漆 呪(しゅ)CRAMBLE(2)
美術部の部室のおとなりに、非常にまぎらわしい“別モノ”がありました……。
「――万事休すだな………」
一方、真奈が地鳴りを気にしているその間にも、鎧武者の怨霊達は呪術部員を囲む輪の範囲をじりじりと狭めていた。
今では骸骨の手が握る鋭利な太刀数十本が目と鼻の先にまで迫っている。互いの背中を合わせ、輪の中央に固まる部員達であるが、もうこうなっては身動き一つもままならない。
「こんな三六〇度包囲されたら、どうにもできねーじゃねーか! 卑怯だぞおまえら!」
聞くはずもないが、相浄が怨霊達に向かって文句をつける。確かに彼の言う通り、この状態下で一斉に攻撃を仕掛けられれば、そのすべてを防ぎきることはできない。
「アイヨー! ワタシ、まだ死にたくないヨ!」
「ですよねえ……」
この絶対的な大ピンチに、梅香は駄々を捏ね、清彦は落胆の表情を見せる。
「思えば、短いながらも充実した人生だったなあ……」
飯綱もどこか遠くを見つめ、これまでの人生を懐かしげに振り返っている。
時ここに到り、いよいよ呪術部員達の間には諦めのムードが漂い始めていた。
「ウオオオオオ…!」
そんな彼らおまえに、早や勝敗は決したとばかりに雄叫びを上げると、鎧武者達は一斉に太刀を振りかぶる。
「最早、これまでか……」
梨莉花もいつもと同じ冷静な表情で、だが、ほんの少しだけ自嘲気味の笑みを浮かべて覚悟を決める。
「オーホホホホホホ!」
だが、その時だった。突然、どこからともなく甲高い少女の笑い声が聞こえてきたのである。鎧武者達はその奇怪な笑い声に、太刀を振り上げたままの姿でその動きを止める。
「オーホホホホホホ!」
人を小バカにしたような高笑いが静かな美術室内に響き渡る……怨霊達はその止まった状態のまま、何事かと周囲の様子を覗っている。
「なんだ? この不快極まりない笑い声は……?」
一方、その笑い声によって総攻撃を免れた呪術部員達であるが、こちらも突然の出来事に何が起きたのかわからず、皆、呆然と立ち尽くしていた。
「オーホホホホ…やはり、わたくし達でなければ、この問題を解決することはできないようですわね?」
やがて、ふざけた笑い声はそんな上から目線の言葉へと変わる。その声に鎧武者達が振り返ったことで多少囲みが崩れ、その隙間から部員達にも声のする方が見えるようになる。
「怨霊のみなさん、今度はこの御国学園魔術部がお相手いたしますわ!」
美術室の前方、黒板の前に立っていたはその声の主は、なんと、あの御国学園高等部・魔術部の天野瑠璃果とその下僕二名であった。
瑠璃果は御国学園の制服の上に、黒いマントにウィッチハットをかぶって、手には上の方が太くなった樫の木の杖を持つという魔女のような格好をしている。真奈が描いた〝魔女梨莉花〟とちょうど同じような格好だ。
その後に控えるお付きの二人も、今日は黒いトレンチコートに黒いソフト帽、それに黒のサングラスという、まるでUFO遭遇者のもとを訪れるという〝黒尽くめの男達〟みたいなファッションである。彼女達のこの特異な服装も、呪術部同様、こうした超常的なものと対峙する際に着用する御国学園魔術部の戦闘装備なのだろうか?
