よくまあ見つけたな、まーな。なかなかによい感をしているぞ。それでこそ呪クラの新メンバーだ!」

「は、はあ……」

 別にこの部の一員として評価されても困るんだけど、なんか、あのいつもは厳しい梨莉花さんに思わず誉められてしまった……よろこんでいいんだか、悲しんでいいんだか……。

 予想外な梨莉花の賛辞に困惑しつつ、真奈は引きつった薄笑いのような、なんとも複雑な表情をその顔に浮かべた。

「この紙は貴重な資料ですから大切にしまっておきませんとね」

 そう言いながら清彦は、肩に下げたバックの中から透明なクリアファイルを取り出し、きれいに皺を伸ばして「カーン ※画像」という文字が記された紙を挟む。

「さてと。ここの梵字も見つけたことだし、いよいよ七不思議最後の現場へ参るとしよう。ああ、その前に戸は一応、直しておかんとな」

 そして、三人は無用ないざこざの起きぬよう倉庫の扉を元に戻すと、本日、最後の目的地となる場所を目指し、三つの長く伸びた影法師とともに歩き出した――。

謎が謎を呼びますね……おもしろくなってきました。 by 三善清彦

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