「ざまーないですわね、梨莉花さん。所詮、あなた達の貧弱な力では、この怒れる怨霊達を退治することなど、到底、不可能な話だったのですわ」
天野瑠璃果は仰け反るように胸を張ると、いつもの嫌味たっぷりな話し方で語り出した。本当なら危機一髪のところを助けに来てくれたスーパーヒロインに感謝と喜びの眼差しを向けるところであるが、その姿を見た呪術部の面々は逆に迷惑そうな顔をしている。
「あいつら、性懲りもなく……」
中でも梨莉花はものすごく嫌そうに、苦虫を噛み潰したが如き表情で得意げに語る瑠璃果の方を睨みつけた。
「でも、ツイてましたわねえ。今宵、わたくし達が善意で七不思議の謎を解いて差し上げようと来てみましたら、まあ、忠告した通りにも案の定この体たらく……もしも、わたくし達が助けに来ていなければ、今頃、あなた達の救い難き魂は確実に天へと召されていたことでしょうね」
「つまり、夜の学校に不法侵入したってことだな……」
恐ろしいほどの主観で自分達の行為を正当化する瑠璃果に、相浄もツッコミを入れる。
「ですが、ご安心なすって。わたくし達が来たからにはもう何も心配いりませんわ。梨莉花さん、この天野瑠璃果と御国学園魔術部が、あなた達ナビ高の弱小呪術部を怨霊達の手から救い出してさしあげますわ!」
ライバルである神崎梨莉花と神奈備高校呪術部の危機を自らの手で救い、大満足な天野瑠璃果は高飛車な演説を延々と続ける。しかし、そうして彼女が優越感に浸っている内にも、その背後には黒い影が迫っていた……。
「さあ、怨霊の皆さん、それにか弱き呪術部の皆さん、わたくし達、御国学園魔術部の力を見せてさしあげますわ!」
「あ、あの瑠璃果さま……」
気分よく口上を述べている瑠璃果に、お付きの一人・羽見がおそるおそる声をかける。
「わたくしの力の前に、皆、平伏すがいいですわ! オーホホホホホホ!」
だが、勝利の美酒に酔う瑠璃果の口は止まらず、羽見のことなどガン無視である。
「あの、瑠璃果さま……瑠璃果さま?」
「もう、なんですの? 今、いいところなのに邪魔しないでくださいます?」
それでもしつこく羽見が名を呼ぶと、やむなく瑠璃果は邪魔臭そうに返事をする。
「あの…それがですね……ちょっと後を見ていただけますか……」
「後? 後がどうしたっていうんですの?」
気分よく語っていたところを邪魔された瑠璃果は、たいそう不機嫌そうに後を振り向く。
「え……⁉」
すると、彼女がそこに見たものは、自分達を背後から取り囲む鎧武者の集団であった。鎧武者達は手に持った太刀を高々と振り上げ、今、まさに襲いかかろうとしている。
「あぁぁ~れぇぇ~およしになってぇぇぇ~っ!」
蠢く黒い塊の中から瑠璃果の間抜けな叫び声が聞えてくる……瑠璃果とその下僕達は、何もすることなく敗北した。
「……おまえら、バカだろ?」
呆れ果てた顔で梨莉花が呟く。
「……あの人達、何しに来たんですかねえ?」
他の部員達も疲れた表情で、鎧武者の群れに消えた彼女達の方を見つめている。
しかし、そんなアホウな他人にかまっている場合ではない。自分達自身の生命も大きな危険に晒されているのだ。
「チッ……アホの心配などしている暇はなかったな……」
瑠璃果らを取り囲む鎧武者達は、再び呪術部員の方へと視線を戻す。その動きに梨莉花達も改めて厳しい表情を取り戻した――。
「………………」
そんな状況を、真奈は部屋の隅で見つめていた。
窮地に立たされた仲間の姿に、その顔には悲痛な色を浮かべている。
狩野の方へ目をやれば、依然、怨霊に取り憑かれたままの見るに堪えない有様である。最早これ以上、今の怨霊に憑依された状態が長引けば彼の身が持たなくなる。さらに、よせばいいのにのこのこやって来た御国学園魔術部の三人も鎧武者達に刃を突き付けられ、今やその命は風前の灯火である。
真奈は、手の中で熱くなっている神奈備神社のお守りへとその暗く沈んだ視線を落とす。
「もう、限界かな……」
そして、真奈はある決心をしたのだった――。
「――今度こそ、万事休すだな」
要らぬお節介のおかげで命拾いした呪術部員達であったが、それも一瞬の平穏に過ぎなかった。さすがにもう、彼らを助けてくれるような邪魔が入ることもないであろう。
「まあ、あの人達に助けられなくて、むしろよかったような……」
「ああ。それには俺も同感だ……」
贅沢など言っていられない状況ではあるが、清彦のその呟きには相浄も激しく同意する。
「でも、どうするのヨ? この絶体絶命空前絶後的大ピンチ?」
「最早これまでだ。だが、誇り高き呪術部員として、最後に一花咲かせてくれようぞ!」
そんな場合カ! とツッコミを入れる梅香に、落城寸前の城に籠城する武将ででもあるかの如く、飯縄はそう言って金剛杖を強く握り締める。
「だな……」
飯綱の言葉に梨莉花も短い台詞で頷く。他の部員達もコクリと首を縦に振ると、いよいよ覚悟を決めた。
「ウオオオオオ…!」
だが、敗軍の将な彼女らにも怨霊達は容赦なく雄叫びを上げ、太刀を持つ骸骨の手に力を込める。
「くっ…!」
梨莉花達呪術部員も最後に一矢報いようと、険しい顔で身構える。そして、鎧武者達の太刀が一斉に振り下ろされようとした、その瞬間!
「ちょっと待ったあぁーっ!」
なんと、またもや美術室の闇を切り裂き、少女の叫ぶ声が木霊したのである。
二度目の邪魔をするその声に、怨霊達は再び太刀を振り上げたままの格好でその動きを止める。
「まったく。こんなことがないようにと、せっかくこれまでそっち系には関わらないようにしてきたっていうのにさあ……あんた達のせいで台無しだよ」
その声の主は他の誰でもない……そう。それは真奈のものであった。
真奈は気だるそうに口を動かしながら、ツカツカと狩野の前へと歩み寄る。
「グルルルルル…」
鎧武者達の視線が一斉に真奈の方へと向けられる。唐突に登場した少女の姿に、怨霊達もどう動いていいものやら躊躇している様子である。
一方、呪術部員達の目にも、鎧武者の隙間から真奈の姿が映る。しかし、彼女の様子はいつもとどこか違う。こんな状況だというのに、まるで恐怖を感じていないみたいだ。
二度までも窮地を脱することのできた梨莉花達であったが、今度もまた、意表を突く予想外の出来事に唖然として立ち尽くしてしまう。
「……ま、まーな、一体どうしたんだ?」
梨莉花は気を取り直すと、おそるおそる真奈に声をかける。真奈はその声に後を振り向き、ちょっと不機嫌そうな顔をして答えた。
「梨莉花さん、それから他の部員の皆さん、今まで隠していてすみません……ぢつはあたし、〝神憑りしやすい〟体質なんです!」
「神憑りしやすい体質?」×5。
そのよくわからない突然の告白に、部員達は全員、ポカンとした顔で真奈に訊き返す。
「はい。神憑り――つまり、神や精霊、人や動物の霊などが憑依しやすい体質ということです。あたし、小さい頃からそうしたものに感応しやすく、すぐに憑依されてしまう特異な子供だったんです」
ポカン顔の仲間達を置き去りに、真奈は自分の特異体質について説明する。
「まだ小学校ぐらいまではそれが普通だと思ってたから、気にせずしょっちゅう神憑り状態になってたけど……その内、みんな気味悪がりだして、友達もだんだんと離れていって……だから、中学に入ってからは、なるべくそうしたものには近付かないようにしていたんです。そのおかげでずっと神憑りになることもなく、そんな体質に気付く人もいなくなりました。友達の間でもそのことを知ってるといえば、親友の朋絵ぐらいのものです……そ~れ~がぁ~こいつら怨霊のせいでぇっ!」
真奈はそう語るや、鎧武者達の方をキッと睨みつける。
「でも、皆さんや狩野先輩の命が危いんじゃ仕方ありません……それに怨霊達が騒いだせいで、さっきからこの土地の主であり、ここを護っている地主神――即ち神奈備山の神が怒っているんです。この地鳴りが聞こえませんか?」
ゴゴゴゴゴゴ……。
床下から響いてくる地鳴りの音は、先程よりもさらに大きくなっている。
「怒って目覚めた神奈備山の神に感応して、あたしもう、自分の意思を保つのが限界にきています。だから、決心しました……あたし、久々に神憑りします!」
「はい?」
そんなこと急に言われても、ついていけない部員達は怪訝な顔で訊き返す。
だが、そんな皆を無視して真奈は神奈備神社のお守りを強く握りしめると、この土地の地主神である神奈備山の神に念じた。
「この地の主、神奈備山の神よ。我が身に宿り、この地を騒がす怨霊を鎮めさせ給え!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
すると、真奈の唱え言に呼応するかのように地鳴りは一層、その激しさを増し、響き渡る不気味な重低音とともに遂には地面まで揺れ始めたのである。
「キャッ!」
「なんだ⁉ 何が起きたんだ?」
突然の揺れに、呪術部員達は慌てて当たりを見回す。まるで地震の如く、足を踏ん張っていないと立っていられないくらいに地面が揺れている。
「ヒエ~ッ!」
瑠璃果達魔術部もこの揺れに慌てふためいている。だが、それは彼女達ばかりではない。
「ウオオオオオ…」
鎧武者の怨霊達も、突然、激しく揺れ出した大地に動揺していた。怨霊が取り憑いている狩野にしても、真っ赤な目で周囲を見回し、これまで一度も見せなかったような狼狽振りで辺りを警戒している。
この激しい地鳴りと揺れ――その原因は美術室から少し離れた所にあった。
その峰に神奈備高校を抱く神奈備山の頂上には、古代の人々がそこに神を降ろして祭祀を行ったとされる大きな自然岩――〝磐座〟がある。地鳴りはその磐座を中心に、神奈備山全体が鳴動するものだったのである。
真奈の呼びかけに対し、磐座の上にはぼんやりと緑色に光る、半透明の巨大な蛇の姿が浮び上がる。その大きさはそこらの蛇とは桁が違う。それは人の数倍はあろうかという長大な大蛇である。
そして、その大蛇は神奈備高校の美術室を目指し、ものすごい速度で山を下り出した。
ズザザザザザザザ…。
木々の間を縫って、夜の闇に蛍光の軌跡を描きながら蛇行する大蛇は、その途中、地面の下に潜ると地中を伝って美術室の真下へと到達する。
ゴゴゴゴゴゴ…。
大蛇が美術室の下に来るや、一段と大きな地鳴りが辺りに響き渡る。
その地鳴りに荘厳されるかの如く、大蛇は床をすり抜けると小さな真奈の身体に巻き付くようにして、ついにその御姿を皆の前に顕現させた。
暗闇にぼんやりと浮かび上がる緑色の巨体は、怪しくも美しい輝きを放っている……その姿には恐ろしさというよりもむしろ神々しさが感じられ、見る者はなんとも形容しがたい感覚に捉われる。
「………………」
地面から突然現れ出たその大蛇に、呪術部や魔術部の者も、鎧武者の怨霊達も、敵味方を問わずそこに居合わせた者達は皆、呆然とその場に立ち尽くしていた。
だが、自分に巻き付いているにも関わらず、真奈だけは驚きもしなければ騒ぎもしていない。彼女は虚ろな表情で目を半開きにすると、意識レベルを低下させたトランス状態に陥っている。
そんな準備万端整えた真奈の身体に、大蛇は吸い込まれるようにしてその姿を消した。
「…!」
大蛇が姿を消すのと同時に、今度は虚ろだった真奈の瞳がカッと見開かれ、まるで何かに取り憑かれたかのように顔の表情を変える。その眼は先程の大蛇と同じく、ぼんやりと妖しく緑色に光っている。
「我はこの地の主、神奈備の山に住む神なり……」
口を開いた真奈は、いつもと違う冷徹な表情で淡々とそう皆に向かって告げた。その声は確かに真奈のものであるが、その口調はまるで別人である。
「おい! 大丈夫かよ? 顔色も話し方もなんか変だぞ?」
相浄がどう見ても普通ではない真奈の態度に心配して声をかける。しかし、彼女が返事をすることはなく、相変わらず冷徹な表情で呪術部員達の方を見つめている……まるでみんなのことがわかっていない様子だ。
「……そうか。あの大きな蛇は神奈備山の神だったんだ。その神を、まーなは自分自身に憑依させたということか……」
他方、そんな真奈の姿に、梨莉花は「納得…」というようにぽつりと呟いた。
「はぁ? 一体どういうことだよ?」
その理解しがたい言葉に相浄が喰いつく。
「古代の人々が崇め、現在では神奈備神社に祭られている神奈備山の神は、伝承では大きな蛇の姿をしていると云われている……今見たあの緑色の大蛇、あれはおそらく神奈備山の神だ。そして、神奈備山の神はこの高校も含むここら辺一帯を治める地主神……産土神や氏神さまと言ってもいいな。だから、怨霊達が自分の土地を騒がせたことに対して腹を立てたのだ。先程から聞こえているこの地鳴りは、その怒りのためのものなのだろう」
「あれが、神奈備山の神……」
飯綱は狐に摘まれたような面持ちで、今は真奈ではない彼女の方を見つめた。
「ああ。その神の怒りに感応し、まーなは意識を保つことができないと言っていた……まーなは生まれながらに霊が憑依しやすい体質の人間――つまり〝天然のシャーマン〟なのだ。以前、降霊会を行った際にあいつが異常に嫌がっていたのも、その体質ゆえに普通の人間以上に霊と反応してしまうからだったのだろう……」
「まーなさんが、天然のシャーマン……」
その驚愕の事実に、清彦も驚きを隠し切れずにいる。
「そして今、まーなは怒れる神奈備山の神に喚ばれ、また、我らの窮地を救うために、自らの身体に神を憑依させたというわけだ」
「エエっ⁉ じゃ、今のまーなは神サマ?」
梅香がすっとんきょうな声を上げる。
「ああ。そういうことになるな」
真奈…否、彼女に憑いている神奈備山の神は全員の顔を見回し、再び口を開いた。
「我の土地を騒がす者はおまえ達か?」
緑に光る瞳が、呪術部員達の方を向いている。その声と視線には、何者にも逆らい難い、かなりの威圧感がある。
訊かれた呪術部の面々は、慌てて首をぷるぷると横に振った。
「では、貴様らか?」
今度は、瑠璃果達魔術部の方にその怪しく光る視線が向けられる。
「め、め、め、めっそうもございませんわ!」
その蛇のように鋭い眼光に、瑠璃果達も大袈裟なまでに首を横に振って、自分達が無関係であることを強く主張する。
「ならば、貴様らだな?」
すると最後に、緑の瞳は鎧武者の怨霊達の姿を捉える。
「ウウウウウウ…」
だが、鎧武者達はその言葉を否定せず、逆に真奈に対して威嚇の唸り声を上げている。
「そうか。貴様らか……」
犯人を見定めた神の目は一段とその鋭さを増す。
「貴様らの頭目は誰だ?」
そして、真奈の身体を借りる神は、威嚇する怨霊達を見回すと、冷たく厳かな口調でそう尋ねた。
「キサマハ、ナニモノダ?キサマモ、ワレラノネムリヲ、サマタゲルモノカ?」
それに対し、今度は狩野に取り憑いている鎧武者の怨霊が口を開く。
「そうか。おまえが頭目か」
その声に、神を宿した真奈の身体がゆっくりと彼の方を振り返る。
「なぜ貴様らが怒りを覚えているのかは知らぬが、我が土地を騒がすことはまかりならん。安住の地を与える故、そこで静かな眠りにつくがよい」
畏れ多くも神に無礼な口を利く怨霊達であるが、それでも偉大なる地主神としての慈悲心からか、真奈の中の神奈備山の神は鎧武者達の怨霊をそう言って諭す。
「キサマモ、ワレラノネムリヲサマタゲルナラバ、ヨウシャハシナイ……」
しかし、狩野に取り憑く怨霊は、そのありがたいお言葉にもまったく耳を貸そうとはしない。
「なぬ?」
その礼節を欠いた物言いを聞くと、ついに神さまが宿る真奈の額にもピキっと太い青筋が浮かんだ。
自分の土地を騒がせた挙句、まったく人…いや、神の話を聞こうとしない鎧武者の怨霊に、とうとう地主神の怒りも頂点に達してしまったらしい。
「なんと無礼な。かように言ってもわからぬアホウどもはこうしてくれる!」
真奈に宿る神奈備山の神はお守りを持つ右の拳を堅く握りしめ、何を思ったか大きく後方へと振りかぶる……すると、振り上げたその拳が緑の蛍光色に輝きだし、薄暗い闇の中で鮮やかに浮び上がる……。
「このっ、うつけ者めがぁっ!」
そして、神の鉄槌と化した真奈の拳は狩野の顔面めがけて容赦なく一気に振り下された。
ドッゴォォォォーンッ…!
その一撃は、想像を絶する凄まじい破壊力を持っていた。狩野はパンチを頬に喰らい、勢いよく後方へと吹き飛ばされる……。
しかし、狩野の受けた衝撃は、実を言えばそれほど大したものではない。彼の頬にパンチが当たると同時に、その光る拳は怨霊の霊体自体を直に打撃し、彼に取り憑いていた鎧武者の怨霊を肉体の外へと殴り出していたのである!
そして、狩野ではなく直接、鎧武者の顔にクリティカル・ヒットしたその拳は、怨霊の霊体をその勢いのまま、狩野よりも遥か遠くへと吹き飛ばしてしまう。
「………………」
怨霊の殴り飛ばされて行った方向を見ると、ガシャリと奇妙な格好に崩れ落ちた鎧武者が後方の壁にめり込んでいる……その恐ろしいまでの破壊力に、見る者一同呆気にとられ、ポカンと口を開けたままである。
「地主神パンチ……」
今の攻撃にそんな中二病的必殺技名を付けてみた梨莉花も、そのお茶目な言動に反して目が点になっている。
「さあ、次はどいつだ?」
続けて、真奈に宿る神奈備山の神は鎧武者達の方を振り返ると、反抗的な彼らをキッと強く睨みつけた。
「ギエエエェ!」
圧倒的な力に恐れをなした怨霊達は、それまでとは一転、一斉に平伏す。
「えっ? えっ? ……ハッ!」
そのために集団からポコンと飛び出た格好になった呪術部と魔術部の部員達も、周囲の状況を把握すると慌ててその場に平伏する。もう、印籠を出した水戸黄門状態である。
「うむ。よろしい」
そんな怨霊達の改心した態度に、どうやら神もなんとか怒りを静めてくれたようである。
「安住の地が欲しいというのならば、我について神奈備山に来るがよい。あの山上は古来より、この地に生きる者達の魂が死後に帰って行く場所でもある。きっと貴様らの怨念も浄化され、心静かな眠りにつくことができよう。どうだ? 我とともに山へ参るか?」
真奈に宿る神奈備山の神は、相変わらずの冷徹な表情ではあるが、先程とは違う優しげな口調で怨霊達に語りかける。
「ウオオオオー!」
その畏れ多くもありがたいお誘いに、今度は怨霊達もちゃんと耳を傾け、皆、歓喜の声を上げている。
「うむ……では、我は帰る。皆の者、参るぞ!」
それを聞いた神は満足そうに頷き、呪術部員達の方を向いて別れの言葉を述べる。そして、再び半透明な大蛇となって真奈の身体の上に姿を現すと、自らの住まう神奈備山を目指して蛇行しながら帰って行った。
その後を、鎧武者達もぞろぞろと追って行く……先程、神奈備山の神に殴り飛ばされ、壁にめり込んでいた例の怨霊も、仲間の幾人かに引っ張り出されて、両脇を抱きかかえられながら連れて行かれる。
その緑色の大蛇に率いられた怨霊達の不思議な一団は、壁に向ってゆっくり列をなして進んで行くと、そのまま闇に溶け入るかのように、何処へともなくその姿を消した。
呪術部も魔術部も、その予想だにもしなかった意外な展開とこの世ならざる幻想的なその光景に、神と霊達が消えて行った壁を無言のままずっと見つめ続けている。
カクン…。
一方、神奈備山の神が姿を消してからわずかの後、全身の力が抜けるようにして、真奈がペタンと床の上へ座り込む。
「まーなっ⁉」
それに気付いた呪術部員達は、急いで真奈のもとへと駆け寄る。彼女は俯いてがっくりと肩を落とし、かなり疲労している様子だ。
「おい、大丈夫か⁉ しっかりしろ⁉」
真奈の肩を摑み、心配そうに梨莉花が問いかける。だが、どうやら意識ははっきりしているらしく、彼女は肩を揺すられると疲れた顔をゆっくりと上げる。
「……いえ、大丈夫です。ちょっと疲れただけですから……」
そう答える彼女の顔は、いつもの真奈のものである。
「そうか……」
その見慣れた顔を見て、梨莉花は厳しかった表情を少し緩めた。
「……でも、見られちゃいましたね。あたしの、あの姿を……」
「えっ?」
ところが、真奈は再び俯くと、淋しそうな眼差しで床を見つめながら言う。
「……不気味ですよね。あんな風になっちゃうなんて……いえ、隠さなくたっていいんです。いつもそうなんです。あたしのあの姿を見た人は、みんな口では言わないけど、気味悪がって、なんか避けているのがわかるんです……だから、もうこうなることはわかってましたから、皆さんも無理しないでください……もう、慣れっこですから、アハハ…」
そう告げて、真奈は無理と皆に笑ってみせた。だが、その笑顔とは裏腹に、少し潤んだ彼女の瞳にはひどく悲しげな色が浮かんでいる。
……仕方ないよね。あんな姿を見せちゃったんだから……誰だって、あんなの見たら恐がってひく(・・)よね……これでもう、本当に梨莉花さん達との部活動も終わりかな? でも、狩野先輩やみんなを助けることができたんだし、きっとこれでよかったんだよ。うん。きっとそうだ……。
真奈は計らずも皆を助けることになった自分の奇異な能力と、そのためにまた友達をなくしてしまうなんとも悲しい運命に、儚げな自嘲の笑みを浮かべた。
……しかし、次に梨莉花が口にした言葉は、そんな真奈の予想とはまったく異なるものだった。
「何を言っているんだ。すごいじゃないか、まーな!」
梨莉花は目を輝かせ、少し興奮ぎみに真奈の肩を揺する。
「……え?」
その予期せぬ反応に、真奈は不思議そうな顔で梨莉花のことを見つめ返す。
「そうだぜ! あの怨霊達を一撃で黙らせたんだからな。大したもんだぜ!」
「そうですよ! なんで今まで黙ってたんですか?」
「神とあれほどまでに合一できるとは、なんとすばらしい力なのだ! 俺は今、猛烈に感動しているうぅ!」
「太師啊! まーな、カッコイイー!」
「えっ? えっ?」
他の部員達も皆、英雄を称えるかの如く真奈の周りを囲み、彼女を避けるどころか、むしろ逆に寄り付いて来ているようだ。
「…えっ? ……ええっ⁉」
今までにはなかったその反応に、真奈は大いに困惑した。
「み、皆さん、あたしのこと、恐くないんですか?」
「恐い? ……何が?」
全員の顔を見回して、真奈はその理解不能な反応について尋ねてみるが、逆に部員達の方がその質問の意味を理解しかねている様子である。
「……え、いやだって、あんな風になっちゃうんですよ? 自分の身体なのに自分の意思じゃ動かせなくなるし、目付きや話し方も自分じゃない別の誰かのものになって……それに腕力だって人間離れしたものに…」
「何を言う。その力のおかげで我らや狩野、ついでに瑠璃果達魔術部のアホウどもまで救われたのではないか。そんなすばらしい力を持った者をなぜ恐がらねばならぬのだ?」
「あたしの力が……すばらしい?」
真奈は驚いた顔で、さも当然と言うように答えた梨莉花に訊き返す。すると、梨莉花はその問いの返答として、やはり当り前だと言わんばかりにコクリと頷く。見れば、他の部員達もそれぞれに微笑みながら頷いている。
「おまえはどうもその能力を否定的に捉えているようだが、そんなことはないぞ?神や霊の声を聞き、またその力を借りることのできるおまえの能力は、人々を危機から救い、幸せをもたらす類い稀なる力なのだ」
「幸せを……もたらす力?」
「ああ、そうだ。現におまえは我らを窮地から救った。いや、我ら生きている者だけではない。怨念のために成仏できなかった鎧武者達の霊までをも救ったのだ。その力は古より人間が神や霊の世界――もっといえば大自然とよりよい関係を築くために用いてきたシャーマンの力に他ならない。もっと自分の力に誇りを持ってよいのだぞ、まーな」
「梨莉花さん……」
真奈は、これまでには誰一人としていなかった、自分のこの厄介な体質のことを評価してくれる仲間達の反応にひどく戸惑った……しかし、ずっと不幸しか呼ばないと思っていたこの能力を、人々を幸せにするよい力だと言って褒めてくれるその言葉は、ずっと淋しい思いをしてきた真奈にとって、魂を救済してくれる一番の呪文でもあった。
「だから、これからもよろしく頼むぞ。我ら呪術部の大切な仲間としてな」
「え……?」
「言っただろう? 呪術は人を幸せにするためにあるのだと」
そう告げると、梨莉花は滅多に見せることのない優しげな笑みをその顔に浮かべる。
「ハァ……はい!」
真奈は目にいっぱいの涙を浮べながら、今までで一番のとびっきりの笑顔で皆に頷いた。
……が、そんなほのぼのとした時を、世界は充分に満喫させてはくれない。
タン! タン! タン! タン…!
突然、廊下をスリッパで走る誰かの足音が聞こえてきたのである。
それは高速でこちらへと近付いて来る……その音に皆、廊下の方へと視線を向ける。そして、その足音が美術室のすぐ近くまで来た時、何者かの大声が夜の校舎内に響き渡った。
「コラーっ! 誰かいるのかーっ⁉」
それは、神奈備高校の教頭・折口の声であった。まだ学校に残っていた教頭が、先程からの騒ぎに様子を見に来たのであろう。
「まずい。こんなところを見付かったらことだ……みんな、窓から逃げるぞ!」
教頭の声を耳にした梨莉花は、即刻、美術室から脱出するよう皆に号令をかける。
それを聞くやいなや、全員、俄かに騒然として中庭に面した窓の方へと慌てて向う。
現在、美術室の中は先程の戦闘でめちゃくちゃになっている……夜の学校に無断で残っていただけでなく、美術室をこんな有様にしてしまったとわかったら、それこそただでは済まされないだろう。
「えっ? えっ?」
独り、その行動に乗り遅れた真奈だけは、その場でおたおたと周囲を見回している。
「もう、何をしているのだ? ほら、行くぞ!」
そんな真奈の腕を抱え、梨莉花が強引に窓の方へと引っ張って行く。
「えっ⁉ ……あ! 狩野先輩が…」
そこでようやく状況を把握した真奈は、自分が殴り倒してしまった狩野のことを思い出し、梨莉花に引きずられながらも、その姿を視界の中に探した。
「狩野のことなら俺が担いで行くから大丈夫だ」
すると、真奈が心配するまでもなく、傍らにいた飯綱が気を失った狩野を軽々と肩に担いでいる。さすが山男だ。
「さっ、急ぎましょう!」
窓際で立ち止まる真奈達を落ち着かない様子で清彦が促す。
その声に、全員が急いで窓から外に出てガラス戸をもと通りに閉めたその瞬間、入口の戸が開かれ、入れ替わりに教頭が中へと入って来た。間一髪のタイミングである。
「フー……」
窓の下に屈んで身を隠しながら、呪術部員達は大きく溜息を吐いた。
ちなみにふと気付いてみれば、瑠璃果達魔術部の三人はいつの間にやらどこへともなく姿を暗ましている。あの三人、どうやら逃げ足だけはそうとうに速いらしい……。
そうして安堵の息を吐く部員達の頭の上で、教頭の点けた蛍光灯の光が明滅しながら窓から零れ出る。
「ん? ……な、なんじゃこりゃあぁぁぁ~っ⁉」
静けさを取り戻した夜の美術室内に、今度はそんな教頭の某伝説的殉職シーンを思わす悲鳴が高々と木霊した。
七不思議の謎と一緒にあたしの秘密もバレちゃいましたね(^^;。
さて、その後の顛末まで、最後までごらんください。




